第66話 嵐の前の静けさ、とかいうけど体験したことはない

「……分かってたけど……本当に…何も出ないんだな」


 クーロンの一角、入り組んだ路地裏の隅でリンファは肩を落とした。


 クーロン地区をひっくり返すほどの一斉捜査。


 日の出より前に始まったはずの一斉捜査だが、すでに日は昇り始め、真っ暗なクーロンでさえ薄暗く感じる程の光がプレートの合間から漏れている。

 ここまで時間がかかっているのはクーロン地区の広さだけでなく、衛士隊の執念深さが原因だ。何とか証拠を上げようと躍起になってクーロン中をひっくり返した――のだが、目的の物は出て来ずじまい。出てきたのはニヤニヤとした住民の勝ち誇った視線だけ、と完全に衛士隊の負けなのだ。


「……ナルカミ?」


 そんな視線にさらされながら、何時になくボンヤリとした表情のユーリ。それに気がついたリンファが声をかけた。


「やってくれるぜ――」


 ボンヤリとした表情から一転、笑顔を見せるユーリだが、それは獲物を前にした獰猛な獣のような顔だ。


 その顔に一瞬怯えたリンファが二の句を告げないでいると


「リー・リンファ分隊長、ユーリ・ナルカミ。ここに居たであるか」


 ゲオルグ隊長が路地の角から現れた。


「二人とも、スラムの様子がのである」

「オッサンも気がついたか」 


 ユーリの言葉に大きく頷くゲオルグ隊長。周囲を見回すその眼差しはかなり険しい。


「どういう――?」

「残ってる住民たち見てみろよ。ジジババにガキばっかじゃねーか」


 ユーリの言葉に顔を上げたリンファが周りを見渡す。


 ビルの窓からこちらを覗いている老婆。

 見上げた先、低い屋上には老人が二人。

 すぐ近くの民家入口に目をやると、子どもがその姿を隠した。


 言われてみたら若い大人は殆ど居らず、子どもや老人ばかりが目につくのだ。


 いくらこの時間は働きに出ている人間が多いと言っても、リンファがクーロン地区で若い大人たちを見ないという事は今まで一度もなかった。そもそも今日は一斉捜査で日の出より前からクーロンで活動している。まだ明るくなる前から、家にいないのは普通に考えておかしい。


 武器を見つけることだけに必死で、住民の様子など気に掛ける暇など無かったのだが、に気がついたリンファの顔が青褪める。


「くそ、ことかよ」


 自分の不甲斐なさに、奥歯をギリギリと噛みしめるリンファ。そんなリンファに「どういうことであるか?」とゲオルグ隊長が眉を寄せた。思わず口をついてしまった事だが、結局話すつもりだったのだ、とリンファがクーロン住民の企む革命について話しだした。




「革命であるか……」

「ああ。その為にアイツら武器やら何やら持ち出して雲隠れしてやがるんだ」


 そんなリンファを一瞥し、再び周囲を見回したユーリが――


「なるほど」


 笑いながら頷いてリンファとゲオルグ隊長に向き直って


「お前ら、…いや、今は俺も衛士隊だから、嵌められてんのか?」


 呆れたような笑顔を浮かべてデバイスを操作しだした。何度か呼び出し音が鳴り響き、それに応えたのは――


『一斉捜査は終わったのかね?』


 サイラス支部長だ。


「おいジジイ……よくも


 ジト目のユーリがデバイスに浮かぶサイラスにボヤけば、宙に浮かぶディスプレイの中でサイラスが「フッ」と笑った。


……のだろう? であれば情報を共有する必要もないではないか?』


 どこか勝ち誇ったようなサイラスの顔に、ユーリの額に青筋が浮かぶ。自分で言った手前、サイラスの言葉に道理があるのは最もだ。仕方が無しにユーリは「チッ」、と舌打ちする程度に不満を留めた。


「……まあいい。どうせ目星はついてんだろ?」

『九割方は』

「んじゃ後で行くだろうから説明してやってくれ」


 溜息をついたユーリに、画面の中のサイラスが眉を寄せた。


『君は来ないのかね?』

「行くか。っつってんだろ」


 それだけ言うとユーリは一方的にデバイスを切った。


「い、今のは? サイラス支部長が嵌めたとは?」


 ゲオルグ隊長が困惑気味の顔でユーリを見た。街の異変には気がつき、革命の話まで聞いたゲオルグ隊長ではあるが、今の話とどう繋がるかまでは分かっていなかったようだ。


「ああ、あのジジイ知ってて黙ってやがったんだ。やつらって事を」


 ユーリの言葉に、ゲオルグ隊長は顎に手を当て考え込んだ。


「ガサ入れあったクーロンで、直後に違法武器使った問題が起きると思うか?」


「――まさか」


「そのだろ。連中の目的はそれで、ジジイはそれを一網打尽にする為に敢えてアンタらに黙ってたんだ」


 ユーリの言葉にリンファとゲオルグ隊長が顔を見合わせた。


「俺たちを道化にして、連中を誘き出す……どいつもこいつも中々趣向を凝らしてくれんじゃねぇか」


 そう言いながらユーリは自然と口の端が上がるのを抑えられないでいた。自分で興味がないと一蹴したのだが、上手く利用されるのはやはり気分の良いものではない。とはいえ、サイラス達への評価を改めている部分もある。「中々頭の回るテロリスト」という具合に。時間が出来たら話くらいは聞いてもいい、と思える程度に。


 そんなユーリを目の前に「笑っている場合ではないのである」とゲオルグ隊長が冷や汗を流した。


 今のユーリの説明でゲオルグ隊長の中でも漸く話が繋がったのだろう。連中は今日何らかの問題を起こす可能性が、高いという事が。

 

 三人の前に顕在化した問題。その大きさをあざ笑うように、薄暗い路地を影が覆う。どうやら太陽が隠れたようで、先程よりも暗くなった路地はまるで夜の闇のようだ。


 そんな闇の中から聞こえてくるのは小さな笑い声


 ――クスクス。

 ――クスクス……と。


 まるで三人を嘲笑うかのような笑い声。小さな笑い声のはずが、今は路地の壁に反響して、クーロン地区全体が笑っているかのようだ。あまりの異様さに、リンファやゲオルグ隊長だけでなく、他の衛士たちも顔を上げ、周囲をキョロキョロと落ち着きなく見回している。


 そんな異様な雰囲気の中、一人虚空を見つめ


「嵐が来るぜ……が」


 ユーリは口の端を上げ嬉しそうに笑った。


 まさに獣。その言葉がピッタリな表情に、リンファはおろかゲオルグ隊長も面食らっている。ユーリの声は聞こえていないはずなのに、「血の嵐」に反応したように、周囲を包んでいた温度が熱を帯びたように感じられる。


「ち、血の嵐とか……縁起でもねーこと言うなよ……」


 気味の悪い熱を持った雰囲気に、リンファが冷や汗を流す。


「縁起もクソもねぇよ。奴らそのつもりじゃねぇか」


 周囲を見渡すユーリの獰猛な視線に、さすがのクーロン地区の住民も危険を感じたのか物陰へ――


「準備万端の者たちは何処へ――」

「さあな。他にもがいるんだろ」


 冷や汗を流すゲオルグ隊長と、視線を周囲に彷徨わせ住民の気配を探るユーリ。窓から顔を出す者、入口からこちらを覗く者……今はその姿を見せていないが、その気配は開け放たれた窓や扉からヒシヒシと感じられる。


「きょ、協力者であるか……」


「くそ、協力者だなんて聞いてねーぞ」


 リンファが苦虫を噛み潰したような顔で周囲を見渡す。


「住民に聞いてみるであるか?」


 同じように周囲を見渡すゲオルグ隊長に、リンファが首を振る。


「無駄だ。クーロンの人間は仲間を絶対に売らねー。そもそも残ってる連中が知ってるとは思えねー」


 その言葉にゲオルグ隊長が再び押し黙った。


「慌てんな。連中が今日、事を起こすなら、武器も人も一纏めにしてるはずだ」


 焦るリンファと考え込むゲオルグ隊長に向かってユーリが口を開いた。


「それが分かんねーから――」

「武器が置いてあっても、、武器を持った人間が沢山出入りしてもがイスタンブールには沢山あるじゃねぇか。」


 ユーリの言葉に暫く考え込んだリンファが青褪めた顔を上げた――


「もしかしてどっかの商会かよ」

「十中八九な。商会なら輸送用の車両も持ってんだろ。それ使って今はどっかに潜伏してんだろ」


 ユーリの言葉にリンファとゲオルグ隊長が押し黙る。


「今から各商会に確認を――」


 デバイスを操作しようと腕を上げたゲオルグ隊長――その手をユーリが押さえ


「無駄だ。それこそだ。相手が素直に『ハイそうです』なんて言うかよ」


 首を振った。


 そんなユーリの手を掴み、ゲオルグ隊長が真剣な表情で口を開く


「無駄だとしても――」

「それしか方法がねぇなら止めはしねぇが、今は別に出来る事があるだろ」


 ゲオルグ隊長を一瞥したユーリが、徐に胸に仕舞っていたライセンスを取り出した。


 その行動の意味に気がついたゲオルグ隊長が大きく頷く。


「……サイラス支部長に状況の確認をするのである」

「それが賢明だろうな」


 ユーリの返答が終わるより前に、すでにゲオルグ隊長は駆け出しその場を後にした。そんなゲオルグ隊長の背中を不安そうに見つめるリンファが口を開く。


「何とか止めねーと」


 呟かれた声には、はっきりとした意志がにじみ出ている。が――


「それこそ無理だ。もう止まらねぇとこまで来てんだよ」


 その意志を挫くようなユーリからの通告。下唇を噛み、「まだわかんねーだろ」とユーリを睨みつけるリンファに、ユーリが淡々と現実を突きつける。


「嵐が来るっつったろ? 。俺やお前が奴らを補足してもその瞬間から騒動がだけだ」


 ユーリの言葉にリンファは息を呑んだ。


「嵐が来る……準備万端ってぇのはそういう意味だ」


 ユーリの言葉にリンファが力なく膝をつく。 仮にクーロンの仲間を見つけたとしても、その瞬間から彼らは革命と称した特攻を始めるのだと言う。それを後押しするようにリンファとユーリのデバイスからアラームが鳴り響く――一斉捜査終了のアラームが。


 止めたかった事が起きてしまう。

 もう止められない所まで来ている。


 その現実にリンファは耐えられなくなっていた。


 いつの間にか物陰に隠れていた住人たちが再び顔を出し始め、ユーリやリンファを遠巻きに見ている。そのニヤニヤした視線に敵意が混じり、 気がつけば住民たちから「帰れ」「帰れ」とヤジまで飛び始めた。


 リンファにとって、見知ったはずのクーロンが全く知らない場所のようだ。


 アラームに混じる住民からのヤジにリンファだけでなく、他の隊員たちも気圧される中、ユーリ一人だけは相変わらず獰猛な笑みのままだ。周囲に渦巻く敵意に怯えながら、リンファがそんなユーリに向かって口を開く


「……何でそんなに嬉しそうなんだよ」


「決まってんだろ。こういう陰湿な企みは、んじゃねぇか」


 その言葉とユーリの表情に、リンファはユーリの中に底知れぬ深淵を見た気がした。


(何なんだよコイツ……全然雰囲気が違うじゃねーか……まるで別人だ)


 あの日……初めてに出たあの日、クーロンからの帰り際で感じた闇を、リンファは今また感じている。リンファと冗談を言い合ったり、トラブルを起こしまくっていたユーリと、今のユーリは全く別人のように感じられて仕方がない。


 実際ユーリの言ってる事は、いつも無茶苦茶だ。


 それでも普段の雰囲気では「何か馬鹿なこと言ってんな」くらいだ。


 だが今はどうだろう。冗談に聞こえない表情に雰囲気。付き合いの短いリンファでさえ、『ユーリが本気で真正面から叩き潰そうと思っている』と感じられる程の表情だ。


 普段とは全然違うユーリの表情と雰囲気に気圧されるリンファ。へたり込むリンファにユーリが視線を向け――


「リンファ。クーロンを扇動してる野郎がいるだろ?」


 相変わらず獲物を前にした獰猛な笑みを見せた。その笑顔にリンファは「なんで……それを?」と目を白黒させている。


「何ででも。兎に角そいつの特徴や見た目を教えろ」


 そう言いながらリンファへ手を差し出した。その手を怖ず怖ずと掴みリンファが立ち上がり、あの不気味な男について知っていることをポツポツと口にした。


「心を読む……」


 その言葉を聞いた瞬間、ユーリは深く考え込んでしまった。暫く考え込んだユーリが「そいつは男だったんだな?」とかなり真剣な表情で尋ねるものだから「ああ。中年男性だ」とリンファも何時になく真剣に返した。


「男…男か……」


 何度かそう呟いたユーリだが、「まあ聞くか」、と小さく溜息をついてクーロンの出口へ向けて歩きだした。かと思えば不意に立ち止まって、リンファを振り向き――


「クーロンを止めてぇんなら、大人しくジジイに協力してろ。俺らじゃ無理だが、ジジイなら把握して手を打ってるだろうからな」


 不敵に笑ったユーリが再び前を向き「ま、クーロン止められるかもな」と意味深な言葉だけを残して再び歩きだした。その背中にリンファが「どういう……?」と呆けた声を返す――クーロンの皆を捕捉しているなら、それで良いではないか、と思えてならないのだろう。


 しかし――ユーリはその問に答える事もなく、後ろ手をヒラヒラ振りながらクーロンを後にした。


 クーロン地区一斉捜査終了……午前十二時二十五分


 ――イスタンブール奪還祭開始まであと五時間三十五分――

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