第61話 大事なことって長くなるよね! 長くなるよね……

 リンファがユーリから馬鹿げた通信を受け取るより少し前――


 イスタンブール上層、位置で言えば南西にあたる然程広くはない区画。そこは、最前線の街と呼ばれるイスタンブールにおける


 土地がなく、ビルが乱立するご時世に、庭付き一戸建ての家々が立ち並んでいる――高級住宅街である。旧時代の豪邸と比べると小さい部類に入るそれらだが、この時代では紛うことなき邸宅なのだ。


 月明かりと街灯に照らされた高級住宅街の一角、ひときわ大きな邸宅の前に一人の男が立っている――スーツに身を包み、綺麗に分けられた七三の茶髪と縁のない眼鏡。


 キッチリと着こなされた格好に反して、ビクビクと周りを気にしているような素振りで、邸宅の門をくぐり玄関扉の前で立ち止まった。


 扉はこの時代に珍しい手動開閉式の木製扉。


 上流階級の一部には、敢えて自動化をせず、それを他人にさせる事で優越感に浸る者がいる。


 掃除しかり、洗濯しかり。


 恐らくこの邸宅の主人は扉の開閉さえも他人にさせているのだろう。


 男がドアのブザーを鳴らしてしばらく。執事風の老人が扉から姿を現した。


「ち、閣下は?」

「失礼ですがどちら様でしょうか?」


 不躾な男の態度にも丁寧に返答する老執事。それだけで使用人としての格が伺える。


「す、すまない。『爪も牙も寝所の外へ、眠りしトカゲいつでも龍へ』そう知事に伝えてもらえたら――」

「かしこまりました」


 相変わらず辺りをキョロキョロする男の前で、落ち着いた素振りの老執事がゆっくりと扉を閉めた。


 老執事が扉の奥に消えてから数分――玄関の扉が開き、老執事が顔を出した。


「旦那様からの言伝にございます。『寝所を荒らす白ネズミ、それ過ぎるまで、伏して待て』とのことでございます」


 言伝が終わると執事は深々と頭を下げ、そのまま玄関の扉を閉めてしまう。


 一人残された男だが、自分の言伝が通じたことを確信したのか足早にその場を立ち去っていく。




 立ち去っていく男の姿を窓から眺める老執事が口を開く。


「よろしかったので?」

「構わん。どうせアレもに過ぎん」


 執事の言葉に答えるのは、中年の男性。


 ベルトに乗った大きな腹。

 ボタンがはち切れんばかりのシャツ。

 首元を飾るスカーフのお陰で辛うじて身体と顔の境が分かる。


 身なりのいい服にねじ込まれた、不摂生の塊のような男だ。土地を追われ、贅沢が出来ないこの時代にこれだけ脂肪を蓄える事が出来るのは、ひとえに男が知事という選ばれし地位にいるから他ならない。


 知事が手に持つグラスに並々と注がれたワインが、月明かりに煌めいて揺れる。


「それよりもの準備は終わっているのか?」


 そんなワインをあおった知事が口を開いた。


「滞り無く」


 短く答えた老執事に、知事はニヤリと笑う。


「ところで旦那様。ゲオルグ隊長から督促が着ていますが」


 老執事が口を開きながら自身のデバイスを操作すると、空中にホログラムが投影される。


 そこに映し出されていたのは、『捜査令状』と記された書類だ。衛士隊が一般人相手に権力を行使する場合、現行犯でない限り【人類統一会議】の確認が必要であり、各街を治める知事が代行するのが常だ。


 確認が取れて初めて発行されるのが『捜査令状』である。


 その『捜査令状』の発行願いがきてから既に丸一日以上が経過している。男は何だかんだと理由を付けて発行を渋っていた。


「全く、バカ真面目な男め――」


 知事が電子印を押し、「後はやっておけ」という具合に老執事に手で外へと追いやった。


 その仕草に老執事が一礼を残し部屋から出ていった。


 一人残された知事がグラスを傾けながら、窓の外、少し遠くに乱立するビルとそこから漏れる明かりを眺めている。


「この景色を支えるのにゴミは必要ない……これで……これで私もあのを――」


 恍惚とした表情で、一気にワインを飲み干した知事が高らかに笑いだした。


「燃え上がるイスタンブール。果たしてどの尻尾が罪を被ってくれるかな」


 場違いなほど輝かしい月明かりが知事のその姿を明るく照らしている――まるで舞台に降り注ぐスポットライトのように。




 ☆☆☆




「とか何とか思っている事でしょう」


 口を開いたのはモニターの前に立つクレアだ。


 モニターに映し出されているのは、不摂生の塊と眼鏡の小心者。


 ここはカノンたちオペレーターの仕事場横にあるブリーフィングルーム。通常はオペレーター同士の打ち合わせや、緊急依頼に関するハンターとのブリーフィングに使われる部屋だ。


 室内には巨大なモニターとそれを操作する為の機器、そしてモニターの前にある大きな机。その机に座るのはサイラス支部長、エレナ、フェン、アデル、ラドル、そしてエレナの部隊シグナスを担当するオペレーターのリザだ。


 翡翠に輝くウルフカットの頭髪とタレ気味の双眸を持つ、左目下の泣きぼくろが印象的な女性だ。

 制服の一部がはち切れそうな程豊満な身体は、前に立つハイパースレンダーなクレアとは――…………。


 ……兎に角女性らしく、柔らかい印象を与えるリザであるが、その実オペレーターとしての能力は高い。


 他のチームは未だ別任務に就いているため、急遽シグナスと、そのオペレーターであるリザだけに事情を説明しよう、とブリーフィングを開いたのだ。


「え…と、知事閣下の目的はなんなのでしょうか?」


 おずおずと手を挙げるリザ。そんなリザの至極真っ当な質問に、場にいる全員が大きく頷いている。なぜなら、ブリーフィングはまだ、「今回の黒幕と思われる人物」との発表しかないからだ。


 ちなみに今クレアが言った「とか何とか思っていることでしょう」には誰も突っ込まない。


 いや、何となく突っ込んではいけない雰囲気を察している。という方が正しいだろうか。


「リザ。知事『閣下』などと呼ばなくても構いません。これは服を着たオークです」


 笑うクレアだが、手に持つレーザーポインターがミシミシと唸っている。どうもイスタンブールを顧みない知事にご立腹のようだ。


「私達が『閣下』を付けるべきは唯お一人だけ、サイラス支部長閣下において他ありません」


 違うらしい。リザが知事に『閣下』等という御大層な敬称を付けたことが、気に食わなかったようだ。


「よいですか? これはオークです。このように下劣で醜い者が人の訳ありません」


 モニターの前を行ったり来たりするクレアが、「さ、復唱してごらんなさい」とリザに迫り、当のリザも「こ、これはオークであります」と旧時代の軍隊を彷彿とさせる様相になっている。


「クレア君、話を進めていただいても?」


 溜息をつくサイラス支部長に、


「失礼しました閣下」


 クレアが恥ずかしそうに頬を染めている。


 当のサイラスは「閣下は止めてくれたまえ」とゲンナリしているが、クレアはそんなことなどお構いなしに、「いえ、私にとって閣下は閣下だけですので」と恍惚とした表情を見せている。


「クレアさんって、支部長が絡むと駄目な人になっちゃうよね」

「アレがなきゃ美人で優秀なんだけどな……胸はちっさいけ――ヒッ」


 コソコソと話していたアデルとフェンの肩がビクリと跳ねた。二人をクレアに気がついたからだ。


 笑顔なのに妙に怖い。今もアデルとフェンはお互いに「お前のせいだぞ」「アンタが胸の話するから」とコソコソ小突き合っている。


「ん、ンン。オークの……敵の目的ですが、クーロン地区の解体及びと睨んでおります――」


 クレアが機器を操作すると、机の上にクーロン地区の立体ホログラムが出現し、ゆっくりと回転しだした。


「クーロンの解体は何となく分かるけど……武器のデータって?」


 アデルの疑問に他の面々も頷く。知事が武器のデータを必要とする理由も分からなければ、どうやって収集するのかも分からないのだ。


「順を追って説明しましょう――」


 クレアが机に据え付けられた機器を操作すると、知事と小心者の画像に加え、ブラックマーケットで武器を購入している男の画像が追加された。


「クーロンで見つかった大量の武器類、こちらをしているのがこの男になります――」


 そういってクレアはレーザーポインターを眼鏡の小心者に照射する。同時に男の画像とブラックマーケットの画像の間にイコールが表示された。


「更に画像を解析すると面白い事が分かりました――」


 そう言いながらクレアが機器を操作すると、リンファが武器を売りに来ている画像も映し出され、男とリンファの持っている武器がアップで切り抜かれた。二つ並んだそれは、どう見ても同じようにしか見えない。


「横流しした商品をブラックマーケットでております。その理由ですが、恐らくの技術流出を恐れてのことと思います」


「試作品?」


 フェンから飛び出た疑問符に、クレアが静かに頷いた。


「この男の名前はスコット・マイヤー。老舗の武器商会、オスカー商会の会長秘書を務めています」


 クレアの言葉に反応するように、モニターに映し出される商会ビル。イスタンブールでも有名な商会だが、あまり人気のある商会ではない。老舗といえば聞こえがいいが、最近のイメージは古臭くコストパフォーマンスも良いとは言えない、名前だけの商会だ。


「オスカー商会と言えば、衛士隊の装備を手かげているのではありませんでしたか?」


 エレナの言にクレアとサイラス支部長が頷いた。老舗という信頼感から、イスタンブールでは奪還当時から衛士隊の装備を手掛けている商会でもある。


「安定した収益に甘んじていた結果、落ち目となり最近では衛士隊の装備を見直すとの話も出ております」


 とはいえ、その地位に胡座をかいていて生き残れるほど、この世界の武器市場は甘くはない。


「一先ずオスカー商会のは置いときましょう」


 話を切ったクレアが再び機器を操作し始めた。


「ユーリさんからのにより、こちらの商会を調べたところでした」


 クレアの言葉に反応するように、再び画面が切り替わる。映し出されたのは何時ぞやカノンとユーリが眺めていた受注済みの依頼達。そして複数の


「これって?」


 口を開いたのはアデルだ。


 真っ黒と言う割に出てきたのは受注済みの依頼書と、よく分からない報告書。武器の種類とその横に数字が書いてあるが、見慣れないアデルにはいまいちピンと来ていないようだ。


 そんなアデルと同様に首を傾げるのがフェン、ラドル、リザの三人。


「詳しく説明しましょう」


 クレアが画面を拡大する――


「こちらはここ二ヶ月間、オスカー商会から出された依頼です」


 アップになる依頼。それらが一定間隔で捲られていく――


「普通の依頼っぽいけど……?」


 首を傾げるアデルと、フェン。捲られていく依頼書を凝視するのはラルドとリザ。そして――


「なるほど。えらくですね」

「ハンターとしては有り難い限りだがね」


 何かに気がついたエレナとサイラス支部長。


「えっと……どういう?」

「普通の依頼に混じって、クズ素材の引き取りという依頼があっただろ?」


 エレナは自身に向けられたアデルの視線に笑って答えた。


「でもそーゆー依頼って結構あるよな?」


 過ぎしルーキー時代を思い出すように、フェンは空中へと視線を彷徨わせている。


「ああ、珍しくはない。……これが一企業で二ヶ月という短期間でなければの話だが」


 その言葉に再びフェンとアデルだけではなく、リザとラルドもモニターに視線を戻した。


 意識してみると成程多い。依頼書の数が多いからあまり気にならなかったが、一企業がたった二ヶ月の間に合計五度も同じ依頼を出しているのだ。


「こちらのクズ素材引き取りですが、協会には『試作品用の魔鉄制作の為』と届け出されています……まあ、よくある話ですので皆さん納得してしまいがちですが――」


 言葉を切ったクレアが、依頼書を縮小し、報告書を拡大した。


「こちら、軍に提出された、オスカー商会の報告書になります」


 ずらりと並んだ文字と数字、殆どが『試作剣〇〇号 数量◯個 廃却重量◯◯キログラム』と言った表記だ。


 武器は試作品であろうと無闇矢鱈に廃却してはいけないことになっている。廃却するには【人類統一会議】の許可と立会が必要で、廃却品目と総量を軍に提出しなければならない。


 廃却された武器が、良からぬ事に使われないための措置だ。


 そのための報告書なのだが、初めた見たアデルやフェンからしたら、どこがおかしいのか分からない。


「これって何が駄目なの?」


 眉を寄せるアデルが、答えを求めるようにエレナを見つめた。


「廃却量と、生成されたであろう魔鉄の総量があわない……でしょう?」


 エレナの言葉にクレアが静かに頷いた。


「協会に入ってきた手数料から、素材の納入量の大まかな数字を割り出しました。相場の高騰を考慮し、だったとしても、生成魔鉄と廃却魔鉄の総量が合いません」


 クレアの説明に、モニターに映し出された二つの数字。

 ポップな字体にしたのは、逼迫した事態へのクレアのせめてもの抵抗なのか。


 片一方が納入された素材から作成可能な魔鉄総量の予想。

 もう一方が、廃却報告書から出した廃却魔鉄の総量。


 その差凡そ三割。


「相場高騰を考慮しての計算なので、二ヶ月前はもう少し納品されていると考えられます。仮にこの数字通り素材を下限で計算しても……魔導銃マジックライフル換算で、七〇〜八〇丁。実際は三桁をゆうに超えているかと……」


 途轍もない数字に、全員が言葉を発することが出来ない。


 モニターに映し出されたやたらポップな数字だけが、やかましく部屋中にその存在を主張していた――

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