第80話 幕間 開幕 イスタンブール奪還祭(前編)

 激闘の一日が明けて――そんな事があったなどと露とも知らない街は、昨日以上の人出と賑やかさに包まれている。


 イスタンブール奪還祭本番――朝九時にあるはずの知事による開幕宣言が中止になるなど、若干の予定変更はありつつも、青空のもと無事に開催されたそれは、大盛況だ。


 昨晩同様賑わう大通りを歩くユーリ。その視線の先には――


「ついに来たぜ……優勝賞金は俺のモンだ」


 ――早食い大会が開催されるメイン会場だ。


 イスタンブールの丁度ど真ん中、中央のエレベーターをぐるりと取り囲むロータリーの一部がメイン会場だ。巨大な特設ステージでは早食い大会以外にも、歌唱コンテストに利き酒大会、小さい子供向けの宝探しやスタンプラリーなど、様々な催しが開催される予定だ。


 イベントのない時は、巨大なモニターの中で、リポーター役の協会職員が様々な屋台やイベントを紹介するらしい。旧時代のテレビを彷彿とさせる放送内容は、それだけでも住民たちの興味を引いている。


 だがやはり早食い大会はメインの一つだろう。


 屈強な参加者達がその自慢の胃袋で、イスタンブールの名物をいかに早く食べ切れるかを競う大会。優勝賞金も出るのだが、それ以上に盛り上がるのが


 予選の状況を見て、最終本戦での順位を予想する三連単。これが実は中々好評で、老若男女問わず、お小遣い程度から賭けられる、と羊レースに迫る勢いで人気だ。


 特に子供や若い女性にも好評なのは、これがマフィアが裏を取り仕切る羊レースとは違い、ハンター協会が元締めをしているという安心感があるのだろう。いわば公営のギャンブルなのだ。


 安心安全にギャンブルの興奮を味わえる早食い大会だが、ユーリはプレイヤーを選んだ。なんせ、ある程度の参加費を払うだけで腹いっぱいご飯を食べられ、しかも優勝賞金まで貰えるというのだ。プレイヤーとして参加しない手はない。


 昼前から始まるそれに向けて、着々と進む準備を横目に、「コンディションもバッチリだ」とユーリは主張する腹を叩いてメイン会場横の受付に到着した。昨日、ちゃっかりと案内板の受付方法を参考に、エントリーを済ませていたのだ。


「ユーリ・ナルカミ様ですね。こちらのゼッケンをつけて、控室でお待ち下さい」


 手渡されたのは、『44』と大きく書かれた青色のゼッケンだ。受け取ったユーリが意気揚々と受付横の『控室』と書かれた天幕へと入った。


 ユーリが天幕を潜った瞬間、中にいる男たちからの視線が突き刺さった。ユーリを値踏みしているかのような不躾な視線。だが、それを向けられるユーリは余裕の表情だ。一八〇を超える高身長に、服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体。顔の爽やかさに反して、参加者達の中でも一人だけ明らかに『出来る』オーラを纏っている。


 そんなユーリを警戒するように、周囲の人々が道をあけ、ユーリは堂々と椅子の一つに腰を下ろした。体調はバッチリ。あとは最高のパフォーマンスで優勝して腹と懐を満たすだけ。目の前に見える栄光の道筋に「ククク」とユーリが笑みを漏らした瞬間、天幕の中が大きくザワついた。入ってきたのは――


「ウム。何とか間に合ったのである」


 ――私服姿のゲオルグだ。白シャツにベージュの九分丈スラックス。サスペンダーにハットと意外な風体だ。サスペンダーと同じ黒い革靴からチラ見する靴下はシャツと同じ白。ハットはスラックスと同じベージュとカラーバランスも良い。のだが……如何せん大きな身体がシャツに収まり切っていない。パッツパツに張ったシャツのボタンははち切れそうで、第一ボタンどころか第二ボタンも閉まらないのでは? と思うほどの張り具合だ。


 身体の大きさだけで見たら、完全に頭二つ分抜けたゲオルグが、ユーリに気がついたように「おお」と感嘆の声を上げた。


「ユーリ・ナルカミ。お主も参加するのであるな」


 近づいてきたゲオルグに「だからフルネームで呼ぶんじゃねぇよ」と笑ったユーリが立ち上がった。


「まさかとは思うが……昨日言ってた『やらないといけないこと』ってコレじゃねぇよな?」


「そのまさかである」


 大きく頷いたゲオルグがニヤリと笑って続ける。


「吾輩はディフェンディングチャンピオンであるからな」


 そう言ってボディビルのようにポーズを決めたゲオルグの、ボタンが一つ弾け飛んだ。


「シャツのデカさが合ってねぇだろ……」


 苦笑いするユーリの前で、「ウム……最近また一回り大きくなったである」とゲオルグが困ったように顎を擦った。


「……成長期かよ」


 確実にユーリより年上のはずなのだが……年々デカくなるというゲオルグにユーリは苦笑いが止まらない。とは言え身体がデカければ勝てるという物ではないのが、この早食いという戦いだ。


 反面ユーリは幼い頃から常に食事を早く済ませる、という訓練を受けて来た身だ。幾らディフェンディングチャンピオンとは言え、負ける気はしない。


「せいぜい後僅かなチャンピオンの地位を楽しんどけよ」


 ニヤリと笑うユーリに


「まさか。今年も一年、チャンピオンの座は吾輩のものである」


 同じように笑い返すゲオルグ。


 二人の間に火花が散る――その間からヒョッコリ顔を出したのは――


「二人共、身体がデカけりゃ勝てる訳ちゃうで?」


 ――まさかのヒョウだ。ヒョウ自身、長身ではあるが、ユーリよりは小さく線の細い身体のせいで、この二人と並ぶとどうしても小さく見えるのだ。


「おま、何でこんな所に?」


 ゲオルグに集中しすぎていたか、それとも完全に祭りに当てられオフになっていたのか。兎に角珍しくヒョウの気配に気づかなかったユーリが驚いたようにヒョウへと振り向いた。


「そりゃ、楽しそうやもん」


 笑うヒョウに、「お主も参加するのであるな」とゲオルグが親しげに笑っている。


「面白ぇ……」


 笑うユーリだが、内心は少々焦っている。何故なら――


「早食いで僕に勝てた事ないもんなぁ? ユーリ君」


 ――ニヤリと笑うヒョウは自信たっぷりだ。それでも退けない、いや退かないのがユーリという男だ。


「いいぜ。今日こそお前に勝ってやるよ」


 ヒョウに向けて自信ありげに笑みを浮かべた。


 ゲオルグ、ユーリ、ヒョウ。三人が天幕の中央で睨み合う男たちの、負けられない戦いが今始まる――






『みなさ〜ん! お待たせしました! 今からイスタンブール奪還祭名物、早食い大会を開始しま〜す!』


 間延びするアナウンスが、プレートに反響しているのかと思うほど高々と響き渡った。会場のボルテージも中々で、ユーリ自身心なしか緊張している自分に気が付き、思わず苦笑いを浮かべてしまう程だ。


 予選は十人ずつの対戦形式。それぞれの組で一番早かった人物が、決勝に進出するという単純明快なルールだ。決勝での賭けを盛り上げるために、敢えて予選でのタイムは計測しない。単純に組み合わせの運も出てくるが、要は優勝するには早く食べきれば良いというだけだ。


 天幕の中で集中するユーリの耳にも外の大歓声が聞こえてくる。どうやら予選から大盛りあがりを見せているようで、否応なしにユーリの気持ちを高ぶらせてくれる。


「つぎ、四組目の方々――」


 呼び出しに応じるように、立ち上がったユーリが出番が未だのゲオルグとヒョウを振り返ってニヤリを笑った。二人とも何も言わずに頷くだけでユーリを送り出す。その顔にはまるで「こんな所でけるなよ」とでも書いてあるようだ。


 男たちだけに通じる激励を受けて、ユーリが堂々とその一歩を踏み出した。


 会場の上に立ったユーリを待っていたのは、割れんばかりの大歓声だった。自分を包む大歓声。特設のリング。気分はまるで剣闘士だ。


 今からユーリの見せるパフォーマンスに、会場中が注目していると思うと、自然と武者震いもしてしまうものだ。


 ユーリは係員に誘導され、自分に充てがわれた席へとついた。目の前の皿の上には二十本のシシケバブ肉串。それに向かい合うユーリ――遠くなっていく大歓声――「いける」ユーリが呟いた瞬間、


『それでは〜、予選第四組スタート!』


 アナウンスと同時にユーリは目の前の串を両手に一気に肉へと齧り付いた。


 普通の肉串に比べて大振りの肉だが、それでも柔らかく味も美味い。一噛みごとに溢れる肉汁がユーリの顎を湿らせ、大皿の上に滴り落ちた。

 程よいスパイスが鼻に抜け、上昇する体温も相まって頬を汗が伝う。


 ……美味い。早食い大会に出すレベルの料理じゃねぇ……俺じゃなきゃこの味をうっかり味わっちまうくらいだぜ。


 肉を頬張るユーリの感想だ。格好つけているが、要は「うっまー」と言ってるだけで、あまり大した事は思っていない。


 それでも肉を味わいたいという邪念を振り払い、ユーリが最後の肉を口に含んだ――耳に届く大歓声は、ユーリの勝利を告げるファンファーレだ。


 そのファンファーレに応えるように、食べ終えた串を高々と上げるユーリ。まるで古の勇者が魔王でも倒したかのような凛々しさだが、実際は頬いっぱいに肉を詰め込んだだけの男だ。それでも大歓声は、その勇姿を称えるように割れんばかりの拍手を送っている。


『予選第四組の勝者は、ゼッケンナンバー44、ユーリ・ナルカミ選手〜!』


「当然だ」


 格好良く笑うユーリだが、顎についた肉汁がギラギラと光っている。



 勝利の凱旋を果たしたユーリを待っていたのは、


「なかなかやるであるな」

「まあまあやね」


 強敵ともの労いだった。二人共平静を装って見えるが、ユーリの見せた脅威のチャージに内心焦っているのだろう、今も「出番が待ち遠しいである」「せやなー。待ち疲れたわ」とボヤきながらも、二人して身体をほぐし始める始末だ。


「お前らも早く上がってこいよ」


 勝ち誇った笑みで椅子に座るユーリ。セリフは格好いいが、単なる早食いである事をここで敢えて強調しておきたい。だが、その激励を受けた強敵とも二人はユーリに不敵な笑みを見せて頷いていた。





 結果――


『第六組の勝者はゼッケン77番のヒョウ・ミナモト選手〜!』


『第九組の勝者はディフェンディングチャンピオン、我らがゲオルグ・アウグスト――ゲオルグ氏だ〜!』


 ――危なげなく二人の名前がコールされて天幕まで響き渡った。



「取り敢えず全員が決勝に出場だな」


 ユーリの言葉に二人が「楽勝」「であるな」と笑った。既に予選は全て終わり、会場は今決勝の準備を急ピッチで進めているのだ。


 しばしのインターバルを、決勝進出者は思い思いに過ごしている。


 少しでも腹を減らそうと運動するもの。

 イメージトレーニングに余念がないもの。

 腹ごなしにもならない、と串をおかわりするもの。

 ライバルと健闘を称え合い、に余念がないもの。


「……優勝して、その賞金で羊レースに乗り込む。そして金を更に増やして……」


 椅子に座りブツブツと呟くユーリ。


「賞金出たら、あの商会の社債を買って……」


 デバイスでお得な投資先を物色中のヒョウ。


「……むう。やはり大きめサイズは高いであるな。賞金が出たら、これとこれを……」


 同じくデバイスで商会の服飾品ラインナップをチェックするゲオルグ。


 全員が全員、自分が優勝する気でいる中――


『お待たせいたしました〜! 決勝戦を開始しま〜す!』


 間延びする声が戦いのゴングとなってユーリ達の耳に飛び込んできた。


 三人が三人とも無言で会場へと歩き出す。まるで今から命をかけた戦いにでも挑むかのような雰囲気で天幕を潜った三人を包んだのは、予選とは比較にならないくらいの大歓声だった。


『さて、それでは〜予選を通過した十人の勇者を紹介します!』


 アナウンスが一組目の進出者から名前を呼んでいく――ユーリが呼ばれ、ヒョウも呼ばれ、そしてディフェンディングチャンピオン、ゲオルグがコールされた時は一際大きな歓声が上がった。ユーリとヒョウ、この時ばかりは二人して「今だけだ」と下を向いてその歓声をやり過ごした……のだがだ――


『そしてそして〜! 最後十組目は〜! クレア・ボールドウィン!』


 その言葉にユーリとゲオルグが顔を上げてそちらを見た。視線の先には、大歓声に片手を上げて笑顔で応えるクレアの姿だ。


『クレア・ボールドウィン選手は、欠員の補充のため、急遽ピンチヒッターで出たにも関わらず、十組目を勝ち上がった今大会唯一の女性決勝進出者だ〜!』


 煽るアナウンスに、会場のボルテージも否応なしに上がる。


『それでは〜、各参加者のオッズはこちら〜!』


 アナウンスの言葉で、釣り上げられた巨大モニターにオッズが表示された。


「3.8か……舐めやがって」


 自分のオッズを見たユーリが不敵に笑う。ゲオルグは2.3、ヒョウが3.5とそれぞれユーリよりも低いオッズなのは、観客や主催者が彼らの方が上だと思っていたのであろう。そんなユーリだが、3.8は三番目に低いオッズだ。勿論一番高いオッズはクレア……その倍率なんと20。ゲオルグのおよそ十倍と言う大きさは、それだけ十組がグダグダだったに違いない。


スマイル仮面クレアはどうでもいいな」


 ユーリの呟きを掻き消すように『もう間もなくベットを終了しま〜す!』とアナウンスが流れた。



 ザワザワと騒がしい会場を他所に、出場者の前にはドルネケバブを包んだパンが積み上げられていく……その数二十。肉串と違い、肉とパンと野菜。中々食べごたえのある内容だが、屈強な男たちは余裕の笑みを崩さない。


『それでは〜皆さん準備はいいですか〜?』


 間延びするアナウンスも聞き慣れると悪くはない――


『決勝戦! レディ〜ファイッ!』


 ――合図とともに両手にケバブを掴んだユーリ。それを一気に口へ、いや胃袋へと放り込んでいく。


 ……くっこれも美味い。何だってこんなに無駄に美味く……


 胃袋へとケバブを放り込むユーリの感想だ。美味いなら良いではないか。と言いたい所だが、食べてる本人は味わいたくなるので困るのだろう。


 スパイスの効いた肉。スライスされたトマトと瑞々しいレタスがその味を引き立てる。パンに染み込んだ肉汁とソースも素晴らしい味だ。串に比べ、パンが口の中の水分を持っていくかと思ったが、噛む毎に旨味に刺激された唾液が口の中を潤し続けるという、脅威をユーリは味わっている。


 湧き上がる歓声を後押しに、ユーリは残りわずかとなったケバブを――


『おおおおおっと〜! 下馬評を覆す勢い、クレア・ボールドウィン選手が怒涛の勢いだ〜!』


「なん……だと……」


 呆けたのはユーリだけではない。ヒョウも、ゲオルグも思わずクレアを見た、いや見てしまった。三人の視線の先には、笑顔のままヒョイヒョイとケバブを口に放り込んでいくクレアの姿。


餓鬼ハラペコかよ……」


 呟いたユーリの耳に、『一位は〜まさかのクレア・ボールドウィン選手〜!』響いた無情な終了のゴング――







「終わった……」

「何なんあの人……」

「む、無念である……」


 会場の裏で男三人、膝をついて項垂れる様子に、路行く人々が奇異の視線を向けていた。会場では大会屈指の高倍率、790.7倍となった試合の入賞者へのインタビューと、それを見事引き当てた少女へのインタビューも行われている。


 お小遣いのクレジットを握りしめて参加した少女は、たった一〇〇クレジットが、七万以上に増えるという奇跡の勝利を掴んだのだ。……会場の裏で項垂れる男三人とは違い、年端も行かない少女の笑顔は爽やかに輝いていた。


「お母さんとお父さんと一緒にお祭りを楽しみます!」


 純粋な言葉が、初めて凶器になると知ったユーリ達――こうしてユーリやゲオルグ、ヒョウの思惑など露知らず、メインイベントの一つは大盛況のうちに幕を閉じたのであった。










「あ、あの……何か順番当たったんだけど――」


「はい、早食い三連単ですね。……おめでとうございます。七九〇万飛んで七〇〇〇クレジットの払い戻しです」


「うぇええ!!」


 驚いたリンファが、己のデバイスを確認した。


「ホントに八〇〇万近く入ってる……クレアさんの言う通り賭けただけなのに」


 ……幸運の持ち主とは、意外にこういうものなのかもしれない。

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