第54話 ゲームとか物語の美女は大体強い
新月の夜の上層街。所々灯る街灯が通りを照らす傍らで、夜の闇に囚われたままの場所も存在する――暗い路地裏に響くのは、この時代、この場所には不釣り合いな「カラコロ」という下駄が地面を叩く音。
「うーん。この子も駄目やわー」
頬に手を当て困ったという顔を見せるマモの目の前で、「あああああああ」と情けない声を上げながら人の形をした何かが溶けていく――崩れ落ちるそれが立てる、ビチャビチャと湿った音がやけに煩く響き渡る。
街灯もなく暗闇に包まれたその路地裏で、「かなんわぁー」とマモが溜息をついた。ナノマシンが有する異形細胞に、宿主の身体が耐えられなく自壊していく様に「あーあー。汚ーな」とエリーも顔を顰めるだけだ。
ナノマシンの投与に相手の同意も検査もない、身勝手な蛮行だがそれを咎める者はこの場にはいない。
「幸先が良かったのは一人目だけかよ……流石に飽きてきたぜ」
ドロドロに溶けた人だっただろう、という形をした何かをエリーがツンツンと突いた。
「なんかさ。この街に【戦姫】とか言うめちゃ強な女がいるらしーんだ。そいつと遊んできてもいーかな?」
目を爛々と輝かすエリーに「あきまへんー」とマモが首を振った。
「そもそも【戦姫】はぁアダマンやあらへんやろー? ほなエリーちゃん相手にぃ五分と持たへんやんー」
溜息をついたマモに、「ちぇ」とエリーが口を尖らせた。
真っ暗な路地裏に、黒尽くめの二人。黒が支配するその空間に、「そこにいるのは誰だ!」声とともに一筋の光が差し込んだ。
「軍警か――」
軍警。軍の中で主に上層の治安維持を担当する部隊。上層区の衛士隊のようなもので、軍の中では後塵を拝する部隊であるが、れっきとしたエリートなのは間違いない。
「お前たちそこを――」
軍警の男が発する警告を聞き終える事無く、音すら置き去りにエリーが路地裏を駆け、デバイスを起動しようとする男の眼前へ――
「よう、お巡り。良い夜だな」
眼前に現れたエリーの表情を路地の街灯が照らし出した。まるで肉食獣のように獰猛な笑顔のエリーに、軍警の男が慌てて腰の特殊警棒に手を――伸ばそうとしたその手をエリーの左手が掴んで捻り上げた。
「レディのエスコートに物騒なモンは要らねーだろ?」
笑顔のエリーがその手を更に捻れば、周囲に乾いた音が響き渡った。
「ぐぁあ――ッムグ」
悲鳴を上げかけた軍警の顎をエリーの右手が掴んで持ち上げた。
「おいおいおい。良い子がおネンネする時間は過ぎてんだ。騒いだら起きちまうだろ?」
エリーが片手で男を持ち上げていく――足をバタつかせながら「ンー、ンー」という非難の悲鳴を男が上げる。
「こっち来て大人の話をしようぜ? 美女二人、両手に華だ。そー言うの好きだろ? お前ら男って」
笑うエリーが男を掴んだままその姿を路地裏の闇へと溶かして行く。闇が迫るのを抵抗するように男が足をバタつかせ、壁を必死に掴む――が、ゆっくりとまるで暗闇に食われるように、男が引きずり込まれて行く。最後は建物を掴んでいた腕も力なく離れ、男の姿は完全に闇に消えていった。
静寂と明暗が分かれる路地裏の入口に、「ああああああ」と静かに響く情けない悲鳴。それが鳴り止んで暫く、「カラン、コロン」と独特な音を響かせて二つの人影が路地裏から出てきた。
既に人通りのない通り。僅かな明かりが黒尽くめの二人を異様に目立たせるが、当の本人達は全く気にした素振りを見せていない。
「結局最初の一人だけかよ……」
堂々と通りを歩くエリーが溜息を漏らし、隣で「カラコロ」と下駄の音を立てるマモへ「マモ
肩を竦めたエリーが「雰囲気、ね……」と諦めたようにマモに向けていた視線を、彼女の手の中にある瓶へと向けた。
「つーか結局最初以外駄目だったって、そのナノマシン腐ってたんじゃねーの?」
「なんでー、そないな酷いこと言うんー?」
「いやだってさ……それの大元……もう死んじゃったじゃん」
「……そらぁ…そうやけどー」
マモが瓶の中身を「チャプン」と揺らして月にかざした。
「とりあえずーエリーちゃん臭いかいでみー?」
眉を寄せるエリーに、マモが小首をかしげながら瓶を突き出した。
「嫌だよ。腐ってたら嫌だろ」
ブスッとした表情のエリーが「シッシッ」と手を振るが、そもそもナノマシンが腐ることはない。細胞を利用した生態型ナノマシンであるが、「生きている」間は腐ることはない。瓶の中、組織液に浸かった今の状態はいわば休眠状態で、人体へと取り込まれて初めて活動を開始するのだ。
封すら切られてない状態で「腐ってる」と言われては、ナノマシンもたまったものではないだろう。とはいえ、そんな事には明るくないと見える二人。
「つーかマモ
大きく溜息をついたエリーの横で、
「いくらウチでも無理やわー。こっち方面はぁ勉強しとらんさかいー」
マモはそう言いながら、既に空になった瓶を街灯に透かして見つめた。暫く街灯の明かりに透かしていたマモだが、何を思ったのかそれを鼻に近づけ――
「っちょ、何してんだよマモ
慌てるエリーを他所に、「うーん。無臭やわー」と困り顔を浮かべている。
「ホントに嗅ぐか、普通?」
とエリーが呆れた笑顔を見せた瞬間、遠くで悲鳴とけたたましいサイレンが鳴り響いた。その音に反応した二人が一気にビルの壁を駆け上がり、一瞬で屋上まで――
「ウチらとはぁ違う方角やねー」
緊迫した雰囲気の中でもマモの語尾は変わらず間延びする。
「あっちか……」
サイレンがなる方角を見据えたエリーの姿が消えるとほぼ同時、マモの姿も屋上から消え去った。
新月の夜、光の届かぬビルの屋上を二つの影が駆ける事暫く、少し大きめのビル、その屋上にエリーとマモの姿が現れた。それから間を置かずして、丁度反対側から現れた一つの人影。
軍警の制服を纏った長身痩躯の男。少しベタついた髪の毛と無精ひげが目立つが、元はキッチリとした性格だったのだろう。所々破れているが、上まで止められたボタンに、その性格が見て取れる。だがそんな軍警の制服とは対照的に、ギラギラと輝くその琥珀色の瞳は、丸で腹を空かせた肉食獣のように獰猛な色だ。
「おいオッサン。指示があるまで大人しく隠れてろっつったろ?」
エリーが片手をゆっくり閉じながら、指をパキパキと鳴らした。
「うるさい。調子に乗るな小娘……」
腰を落した男がエリーを睨みつける。
「私は力を得たんだ。お前のような小娘の言う事など誰が聞くものか」
男の言葉にエリーが「ああ゛?」と眉を盛大に寄せれば、それを見た男がニヤリと口角を上げた。
「聞こえる……聞こえるぞ……」
ブツブツと呟く男を前に、マモを振り返ったエリーが「こいつぶっ殺そーぜ」と親指で男を指差した。
「あきまへんー」
そう言いながら溜息をついたマモが、男へ向けて一歩踏み出した。
「ほう? お前から先に相手してくれるのか?」
ニヤリと笑う男の顔に下卑た色が浮かぶ。
下駄の音を響かせて、マモがゆっくりと男との距離を詰めていく。笑顔のままだが、どこか圧を感じるその表情を見たエリーが「一抜けたー」と頭の後ろで手を組んで二人から距離を取った。
「ふふふ。聞こえるぞ……どこからでも来い。動いた瞬間がお前の最後だ」
マモを前に笑う男は臨戦態勢とばかりに、構えを取るがその表情はどこか余裕に満ちている。まるで今からマモが何をするか分かっているかのように――
「どうした、早く来い。お前を組み伏せた後は、あの小娘だ。夜は長いからな……楽しませてくれよ」
下卑た笑顔で口を開く男に対して、笑顔を貼り付けたままのマモは相変わらず「カラン、コロン」と下駄を軽やかに鳴らしてゆっくりと近づいて行くだけだ。
一歩一歩。歩く度に鳴る下駄の音がいやに大きく屋上に響き渡る。
「どうした! 早く来い! 私の首を右手で掴むんだろ? 掴んでその後はどうする?」
目が血走った男がマモへ向けて怒声を上げるが、それを受け止めるマモは相変わらず貼り付けたような笑みのままだ。笑顔のまま狂人と思しき男との距離を詰める女性。傍目から見たら止めるべき案件だろうが、唯一止められそうなエリーは、頭の後ろで手を組んだまま欠伸を噛み殺すだけだ。
ついに男の目の前まで辿り着いたマモ――その背後に揺らめく黒い靄。月明かりが無いせいで良く見えないそれだが、途中から男は叫ぶことすら忘れてただただ目を見開いて固まったままだ。
まるで蛇に睨まれた蛙。その言葉通り、男は指一本動かせずにただただマモの動きを見るだけしか出来ない様子だ。
「どないしたんー? 早う逃げなー」
男の前でマモが薄く笑うが、「クッ」と僅かに声を漏らすだけで男は相変わらず微動だに出来ずにいる。
「ほらー? 早う動かなぁその首掴んでまうでー?」
ゆっくりと上がるマモの右手。それでも動けない男の頬を脂汗が伝う。辛うじて視線でその腕を追っているのは、男に残された最大限の抵抗の証なのだろう。
だが、そんな視線だけの抵抗など何の意味もなさない。
とうとう男の首にかけられたマモの右手。暗闇にあって、まるで発光しているのかと見紛うほど白く透き通り、女性らしく線の細い腕は、凡そ大の男の首を掴むには適しているとは思えない。
だが、その右手で首を掴まれた男は既に
「威勢のエエ子はー、嫌いやないでー」
笑うマモに合わせて、「え、エヘ」と男も間の抜けた笑い声を上げた――が、次の瞬間マモが放つ底冷えするような気配に今度は奥歯を「ガチガチ」鳴らすほど震え始めた。
「嫌いやないけどなー。命令を聞かへん子はぁ八咫烏には一人だけでエエんよー」
笑顔のマモの放つ殺気に、息をすることすら忘れた様に固まる男――それを見たエリーが「マモ
「ま、そうだけど」
と肩を竦めたエリーが「殺しちゃ駄目ってマモ
まるで自分を落ち着けるように「フー」と息を吐いたマモ。
「それでー? あんさんの主人はぁ誰やー?」
男の首を掴んだまま、マモが先程よりも優しげな声をだせば「あ、あなた様です……」と漸く息の仕方を思い出したように男がポツリと呟いた。
「エエ子やねー」
笑ったマモが、男性の頭を撫でた。一頻り頭を撫でたマモはそのまま男性に背を向け、歩いてきた時同様「カラコロ」と下駄を鳴らしながらエリーの側へと戻っていく。その途中で思い出したように「せやー」と呟いて男性を振り返り
「とりあえずー、あんさんには下に行ってもらうさかいー」
浮かべた妖艶な笑みに、訳も分からない筈なのに頷く男性の頬が心なしか赤らんだ。従順な男性の様子に「ウンウン素直が一番やー」とマモが笑うが、振り返った先では相棒であるエリーは首を傾げている。
「下ぁ?」
足元を指差すエリーに、マモが笑顔で頷いた。
「そー。何やドデカいスラムでー、オモロそうな事企んでるらしいわー」
ローブの裾を口元に当てクスクスと笑うマモに「ま、アタシはフォローだし」とエリーは諦めたように肩を竦めるだけだ。
「とりあえずはぁ見た目やねー」
マモがそう言いながら男性を見据え、軽く手をかざすと男性の頭髪とヒゲが見る間に伸びた。
「ほなーお気張りやすー」
マモがヒラヒラと手を振ると、小さく頷いた男性が風に紛れる様にその姿を消した。
「大丈夫かよ? あんな弱っちそうなので」
眉を寄せるエリーが男の消えた方向を見たまま溜息をつくが、マモは「大丈夫やー」と笑うだけだ。
「どうせーお遊びみたいなモンやからー」
その言葉を掻き消す程の一際強い風が、二人のローブをバタバタと靡かせた。まるで今から来る嵐の前兆のような風に、エリーもマモも楽しそうな笑みを浮かべて髪を掻き上げた。
「ほなエリーちゃんー。ウチらも行こかー」
「行くって何処に?」
「下でぇ色々やってる大本ん所にー」
それだけ言うと、マモは屋上から姿を消し、「しゃーねーな」とボヤくエリーの姿も消え去った――吹き付ける強い風が、二人がいたであろう僅かな痕跡も消し去っていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます