第70話 凸凹からの凸凹
エレナがオペレートルームへ急いでいる頃、ユーリは――
「マジか……早食い大会まであるじゃねぇか」
この時代では考えられない大盤振る舞いのイベントに釘付けだった。どうやら明日のメイン会場で行われる目玉イベントらしく、参加費のお手頃さも相まって、既にかなりの人数がエントリーしているようだ。
予選がシシケバブ、そして決勝がドルネケバブをパンに挟んだ物をそれぞれ二十本を何分で食べきれるか、三十個をどれだけ食べられるかを競うという。
イベント概要が表示される街頭ホログラムを、
「えーと……先着一〇〇名。参加資格は――」
「ユーリさん、大変です!」
真剣な表情で覗き込むユーリの裾を、思い切り引っ張るカノン。
「そうだな。大変だな。早食い大会だぞ? しかも優勝賞金つきだ」
相変わらずホログラムの睨みつけながら「ありえねぇ」と真剣な表情で呟くユーリに
「それどころじゃありません!」
とカノンの悲鳴にも似た声が突き刺さった。
切羽詰まるカノンに周囲の人が何事かと振り返るが、彼らに「何でも無い」とユーリが手を振った。訝しむような視線を残しながらも、通行人が人の流れに乗って入れ替わっていく――
その流れを縫うように、カノンの手を引いたユーリは人通りの少ない細い路地へと避難した。
「お前な……あんな所でデケェ声出すんじゃねぇよ」
呆れ顔のユーリに「で、でも……」とカノンが周囲を気にし声を抑えながら続ける。
「モンスターの群れがクーロンの外側を囲んでるんですよ?」
眉を寄せるカノンに「ま、そうなるよな」とユーリが小さく溜息をついた。
「知ってたんですか?」
呆けたカノンに、「勘だ。勘」とユーリがヒラヒラと手を振った。それ以上は何も言わないユーリに、カノンが非難めいた視線を送る。まるで「何故黙ってたのか」とでも言いたげな視線にユーリはバツが悪そうにもう一度溜息をついた。
「言った所で何も変わんねぇだろ。そもそもジジイなら気付いてたんだろ」
「そうなんですか?」
と小首をかしげるカノンだが、ユーリはサイラスが知っていた、と確信している。
この事態が意図して起こされるだろう事を、サイラスは知っていて誰にも言わなかった。恐らくユーリと同じ考えなのだろう。
言った所で余計にバタバタとして、相手の術中にハマる。確かに起こりうる事態が分かっていれば対策は立てやすいのは事実だ。だが時として脳に過負荷をかけて、思考を停止させる方がいい場合もある。
頭を一つに全員が手足となって動く必要がある時、下手に優秀過ぎる人間というのは厄介だったりするのだ。
時間を与えれば、各々の頭で良かれと思った事を行動に移す人種が一定数いる。恐らくサイラスの組織にもそういった人間がいるのだろう。
だから敢えて問題が直面し、全員の思考が停止するまで、サイラスは情報を絞った。その結果、猪突猛進爆弾娘は気持ちが先走ってしまっているのだが……
「ユーリさん、兎に角私達も向かいましょう!」
――カノンの切羽詰まった声に、ユーリは「いかねぇ」と短く答えて首を振った。
「何故でしょうか?!」
「何ででもだ」
そう言ってユーリは不満そうなカノンのアホ毛を指で弾いた。サイラスから連絡がない以上、今のところ彼の想定内か、それとも想定外だがユーリをここに留めておきたいか、のどちらかだ。
準備に奔走している職員の情報で、ユーリやカノンがここに居る事は間違いなく把握している。それを踏まえ仮に想定外であっても連絡が無いという事は、サイラスは恐らくユーリと同じ事を考えている。
とは言えカノンがそれを理解している訳はなく――
「それなら私だけでも行ってきます!」
頬を膨らませ不満を隠さないカノンが、ユーリに背を向け駆け出そうと――するその手をユーリが掴んだ。
驚き振り返ったカノンに、ユーリが見せたのは――
「行くなら、思い切りブチかましてこい……お前の成長、エレナ達に見せつけて度肝を抜いてやれ」
――発破をかける獰猛な笑みだった。止められるかと思っていたのだろう。困惑した表情のカノンが、「い、行ってまいります!」と目を白黒させたまま敬礼だけを残して路地裏の壁を蹴って一気に建物の屋上へ――
その姿が見えなくなって直ぐ、ユーリはデバイスを起動し路地裏にコール音を数回響かせた――
『こちらが忙しいと知っている筈だが?』
――ホログラムに映ったのは、呆れ顔のサイラスだ。
「っるせぇな。……カノンがそっちに行った」
小さく溜息をついたユーリに『フム』とサイラスが考え込むように顎に手を当てた。
「ちょっとの間、面倒見てやってくれ」
照れを隠すようにユーリがぶっきら棒に吐き捨てた。それをサイラスが小さく笑えば、「何が可笑しいんだよ?」とユーリがジト目で睨みつける。
その視線に肩を竦めたサイラスが
『……カノン君の事は任せたまえ。彼女は大切な仲間だからね』
今度は心から微笑めば、「そーいやアイツもテロリストだったな」とユーリが苦笑いを返した。
「ま、アンタの事だから大丈夫だと思うが、抜かれるんじゃねぇぞ?」
挑発するように笑ったユーリが「俺は早食い大会に出てぇんだ」と続けた。
『誰に向かって言っている? この程度想定内だよ』
眼鏡を押し上げたサイラスが、逆に挑発するような笑みを浮かべ
『君の方こそ大丈夫かね? 心を読むらしいが?』
と肩を竦めて見せた。
「誰に向かって物言ってんだよ。それこそ想定内、経験済みだわ」
盛大に眉を寄せるユーリに、『ほう……ならば結構』とサイラスが不敵に笑ってみせた。
「んじゃまーカノンの事頼むわ。あと……」
言葉を溜めたユーリが口の端を上げ
「アンタらは前座なんだからよ……サクッと終わらせて俺の活躍を黙って見とけよ」
と悪い顔で笑えば
『何を言う? 敵の最後っ屁こそ蛇足も蛇足、一瞬だろう?』
サイラスも負けじと悪い笑顔を返し、『では、こちらは忙しいのでね』とそのまま通信を切断した。
残ったのは「ヤロウ……」という呟きとユーリの苦笑い。とは言え、相手が忙しいのは事実だ、とユーリは諦めたように溜息に不満を乗せて吐き出した。
デバイスに視線を落とし、時間を確認するユーリの耳に――
「あれ? ユーリじゃない?」
――飛び込んできた声でユーリは振り返った。その目に飛び込んできたのは、両手に荷物を抱えて額に汗を浮かべるリリアの姿だ。
「こんな所で何してるのよ?」
両手の荷物を地面に下ろし、額を拭うリリアに「ちっとブラブラしてんだよ」とユーリが肩を竦めた。
「暇なの?」
「暇に見えるか?」
「とっても」
ニンマリと笑ったリリアが、「これ重くって」とユーリと荷物を見比べれば、ユーリが「はぁ」と大きく溜息をついて荷物を抱え上げた。
「ありがと、男手があると助かるわ」
ユーリの肩を叩き、嬉しそうに笑うリリアに「結構忙しいんだぞ?」とユーリがジトッとした視線を向けるが、リリアは「はいはい」と適当な相槌を打つだけだ。
「今年の奪還祭は、うちも露店を出すの」
笑いながら歩きだしたリリアに、「まさか準備を手伝えとか言わねぇよな?」とボヤきながらユーリが続き、二人の姿は大通りの光の中に消えていった――
☆☆☆
「サイラス支部長、クーロン内部に衛士隊の配置が完了したのである」
オペレートルームに響くゲオルグ隊長の声。サイラス達の秘密であるこの部屋だが、今は緊急事態とゲオルグ隊長とリンファが足を踏み入れている。とは言えリンファもゲオルグもこの部屋が【人文】の許可を得てないという事など知らない。ただ、「変わった施設だな」と言う微妙な感想を押し殺しながら、今は差し迫った事態に対応することで必死だ。
ゲオルグ隊長の報告に「迅速な対応感謝する」とだけ述べたサイラス、その前に並ぶのはエレナたち
男性だけの
女性だけの
そして男女コンビの
皆が表情を引き締め、サイラスの言葉を待っているようだ。
「さて、諸君……どうやらモンスターは我々の奪還祭に参加したいらしい」
ニヤリと笑うサイラスに、全員の顔から一瞬だけ険しさが消える。
「とは言え、彼らに招待状は送っていない――」
サイラスの視線を受けてクレアが機器を操作すれば、サイラスの背後にある巨大なモニターに、壁に迫るモンスターの群れが映し出された。
「数にして凡そ二〇〇……ウルフ系、ワーム系、バード系……残念だ。モンスターが食せれば、我々の奪還祭はもっと豪華に出来たのだがね」
肩を竦めるサイラスの言葉に「大将、食べられてもワームは勘弁だぜぇ〜」と
「さて、諸君。招待状もない、食用としても向かないモンスター達だ……一人残らずお帰り頂こうか。勿論、地の底へ――」
不敵に笑ったサイラスの言葉が合図だったように、
「
エレナ達が転送装置の中に消え――
「
男性四人が転送装置に消え――
「
男女コンビが消え――
「………………………な、なななな何か言わないと駄目?」
「
ワイワイ騒ぐ女性四人が転送装置に消えた。
その様子を呆けながら見ていたゲオルグ隊長とリンファが、「い、今のは――」と口を開いた瞬間
「カノン・バーンズ! 参上しました!」
元気のいい声と、敬礼姿でカノンが現れた。
「待っていたよ、カノン君。直ぐに飛べるかね?」
サイラスの言葉に「準備万端です!」とカノンが元気よく返して転送装置へと駆け出した。
「ま、待つのである! このような小さな子も――?」
――戦うのか? そう言いたげなゲオルグ隊長の困惑した表情に、小首を傾げるカノンと「当たり前だろう」と表情を変えずに返したサイラス。
「二〇〇の群れに、たった数人。しかも最後は一人だけを送り込むなど、吾輩の騎士道に反するのである!」
ゲオルグ隊長の言葉にカノンとサイラスが顔を見合わせ――
「ゲオルグ隊長! 私これでも結構強いので大丈夫です!」
――力こぶを作りながら、「ムフー」と荒い鼻息を出すカノン。
「いや、例えそうだとしても――」
言いよどむゲオルグに、サイラスが呆れたような溜息をついた。
「ゲオルグ隊長。君の騎士道精神を否定はしないが、今は少しでも戦力が欲しい。そしてカノン君は紛れもない戦力だ。壁の穴にモンスターが到達すれば、何が起こるかくらい君なら分かるだろう?」
サイラスの冷静な言葉に、ゲオルグ隊長は「しかし」と否定の言葉こそ紡げど、その先を続けることが出来ない。完全に黙ってしまったゲオルグ隊長の後ろでやり取りを見ていたリンファが口を開いた。
「つーか、
眉を寄せるリンファに、「ユーリさんは大通りでお祭りを楽しんでます!」とカノンが頬を膨らませれば
「は? 何だよそれ? あの野郎……」
リンファの額に青筋が浮かんだ。今にも爆発し、ユーリを殴りに行きそうなリンファの様子にサイラスが何度目かの溜息をついた。
「彼にはイレギュラーの対応に当たってもらうのだよ」
「イレギュラー?」
「左様。クーロンの…イレギュラーに」
サイラスの言葉に一瞬「何の事だ?」と眉を寄せたリンファだが、それがあの男の事を指していると気がついた瞬間、弾かれたように部屋の外へ向けて駆け出した。
「リー・リンファ分隊長!」
呼び止めるゲオルグ隊長を振り返りもせず、リンファが扉を開け放って飛び出せば、溜息をついたサイラスの意図を汲んだクレアが開け放たれた扉を静かに閉めた。
一瞬訪れた沈黙だが、ハッとした表情で自分の役目を思い出したカノンが、転送装置へと踏み出した。
「それでは行ってまいりま――」
「待つのである!」
転送装置に乗って敬礼するカノンに、再び入るゲオルグ隊長の制止。その言葉に呆れたような表情を浮かべたクレアとサイラスだが、続く言葉がその表情を一転させる。
「吾輩も行くのである」
力強い言葉と共にカノンの隣にゲオルグ隊長が並んだ。
「本気かね?」
サイラスの言葉に「無論である」と力強く頷いたゲオルグ隊長。瞳に宿る意思から説得は無理だと悟ったサイラスがクレアに頷いた。それに戦力は一つでも多い方がいいというのは紛れもない事実でもある。
光に包まれるカノンとゲオルグ隊長――
「行くのである! イスタンブールを守るため!」
「はい……って、私が出発前の掛け声したかったんですが?!」
カノンの悲鳴のような声を残して二人の姿が消えた。
「……大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ。……カノンは強い子だ」
一瞬だけ静かになった部屋に、「サテライトリンク完了」と各オペレーターが上げる声が響き、一気に戦いの予感が広がっていくのであった――
イスタンブール奪還祭まで――あと一時間四◯分。
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