第82話 幕間 開幕 イスタンブール奪還祭(後編)

 太陽がその姿を隠し、街に夜の帳が降りても熱狂はとどまることを知らない。街灯に加え、様々な屋台が軒先に吊るす明かりがいつも以上に街の通りを明るく照らし続けている。


 そんな明かりに照らされながらも、机に突っ伏したままをすする男が一人――


「燃え尽きた……」


 ――周囲の熱気と賑やかさから切り離されたような、暗く陰鬱な雰囲気に、自然と人がユーリの机を避けて、そこだけポッカリと穴が開いているかのようだ。


「おや、ユーリ? どうしたんだ? 


 そんなネガティブ空間などなんのその。軽やかに椅子に座ったエレナは、スイーツ片手に楽しそうに笑っている。


「……なんだ。エレナか」


 そんなエレナに顔だけ向けたユーリだが、再びストローを咥えて「チュー」と虹色の飲み物を啜った。


「『なんだ』とは随分だな」


 溜息をついたエレナだが、それを聞くユーリは「放っといてくれ」ともう一度飲み物を啜る。そんなユーリにエレナが眉を寄せた瞬間


「エレナさん、その馬鹿は放っといて大丈夫よ」


 エレナの背後からリリアの声が響いた。


「はい、これ!」


 ドン。と音がしそうな勢いでユーリの前に置かれたホットサンドイッチ。見るとリリアの額にはピクピクと青筋が浮かび、心なしか笑顔も引きつっている。


「この馬鹿、羊レースで全部スッたんですって」


 怒ったように、ユーリとエレナの間に腰を下ろしたリリアが、「信じらんない」と頬を膨らませてユーリを睨みつけた。


「全部じゃねぇよ。一応ちっとは残ってるわ……ジュース買ったから減ったけど」


 その言葉にエレナが頭を抱え、リリアはというと「馬鹿じゃない? 何でお金ないのにジュース買うのよ」と口を尖らせている。


「……一緒にお祭り回ろうと思ってたのに」


 呟くリリアの声に、エレナは苦笑いでユーリを見つめた。確かに手持ちもなく、やる気のないユーリにエスコートなど頼めたものではないな、と小さく溜息をついた。


 リリアが「もう知らない」とぶっきら棒に吐き捨て、立ち上がった瞬間、机に突っ伏したままのユーリが「おい」とリリアに向けて声を発した。


「なによ?」


 ジト目でユーリを睨みつけるリリアが「お店あるんだけど?」と続ける。


「明日


 それだけ吐き捨てたユーリが、「もう行っていいぞ」と机に突っ伏したままリリアにシッシッと手を振った。


「はあ? お金ないって言ってたくせに……もしかして私にタカる気?」


 腰に手を当てたリリアが、突っ伏したままのユーリに顔を近づけた。そんなリリアに向けてとユーリの首が振り向く――


「お前と祭りを回る金くらいは取ってるわ」


 相変わらずやる気のない瞳。だがその口から出た意外な言葉、リリアが「え?」と顔を赤らめて軽く仰け反った。なんとも綺麗にカウンターが決まったな、とエレナはその様子を頬杖をついたまま苦笑いで眺めている。


「だーかーら! お前と回る金は別でとってるっつーの」


 繰り返すユーリの言葉に、「そ、それは分かったわよ」とリリアの声が上ずる。


「……どうやら俺は一人じゃこの祭りと相性が悪いみたいだからな。エスコート頼むぞ」


 それだけ言うと、ユーリは再び首をと返して残り少なくなった虹色の飲み物を「ズゾゾゾゾ」と音を立てて啜った。


「なんで私がエスコートを……」


 そう言いながらも嬉しさが顔に滲み出るリリアを、エレナは微笑ましく見守っている。なんせ、「お前と回る金」と言っているのだ。つまり元々リリアと回るつもりだったとユーリが告白しているのだ。


 計画性が無いように見せていて、ちゃんと押さえるべきは押さえている。意外に分かっているではないか。


 今も突っ伏すユーリを眺めるエレナの感想だ。そう思えばユーリが気怠く机に突っ伏しているのも可愛らしく見えてくるから不思議だ。


 明日の夕方六時に終了する本祭だが、その後は日が変わるまでの後夜祭もあるので、祭りはまだまだ中盤だ。中盤で軍資金が尽きれば、投げやりにもなると言うものだろう。


「それと――」


 不意にユーリが身体を起こした。


「――何時だ?」


 殆ど中身のない虹色の飲み物をしつこく啜るユーリに、「何が?」とリリアが眉を寄せる。


「歌唱コンテスト。出るんだろ?」


 ストローを咥えたままニヤリと笑うユーリだが、頬にテーブルの跡が付いているのを本人は知っているのだろうか。


「……な、何で知ってるのよ」


 ジト目のリリアだがその動揺は隠せていない。恥ずかしそうに頬を赤らめ「誰に聞いたのよ?」とユーリに詰め寄る姿は中々に微笑ましい。


「聞かなくても分かるわ。んで、何時だ?」

「……言わない」


 赤くなった頬を膨らませたリリアに、「馬鹿か。それじゃ応援に行けねぇだろうが」とユーリが口を尖らせた。


「お、おお応援なんて要らないわよ!」


 顔を真っ赤にするリリアに「照れんなよ」とユーリがニヤリと笑う――その頬は未だ机の跡で赤いままだが。


「て、照れてないわよ。ユーリに来られたら迷惑なの!」

「ンだと? 格好いいユーリ君の応援が要らねぇっつーのか?」


 エレナの前で顔を近づけ言い合いをする二人。その二人の様子に「フフッ」と笑ったエレナが口を開いた。


「リリアはだからな。恐らく夜九時前後だろう」


 エレナの言葉に「ちょ、なんで――」と慌てるリリア。


「トリかよ。やるじゃねぇか」

「ただのクジよ」


 むくれるリリアの弁明など知ったことか、と対照的に笑うユーリは、デバイスに目を落として時間を確認した。リリアの出番まではまだ少し時間がありそうだ。


「折角だし、全員に声かけようぜ」


 ニヤニヤ笑うユーリに「ちょっと、やめてよ」とリリアが掴みかかるが、ユーリがそれを華麗に躱した。


「心配すんな。お前の歌はだ。全員の、イスタンブール中の度肝を抜いてこい」


 ユーリが見せた笑顔に、リリアの頬が一気に紅潮する。フザケているようにも見えるが、どこか真剣にも見えるその笑顔をエレナは良く知っている。あれは戦いに出る時のユーリの顔だ。


 そんな顔で「度肝を抜いてこい」等と、ユーリが言ったのはリリアの他にカノンくらいだろう。そのくらいユーリはリリアの歌という物を認めているのだ。


「そ、そんな事ユーリが言ったって……」


 モゴモゴと恥ずかしがるリリアだが、ユーリが頭に手を乗せた瞬間口を噤んで顔を赤らめた。


「大丈夫だ。俺が保証する」


 そう笑うユーリに、「……レースで遊ぶお金スッた人に言われても」とリリアが目を逸しながら口を尖らせた。


「それは今関係ねぇだろうが。大体お前と回る金はちゃんと――」

「そ、それは分かったわよ! 分かったから……」


 そう言いながらリリアが恥ずかしそうにユーリを押し退けた。


「兎に角、ブチかましてこい。見ててやるからよ」


 口に咥えたストローを上下させるユーリに「す、好きにすれば……まだお店あるから」とリリアが背を向けて小走りで駆け出した。


「リリア! ――エスコート」


 その背中に手を上げるユーリに、「わ、分かったわよ!」と顔を赤らめたリリアが振り返って頬を膨らませた。


「……ったく。世話の焼ける奴だぜ」


 再びストローを容器に突き刺したユーリだが、中身は残念ながら完全に空だ。名残惜しそうにカップを持ち上げ、溜息をついたユーリがエレナのニマニマとした視線に気がついて眉を寄せた。


「……ンだよ?」


「いや」


 ニマニマとしながら首を振るエレナに「ンなんじゃねぇからな」とユーリが少しだけ頬を赤らめて視線を逸した。


「……羊レースももしかして明日のデートの軍資金を増やす為か?」


 ニマニマとしたエレナの質問に、「ばっか、ちげぇよ!」とユーリが声を上擦らせた。


「あ、あれは……ただ、それだけだ」


 そう言いながら再び視線を逸らすユーリだが、実際増えたら明日リリアと回る時の足しにしても良いと思っていたので、エレナの発言は強ち間違いではなかったりする。


 そんなユーリの反応に、「そうか。そういう事にしておこう」とエレナはニマニマとした笑顔を浮かべたままだ。


 エレナの反応とニマニマした視線に、このままでは分が悪いとユーリは「チッ」と舌打ちだけを漏らしてエレナの視線から身体ごと逸した。


 流れる沈黙に、エレナが楽しそうに「フフッ」と笑みをこぼして、その手にあったスイーツを口へと運び「美味いな」と呟きユーリを覗き込んだ。


「これは多分リリアも好きだぞ」

「うるせぇな」

「明日のデートで買うといい」

「うるせぇって」

「店の場所はだな――」

「話を聞け! お前は俺のオカンか!」






 ☆☆☆







『さて、歌唱コンテストも残すところあと一人となりました〜』



 メイン会場から響くアナウンスに、会場からの歓声も一際大きくなった。意外や意外、老若男女を問わず出場した歌唱コンテストは、早食い大会並の盛り上がりをみせていたのだ。


「こないな遠くでエエの?」

「良いんだよ。この位置で」


 そんな会場から少し離れた小さなビルの屋上。メイン会場が見下ろせる絶好の位置だが、距離が開きすぎて出場者の姿は小さく見応えというには不十分。そんなビルの縁にユーリはヒョウと腰を下ろしていた。


 吹き抜ける暖かい風がユーリとヒョウの髪の毛を揺らす――


「まあ黙って聞いてろって。アイツの歌はスゲェからよ」


 ユーリが笑いながら、謎の虹色ジュースを口に運ぶ。


「ツレの彼女自慢ほど鬱陶しいモノはないんやけど」


 苦笑いのヒョウもまた、虹色のジュースを啜った。


「誰が彼女だ、誰が――」


 ユーリがその言葉に弾かれたように顔を向けた瞬間、『それでは最後のお一人、リリア・オーベル嬢、どうぞ――』アナウンスの声と大歓声が周囲を包んだ。


 恥ずかしそうにしながらステージ中央へと進むリリア。キョロキョロと誰かを探すように当たりを見回す姿は、挙動不審以外の何物でもない。


 漸くステージの中央まで辿り着いたリリアだが、固まったまま一点を見つめている。

 今までの出場者と違い、緊張からガチガチに固まって中々歌い出せないリリアに、観客たちもザワつき始めた。


 そんなリリアと観客を見ながら、ユーリは「めちゃくちゃ緊張してんじゃねぇか」と苦笑いでボヤいた。


「仕方ねぇな」


 呟きながら立ち上がったユーリが、姿を消す――「ああ。がするわ……多分大事おおごとになる……そないな気がする」――ヒョウの嘆きが終わって直ぐにユーリは戻ってきた。

 ユーリはと悪い顔でデバイスを素早く操作した後、ビルの上でリリアに向けて大きく手を振る――何度も何度も――






 ステージに立っているリリアは、まさかこんな大観衆に迎えられるとは思っていなかった。今まで歌が上手いと言われ続けてきたが、それは両親と常連だけの話で、ココまで不特定多数の人を前に歌った事などないのだ。


 完全に雰囲気に飲まれてしまった。マイクを握る手に力が入りすぎて、白い手が一層白くカタカタと震える。隣で「大丈夫ですか?」と囁いてくれる司会者に申し訳ない気持ちで顔すら上げられない。


 ステージに立つだけで、中々歌い出さないリリア。それに痺れを切らしたのだろう観客たちのザワつきが更に大きくなる――ふとリリア左手でデバイスが振動した。ホログラムに映されたのは――『前だ。向かいの屋上を見ろ』それだけ書いてある。


 差出人の名前に、弾かれたように顔を上げたリリア。飛び込んでくるビルの上で手を振る人影――


「なんであんなに遠くにいるのよ……」


 そうリリアがボヤいた瞬間、屋上から複数のサイリウム光線がリリアのいる会場へと降り注いだ。


『あれ? こんな演出あったっけ?』


 マイク片手に呆ける司会者が、サイリウムの出処を見上げ――『こ、こらー! あなた達! そこで何してんの!』ユーリ達の存在に気がついて声を張り上げた。


 ザワつく会場。

『あいつら捕まえて!』

 響く怒声。


 完全にワチャワチャした雰囲気だが――それにリリアが「フフッ」と笑みをこぼした。まるで『ディーヴァ』にいるような雰囲気なのだ。

 ユーリが悪戯をして、リリアやエレナが怒り、常連のお爺さん達がそれを笑う。


 ここは舞台……いつもの舞台――


「よし――」


 大きく深呼吸をしたリリアがマイクを片手に、歌を、奏でた――



 ザワついていた観客も

 怒声を上げていた司会者も

 ユーリ達を捕まえようと走っていた衛士やハンターも


 全員がリリアを振り返り、その歌声に息を呑んだ。


 全てが我を忘れて静まり返る――その圧倒的な歌声は、しっとり奏でるAメロから、一気にアップテンポのBメロへ。


 屋上から降り注いだサイリウム光線が、それに合わせて踊るように翻る。


 楽しげに踊る光線に合わせて、リリアの歌声にも更に力が入る――サビに入れば、圧倒されていた人々をも巻き込んで、周囲は一気に華やかで綺羅びやかなライブ会場と化した。


 ステージ真下まで詰めかける観衆。

 踊るサイリウム。

 打ち鳴らされる手拍子。


 伴奏なんて無い。それでも全員がこの歌声を高めようと、会場が一体となってリリアの歌を盛り上げる。


 そこに居るのは、路地裏の小さなウェイトレスじゃない。紛れもない歌姫ディーヴァそのものだ。







「何なん、あのの歌声……」


 両手に巨大なを一つずつ持ったヒョウが呆ければ、「すげー痺れるだろ」同じようにサーチライトを持つユーリが笑う。


 今もステージ上で楽しそうに歌うリリア。その前の大観衆は、ユーリ達の事など忘れたようにリリアの歌声に夢中だ。



「……確かに痺れる歌声しとるわ。こりゃユーリ君が聞かせたがる訳やわ」


 ヒョウが「ただの彼女自慢やないんやね」と続けた。


「だからちげぇ、っつってんだろ」


 ボヤくユーリだが、リリアを見つめる優しげな瞳に「どーだか」とヒョウが肩を竦めてみせた。


 当初の緊張など何処へやら、堂々と曲を歌い終わったリリアに観衆から上がる大歓声と「アンコール」の声。熱気に包まれる会場で『あ、あのアンコールとかは――』四苦八苦する司会と苦笑いで大きな礼をしたリリア。


 それを屋上から眺めていたユーリが小さく笑ってヒョウを振り返った。


「……今日は帰るか」


 サーチライトを置いたユーリに、ヒョウが首を傾げて「表彰式は見んでエエの?」とリリアがいるステージを顎でシャクった。


「見なくても分かるだろ……それに――」

「それに?」


 どこか諦めたように曇るユーリの笑顔。


ってのは大事なんだよ」

「引き際……?」


 ヒョウがユーリの言葉を反芻した瞬間、「こらぁ! お前らそこ動くなよ!」ビルの下から何人もの男の怒声が響き渡った。


「引き際って――?」

「そういう事だ。逃げるぞ!」


 サーチライトを放り出して駆け出したユーリ。その背中に「やっぱユーリ君が絡むと大事おおごとやん!」とヒョウが口を尖らせて駆け出した。


 ユーリ達を追いかけるのは、衛士もしくはハンター。彼らもそのプライドにかけて壁を蹴って屋上へと飛び上がり、暗闇に消えた二人の後を追う。


 満場一致でリリアの優勝が決まったコンテストの表彰式。その裏で夜の闇を舞台とした短い逃走劇が繰り広げられていた事は、あまり知られていない。





「こっちや! こっちにおるで!」


「おい、ヒョウ! テメェ裏切ったな!」

「僕はアレやん。能力でどうとでもなるし……」


 ニシシと笑ったヒョウが、隣のビルへと飛び移ったユーリを指差し声を上げる。


「あっちに逃げたで! 皆、逃しなや!」


「おま、マジで覚えとけよ!」

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