第81話 幕間 開幕 イスタンブール奪還祭(中編)
壁に囲まれた二層式の都市、イスタンブール。その下層において唯一プレートの影がささない地区がある。
第六区画。通称農業区。
そこは上層の中でも更に裕福な一部の人間の胃を満たす、自然派の食材が育てられている区画だ。他の街区とは違い、プレートの影がなく、また金網で仕切られた特別な区画であるが、この日だけはその金網も開放され、多くの市民が普段中々触れる機会のない草花や土の感触を楽しんでいる。
そんな長閑な街区の一角――
「何が早食いだ。男ならやっぱりレースだろ」
――柵で囲われた広い牧草地の前にユーリは立っていた。
ここではレオーネファミリーが取り仕切る『羊レース』が開催されている。旧時代の競馬や競艇、競輪のような賭け事の一角なのだ。
なぜマフィアがこの興行を取り仕切っているか……単純にこの街区がレオーネの傘下だからだ。
最前線のため、周辺に農地用の衛星街を作れなかったイスタンブール。その状態に目をつけた数代前のドン・レオーネが、当時の知事に街の中に農地を設けることを提案して、この街区が出来たのだ。
権力者達の台所を作り出し、それを抑えることでレオーネ・ファミリーはその頭角を現しイスタンブールの裏社会を牛耳るまでになった。
その名残から、この街区を取り仕切る彼らが、『羊レース』を開催している。儲けは勿論レオーネの資金になるため、あまり褒められた興行ではないが、それでも裏社会を一本に絞れるならとお目溢しを受けて、堂々と資金集めに勤しんでいる、というわけだ。
そんな羊レースは、もっぱらユーリ達のような男性に人気だが、最近では女性客も増えているようで、会場は意外にもむさ苦しくない。
レース会場へと続く入口に設けられた、可愛らしい羊の絵が書かれた看板などがいい例だろう。
「マフィアのくせにファンシーな看板作りやがって……」
それを見ながらボヤくユーリだが、「ハンター協会よりはマシか」とあのダサいネオンの看板を思い出しながら溜息をついた。
レース会場はメインレース前だというのに大盛況で、あちこちで歓声や悲鳴が上がっている。
春とは言え、直射日光が降り注ぐこの街区。レースを見守る観客席と、コースこそ青空仕様だが、羊券売り場や、レース案内、そしてスタートゲートのあるこの場所だけは、屋根の下だ。
旧時代の巨大な倉庫を改造したような会場だが、下はむき出しの土のまま。何ともアングラで、アナログな雰囲気が出るが、それは何も建物や床の話に限らない。
出走予定のレースや、オッズを示す掲示板こそ魔力式の電光掲示板だが、羊券売り場は、小さな物置を改造したもの。羊券は骨董品のような感熱式用紙。出走ゲートは手作り感満載の歪な形。そしてゲートの開閉はまさかの人力という、ほぼ全てがアナログタイプな会場なのだ。
それでもそのアナログ感が珍しい、と老若男女問わずジリジリと人気を出してきているのだから、世の中分からない物である。また、アナログすぎて羊券への不正が出来ないというのも、一周回って面白いものだとユーリは笑っている。
「さて、と……メインレースの前に軽く様子見でもするか」
呟いたユーリが、次レースの出走予定表とオッズを見比べはじめた。
羊レースのルールは単純明快。出走する八頭の羊の中から、一着を当てる単勝。二着までに入る羊を当てる複勝式。一、二着を当てる連勝。一、二着の順不同な
羊券の値段はそれぞれ一枚二〇〇クレジット。それにオッズが乗って払い戻される形である。
暫く電光掲示板とにらめっこしていたユーリだが、「よし、決めた」と羊券売り場へと足を向けた。
「オヤジ――」
「よ〜親っさん――」
ユーリが売り場のオヤジに声を掛けたのとほぼ同時、褐色肌で白髪の男性――
ユーリとダンテ、初顔合わせ。二人して一瞬だけ顔を見合わせるが――
「四、八での連勝複――」
「三番単勝――」
――再びほぼ同時にオヤジに声を掛けた。
「ンだテメェは? 俺が先だろ」
「へいへい青年。年長者は敬うべきだぜ〜?」
軽薄な口ぶりのダンテは、カーゴパンツにコンバットブーツ、上は丈の短い革ジャンとラフな格好だが、鍛え抜かれた肉体とユーリと然程変わらない身長も相まって妙に格好良く見える。
「うるせぇ。単勝とかショボい賭け方の奴が偉そうにすんな」
「よくいうぜ〜? れんふくで置きに来てる坊やがイキんなって〜」
羊券売り場の前で、火花を散らす二人。そんな二人に
「ほれ、もってけ――」
と葉巻を咥えた気怠そうなオヤジがそれぞれの羊券を手渡した。
ユーリとダンテ、それぞれが相手から目をそらさずに羊券をオヤジから分捕ると、睨み合ったままレース状況を中継する掲示板の前まで来た。メインでもない言わばならしのようなものだ。観戦は掲示板で十分と、二人少し距離をおいて腕を組みながらモニターを睨みつけている。
ユーリ達が見つめる先、ついにゲートが開いてレースが始まった。
先行はユーリの予想していた八番、その次に四番、三番と続くが団子状態のレースはどの羊が抜け出してもおかしくはない。競馬と違い、羊レースが難しいのは騎手がいない所だろう。先行していたとしても、途中で急激な失速もありえるし、なにより出遅れた羊が追い上げて抜くという差し馬のような活躍を見せる事が少ない。
故に、各羊の性格や今日のコンディション、そしてゴールにある餌や空腹予想、餌との相性など、複合的な要素を加味して順位を予想するのだ。
そしてその複雑なレースをユーリは上手く当てたようだ。
『一着は八、二着は四、三着は三――』
会場に響くアナウンスに「っし!」とガッツポーズをしたユーリが、ドヤ顔でダンテに視線を向けた。
ユーリのドヤ顔に気がついたダンテ。余裕そうな笑みを浮かべてはいるが、額には薄っすらと青筋が浮かび、手にしていた羊券はクシャクシャに握りつぶされている。
そんなダンテに「けっ、ロートルが」と悪態をついて勝ち誇った笑みを浮かべたユーリは、再び次レースの予想が表示された掲示板へと目を向けた。
暫くそれを吟味していたユーリだが、「よし、次もいける」と意気揚々と羊券売り場へ――
「おい、オヤジ――」
「親っさん――」
――再び同時に声をかけるユーリとダンテ。
「すっこんでろ、負け犬野郎が」
「青〜年〜。良いことを教えてやる。お前のそれはビギナーズラックってやつだ」
羊券売り場前で睨み合う迷惑な二人だが、明らかにカタギではない二人を前に、売り場のオヤジも他の客も遠巻きにそれを眺めるだけだ。
「三、二で連勝――」
「二、三の連勝複式」
相変わらず同時に声を掛けた二人。
「おいおい。パクリな上に置きに行くとか、それで良くギャンブラー名乗れるな?」
「パクってねーよ〜。あとな〜……俺の勘が言ってんだ、ここは手堅く行けって。ギャンブラーとしての勘がよ〜」
睨み合う二人に「ほれ、とっとと持ってけ」と呆れた声と共に羊券を出すオヤジ。それを睨み合いながら受け取った二人は、繰り返し再生なのでは、と思うほど先程と同じ位置で、同じポーズでモニターを見始めた。
結果は――
「くっそ……あそこでイレギュラーがなけりゃ」
「見たかよ〜。俺の勘。ギャンブラーとしての勘。シロートの坊やとは違うぜ〜」
――ユーリの予想は外れ、ダンテの手堅い予想が功を奏した。途中まで三、二で突っ走っていた羊だが、ゴール直前で三番が地面の凹みに足を取られて転倒。そのまま二番に抜かれて順位が入れ替わってしまったのだ。
勝ち誇るダンテの顔に、ユーリは思わず手の中の羊券を思い切り握り潰した。
その後の二レースも――同じように同時に声を掛け、お互いの予想を罵倒しながら一勝一敗という見事なシーソーゲームを見せた二人。そして迎えるのは――
『皆さんお待たせしました。本日のメインレースになります。オッズも今までより更にアップ! 奮ってご参加ください!』
会場に響くアナウンスに、ユーリとダンテだけでなく、全員のボルテージが最高潮に。掲示板の前には我先にと人が群がり、とてもではないがゆっくりと予想を立てる事など出来そうもない。
どうしたものか、と考えるユーリの視界の端に知っている顔がチラリと映った。ハット姿に、ウェーブがかった茶髪。粋なスーツの着こなしと綺麗に切りそろえられた髭――
とは言え、あの日ユーリはマスクをしていたので、マルコはユーリの顔を知らない。
どうやらレースを取り仕切っている部下と会話しているようだが……それを見たユーリは悪い顔で笑ってダンテを振り返った。
「
そう吐き捨てたユーリが躊躇うことなくマルコの下へと歩いていく。不躾に近づくユーリに気がついたマルコと部下の男が、剣呑な雰囲気を出してユーリを睨みつけた。それでもユーリは止まらない。
「テメェ何のようだ! この会場を仕切ってるのが――「ちっと黙ってろ」――ブフ」
声を張り上げた男の顔面を左手で抑え込んだユーリ。男が「ムームー」と声を漏らし、周囲もザワつく中、ユーリは自身を睨みつけるマルコに笑いかけた。
「よー。髭ダンディ。ちぃと面貸してくれよ」
その場の全員が「あ、こいつ死んだな」そう思っただろう。ダンテでさえ「アイツは正真正銘の馬鹿だ」と呟いたくらいだ。この会場を取り仕切るのは、イスタンブールの裏の顔、レオーネ・ファミリー。それに喧嘩を売るような発言は、そのままマフィアを敵に回すと言っているのと同じ意味だ。
だが、ユーリはそんな事お構いなしに、マルコへと顔を近づけ囁いた――
「お前らのレオーネも潰されたくねぇだろ?」
――その囁きに、マルコの眉がピクリと動いて「……カラス面か?」と訝しげに呟いた。
「話が早くて助かるぜ」
笑うユーリに、マルコの頬を汗が伝う。なんせ、外道の集団とは言え、あの巨大ファミリーをたった二人で壊滅させたうちの一人だ。どんな要求があってこの場に来たか分からないが、自分の発言一つで再びイスタンブールの裏社会に血の雨が降る事は確実だ。
思わず生唾を飲み込んだマルコにユーリが更に囁いた。
「……お前のオススメは何番だ?」
「は?」
身構えていたマルコから、思わずと言った具合に間抜けな疑問符がこぼれおちた。
「だから、お前が仕切ってんだろ? 今日絶好調の羊は何番だよ?」
ユーリが囁く声は、ザワつく周囲には聞こえていない。だが、周囲も異常事態には気がついているようだ。なんせ、マフィアのNo.2に「顔をかせ」と言っておきながら、何のお咎めもないように内緒話を始めるくらいだから。
周囲の視線に気がついているユーリが「早くしろよ。怪しまれるだろ」とマルコを急かすが、当のマルコからしたら「既に怪しまれてるのだが」と言った気分だろう。
とは言え、この男の性格上、何も言わないわけにはいかない、と「とりあえず一番人気は五番だが、最近この餌が嫌いらしい。逆にこの餌をバカみたいに食うのは七番だ」と少しだけ裏情報を流した。
コレだけで勝てる訳では無いが、誰も知らない情報だ。これは良いものを貰ったとユーリが「助かったぜ、マルコ・マロニー」と肩を叩いて元いた場所へと戻っていく。その背中に「ロマーニだ」とマルコが溜息混じりに呟いたが、それは勿論届いていない。
兎に角何とごともなかったように戻ってきたユーリに「坊や、大丈夫なのか〜」とダンテが眉を寄せるが、
「皆さん、お騒がせしました。少し古い知り合いで、久々の再開を喜んでいただけです!」
とレースを仕切っている男が声を張り上げてその場を収めた。
その言葉を完全に信じていない男が一人――ダンテだ。ユーリが近づいて行った時のマフィアの反応、それが暫くして大人しく話を聞き始め、最後には「知り合い」発言だ。確実にユーリがマフィアを脅したのだろうと当たりをつけている。
とは言え、証拠はない。証拠はない以上――
「ククク、勝てば良いんだよ。勝てば――」
――絶対にクロだ。そう思えるくらい悪い顔で悪い事を呟いているユーリに、ダンテはドン引きだ。
それぞれの思惑を乗せて、最後の予想タイムが終わり、羊券売り場へと皆が殺到する。それを敢えてやり過ごしたユーリは最後に――
「おい、オヤジ」
「親っさん〜」
――最後もダンテともろ被りだ。だが、お互い相手を睨みつける事はない。ただ淡々と――
「「七、三、五で三連単。今までの儲けも全部変えてくれ」」
――とはいかなかった。まさか最後の最後、メインレースで予想と全額ブッパまで丸被りするとは思ってもいなかったようで、「なにパクってんだよ」「俺のほうが一瞬早かっただろ〜」とオヤジの前で言い合いをする始末だ。
オヤジの迷惑そうな溜息は、二人の「パクリだ」「パクってねえ」と言うやり取りに掻き消されたが、羊券を発行せねばレースが始まらない。もう慣れた手付きで
「ほらよ」
と出された羊券を二人が同時に分捕って、睨み合いながら観客席へと消えていった。
昼下がりの暖かい日差しの下、ユーリとダンテは観客席の最前列に陣取って、メインレースが始まるのを今か今かと待っている。
「時にオッサン。何で一番人気の五じゃなくて七を予想した?」
ユーリとしてはマルコに裏情報を聞いた自分以外が、七番を一位に持ってくるとは思えなかったのだ。
「最初のレースだ。俺は朝からココにいるが、あの七番は朝イチのレース終わり、餌にがっついて係員に引き剥がされる程だったからな〜」
笑うダンテが「あのがっつきは異常だったぜ〜」と続ける言葉に、ユーリは中々やるな、と感心を隠せないでいた。
何だかんだとムカつく奴だが、最終ココに掛ける男気と、レース予想の緻密さは認めてもいい。これが終わったら稼いだクレジットで飲みに行っても良いかもしれない――そうユーリが思い始めた時、ゲートが開いて一斉に羊が飛び出した。
先着は三番、その直ぐ後ろに五番、少し離れて七番、四番と羊が続く。
三番、五番は二番、一番人気で手堅い走りを見せているが、ここにきて七番の勢いが増してきた――餌の臭いに刺激されたか――兎に角五番のケツまで巻き上げてきた。
「「よし、来た!」」
二人の上擦った声が重なる。儲けた分まで突っ込んだ大量の羊券が二人の手の中で握りしめられて音を立てて曲がった。
七番の勢いが増す。残り凡そ二十メートル――勢いがついた七番が、そのまま五番を――弾き飛ばした。
「「へ?」」
間抜けな疑問符も重なる。力が抜けた手の中で、羊券が厚みを取り戻した。
七番はそのまま三番もなぎ倒し、堂々の一着で餌箱に頭を突っ込んで「フガフガ」鼻息荒く、餌に食らいついている。
『波乱のメインレース! 結果は一着七番、二着六番、三着一番という結果になりました』
響くアナウンスを聞きながら、ユーリとダンテの手から大量の羊券が滑り落ち、吹き抜ける風に攫われ紙吹雪のように会場に舞った。
「やりましたー! お祖父ちゃん何か分かりませんが、当たりましたよー!」
遠くから聞こえる声にユーリが「フッ」と笑った。
「カノンの空耳が聞こえるぜ……」
「奇遇だね〜。俺も聞こえるよ〜」
ダンテとユーリ、空を見上げた二人が、どちらともなく「空が青いな」と呟いた言葉は、「億万長者でしょうか?!」と言うカノンの狂喜乱舞に掻き消されて紙吹雪同様風に散っていった。
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