第69話 敵がイカれ◯ンチじゃ仕方がない

 春の日差しが降り注ぐ、穏やかな昼下がりの草原――割れたアスファルトの上を一台のトラックが土煙を巻き上げながら走っている。


 この時代では然程珍しくない横幅のある三人乗りのトラック。荷台に積んだコンテナも、トラック自体の外装も、モンスター素材で作られたのトラックだが、その設計を無視するかのように助手席の窓が全開にされた――


 「〜♪〜♪」


 呑気な口笛が、開いた助手席の窓から風に乗って草原に消えていく――


「エリーちゃん、えらいご機嫌やなー。そっちはぁ殆ど壁しか見えへんやろにー」


 その隣、に上品に座るマモがエリーに笑いかければ、エリーが満面の笑みで「そりゃそーだろ」と視線をマモへと向けた。


「昔はよくこーして車に揺られて皆で出掛けたじゃん?」


 心底嬉しそうに笑うエリーだが、「行き先はぁやったやんー」とマモは不服そうだ。


「それでもいーじゃねーか」


 エリーが口を尖らせれば、悪路に入ったのかガタガタと車内が揺れた。その揺れすら「あん時みてーだ」と燥ぐエリーと、「せやー。ウチ……乗り物ぉアカンかったわー」とグラグラ揺れるマモ。


 そんな二人の会話を聞きながら黙ってハンドルを握るのは、目をギラギラと輝かせた眼鏡の男――オスカー商会の会長秘書、スコット・マイヤーだ。


 鬼気迫る表情で黙ったままトラックを黙々と走らせる姿は、どこか正気ではないように見える。ただ何かに取り憑かれたように、右手にイスタンブールの外壁を見ながら荒野をひた走っている。


 オスカー商会が奪還祭に向けて招集した食材運搬用トラック。それの、エリーとマモは荒野をなのだ。


 彼らが目指しているのはクーロンの。本来なら東門、もしくは北門から出るのが一番近いのだが……東門は食材運搬用のトラックでは怪しまれる。北門では街中を走る時間が長くなり、捕捉される可能性が高くなる。そんな理由で目的地からは遠い西門を選んで街の外へと出ていた。


 縦長なイスタンブールを、ぐるりと半周する程度の車の旅。さして長いドライブではないが、久しぶりなその旅に、エリーが再びご機嫌に口笛を吹き鳴らした。


「折角だしあの頃聞いてた曲でもかけよーぜ?」


 口笛が飽きたのか、エリーが懐から取り出したのは、かなり古いタイプのデバイスだ。旧時代にタブレット同様、人類の中で爆発的に広まっていた小さな板型のデバイス。


「骨董品やんー。よーそないな古いもんがぁ残っとったなー。動くんー?」


 頬に手を当て訝しげに旧型デバイスを見るマモに、エリーがニヤリと笑い


「そりゃ改造してるからな。レトロでお洒落だろ?」


 デバイスを起動して暫く――春の陽気溢れる昼下がりに、しっぽり落ち着いたダウナーな曲が響き始めた。


 窓を開け放って人の気配を振りまくだけでなく、音楽までかけるという暴挙。いくら壁が直ぐそことは言え、いくら曲調が落ち着いているとは言え、ここはモンスターが跋扈する壁外だ。

 不要な音や気配を振りまくのは、愚行と言われても仕方がないのだが……本人たちは全く気にする素振りもなく、完全にリラックスして鼻歌まで歌い出す始末だ。


 急に落ち着き出した車内と重なる二人の鼻歌に、エリーとマモがどちらともなく「フフッ」と何かを懐かしむような表情で笑い出した。


「つーか、『後はどう転んでも宜しおす〜』とか言ってなかった?」


 開け放った窓に肘をついて、外の景色からマモに視線を戻したエリー。そのエリーの視線を受け止めるようにマモが笑った。


「そーやけどー。相手はぁあの【イスタンブールの英雄】やでー?」


 風になびく長い髪をマモが耳に掛けて続ける。


「放っといたらぁも上がらんと終わってまうやんー」


 大きく溜息をついて「ホンマかなんわー」と頬に手を当てるマモに、「確かに放っといたら全滅してたな」とエリーが楽しげに笑った。


 高みの見物を決め込もうと思っていた矢先、サイラス達が動いている事を知ったエリーとマモは急遽作戦に介入したのだ。各拠点に下ろす人員を絞って商会に三〇程の人員を隠した。


 それをサイラス達の襲撃と同時に移動させたのがつい先程。計画通り外へと抜けた今、クーロンの外側で最後の仕掛けをする予定なのだが……


「そーいや、あの似非えせはどーしたんだ?」


似非えせサトリンー?」


 小首を傾げるマモの姿に、「もしかして忘れてんのかよ」とエリーが座席の上からズリ落ちた。


「あの生意気な軍警のオッサンだよ。心を読むさとるんだろ? だからサトリン。けど急増だから似非えせだ」


 そう言って窓の外に視線を向けたエリーに、「ああー、あの子なー」とマモがポンと手を叩いた。


「あの子はぁもう長ないやろー? そもそもぉスラムをやさかいー。後は好きにしーって放ってきたわー」


 そう笑って再び髪を耳にかけたマモに、「ま、アイツじゃオレたちには付いてこれねーわな」と窓辺で頬杖をついたエリーが呟いた。


 二人を包んでいたダウナーな曲が終わりを迎え、一瞬の沈黙の後に始まったのはアップテンポの激しい曲だ。

 そのアップダウンの激しい曲編成に、エリーとマモが二人してまた「フフッ」と笑った。


「なーんでまでぇ再現しとるんー?」

「いーじゃねーか。オレはだったんだし」

「アッパー派ってー……エリーちゃん入れてやんー」

「副長だってたまにはアッパーが良いって言ってたじゃねーか!」

「たまにやー。そもそもぉアッパーかけへんかったらぁ、二人が煩ぁてぇかなんかっただけやんー」 


 ボヤくマモに、「いーじゃねーか。アガるぜ」とエリーが激しく身体を揺らし始めた。


「オッサン、スピード上げてくれよ! とばそーぜ!」


 燥ぐエリーに「あきまへんー」とマモが釘を刺して、隣のスコットに「安全運転でぇ頼んますー」と笑いかけた。マモの言葉にだけ「はい!」と元気よく答えたスコットが、相変わらずギラギラとした目でハンドルを操作しつづける。



 ワイワイと姦しい二人を乗せて、トラックは漸く目的の位置まで辿り着いた。


 イスタンブールの北東――壁の周辺であるここは、瓦礫や崩れた建物が一応整理されている。だが少し遠くを見れば、向こうに崩れ落ちた高架橋。その向こうにも主の居ない建物の群れ。何もかもが春の陽気の中、異様に存在感を示している。ここは紛れもなくモンスターたちのテリトリー。


 人類がノンビリとドライブを楽しむには、危険過ぎる場所に――


 ――バタン。

 ――バタン!


 勢いよく閉められた扉が上げる、場違いな程大きな音が鳴り響いた。


「う〜ん」


 大きく伸びをするエリーと


「運転手さんー、お疲れさんでしたー」


 スコットに笑顔を見せるマモ。マモの笑顔を前に、ギラギラと輝く目を一層光らせ、スコットが笑みを浮かべた。


「あ、貴方様の、おおお、お力になれるなら――」


 ギラギラと輝く瞳と勢いがつきすぎて回らない呂律。そんなスコットに「あーあー。」とエリーが苦笑いを見せた。


「キマってるやなんてぇ失礼やわー。運転手さんはぁ頑張ってくれただけやでー?」


 頬を膨らませるマモに、「マモねぇはクスリなんかよりタチわりーじゃん」とエリーは苦笑いを崩そうとしない。


「そんな事言う娘はぁ今日のデザート抜きやでー」


 頬を更に膨らませたマモがスコットの前に立ってニコリと微笑みかけた。その笑顔だけでスコットの瞳に宿る炎が更に勢いを増し――


「ご、! なな何卒! わわ私にご寵愛を! 何でもいたします!」


 ――鬼気迫る声を上げながらマモの前に跪いた。


「寵愛なー。せやね……そないにーウチの寵愛が欲しいー?」


 頬に手を当てるマモに「はい! 何卒! 何卒!」懇願するように地べたを這いずり、マモの足に頬ずりまでする始末だ。息が荒く涎まで垂らすスコットの醜態に、「あーあー汚えな」と顔を顰めるエリーの横で――


「ほんならー、


 マモがスコットを見下ろしてニコリと笑いかけた。


 あまりにも突飛なお願い。幾ら何でも命を差し出せなど、誰がそのような願いを聞き入れるというのか。死んでしまえば寵愛も何もないのだから――だが、


「よ、よよよ喜んで! ああ貴方様が望むなら」


 満面の笑顔で立ち上がったスコットが、懐から取り出した銃を自身の蟀谷に当て――「この命、貴方様のために――」それだけ言うと躊躇いなく引き鉄を引いた。


 ――ターーン。


 荒野に反響する乾いた銃声。その後に小さく「ドサリ」とスコットが倒れ伏す音が小さく響いた。


「んだよ……切腹じゃねーのか」


 不満そうに口を尖らせたエリーに、「この時代にぃそないな文化、残ってへんやろー」とマモが微笑んで見せた。


「運転手さんー。ホンマありがとー。あんさんの事、忘れるまではぁ覚えとくさかいー」


 妖艶な笑みを浮かべたマモが指を鳴らせば、倒れたスコットの首が胴と分かたれ血がドロリと溢れ出した。


「んじゃオレは集めてくるわ」


 そう言ってスコットの髪の毛を掴んで首を持ち上げたエリーが「の段取りはよろしく」とマモに手を挙げ一瞬でその姿を消した。


 残ったのは血の臭いが混じる風に吹かれて髪を靡かせるマモと、首なしになったスコットの死体。そして――静かなトラックに近づいたマモがゆっくりと荷台の扉を開いた。


 真っ暗な荷台の中に光が差し込む――そこには折り重なって積み込まれた複数の男女。誰も彼も息はしている事から死んではいないのだろうが、意識を失っているようで扉が開いたのに誰一人として反応しない。


「さあーやでー。盛り上げて行こかー」


 マモの覇気のないゲキが、血の臭いが混じる風に乗って荒野に響いて消えた。




 ☆☆☆




「すまない、緊急事態だ」


 声を張り上げながら、エレナはで呆ける男に手を挙げた。恐らく男にはエレナの姿など見えていないだろうし、声も届いていないだろう。それでも外を眺めてると思しき人々に、エレナは手を、声を上げるのを止められなかった。


 人の目に映らぬ程の疾さで駆け、音を置き去りにするエレナに一体誰が気づこうか。


 だがそんな事にも気が回らぬまま、エレナは建物の屋根や屋上をひた走っていた。


 エレナがここまで急ぎ駆ける理由は、少しだけ時間を遡る――


 昼過ぎにクーロン住民の潜伏先を襲撃し、エレナはその足でオスカー商会の会長を重要参考人としてゲオルグ隊長と一緒に聴取しに行っていた。

 その途中で分かったのは、どうも残りの人員がオスカー商会の呼んだ食材運搬用トラックに乗っている事と、会長秘書である男が行方不明という事だった。


 元々商会本館でクーロンの一グループを預かっていた、と商会長は証言していたが、そのグループを会長秘書がトラックに乗せてどこかに移動したらしい。


 ――会長秘書が? 独断で? 知事も捕まったのに?


 エレナの疑問に答えを与えられる事なく、事態は進んだ。


 移動先をクレアが捜索し、どうやらエレナ達の襲撃から時間を置かずに西門から外へ出たということが分かった。出門記録に加え、門のカメラにトラックを運転する会長秘書が映っていたのだ。助手席や中央座席には人影が確認できなかったそうだが、行方不明の会長秘書とトラックが見つかった事で、連中が外に出たことだけは間違いない。


 どうやら脆くなった壁を打ち壊してクーロンから暴動を起こすらしい。


 何ともぶっ飛んだ作戦だが、露呈してしまえば何てことはない。外に出て捕まえてもいいし、クーロンの内部の壁際に待機していて侵入してきた瞬間に捕まえても良い。


『各員至急オペレートルームへ集合』


 耳に届いたサイラスの声に、漸く騒動の終わりが見えかけた時、エレナの疑問が最悪の形となって皆の前に顕れた――


。まだ遠いですが引き寄せられるようにに向かっています』


 エレナの耳、イヤホンに響いたのは何時になく真剣なクレアの声だった。トラックの行き先を確認するために飛ばしたドローンに最悪の状況が映っていたそうだ。


 これは会長秘書の独断などではない。恐らくサイラスが言っていた、何者かの介入なのは間違いない。


 後手に回った状況にエレナが歯噛みする……が、事態は後悔する時間すら許してくれない。


 トラックを取り囲むように現れた様々なモンスター達。そして――


『トラックの周囲に多数の人影。おそらくクーロンの住民かと』


「ドローンで退避勧告は出来ないのですか?」


 イヤホンを抑えながら声を発したエレナの耳に『無理です。……なぜか多数負傷者が居る模様で間に合いません』と無情な声が届いた。


 間に合わない。先程モンスターは遠いと言っていた。にもかかわらず間に合わない。


 つまりそれは包囲を抜ける戦力も、包囲が狭まるまでに逃げ切る、何一つ足りていない事を示している。負傷者の数が多いのか、それともモンスターが多いのか……兎に角彼らには逃げ道が無いのだという。


 いや、正確には。だがそれはあまりにも最悪の逃げ道。そしてそれはただの延命でしかない。


 エレナは彼らにそれを示すかどうか一瞬迷った。元々彼らが訳の分からない理屈で始めた騒動だ。その顛末でそれ以上の被害を出すのか。いやそれでも延命での時間稼ぎにかけるのか。一瞬の迷いはエレナの判断を鈍らせる。


 とは言え、エレナが判断を迷った所で、追い詰められた人はに達するのだが……。


『彼ら、に向かって銃を撃ち始めました』


 最悪の報告がエレナの耳に届いた。最後に残された逃げ道、クーロン付近の脆くなった壁を崩して中へと逃げる。……確かにその場は逃げられるかも知れないが、その結果待っているのは大量のモンスターを壁の中に引き入れるという愚策だ。


「クッ……」


 エレナは苛立ちが漏れそうになるのを堪えた。それは自分勝手に問題を起こして、更に事を大きくしようとするクーロンへの苛立ちか。それとも人の命を一瞬でも天秤にかけた自分への苛立ちか。


 どちらとも分からないままエレナはビルの屋上へと駆け上がり、少しだけ傾いた陽の光を突っ切り屋上を駆け出した。


 途中「緊急事態だ」と発するそれが、届かぬ事すら気づかぬまま。



 イスタンブール奪還祭まで――あと二時間。




 ※クライマックスの所悪いですが、家族がインフルになりまして……。看病と本業しつつになるので少々更新が滞るかもしれません。急に寒くなりましたし皆様もご自愛ください。

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