第52話 昼間はしゃぐと夜は眠たくなる
イスタンブールを覆う壁。モンスターの素材で作られたそれは、モンスターが人間を感知するのを阻害すると言われている。事実、壁で覆われた都市はそれ以外の都市と比べ、モンスターの襲撃に合う回数が極端に少なくなったという。
それ故今の時代では、都市の大小を問わず全ての都市を壁で覆っている。
人類の防衛ライン。
安息の地を守る障壁。
生命を育む揺り籠。
兎に角人類にとって最重要とも言える壁、その入口である門の警備は、衛士隊の中でも最重要任務と言える。のだが――
「おいナルカミ、起きろ! まだ始まったばっかだぞ!」
椅子に凭れ首がへし折れてるのでは、と言うほど傾げたままのユーリをリンファが揺すった。ガクンガクンとユーリの首が揺れ
「あと五分」
情けない声が待機室に響き渡った。
ここは壁の中ほどに設けられた警備用の待機室だ。門の両側に設置され、待機室の窓からは壁の外、つまり門の真ん前が見渡せるようになっている。
門の中へと続くダストシュートのような穴と、机に椅子、そして仮眠用のベッドと必要最低限の物しか無い簡素な空間だ。門で異常が感知された場合は、ダストシュートを通って即座に門へと降り立ち、事態への初動対応をするのが、この部屋で門を警備する担当の役目である。
ちなみに門の警備は衛士だけでなく軍の管轄でもあるが、基本的に軍の人間はドローンと自動砲門の管理に加え、一人二人くらいが上から見張っているだけで、いざという時、いの一番に駆けつけるのは衛士隊の仕事だ。
そんな大事な仕事の最中に舟を漕ぎ、情けない言葉まで発するユーリにリンファの額に青筋が一つ。
「何があと五分だ! 早く起きろ!」
怒声と共にリンファがユーリの頭を思い切り叩いた。鈍い音が室内に木霊する。
「っつー、叩くことはねぇだろ?」
頭を抑えてジト目のユーリだが、流石に自分に非があるのは分かっているのでそれ以上の追求はしない。
「揺すって起きないなら叩くしかねーだろ」
椅子に座り直したリンファが「フン」と鼻を鳴らした。
暫く流れる沈黙に、室内を淡く照らす魔導灯の明かりが僅かに瞬く――
頭の後ろ手両手を組み、背もたれに身体を預けたユーリが椅子をグラグラと揺らしながら、とある事を思い出した。
「そういや……リンファ、あいつらどうなった?」
あのクーロンで捕らえた奴らだが、残念ながらカノンに頼んだサテライトにはその後を映すことが出来なかったのだ。出来なかったが、先程サイラスから「君のバディについてだが――」とある程度リンファのやってきた事を共有して貰っているので、まあ処罰は軽かったのだろうという事は分かっている。
分かってはいるが折角なら確認しておこう、とユーリとしては何の気無しに聞いた事だったのだが
「どいつらだよ?」
リンファからしたら心当たりが多すぎてピンときていないようだ。
なんせ昨日も一昨日もユーリは難癖をつけて、怪しい人物をしょっ引いていたからだ。
民衆にタカるチンピラ集団。
良く分からない物を売りつける自称宗教団体。
どっちも現行犯で逮捕自体は問題はないのだが、まあそこはユーリだ。全員が生死の境を彷徨う事になっているので、今はベッドの上で聴取待ちの状態である。
つまりユーリからしたら、どれもこれも終わった事だ。後は奴らが死のうが生きようが別に構わない。終わった事になど興味はない、故に――
「どいつらも何も、俺が初任日に捕まえたヨゴレ達だろ」
――呆れ顔でリンファへと視線を投げた。他の奴らはもう終わってるだろ、そんな気分で。
ただリンファとしては何故そんな呆れ顔を向けられるか分かったものではない。分からないが、兎に角ユーリが仲間の事を覚えていた状況は芳しくない、とばかりに小さく舌打ちを漏らした。
「あいつらか……法に則って裁かれたよ」
嘘ではない。事実、『武器の不法所持』と言う法律に則って罰金刑に処されているのだ。
「んじゃ、押収した武器はどうなった?」
片眉を上げ挑発するような表情のユーリに、リンファが「そ、そんなもんアタシが知るかよ」と視線を逸した。
未だサイラスやクレアは辿り着いていないが、ユーリは押収した武器をリンファがブラックマーケットに流しているのでは、と睨んでいる。
その理由は一つ。
つまり、
それ故即日で彼らが釈放されなかったとユーリは見ている。今のところユーリの想像でしかないが、リンファの反応を見るに、武器を流しているのは間違いなさそうだ。
視線を逸したリンファを暫く見ていたユーリだが、「知らねーって」と呟くリンファに「そうかよ」とだけ答えて再び椅子をグラグラさせ天井を仰いだ。
そんなユーリを横目で盗み見たリンファが小さく溜息を吐いた。どうやらユーリの追求を躱せたとでも思っているような安堵の溜息だが――
「それにしても最近のスラムは金があるんだな」
天井を仰いだままのユーリの言葉に「は?」とリンファの間抜けな声が響いた。
「何の話だよ?」
唐突な話題転換についていけない、とばかりにリンファが身体ごとユーリに向き直るが、ユーリは相変わらず椅子をグラグラさせて天井を見たままだ。
「そりゃあのヨゴレ達の事だろ。金持ってんだなって」
顔だけ天井に、視線はリンファへ――まるで見下ろすような形のユーリとその意味深な言葉に、リンファが顔を盛大に顰めた。
「金なんかあるワケねーだろ! 金があったらアタシが――」
思わず口をついた言葉に、リンファがハッとしてその口を噤んだ。
「金があったら……なんだ?」
いつの間にか椅子を揺らすのを止めたユーリが、机に乗り出すようにリンファへと詰め寄った。
「か、金があったら……あ、アタシがもっと罰金を取れたのに……って」
シドロモドロのリンファを見たユーリが口の端を上げ「ふーん」と乗り出していた身を再び椅子へと戻した。
「別に武器の横流しくらいなら問題ねぇだろ? 隠すことか?」
呆れ顔で椅子を揺らすユーリの言葉にリンファの肩がビクリと跳ねた。
「な、なんでアタシが武器の横流しなんかしねーといけねーんだよ!」
叫ぶリンファだがその声は緊張のせいか少々上擦っている。リンファ自身その声の拙さに気づいているのだろう、苦虫を噛み潰したような声で「ん、ンン」とワザとらしい咳払いでそれを誤魔化した。
「さあな。勘だ」
それ以上は何も言わない、とばかりに再び椅子を揺らすユーリ。今の反応を見るに、リンファはスラムの懐事情は関知していないのだろう。
それにしても、よくよく考えればあれだけ大量の武器を仕入れられるのに、
と、なるとスラムが小金持ちなのではなく、やはりバックに何かしらの組織がついていると見た方が無難だろう。武器を供給するだけの組織が。そう思ったユーリが
「あんなに大量の武器が出る事って今まで会ったのか?」
「いや、一ヶ月くらい前に一回あったな……」
弱々しく呟くリンファに「ふーん」とだけ答えてユーリが再び椅子を揺らし始めた。考えてみたが今のところ「良く分からん」というのが正直な感想だ。加えて「どうでもいい」という思いもある。
普段は真面目一徹で、事あるごとにユーリを小突くリンファを誂うのは楽しいが、それだけだ。
正直何処で誰が悪巧みしていようが、今のところユーリの目的には全く関係ないのだ。好きにしてくれ、と言ってもいいだろう。
考える事が面倒になったユーリが小さく溜息をついて口を噤んだ。
再び訪れた沈黙だが、ユーリをチラチラと見るリンファは何かが気になっているかのように、口を開こうとしては閉じを繰り返している。
漸く意を決したのか――
「なんで……なんでスラムの連中が金持ってるって?」
――おずおずと口を開いた。その様子から本当に彼らが小金持ちだとは知らないらしい。いや、今は小金持ちなのかバックに誰かいるのか、ユーリも分からないのだが……
興味の失せた話題を振られ直したことで、面倒さが勝ってしまったユーリが眉を寄せた。
「ブラックマーケット」
「は?」
椅子を揺らしながらぶっきら棒に単語だけ発したユーリに、リンファが苛立つように眉を寄せた。
「相場が上がってんだと。ブラックマーケットのな」
椅子を揺らすのを止めたユーリに、「それが?」とリンファが再び眉を寄せた。
「あのな……あいつらの粗悪品。どう考えてもブラックマーケット経由の横流し品だろ?」
吐き捨てたユーリが、「あとは自分で考えろ」と面倒さを前面に押し出した。
横流し――本来は破棄されるべき武器がブラックマーケットに流れる。それは旧式の装備であったり、各メーカーが設定する基準未満のB級品だったり、試作品だったり。兎に角そういった物が往々にして流れ着くのがブラックマーケットだ。
クーロンの住人も、そこに武器を提供している組織も、そのブラックマーケット経由で武器を仕入れているだろう事は想像に難くない。そこの相場が上がっているという事は、もちろん武器の値段も相対的に上がっている。
それに気づいたのだろうリンファが「そんな事……」と考え込むように呟いている。
「あいつらが小金持ちって分かっただ…ろ……お、おぉ?」
眉を寄せてと鼻を鳴らしたユーリが何かに気が付き、尻すぼみで自信なさげに疑問形になった。
「ナルカミ?」
眉を寄せるリンファの前で、ユーリが一点を見つめて考え込む。
そもそも何故ブラックマーケットの相場が上がっているのか。
そんな値上げの激しい場所で、何度も武器を買うだろうか。
バックに誰かがついているとしたら――
そこまで考えたユーリだが「駄目だ。眠てぇし、やる気が出ん」とその首を振って考えを霧散させた。今の状態であまり興味が湧かない事を考え込めば、夢への入口を潜り抜けるのは間違いない。そうなればまた鉄拳制裁だ。それに――
「好きにやってくれ。俺に迷惑が掛からねぇ程度に、な――」
――ユーリとて脛に傷があるのだ。ユーリやその周囲に火の粉が掛かるなら全力で叩き潰すが、そうでないなら脛に傷のあるユーリが正義感を振りかざすのは違う気がしているのだ。
ユーリの見透かすような視線から逃れるように「だから知らねーって」とリンファが顔を背けた。
逃げるように視線を逸したリンファだが、それをユーリが追求することはない。今のところ考えるだけ無駄だろう、と思うのと……そしてそれ以上に――
(罪悪感……感じるくらいならやるなよ……なんて軽々しくは言えねぇわな)
リンファの様子に、そもそも自分に関係ないのにこれ以上リンファの罪悪感をイジるのは止めとくか、と訳知り顔でリンファを暫く見るだけで、小さく笑ってその視線をリンファから外した。
それでもリンファは背中を伝う嫌な汗を感じずにはいられなかった。ユーリがリンファのやっている事を知っている。ということに勘付いたリンファだが、「どうやって。誰から」と問いただすような事は出来ない。それをしてしまえば自ら認めるような事になるからだ。
既にユーリは興味を無くしたとは知らず、今はただこの嵐のような時間が過ぎ去るのを静かに待つしか出来ないのだ――
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