第65話 人の信念を笑っちゃ駄目

 ユーリとの距離をつめようとするゲオルグ隊長――


「や、やめろ! 隊長がこんな所で暴れてどうすんだよ!」

 の間に割って入ったリンファが、声を荒らげた。


「どくのである!」


 そんなリンファには視線も合わせず、ゲオルグ隊長はリンファの頭越しにユーリを睨みつけている。


「二度でも三度でも言ってやるよ。こんな茶番に付き合わせんな」

「貴様――!」


 リンファを挟んで対照的な二人。

 表情も変えず淡々とした雰囲気のユーリと、鼻息荒く顔を赤らめるゲオルグ隊長。


「だからやめろって! ナルカミ! お前もだ! いい加減にしろ!」


 そんな二人の間に入ったリンファが、二人を交互に睨みつけた。


 リンファの言葉に少しだけ冷静さを取り戻したように、ゲオルグ隊長は前のめりだった姿勢が真っ直ぐに。


 が、ユーリのほうが今度は一歩近づき口を開いた――


「いい加減にするのはお前らだろ。あそこで暴動騒ぎがあってから、どんだけ時間が経ってんだよ」


 ユーリの発した言葉に、ゲオルグ隊長はもとより、リンファも視線を下げた。そう、ユーリが茶番と言う最大の理由はである。騒動から捜査まで時間がかかり過ぎている。相手のシナリオ云々の前に、普通にのだ。


「相手に逃げて下さい、隠して下さいって言ってるみてぇなもんだろ。ホントにやる気があるんなら、なんであの日そのままガサ入れに行かなかったんだよ」


 口調を荒げること無く、淡々と話すユーリ。その視線はリンファとゲオルグ隊長を交互に見ている。

 

 実際ユーリはこの部分に関してかなり憤慨している。あの時あのまま一気にガサ入れまで行っていれば、間違いなく違法武器の摘発くらいは出来ただろう。その一手は間違いなく相手の出鼻を挫く痛恨の一手になっていたに違いない。


 ユーリとしては、あのまま強制捜査に乗り出す物だと思っていただけに、クーロンで暴れた連中だけを捕らえて終わりというのは正直肩透かしでしか無かった。


 その後に『カラス絡み』の話を聞いたのだ。ダメージは一入ひとしおだ。


 そうでなくとも、遅れたせいで証拠や重要人物は移動済みなど、目も当てられた物ではない。


 とはいえ、それは


 怪しいならさっさと連行しろ。さっさと捜査しろ。それはユーリというだからこその意見だ。


「怪しいからと――」

「怪しいからって何でもかんでも捜査出来る訳ねーだろ! ちゃんとしたがいるんだよ!」


 ゲオルグ隊長の声に被されたのは、視線を上げたリンファの荒ぶった声だ。リンファの言う通り、衛士隊が一般人相手に権力を行使する場合は許可がいる。現行犯でない限り【人類統一会議】の確認と許可が必要であり、各街を治める知事が代行するのが常だ。


(何だよコイツ…やる気なかったんじゃねーのかよ)


 声を荒らげながらも内心は混乱しているリンファ。実際言われて耳に痛い話だが、やる気のないユーリが発するとは思えなかったからだ。


 ただ、混乱しているからと言って、目の前にいるユーリが口撃の手を緩めてくれる訳はなく――


「だからなんだ? 『許可が降りるのが遅かったから違法行為を見逃しました』って言い訳か?」


 呆れたような声を出すユーリに、リンファは顔面の温度が急激に上がっていくのを感じている――それが怒りからくるのか、羞恥から来るのかは分からないが。


 兎に角、急上昇する顔面温度に合わせるように、リンファは思いつく限り口を開く。


「い、いい訳じゃねーよ! それがルールなんだ! 仕方がねーだろ!」


 ユーリに言っているはずなのに、自分に言い聞かせているかのような錯覚に陥ってしまいる。


 ルールなんだ。決まりだ。絶対的な権力だ。絶対的な力だ。それらには従わないといけない。のが、利口なやり方なのだと。


「『仕方ねー』だ? 『ルール』だ? だからお前らはバカなんだよ」

「バッ――!」

「相手がルール無視してんのに、こっちがルールを守ってやる道理なんてねぇよ」


 ユーリの言葉がリンファに突き刺さる。


 相手が交渉のルールを無視脅迫してきているのに、その相手の言うことなど聞くルールを守る必要はないのだと。ユーリ本人はリンファの詳しい事情など知らないはずだ。だが、心の片隅に思っていた事が、ユーリの言葉で抉られるように掘り起こされていく。


 それを認めたくなくて、リンファは反論を続ける。


「そんな屁理屈が通るか! アタシ達は衛士隊なんだ! 司法側がルールを守らねーなんて選択はねーんだよ!」


 リンファはユーリに向かって叫びながら、自身に言い聞かせている。


 この選択は正しいのだ、と。

 決して自分は間違えていないのだ、と。


「そう言うのは、ルールの内側ギリギリのラインまで足掻いてから言え」

「ギリギリのライン?」


 呆れ顔のユーリを、困惑気味のリンファが見上げた。


「知事の蹴り上げてでも、礼状を取りに行けよ。そんくらいやってから、ルールだから何だのって言え」


 腕を組んで鼻を鳴らすユーリをリンファは呆れたように見返した。


「そんな事出来るわけねーだろ」

「出来る出来ねぇじゃねぇんだよ。やるか、やらねぇかだ」

「無茶苦茶じゃねーか」


 リンファを真っ直ぐ見据えるユーリの眼差し。ユーリの視線と言葉の力にリンファはいつの間にか視線を逸していた。


「無茶でも何でもやるしかねぇんだよ。それが覚悟だ」

「か…くご……?」

「仲間を覚悟だ」


 静かに言い放たれたユーリの言葉にリンファはハッと息を呑んだ。聞きたくなかった言葉だ。事なかれ主義で長いものに巻かれ続けた結果、今まさに仲間の命に危険が迫っている。


「お前が仲間が死ぬぞ」


 ユーリの底冷えするような声に、リンファは堪らず耳を塞いだ。……分かっていたのだ。心の片隅で。この捜査が無駄になることなど。


 分かっていたのだ。心の片隅で。この選択は


 捜査が終わったら話そう。武器が見つかったらいいな。そんな考え自体が間違いだったのだ。でもリンファには打つ手がなかった。これ以上は巻き込めない……そう思ったのも事実だ。助けを求めてもあの男には勝てない。ならばこの無駄とも思える機会に掛けるしかないではないか。


 ……それがどんなに無駄で馬鹿馬鹿しい事だとしても。


 藁にもすがる……そんな状況なのだ。


 力なく項垂れるリンファ。


「じゃあ……どうすりゃよかったんだよ」


 色々な感情が渦巻いて、どうするべきだったのかすら分からない。


「ンなもん。俺が知るか。お前がの仲間を殺したくないかなんて知らねぇしな。ま、その必死さじゃなんだろーけど」


 ユーリの言葉にリンファは力なく膝を付き「は、ははは。やっぱり知ってたのかよ」と乾いた笑いを上げている。


ってんだろ。そんだけ必死だったらバカでも気づくわ」


 呆れたような溜息と声がリンファの頭上から降ってきた。


「何処で間違えたのかなんて、お前しか知らねぇんだ。どうするべきだったか、なんてどうでもいい。くらい、自分で考えろ」


 ユーリの厳しい言葉にリンファ再び顔を上げた。


(アタシがすべき事……)


 ――考えたリンファが、はたとゲオルグ隊長を振り返った。視線の先には衛士隊最強の男、ハンターランクで言えばミスリルは間違いないだろう最大戦力。


(あの日あのまま助けを求めてたら――)


 変わっていたのだろうか……そう思うリンファをゲオルグ隊長は真っ直ぐ見つめ返している。


(やっぱり、隊長だとしても……)


 勝てない。あの時も感じたが、そのくらいの恐ろしさが、底知れなさがあの男にはあったのだ。


 俯くリンファに声をかけたのは――


「リー・リンファ分隊長。お主が何を悩んでいるのか、ユーリ・ナルカミが何を言っているのか殆ど分からぬ。だが――」


 リンファが顔を上げた先には、腕を組み真剣な表情のゲオルグ隊長。


「――だが、一つだけ分かることは、此度の事、ユーリ・ナルカミの言う通り吾輩の失態である」


 ゲオルグ隊長が頭を下げた。


「なっ――」


 そんなゲオルグ隊長の言葉と行動に、リンファは驚き、弾かれたように立ち上がった。


「お主がこの捜査に、そこまでの思い入れがあったとは、思わなかったのである」


 リンファの頭に手を置くゲオルグ隊長。その大きな手にリンファは何時ぞやの父を一瞬んだけ思い出した。


「ユーリ・ナルカミの言う通り、吾輩が知事閣下を脅してでも捜査令状を手に入れてくるべきであった」

「そ、そんな事したらアンタが――」


 リンファが見上げる先で、ゲオルグ隊長が「心配ない」とでも言いたげな満面の笑顔を見せている。


 それはあの日、荒野に出かける前の父親のような――


「兎に角、済んだことを嘆いても仕方がないのである」


 目の前のユーリに視線だけ向けたゲオルグ隊長が、その視線を扉の外へと向け、歩き始める。


「一斉捜査は、しなければならないのである」

「それが無駄だとしても……?」


 扉の外へと出たゲオルグ隊長の背中にユーリが声をかけた。


「踊らされている……であるか。なるほど、確かに作為を感じるのである」


 顔だけ振り向いたゲオルグ隊長。その顔に浮かぶのは諦めの色などではない。ハッキリとした意思をもった強い瞳にユーリは僅かに息を飲んだ。


「踊らされ、無駄だと分かっていても、やらねばならぬ事があるのである」


 ゲオルグ隊長の瞳に宿る光にユーリの表情は真剣なものに――


「そりゃ、だからか?」


 その言葉にゲオルグ隊長は小さく息を吐いて再び前を向いた。


「まさか……吾輩のだから…である」


 振り返らぬまま堂々と答えたゲオルグ隊長。


 その背中を見るユーリの顔は、先程までの淡々とした表情ではない。どこか嬉しそうな、楽しそうな、興味を持った表情でゲオルグ隊長の背中を見ている。


「たとえ馬鹿だと言われても、邪魔だと疎まれても、それが人々を守ることに繋がるならば、その可能性が少しでもあるならば、吾輩はこの歩みを止めるわけにはいかないのである」


「……それがアンタの信念か?」


 ユーリの言葉にゲオルグ隊長は頷くだけで、廊下の先へと歩いていく。


 そんなゲオルグ隊長をユーリが追いかけ、


「悪かったな。アンタの信念を茶番だなんだと」


 ぶっきら棒な謝罪をしながら、横に並んで歩き出した。


「構わぬのである。お主から見たら茶番に見えても仕方がないのである」


「おいおい見くびんなよ。男の信念を笑っちまって、平気でいられるほど落ちちゃいねぇよ」


 そんなユーリの言葉にゲオルグ隊長は「そうであるか」と短く答えそして笑った。


「た、隊長――」


 不意に響いたリンファの声にゲオルグ隊長とユーリが振り返った。


「――あ、アタシ……」

「リー・リンファ分隊長。話は捜査が終わってからにするのである。もう時間がないのでな」


 ニコリと笑うゲオルグ隊長に「あ、ああ」とリンファは気の抜けた返事しか出来ないでいる。


「おい、リンファ。何時まで凹んでんだよ。まだ?」


 振り返ったユーリの笑顔に、リンファは戸惑いながら頷いた。


「仲間……殺さねぇために足掻いてみろよ。俺も今は一応仲間だからな、ちっとだけ協力してやるぜ」


 その笑顔にリンファがユーリ達を追いかけた。


 まだ日の昇らぬイスタンブール、クーロン地区への一斉捜査が始まる――

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