第67話 綿密な作戦程イレギュラーに弱い
ハンター協会の奥、支部長室の応接スペース。
そこに集まったのは四人――サイラス支部長、クレア、ゲオルグ隊長、そしてリンファだ。
座り心地の良いソファにコーヒーテーブル。普段であればゆっくり座って話すスペースであるにもかかわらず、今は誰一人座らず真剣な表情で話し込んでいる。
「まさか知事がバックにいたのかよ……」
「ううむ。令状の発行が遅いとは思ったのであるが」
顔を曇らせたリンファとゲオルグ隊長が唸った。仕方がないだろう。クーロンだけの問題かと思えば、黒幕に知事がいたのだ。あまりにも事態が大きすぎて、自分たちに情報を黙っていた怒りなど既に吹き飛んでしまっている。
「知事相手なんて……どうすんだよ」
ポツリと呟いたリンファの言葉に、「問題ありません」そう涼しい顔で答えるのはクレアだ。
「既に軍へ証拠と共に拘束の依頼を通達し、今朝方知事を無事拘束したと連絡を頂いております。恐らく正式発表は奪還祭後になるかと思いますが……」
相手が大きすぎてビビっていたのが馬鹿らしくなるほど、アッサリと黒幕は逮捕されていた。しかもクレアが
「あの小物はもう泳がす必要もありませんので。まあ端的に言って用済みです」
と笑うものだからリンファとしては乾いた笑いも出ない。
「それにしても……心を読む異能を持った能力者か」
「
知事なんかよりもそちらが気になる、と考え込む支部長と、手元のタブレット端末を操作するクレア。
「……出ました。ダンタリオン。旧時代の悪魔学と呼ばれる、空想上の怪異を研究する学問にその名があります」
クレアがタブレットを操作すると、奥にある巨大なモニターに一柱の悪魔が映し出された。老若男女、無素の顔を持ち右手に一冊の本を持った悪魔。
「序列七一番目にして、人の心を読み、心を意のままに操るとのこと……」
画面の中でダンタリオンがゆっくりと回転しだす。全方位についた様々な顔は、ある顔は笑い、ある顔は泣き、そしてある顔は怒り、と実に多種多様な表情を浮かべている。
「凡そ一五〇年前を最後に、現在まで目撃情報はありません。……【人文再生機関】の素材データベース内に記載があるので討伐実績はあるようです」
そう言ったクレアが顔を上げれば、サイラスが「ありがとう」と渋面のまま呟きモニーの中で回転を続ける異形を見据えた。
「……ダンタリオンか……」
モニターを見続け呟くサイラスに「何か気になることでも?」とクレアが視線を向ける。
「いや、ソロモンシリーズだ。如何に【人文】が無能と言えど、それらを簡単に流出させるかどうかが気になってね」
小さく溜息をついたサイラスに「無能って……」、とリンファは驚きを隠せないように目を見開いていた。この世界を牛耳るトップに向ける言葉としては、恐らく最も不適切な言葉だからだ。
「……確かに閣下の仰る通りですね。詳しく調べますか?」
クレアがそう言いながらタブレットを操作し始めたのを、「いや、止しておこう」とサイラスが首を振って続ける。
「今は時間が惜しい」
そう言いながらデバイスに視線を落したサイラス。既に昼を過ぎ、奪還祭開始までは六時間を切っているのだ。
「すまない。アタシがもっと早くに言っておけば……」
俯くリンファに「吾輩ももっと早くに気付いていれば」とゲオルグ隊長も続く。そんな二人を一瞥し、腕を組み直したサイラスが再び溜息をついた。
サイラスとしてはもっと早くに情報が欲しかった。と言う所だろうが、今それを言っても仕方がない。別の勢力の介入を予測しておきながら、結局動く連中が小物ばかり、と過小評価してきたのはサイラスの落ち度でもある。もう少し突っ込んで調査をするべきだったと、「私もまだまだだな」と誰に言うでもない自嘲の声を漏らし
「過ぎたことを今ここで話しても仕方があるまい。それよりもこれからどうするかを考えねば」
二人とそして自分自身に言い聞かせるように、敢えて強い口調で話題を断ち切る事を選んだようだ。
サイラスのその言葉に、顔を上げたゲオルグ隊長が自分の両頬を平手で叩いた。部屋に響く「パン」という乾いた音が、サイラスの強い言葉に続いて部屋にいる全員の思考を切り替えさせる。
「一先ず奪還祭を中止すべきである」
ゲオルグ隊長の覚悟を決めたような瞳に、リンファが仕方がないと頷く……が、サイラスとクレアは一旦顔を見合わせて、ゲオルグ隊長へと向き直った。
「今のところ奪還祭の中止は考えていないよ」
まさかの言葉にゲオルグ隊長とリンファが眉根を寄せるが――
「クーロンの一斉蜂起は不発に終わるからね」
そう笑ったゲオルグ隊長がクレアに頷けば、その意を汲んだクレアがタブレットを操作し始めた。モニターに映っていたダンタリオンが消え、画面が四つに区切られた。それぞれの画面に映るのは、街の何処かであろう建物の一部分だ。
「こ、これは?」
眉を寄せ首を傾げるゲオルグ隊長に、「なに、企業秘密だよ」とサイラスが悪戯っぽく笑いポケットから取り出したイヤホンマイクを耳に取り付けた。
「各部隊応答を――」
サイラスの言葉でそれぞれの画面に人物が映り――
エレナ。『
褐色肌に白髪の男性。『
プラチナブロンドをドリル巻にした女性。『
濃紺の髪の毛に眼帯姿の女性。『
――それぞれの画面から応答が返ってきた。
その様子をリンファだけでなく、ゲオルグ隊長も口を開けて呆けたまま眺めている。そんな二人を尻目に、サイラスは「この程度の通信であればここでも問題ないな」と満足げだ。
「サイラス支部長……彼らは一体?」
画面を凝視したまま言葉を絞り出したゲオルグ隊長に、サイラスが向き直り短く笑った。
「彼らはハンター協会きっての優秀なチームだよ」
それだけ言うとサイラスはクレアに目配せをし、クレアがそれに頷いた。
「各部隊、突入!」
クレアの号令で、各画面から『了解』と音声が流れ、建物に向かって駆けていくエレナ達ハンターをカメラが追いかけ始めた。どうやらサテライトのメインカメラからの映像を、このモニターに分割して映しているようだ。
建物内に突入したカメラに映ったのは――
『全員動くな! ハンター協会だ!』
『大人しくしなよ〜。ハンター協会で怖いオジサンが見てるからさ』
『全員ひれ伏しなさい。頭が高いわ』
『お、おおおおおおお大人しく――『バトンターッチ』――』
『大人しくしなさい! アタシ達にお仕置きされたくなけりゃネ!』
――堂々と名のりを上げる各チームのリーダーと思しき人物たち。……一人シドロモドロで仲間に交替して貰った女性もいるようだが、画面の中では名のりを上げるハンター達を前に、クーロンの住民と思しき若い男女がポカンと一瞬だけ呆けた顔を浮かべ、
『だ、誰だ! 何故ここが――』
慌てたように武器をその手に――
『違法武器を確認! 無力化するぞ!』
エレナの掛け声が他の隊にも聞こえていたかのように、ほぼ同時に全員がクーロンの住民たちへと向けて駆け出した。とは言え、各チームは四人。しかも
対するクーロンの住民たちは各拠点、少なく見積もっても二〇近い人員が配置されているのだ。一瞬で住民たちに囲まれるハンター達――が、次の瞬間ハンターを囲む住民が数人一気に宙を舞った。
それを皮切りに至るところでクーロンの若者が倒されていく。ある者は放り投げられ、ある者は吹き飛ばされ、ある者は組み伏せられ……誰も彼も相手にならない。大人と子供それ以上にある力の差と、加えて各個人個人が持つ戦闘技術の高さが桁違いだ。
それを眺めるリンファもゲオルグ隊長も、驚きを隠せないでいる。
ハンターと言えばどちらかと言うと、モンスター専門だ。壁の中を守っているのは衛士の役目であり、対人戦と言えばやはり衛士と少なくない自負が二人にはあったからだ。
それがどうだ。画面の中のハンター達は、一人一人が凄腕で並の衛士では相手にすらならないだろう。サイラスは二人に「優秀な」と言っていたが、それでも明らかに強すぎる彼らにリンファもゲオルグも空いた口が塞がらない。
「ふむ。教導システムの方はまずまずの効果だな」
その一方的な制圧を前に呟くサイラスに「はい」とクレアが嬉しそうに頷いた。
「とはいえユーリさんやカノンの成長度には及びませんが」
小さく笑ったクレアに「あの二人が異常なのだ。そうそう身につく技能でもあるまい」とサイラスが肩を竦めた。
マフィアと戦ったユーリ。衛士との訓練を見ていたカノン。前者の時はエレナが、後者はカノンの戦闘データから。それぞれクレアが抽出した対人戦のポイントをまとめたVR戦闘シミュレーションを、エレナ以下全員が嫌というほど隙間時間に熟している。対人戦百段のユーリや、そのユーリをして「成長が早い」と言わしめるカノンには及ばずとも、チーム全員で、かつ格下であれば複数人を同時に相手取れる程度には対人戦への理解を深めている。
因みにカノンが身につけつつある技能だけでは、対人集団戦で戦える訳では無い。が、それでもエレナ以下優秀なハンターをしても、カノン程の驚異的なスピードであの能力を習得出来たわけではない。いや、厳密に言うとまだ触り程度で、習得すら出来ていない。
実戦と訓練との違い。完全に身に着けていない技能。それを実戦で発揮できる辺り、彼らも歴戦の戦士なのは間違いない。勿論クレアが作ったシミュレーションがかなり精巧であったという事も一因だが。
とにかく圧倒的な実力を持って、気がつけばどの拠点も立っているのは無傷のハンター達だけだ。
『こちらシグナス。状況終了』
『アクィラ、終わったぜぇ〜』
『フェニックス、他愛無いですわ』
『あ、ああああアプス……い、生きてます』
各部隊から入ってきた情報に、サイラスが「ご苦労」と短く答えそのままクレアに視線を向ければ、クレアが分かったとばかりに大きく頷いた。
「各部隊お疲れ様でした。拘束人数の連絡の後、モグリを衛士隊本部まで連行願います」
クレアの言葉に各画面から『了解』と短い応答があり、画面の中ではテキパキとクーロンの住民たちが縛り上げられていく――それと同時にクレアの持つタブレットが通知の音を立て続けに鳴らした……のだが――それを見たクレアの眉根が少しだけ寄る。
「閣下……」
「人数が想定より少ない……かな?」
曇った表情のクレアにサイラスが視線を向けずに答えると、クレアは短く「はい」とだけ答えた。想定していた武器の総数に対して、拘束した人数が少ないのだろう。それが意味する事は――
「もう一度オスカー商会の輸送車運行記録を確認いたします」
――どこか別の拠点に潜伏している人間がいる可能性だ。
タブレットをコーヒーテーブルに置いたクレアが、「閣下、緊急ですので失礼します」とサイラスの執務机に向かうと、その上にある機器を操作し始めた。
暫く「パタパタ」と、仮想キーボードを叩くクレアの指の音だけが室内に響いた――
「運行記録……ありません。カメラチェックに移ります」
それだけ告げると、クレアの指と視線が更に目まぐるしく動き出した。凡そ人に出来る動きではないが、サイラスとゲオルグ隊長はそれを腕を組んだまま黙って見つめている。そして――リンファは落ち着き無くキョロキョロと視線を動かすことしか出来ないでいた。
無理もないだろう。上手くクーロンの連中を止められたと思いきや、相手が未だ手札を隠していたのだ。そして曇ったままのクレアの表情を見るに、その足取りを捉えるのは難航しそうな事だけは分かる。
クレアが真剣な表情でキーボードを叩く中、腕を組んだままのサイラスが口を開いた。
「エレナ君、すまないがゲオルグ隊長と二人でオスカー商会の本館まで行ってもらえないか?」
理由を告げないサイラスだが、画面の中で振り返ったエレナは『了解しました』とだけ答えて自身のチームメンバーに引き継ぎをし始めた。
「ゲオルグ隊長――」
「本陣に乗り込むのであるな」
サイラスから視線を向けられたゲオルグ隊長が大きく頷いて続ける。
「衛士隊隊長権限、重要事件の参考人への任意聴取……それを使えというのであろう?」
その言葉に「理解が早くて助かる」とサイラスが頷いてデバイスを操作した。直後にゲオルグ隊長の左腕で鳴り響く通知音。
「ハンター協会支部長の電子署名も使うと良い。多少の無茶はきくはずだ」
その言葉を聞いたゲオルグ隊長が扉を開け放ち足音荒く駆け出した。残ったのは静かになった室内に相変わらず響く「パタパタ」という仮想キーボードを叩く音だけだ。
どこか遠くに聞こえるその音に、リンファは堪らず――
「あ、アタシにも何か出来ることが――」
上擦った声で口走った。その声に反応したサイラスが視線を向け、少しだけ考え込み
「そうだね。君には各衛士を引き連れて奪還祭の警備の準備を進めて貰おうか……」
真剣な表情でそう言った。その言葉は単なる厄介払いなどではなく、今のところもしもに備えるくらいし出来ない、と暗に言っているのだ。それが指し示す切羽詰まった状態に、リンファは「分かった」とだけ答えて支部長室を後にした。
再び静けさとキーボードを叩く音だけが残った支部長室で
「消えた集団と心を読む能力者……これはバラバラに動いてくるだろうな」
サイラスが己の勘を頼りに相手の狙いを予想し始めた。誰が聞くでもないその予想だが、これから先サイラスが率いる集団が動く指針になることだけは間違いない。
バラバラとなると、人員を割くか、それとも各個撃破するかが重要になってくるのだが……「まずは集団を潰すか」そう呟いたサイラスがクレアへと視線を移した。先程からキーボードを叩く音が若干静かになってきている事から、どうやらある程度の目星がついてきているのだろう。
「さて……こちらのイレギュラーはどう動くかな」
サイラスが呟いた言葉はタイピングの音にかき消されていった。
イスタンブール奪還祭開始まであと……四時間十五分――
※エレナ達のチーム
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