第55話 祭りが始まるまで我慢できない奴もいる

 ユーリが門の警備をなんとかやりきってから早十日――数日前までは上層の至るところでが発見されたと騒がしかったイスタンブールだが、そのニュースも今はピタリと止み、ここ数日は穏やかな日が続いている。


 もちろん今も上層では軍の関係者が変死体の原因と、それの容疑者を追っているという事だが、ユーリからしたら「頑張れ」としか言いようがない。


 何でも死体がグズグズに溶けてしまい、誰なのかすら判別出来ない程らしく捜査は難航しているのだとか。


 実際はナノマシンの有する細胞に、宿主の体細胞が耐えきれず自壊した現象なのだが、今のところそこに辿りついてはいない。


 その理由の一つとして、能力者というが大きい。様々な能力を有する能力者がいるため、『人を溶かす能力』を有している者がいてもおかしくない、と架空の容疑者が作り上げられている。


 もう一つの理由として、この時代では『異形細胞に耐えられず自壊する』という現象が、あまり知られていない事が挙げられる。文献にその様子が僅かに残るだけで、そういった現象がある事を正しく理解している人間が少ないのだ。


 【人文】による徹底した管理の下で、ナノマシンが投与されるため、そもそも事故の絶対数が少なく、ここ一〇〇年は起きてすらいない。それはもちろんモグリも同様だ。モグリとて必ず投与前には己の身体に適するかの簡易テスト――パッチテストのようなものだが――くらいは受ける。


 荒くれ者、社会不適合者の集まりがその辺りを疎かにしないのは、下手すると死ぬという事だけは広まっている為である。どう死ぬかは伝わっていないが、適合の有無を調べる重要性だけは理解し結構厳重に管理していたりする。


 正規、モグリ問わず徹底したナノマシン投与前の検査。その恩恵が思わぬ弊害となってこのような形で出ているのだ。


 様々な要素が絡み合い、未だ原因も容疑者も掴めない上層は慌ただしいままなのだが……それに比べここ数日の下層は穏やかなものだ。


 それを表すように、いつも通りの賑やかで穏やかな夜に差し掛かる大通り。近付いてきたイスタンブール奪還祭に浮足立つ人波の間を、ユーリはリンファと歩いていた。


「もうちょっとで、お前の衛士も終わりだな」


 落ちてきた陽に灯りだす明かり。それを眺めて感慨深げに呟くリンファの横で「やっとか」とユーリも嬉しそうな声を上げた。


 ユーリに痛めつけられたリンファ分隊のメンバーであるが、彼らがあと一週間程で復帰出来るのだという。


 リンファとしては苦労させ続けられたし、何より自分の悪事を勘付かれている以上、ユーリとは一刻も早く離れたいと言ったところか。そういう気持ちもあるのだろうが、少し寂しげに見える表情は、何だかんだで楽しかったのかもしれない。


「漸くこのダサい格好ともおサラバだな」


 アーマーギアを叩くユーリだが、そのにユーリが犯罪者やその予備軍相手に、やりたい放題やっていた事をリンファは良く知っている。それでもジト目で「良く言うよ」とボヤいただけに留まった彼女は、最早諦めているのだろう。


 そんな緩んだ空気を引き締めるように、咳払いをしたリンファがユーリへ向き直り


「とりあえず今日のも終わりだ。明日からも気を抜くなよ」

「へーへー。わーってる――」


 面倒そうに答えていたユーリが、一瞬眉を寄せ通りの向こうへ視線を投げた。リンファがそれに倣って視線を向けると、そこには一人の女性。


 桃色の髪に黒いマント、ベレー帽からチョコンと覗くアホ毛は――カノンだ。


 大通りの車線を挟んで、ユーリ達より少し後ろで元気よく手をふるカノンは、どうやらユーリを呼んでいたのだろう。格好からして荒野帰りと言った所か。ここ数日はユーリ無しのソロで、食材集めやイスタンブール周辺でのモンスター退治に性を出していると言っていたので、依頼の帰りで間違いはなさそうだ。


 久々に見るカノンの姿にユーリが「個人名を大通りでだな……」とボヤきながら手を挙げれば、嬉しそうに笑ったカノンが車両を避けながらチョコチョコと駆けてきた。




「お勤めご苦労さまです!」


 敬礼をするカノンに、「やめろ。それは何か駄目な感じがする」とユーリが「シッシ」と手を振った。まるで旧時代の反社会勢力の出所かと思われるような挨拶に、ユーリは苦笑いだ。


「今お帰りですか?」

「ああ。お前もか?」


 ユーリの言葉に「はい」と元気よく返事をするカノンは、街灯の光に負けないくらいの輝く笑顔だ。最近はソロでの活動が主だったので、何だかんだバディであるユーリとの遭遇は嬉しいのだろう。


「最近は割の良い依頼ばかりでホクホクです!」


 ……違った。満面の笑みで「混雑してる依頼ボードも何のそのでしょう!」と続けるカノン。ユーリお荷物が居ないことで、朝の依頼争奪戦を上手く勝ち抜けているようだ。


「ほー。そりゃ良かったな」


 暗に「お前が居なくて楽だ」と言われたユーリの額に青筋が一つ。その表情を見たカノンが「何故にお怒りで!?」と怒りに震えるユーリから若干距離を取った。


 そんな二人のやり取りを黙って見ていたリンファだが


「ナルカミ……」


 ユーリの肩を叩き、カノンへとチラリと視線を向けた。……要は紹介しろと言ったところだろう。


わりぃリンファ、こいつはカノン。一応ハンターやってる時の俺のバディだ」


 リンファに向けてポカンとした表情のカノンを紹介した。あまりにも間抜けな表情に、リンファが「ハンター?」と眉を寄せる程に――


「ハンターだぜ。一応ブロンズランクの、な」


 ユーリが肩を竦めて見せれば、リンファが「マジかよ……こんなチ――」と思わず「チンチクリン」と口走りそうになっている。当のチンチクリンブロンズはと言うと――


「カノン・バーンズです! ブロンズランクハンターです」


 と何故かドヤ顔で胸を張り、そこから見えるタグを強調している。


「……マジかよ……」


 呆気に取られるリンファに、「多分お前より強いぞ」とユーリが苦笑いを見せれば、「嘘つけって」とリンファが勢いよく振り返った。


「斧一本で巨大蟹を叩き潰すくらいだからな」


 ユーリの苦笑いに「素手で倒すユーリさんに言われたくありません」とカノンが頬を膨らませる。


「何はともあれ、衛士のバディさんですよね? ユーリさんがお世話になってます!


 リンファに向けて敬礼をするカノンに、腕を組んで苦笑いを浮かべたリンファが口を開く。


「リー・リンファだ。世話ってーより、苦労はさせられてるな」


 そのまま肩を竦めるリンファに、「ユーリさんですからね」とカノンが意味深に笑った。笑い合う二人に、ユーリが「そりゃどういう意味だよ」と頬をヒクつかせながら口を開けば、


「そんままの意味だ」

「でしょう」


 と息ピッタリでユーリに溜息を返した。あまりにも完璧な連携に一瞬ユーリがたじろいだ。


 二人と一人の行き先は、衛士隊の本部とハンター協会。奇しくも同じ方向だと誰ともなしに目的地へと向けて歩き出した。


「そういや割の良い依頼って、今日も食材集めか?」


 前をリンファと二人で歩くカノンにユーリが問えば、


「いえいえ。今日はちょっとした雑魚退治と後は――」


 振り返ったカノンがデバイスを起動して今現在受けている依頼をユーリへと見せた。


「んだこりゃ……『クズ素材の引取り』だぁ?」


 素っ頓狂な声を上げるユーリに、カノンとリンファが顔を見合わせが小首を傾げた。


「どうしたんだよ? 別に珍しくはねーだろ?」

「そうでしょう。出されるお宝案件ですよ!」


 そう言われてみたら、以前受注済み依頼を見ていた時に、同じような依頼があったな、とユーリが思い出し


って、前もなかったか?」


 カノンへ視線を向けると、「そういえばそうでしたね」と腕を組んで唸り始めた。


「別におかしくねーんじゃねーか?」


 そんな二人に呆れ顔を向けるのはリンファだ。


? なら企業にとってもハンターに依頼した方が割安だろ」


 溜息を付くリンファの言葉に「確かにそうですね」とカノンが頷き、ユーリもそんなものかと降って湧いた疑問を打ち消した。


 リンファが言っているのは、依頼がだと言うことだ。仮にブラックマーケットが素材を一〇〇円で購入し、その倍の二〇〇円で売ってるとしたら、企業からしたらハンターに直接一五〇円で頼んだほうが割安である。

 ハンターとしてもブラックマーケットに売るより割高で買って貰えるので、両者ともに得な取引なのだ。


「まあ何にせよ楽に金が稼げるなら――」


 そこまで口にしたリンファが、「何だ? やたら騒がしいな……」と視界に入った衛士隊本部を睨んで呟いた。リンファの言う通り、いつもの衛士隊本部と比べるとやけに煩い。具体的には衛士以外の住民が、入口から中を伺うように詰めかけているという具合だ。


「なんかあったな」


 何故か口の端を上げるユーリに「トラブルを喜ぶ……流石です」とカノンがウンウン頷いた。


「カノン、ちっと行ってくるわ」


 そう言うと「行くぞ、リンファ」と呆けるリンファの肩を叩いて野次馬へ向けてユーリが駆け出す――背中に「トラブルを大きくしたら駄目ですよ!」とカノンの忠告を聞きながら。




「ちょっとゴメンよ。通してくれ」


 長身のユーリが声を出しながら人混みへと割って入ると、自然と道が出来ていく。その道中で「なあ、あんちゃん?」と良く分からない言葉を掛けられるが、「大丈夫だって」とユーリは取り敢えず笑って返していく。


 正直何が起きているか分からないが、住民が「大丈夫か?」と聞きたくなる程の自体が衛士隊に起きているのだろう。通常であれば「知ったこっちゃない」と言いたいところだが、あと一週間とは言えユーリも衛士だ。


 望む望まざるに関わらず、その身分にいる以上、己の領分に手を出してくる輩にユーリがすることは一つ――というシンプルな選択だけ。


 間違いなくユーリが得意とすべきトラブルの予感に、人混みを割って進むユーリの足も早くなる。そうして辿り着いた衛士隊の本部内は騒然としていた。


「誰か!」

「とりあえず応急処置だ」

「ポーション持ってる奴はいないか?」


 そこかしこで上がる声は、どれもこれも似たりよったり、誰かが怪我をした事だけは確実に分かる。


「……お前がうちの奴らをぶっ飛ばした時みたいだ」


 隣で呟くリンファに「へー」とだけ口にしたユーリが近くを通った男の肩を掴んだ。


わりぃ。今帰ったばっかでよ。何があった?」


 ユーリを見た男は一瞬だけ「テメーは」とムッとした表情を浮かべたが、直ぐにそれを引っ込めた。


「クーロンでまた違法武器が見つかったんだ」


 その言葉にリンファが「嘘だろ?」と目を大きく見開き、ユーリを押しのけるように男の両肩を掴んだ。


「いつ、どこで!?」


「つ、つい二時間程前だよ。それで押収の応援に分隊が一つ向かったんだけど」


 言いよどむ男に「それで?」とリンファの手に力が入る。


「リンファ、落ち着け。コイツを詰めてもどうしようもねぇだろ」


 ユーリに肩を叩かれ、漸く自分の行動を省みたリンファが「す、すまねー」と男の両肩から手を放した。


「それで? 武器が見つかって、応援が出て……どうなったんだ?」


 リンファと男の間に割って入るようにユーリが口を開けば、


「計二分隊、六名がクーロン地区の住民数名に囲まれて……」


 その言葉を聞いたリンファが「嘘だろ」と力なく呟けば


「嘘だと思うなら、待機室見てこいよ。六人ともボロボロだ」


 その言葉を聞いたリンファが「くそ!」とだけ叫ぶと入口の大扉を激しく開いて飛び出した。


「おいリン――」


 振り返り叫んだユーリだが、取りあえずはと男性へと向き直り「忙しかったのにわりぃな」とだけ言ってその肩を軽く叩いて大通りへと消えたリンファの背中を追うように駆け出した。



 イスタンブール奪還祭まであと三日。人類最前線の都市にあった僅かなヒビ割れが、大きく音を立てて世間の前に現れた瞬間だった。

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