第53話 招かれざる客は大体暗い時に来る

 ユーリからの追求をなんとか逃れたリンファ。先程から所在なさげに「つーか暇すぎんだろ」とゆらゆら揺れるユーリを横目で盗み見る顔には、困惑がありありと浮かんでいる。


 無理もないだろう。ユーリはリンファのやっている犯罪行為を知っている。それなのに、それを深く追求してこないのだ。


 リンファからしたら不思議で仕方がないだろうが、ユーリには興味がない上にリンファのやっている悪事など、悪事とも思えないレベルなだけだ。こんな時代だ、汚職や不正など少し調べればゴロゴロと出てくる。恐らくリンファだけでなく、探せば他の衛士にも何かしらの不正に手を染めている者もいるだろう。


 そもそもトップ上層がマフィアを黙認しているのだ。不正の大小に差はあれど、それがこの時代の権力を持った人々の正しい姿だ。


 恐らく真っ直ぐを貫いているのは、ゲオルグ隊長くらいのものだろう。アレはアレで生きづらいだろうな、とユーリは思うがそれこそユーリの知ったことではない。


 不正の大小を問わねば、誰もが皆それに手を染めている――そう言う意味でも既にユーリの興味は無くなっているが、それを知らないリンファからしたら困惑が顔に出るくらい不思議なのだ。


 とは言え、自分から話題を振ればまたボロが出るかもしれぬ、と静かに過ごすくらいしか出来る事がないのも事実だ。


 幸いなことに先程リンファに色々聞いていたユーリだが、今は完全に興味を無くした為大人しくなっている。その様子を――もう何度目になるか――盗み見たリンファは安堵から小さく溜息をついた。


 このまま静かに、何事もなく――


「スー」


 ……静かに……


「ぐぅー」


 響いてきたユーリの寝息と小さないびきに、リンファの額に青筋が浮かぶ。先程まで心配していた事はどこへやら、今はユーリに対する怒りがリンファの拳をプルプルと震わせている。


「ナルカミ!」


 響く怒声と鈍い音。


 頭を擦るユーリのジト目に、リンファの怒りに満ちた瞳が交差した。


「寝るな。門の警備は重要任務だってんだろ」


 クーロンの仲間を見逃してはいるし武器も横流しした。正直そんなリンファがユーリに怒れる資格があるか、と言われればリンファ自身も微妙に感じてはいるだろう。だがそれでも、リンファとしては下層の人々を守る、という点だけは誇りを持って取り組んでいるのだ。


 事実クーロンは何度補修しても劣化した壁からモンスターの襲撃を受けている。下層の人々を同じ目に晒さぬよう、第二のクーロンや、第二の自分自身を出さぬように、リンファはこの一点だけは譲れないのだろう。


 そんなリンファの決意など露知らず――


「お前、バカスカ頭殴りやがって。バカになったらどうすんだよ」


 頭をさすり、ジト目でリンファを睨むユーリ。


「お前は元々馬鹿だから大丈夫だ!」


 リンファの溜息が室内に木霊する。歯に衣着せぬ物言いは、ともすれば八つ当たりの喧嘩腰に見えなくもないが、どこか楽しそうにも見える。リンファの雰囲気は、どこかユーリとのやり取りを楽しんでいるようなのだ。まるでその間だけ、嫌なことを忘れられているかのように――


 もちろんユーリは、そんな心の機微に敏い男ではない。


「おいおいおい。そりゃどういう意味だ?」


 眉を寄せリンファを睨みつけるユーリだが、額に青筋を浮かべ頬をヒクつかせたままのリンファは引かない。


「そのまんまだ。馬鹿って言われたく無きゃ任務中に寝るな」


 腕を組んで荒々しく椅子に座り直したリンファが「大体仮眠ジャンケンに勝ったアタシが先に寝るんだぞ?」とユーリを睨みつけて鼻を鳴らした。


「うるせぇな。今日は何か知らねぇけど調子がわりぃんだよ」


 机に頬杖をついたユーリが「あれだ、多分風邪だ」と頬を膨らませる。もちろん風邪ではなく、昼間にはしゃいだのとリッチを素手で殴ったせいなのだが――


「大丈夫だ。お前は絶対に風邪ひかねーから」


 同じ様に頬杖をついたリンファが、意味深な顔でニヤリと笑った。


「どういう意味だよ?」

 頬をヒクつかせ立ち上がるユーリに


「そのまんまだ。馬鹿は何とやらってな」

 ニヤケ顔のままリンファも立ち上がった。


 あわや一触即発――の瞬間、ユーリが何かに気づいたように窓の向こうへ視線を走らせた。


「ナルカミ?」


 小首を傾げるリンファを無視して、ユーリが窓へと駆け寄って下を睨みつけた。ユーリの視線の先では、ドローンから放たれる緑の光線に照射される二つの人影。どちらも真っ黒なローブを頭からスッポリと被っているようで、その出で立ちや性別までは分からない。


「急にどうしたんだよ?」


 ユーリの隣から顔を出したリンファが、「入門者か」と下を見て呟いた。


「こんな時間に来るもんなのか?」


 ユーリの問いかけに「そりゃ来るだろ」とリンファは何でも無いように椅子へと戻って行く。リンファの言う通り外に出ていたハンターが戻ってくる場合。他の街から来る場合。そういった状況がゼロではない以上、時間が何時であれ人が来ること自体は珍しくない。


「アタシが初めて任務についた時なんか、夜中の二時に来たぞ? 今は未だ日も明けてねーだろ?」


 そう言って椅子に座ったリンファが「普通だ。普通」と手をヒラヒラさせた。


「普通……ね」


 それを繰り返すユーリだが、先程一瞬感じたのは確かに殺気だった。殺意の一滴を大海に垂らしたように薄く限りなく薄く放たれたそれは、勘違いかと疑う程の僅かなもの。だが、一瞬だけ肌に感じたそれは、そんじょそこらのではなかった。大海に垂らされた一滴は、世界に渦巻く殺意という殺意を濃縮して搾り取った一滴のよう濃い殺気――


 薄く誰もが気づかない程僅かなのに、気付ける者には寒気がする程の殺意が込められていた。


 あまりにも矛盾した現象だが、それを感じてしまったユーリには、それを事実として受け止める以外にない。


 恐ろしい殺気――だがそれは勘違いだったかのように、今は鳴りを潜めている。件の黒尽くめたちもドローンの認定が終わったのか、二人を歓迎するように大きく門が開いた。そもそもその殺気を放ったのが、あの黒尽くめ二人という確証もなければ、何より調


「勘違い……か……」


 そういう事もあるかもな、とユーリが窓から顔を引っ込めようとした時、僅かな視線を感じもう一度下を見た。


 黒尽くめの二人がユーリを見上げているようにも感じたが、流石にドローンの照射も終わり、暗闇の中黒尽くめ達の視線の向までは分からない。


 ほんの僅か、視線を交わらせているような感覚の後、黒尽くめ二人は開いた門へと消えていった。


「あいつら、を見てたぞ?」


 ユーリが窓からリンファを振り返れば、「そりゃ見るだろ」とそれをリンファが苦笑いを浮かべた。


「そんだけ窓から不躾に覗いてりゃ、誰だって見るよ」


 頬杖をつくリンファが言う通り、窓から顔まで出していたのでドローンを見送る時に「あ、人だ」となるくらいはあるだろう。


 考えすぎか、と思案するユーリの耳に届いてきたのは、何かが唸るような低い音――


「エレベーターが動いてやがんな」


 それを聞いたリンファが少し驚いたように顔を上げたが、


「上に行けるって事は、少なくともミスリル以上のハンター、もしくはお偉いさんだ」


 面白くなさそうに、「上は軍の管轄だし大丈夫だよ」と続ける。


 ユーリとしては気にならないと言えば嘘になるが、ドローンが認定し、さらに上に行けるというのであれば、少なくとも変な人間ではないのだろう。少なくとも自分よりは問題ないだろう。なんせウッドランクのニセタグでこの都市に侵入し、今は衛士としてその門を守っているのだから。


 何とも因果なものだ。


 門の警備を騙して侵入した男が、その門を守っている。


 そう思えば、変な人間くらい来ても可笑しくはない。ちょっとクセの強いハンターと言ったところか……。と自分を納得させて再び椅子へと腰を下ろしたユーリはまた、所在なさげに椅子をゆらゆらとさせるのであった――







「スー」




「おい……」


 響くリンファの底冷えのする声――


「寝るな、馬鹿」





 ☆☆☆






 エレベーターの中、やたら明るい証明に照らされた二つの人影が、そのフードを取り払った。


「あの窓から覗いてた奴……オレ達に気づいてたっぽいな」


 獰猛に笑うのは真紅の髪を伸ばしただ。女性ではあるがその無造作に伸ばされた髪と粗暴な口ぶり、そして真紅に輝く瞳と髪から炎のような印象を与える。


 そんな女性に「はぁ」と溜息をついたのは、これまた負けじ劣らずの美しい女性。ローブの上からでも分かると、濡羽のような美しい髪。タレ目がちでこぼれ落ちそうな程大きな瞳だが、今は困ったようにその目尻を更に下げている。


「エリーちゃんがぁ殺気なんて出すさかいー」


 頬に手を当て「かなんわー」と間延びした声で呟く女性にエリーと呼ばれた女性が口を尖らせた。


「いーじゃねーか。折角イスタンブールに来たんだしよ。面白そうな奴がいねーか試すくらい良ーだろ?」


 眉を寄せたエリーだが「まさか衛士が反応するとは思わなかったけどな」と呟きながら笑った。


 そんなエリーに黒髪の女性がもう一度溜息をついた。


「今回はウチのサポートってぇ分かってるやんなー?」


 笑顔のまま相変わらず間延びした声だが、どこか圧を感じるその表情からエリーが顔を逸した。


「分かってるって。怒んなよ、マモねぇ


 肩を竦めるエリーに、マモねぇと呼ばれた女性が「ホンマにー?」と呆れ顔を返した。


「ともかくー……ここには、挨拶だけやねんからエリーちゃんは大人し見とってやー」


 頬を膨らますマモねぇと呼ばれた女性だが、可愛らしい表情とは裏腹に、彼女が放つ異様な圧力がエレベーター内の照明を僅かに明滅させている。


「わーってるよ」


 エリーが口を尖らせる。


「とりあえず今回はウチらやのうてぇ、調に頑張って貰うさかいー」


 そう言いながらマモがローブの中から一つの瓶を取り出して、エリーの前で振ってみせた。


「それが?」

「そうー。隊長はんが連れてきたぁオッチャンが調合し直したナノマシンやー。位置づけ的にはぁ……分からへんけどー」


 笑うマモの顔は艶やかで美しい。


 ジト目で瓶の中身を見ていたエリーが、視線をそのままマモに向けて


「んでも、それが適合するやつとかいるのかよ?」


 と口を開けば、「さあー? 一時いっときでも保てばぁかましまへんやろー」と口元を抑えて「ホホホ」と笑うが、会話の内容はそれを投与されたものが適合していなけれ死ぬと言っているのだ。


「出来たら軍の人間がエエわー。まあ……最悪


 とマモが笑えば、その後ろに薄っすらと靄が立ち込めた。それを見たエリーが、「」と肩を竦めた所でエレベーターが止まり、『ようこそ、イスタンブール上層へ』といつぞやユーリが聞いた高い鼻声が二人の耳に響いた。


「この腹立つ声出してるAIくらいはぶっ壊してーんだけど?」

「あきまへんー」


 二人の前でエレベーターの扉が開いた。


「ほな行こかー――ウチらぁの名を轟かせにー」

「今回は名前出さねーんじゃねーの?」

「細かい事言う子はぁ嫌われるでぇー」


 美しいイスタンブール上層の街に、二つの異物が紛れ込んだ瞬間だった。

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