第60話 過去と恐怖と覚悟と羊と

 謹慎が決まったあの夜、リンファは友人たちを問いただそうと、夜遅くクーロンへと向けて足を速めた。


 流石に今回はやりすぎだ。衛士をボコボコにしたのだ。リンファでも助けようがない。それとこんな事態になった事の説明を求めよう、とクーロンを訪れたリンファの前に現れたのは一人の友人だった。


 かつてに興じた女友達。気だるい雰囲気と手に持った煙草に、かつての面影は欠片もない。


「リンファじゃん……」


 歓迎しているようには見えない視線に、一瞬たじろぎそうになったリンファだが、呼吸を整えかつての友を真っ直ぐに見据えた。


「お前ら、何したか分かってんのか?」


 リンファの真剣な言葉に、女は「分かってるよ」とを見せた。


「笑い事じゃねーんだぞ?」


 詰め寄るリンファが女の肩を掴んで「大丈夫。私らにはあの人がいるから」と女は笑うことを止めない。


「……あの人?」


 呆けるリンファに「会わせたげる」と女がニィっと笑うとリンファの手を引いて歩きだした。


 友人に連れられ向かった先にいたのは一人の男だった。


 長身痩躯で、ボロのような服を纏った男。ボサボサに伸びた髪とヒゲ。


 一見するとクーロンのどこかにいそうな風体だが、伸び切った頭髪の間から垣間見える琥珀色の眼は全てを見通しているかの如く深かった。


(気味の悪い目だ)


 そう思ったリンファは、直後に愕然とすることとなる。


「会って間もないのに気味悪がられるとは」


 男が発した言葉は、まるでリンファの心を読んでいるかの如く的確だったからだ。


(顔に出ちまってたのか?)


 一瞬ビックリしたものの、リンファは交渉術を教えてくれた青年が似たような事をしていたのを思い出した。相手の視線や表情である程度の考えを読む事ができるのだと。


 だからそういった事に長けている男なのだ……そう思った瞬間――


「ああ、顔くっきり出ていたよ」


 続く男の言葉にリンファの全身が総毛立つ。 間違いなく。考えていることが筒抜けなのだ。


(こいつはマズい――)


 それは直感だった。その場を離れようと、振り返ったリンファの目の前にボロを纏った男が立っていた。


 驚いたリンファは、先程まで男が座っていた場所を振り返った。そこには誰もおらず、視線を戻したリンファの目の前にはニコニコと笑う男の顔。


(う、ウソだろ……全然見えなかった……)


「君とはゆっくり話をしたいと思っていたよ。


 笑う男の姿にリンファは、直感した――逃げられない、と。


「いい娘だ」


 男は短くそう言うと再び一瞬でリンファの目の前から消え去った。


「君も協力してくれるんだろ?」


 声がした方を振り返ると、男は最初に座っていた場所に。


「協力?」


 何の事か分からないリンファはオウム返しするので精一杯だ。


「おや? 知らないのかい……」


 そう言って男が語った計画に、リンファは呆然と立ち尽くすことになる。


「か、革命って――」


 男が語ったのは、クーロン地区全体での一斉蜂起。いわゆる革命だ。あの犯罪者がうそぶいていた事は事実だったのだ。


 目眩を覚える頭で男の言い分をまとめると


 クーロン地区は不当に排斥されてきた。

 今まで北東からの襲撃を防いできた功績があって然るべき。


 という支離滅裂なものだった。


 だが、それを聞くかつての友人や恩人達は、一変の欠片も疑っていないような狂信的な眼差しだ。


(くそ、どうなってんだ)


「皆話したら分かってくれたよ?」


 再び読まれる心にリンファはゾクリとする。


(心を読む……そういう事か――)


 相手の能力とその使い方に思い至ったリンファ、その目の前で男は初めて見せる悪い顔で口の端を大きく釣り上げた。


「賢い娘だ――」


 その一言で十分だった。リンファの考えを肯定するには十分過ぎる一言。


 人の考えを読み、相手の恐れるもの、望むものを与える。たったそれだけ。だがそれだけでいい。人の信頼を得るには――この人は自分の事をよく分かってくれているのだ、と思い込ませるには。


 自分のことをよく分かっている人が言うことは、自分が心のどこかで思っていた事。それが一見支離滅裂なことでも。そう思い込まされてしまえば、普通の人に抗うことなど出来はしない。ましてや少なからず負い目があるような人間なら尚更だ。


(く、コイツはヤバい――)

「賢いと思っていたが、思い違いかな?」


 相手を排除するため、ゲートを起動しようとした瞬間、リンファの真後ろから聞こえたきたのは背筋が凍りつくほど冷たい声。


 普通に戦っても勝てない程の実力差に加え、心を読まれるというハンデ付き。確かにリンファでは分が悪い。だが――


「ふむ。衛士隊の隊長に君のバディか……なる程。


 男が訳知り顔でゆっくりとリンファの周りを歩く。咄嗟に思い浮かんだ衛士隊最強の男とユーリの事を、目の前の男は知っているようだ。


「だが果たして……心を、攻撃を読まれて戦ったことはあるかな?」


 ニヤリと笑う男の顔に、リンファは「それでも――」と口を開いたが、結局その先を紡ぐことは出来なかった。ゲオルグ隊長やユーリの強さをリンファは知っている。だが、この男の強さは測りかねない。


 仮に二人がこの男よりも戦闘能力が優れていたとしても、心を読む事が出来るのは、絶対的なアドバンテージだ。どこから攻撃が来るか分かる以上、二人がこの男に攻撃を当てられる道理はない。衛士隊の誰もがこの男に触れる事すら叶わないのだ。


(絶対に勝てねー。誰も……)


「利口な判断だ」


 男が笑顔でリンファの肩に手を置く。


「この私が味方なのだ。大船に乗った気でいるといい」


 そのままリンファを通り過ぎ、再び座っていた位置へと戻っていく。


 その後姿を見ながら、リンファは迷っている。どうするべきなのか。どうすることが正解なのか。


「悩むことはない。今こそ……違うかな?」


 再び腰を下ろした男が両手を広げ笑顔を見せた。


 心を読まれる。それがどれだけ恐ろしい事か今リンファは身を持って体感している。


「断っても構わないが、その時は英雄の後を追ってもらうことになるかな……お父さんとの約束、守りたいだろ?」


 答えることなど出来なかった。ただ静かに頷くだけしか出来ないリンファ。


 その後どうやって家まで帰ってきたのかすら分からない。ただただベッドに倒れ込み、身体が深く沈んでいく感覚だけをやけに鮮明に覚えている。


 まるで深淵へと落ちていくかのように――


 それからすでに丸一日以上。一度日が変わって既に外が暗くなるくらいの時間を、リンファはベッドから起き上がれないまま過ごしている。


 暗い部屋の中、思い返しては後悔ばかりだ。


 どうしてもっと皆と真っ直ぐ向き合わなかったのか。

 どうしてもっと自分の意見を貫かなかったのか。

 もし誰かに相談していたら違っていたのだろうか。


 自分が見逃したせいで、クーロンが暴走を起こしかけている。

 自分が黙っていたせいで、ゲオルグ隊長はじめ、衛士の仲間達にも危険が迫っている。


 もう止まる事はない。革命と言う名の暴動は起きてしまう。そうなれば必然的に衛士の皆は、あの男と対峙する事になるだろう。


 もうどうしていいのか分からない。


 止まってほしい。止めねばならない。


 何度考えても堂々巡りで、何度考えても最悪のシナリオしか浮かばない……あの男のせいで全員に破滅が訪れるシナリオしか浮かばないのだ。


「巻き込んだ……んだ」


 ポツリと呟いた言葉に返してくれる者はいない。


 衛士の皆も。クーロンの皆も。そして――思考に沈みかけたリンファが、ふと視線を横に逸した。それは単なるでそれ以上に意味はない。これ以上正面から向き合って思考に沈む事に、身体が拒否を起こしただけだ。


 だが――逸した視線の先に見えた、チカチカと点滅する光がリンファの思考を僅かに止めた。


「……メッセージか? いつの間に――」


 点滅していたのはリンファの左腕から外されたデバイスだった。


 どうやら知らぬ間に誰かがメッセージをくれていたらしい。着信音にも気づかない程落ちていたとは。とはいえ今はメッセージなんて……そう思ったのに、やけに煩く主張する光が目につくのだ。とりあえず光を消すため、そう思いながらリンファはベッドに転がったまま思い切り腕を伸ばした。


 人差し指と中指がデバイスを掬い上げた。それを引き寄せたリンファがボンヤリとした瞳で開く――


『見てみろ、この。これ、羊なんだってよ。これだけデカけりゃ肉も沢山取れると思うんだ。衛士よりもガッポリ稼げるぜ』


 ――そこにあったのは、馬鹿げた内容の文言と、汚い羊にヘッドロックををするユーリ、そしてその前に自撮りの格好で映るカノンの姿だ。カノンのせいでピントはズレてるし、何より目が半開きだ。よくこれで送ってこれたな、という低クオリティの画像に加えてメッセージの内容だ。


「……馬鹿だろ。んなもん毛を刈ったら半分以下まで縮むぞ」


 呟くリンファが「ははは。ホント馬鹿だな」と乾いた笑い声を上げた。


 謹慎になってるリンファを、ユーリなりに元気づけようとしたのだろうか。いや、そんな高尚な人間ではない事は百も承知だ。恐らく「面白いのが見れたから共有しよう」と言う本能のような行動だろう。


 本能で動く男、それがリンファの知るユーリ・ナルカミという男だ。


 そう……ふと思い返してみると、本能のままに動くユーリには面倒ばかり掛けさせられた。


 市民にタカるチンピラ集団を半殺しにした。

 怪しい宗教団体は、彼らが信じる

 肩で風を切って歩いていただけのゴロツキは、ムカつくからと殴り飛ばされたし、

 強盗を働いたモグリには「見逃してやるから全額置いていけ」とか無茶苦茶言う始末だ……。


「……思い出したら腹が立ってきたな」


 呟く声には先程より少しだけハリがある。


 兎に角ユーリはやることなす事メチャクチャだったのだ。


 そのくせ妙に感が鋭かったりして、クーロン地区を訪れるたび、リンファは自分とクーロンの関係がバレるのではとヒヤヒヤしっぱなしであった。「革命をする」と噂に聞いていたそれを、リンファなりに何とか止めたくて色々試行錯誤していた時期だったからだ。


 ユーリが居なければ、もう少し楽にクーロンの調査を出来たのに……そう思えばユーリに対して恨み言の一つも言いたくなる。


 だが、それ以上に少し楽しかったのも事実だ。


 メチャクチャなユーリが、かつて自分を育ててくれたクーロンの大人たちのように自由で楽しそうだったからだ。そんなユーリといることで、リンファの心には少しだけ「もっと自分に正直に生きていたい」そんな思いが芽生えていた。


 だがそれと同じくらい、恐ろしさも感じていた。


 それはクーロンを見捨てるのではないか、恩を返せないのでは、という思いだ。


 ――いつまでも恩だの何だのうるせぇな。


 不意に聞こえてきたのはユーリの声だ。勿論そんな事など言われた事はない。ただの空耳。だがユーリならそう言いそうだな、と妙に納得してしまえる内容に、リンファは両頬を思い切り叩いた。


 ――パチン!


 乾いた音が部屋に充満していた淀んだ空気を少しだけ晴らした。


「うるせーな。アタシだって分かってるよ。でも


 顔を上げたリンファの瞳に光が宿る。恩に縛られてるのくらい分かっている。だからと言って簡単に捨てられないからこそ縁なのだ。


 今の状況は自分の甘さと言い訳が招いた事態だ。それに皆を巻き込んでいて、自分だけ「自由にやります」などと口が裂けても言えない。


 自分らしく生きるために、あの時育ててくれた皆に「アタシは元気でやってるよ」と心の底から伝えられるように。


 今はあの男の企みを……皆を止めよう。


 ……出来るか分からない。だが、何もせず破滅を受け入れる事だけは出来ない。皆を破滅から救うのだ。


 例えそれでクーロンの皆に恨まれようとも。


 決意を決め大きく溜息をついたリンファにのデバイスが鳴リ響いた。メッセージを知らせるその音に、リンファは重たい身体を無理やり起こしてそれを起動する――


「――遅えよ……」


 呟いた言葉は、恨み言のようにも聞こえるが、少しの希望を覗かせていた。


『明朝、日の出より前にクーロン地区への一斉捜査を開始する。捜査にあたり、リー・リンファ及びユーリ・ナルカミの両名の謹慎を終わりとする』


 。まずはコレにかけよう。


 ここで武器を一斉に摘発し、今までのことを隊長に謝ろう。武器がなければ少なくともクーロンの皆が「革命」だなどと称して武装蜂起する事は出来なくなる。そうなれば、あの男の目的を遅らせる事が出来る。それに、証拠が出ればエレナ等の強者への協力も仰げるかもしれない。


 皆で当たればあの男も――


「絶対に止めて見せる」


 そう決意したリンファのデバイスが、もう一本の通信を受け取った。


『羊が思いのほか安くて精神的ダメージがデカいわ。あと明日の朝、早すぎて無理』


 ユーリからだ――デバイスを持つリンファの手がプルプルと震える。人の決意に水を差す男だ。リンファは怒りで体温が上がるのを感じている。


 朝が早いから嫌という舐めた発言もだが、「羊のついでかよ」と呟くように、メインが羊の値段だからだ。もっと重要な事があるだろう、と言いたいがそれがユーリという男なのだろう。


 だがそんな自然体のユーリを、少しだけ羨ましく思っている。


 やり直せたら、こういう風に自由に生きてみたい。そう思えるくらいには――





※明日の公開はお休みさせて頂きます。ちょっと今日が忙しすぎて恐らく書き上がらないので、ご了承下さい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る