第43話 おおっと、今更自己紹介かよとか言ったら駄目だぞ? タイミングが無かったんだよ。
壁の外は薄曇りなのだろうか。いつもと同じ時間でも未だ薄暗い路地裏で、一つの扉が開いた。
「……チッ、曇りかよ。テンション上がんねーな」
扉を開けたまま壁の向こう、明り取りの柵を睨んだユーリに、
「晴れても曇っても駄目なら全部無理じゃない」
と眠たげな目をこするのはリリアだ。
店が終わるのは日が変わる頃なので、そこから寝ていればそんなに眠そうな顔にはならないはずだが……。
そんな謎に眠たそうなリリアを振り返ったユーリは「雨の日があるだろーが」とジト目で振り返るも……「雨はもっとねーな」と溜息とともに肩を落とした。
今までモグリとして好き勝手な時間に活動していたので、ここ数日の早起きが辛いだけなのだが、それを口にすることはない。
正規のハンターは朝から割の良い依頼を厳選するため、朝が強いのがデフォルトなのだ。
とは言えコレも慣れていくしか無い、と覚悟の息を吐いたユーリに「今日も衛士のお仕事?」とリリアが再び欠伸を噛み殺しながら口を開いた。
「いんや。今日は休みだ」
と首を振ったユーリが「眠いなら寝とけよ」と苦笑いを返している。
本来なら今日も衛士隊のシフトに組み込まれていた筈だが、急遽休みになったのだ。
ユーリが違法武器を大量に発見し持ち帰った事で、他の衛士達が目の色を変えて件のスラム――クーロン地区――への巡回強化に名のりを挙げたのだとか。
とりあえず正規メンバーを優先させてくれと、ユーリの目の前に休みが転がってきたのだ。
「あなたが行ったら寝る――って、え? 今日は休みなの?」
聞き返すリリアの顔は、一気に目覚めたと言わんばかりに驚きに満ちている。
「休みっつっても、衛士の方だぞ? 普通にハンター業はあるからな」
溜息をついて振り返ったユーリが、「じゃねーと早起きなんてしねーよ」と続ける。
ユーリとしてはラッキーな休みであるが、今は兎に角先立つものがない。故に急遽出現した休みは貴重なハンター業の時間なのだ。
「ふーん」
ユーリの目の前で何か言いたげに、リリアは人差し指で髪の毛をクルクルと弄リ始めた。
「そう言えば、あなた朝とか昼のご飯ってどうしてるの?」
「どうって……適当に屋台で買って食うだけだな」
唐突な質問に眉を寄せるユーリに、「ふーん。そうなんだ」とリリアが視線を逸らしたまま髪を弄り続けている。
何か言いたげな雰囲気だが、あまり時間がない。早く行かねば割の良い依頼を逃してしまう。と
「んじゃ行ってくるぞ。お前はもう少し寝とけよ」
そう言い背を向けるユーリに、「分かってるわよ」とリリアが手を振った。
とりあえず急ごうと、一歩踏み出したユーリの背中に
「あ、ユーリ君、待って――!」
かけられた声にユーリが立ち止まり振り返った。
視線の先には、リリアの向こうからパタパタと駆け寄ってくる一人の女性。
リリアと同じエプロン姿だが、リリアとは違う白髪の混じった茶髪とくすんだ緑の瞳。
少し丸みを帯びた顔と、お世辞にも長いとは言えない手足は、ふくよかな身体と妙にマッチして愛嬌がある雰囲気だ。
リリアの母親を名乗る女性だが、マフィアの言を信じると血が繋がっていないのだとか。
だがユーリの感想としては「似てるな」の一言に尽きた。
人の良さそうな笑顔。コロコロと変わる表情。顔に刻まれたシワから苦労してきた事は伺い知れるが、それを人に見せない芯の強さ。
初めて母親だと紹介された時に「そっくりじゃねーか」と言うユーリに、どこか嬉しそうにしているリリアと「当たり前じゃない」と笑いながらユーリの肩を叩く女性。その二人の様子に、ユーリは少しだけ羨ましさを覚えていた。
そんなリリアの母が「間に合った」と満面の笑みで
「これ持っていって――」
差し出してきたのは、一つのランチボックスだ。
それを見たリリアが「え? ちょ――」と慌てているがリリアの母は気にせず続ける。
「愛情たっぷりだから、お昼にでも食べてね」
愛嬌たっぷりにウインクするリリアの母に
「おお! ありがてー! いただきます女将さん」
恐らく初めてかも知れない。ユーリが人に向かって頭を下げ、嬉しそうにランチボックスを
「いやー今日はいい日になりそうだぜ! 太陽も顔を出したっぽいしな」
鉄柵の向こうで青に変わった空を見上げ、意気揚々と店、もとい仮の住まいをユーリは後にした。
小さくなっていくユーリの背中を見ながら
「ちょっとお母さん。なんであのランチボックス渡しちゃうの?」
リリアがボヤいた。
「いいじゃない。折角作ったんだし。愛情たっぷりは本当でしょ?」
茶目っ気たっぷりに笑うリリアの母と
「あ、愛情なんて入ってないわよ。ただの練習だし」
慌てるリリアをプレートの際から僅かに差し込んだ太陽の光が、キラキラと照らしている。
☆☆☆
「おはようございます! 急な休みとは……衛士隊は大丈夫なんですか?」
ハンター協会の前で待ち合わせていたカノンが小首をかしげた。
ユーリはようやくチームの一員であるカノンと連絡先を交換したのだ。
ちなみに今連絡が取れる知り合いは、カノンの他はリリアとヒョウだけという対人スキルの低さだが、ユーリ本人は気にしていない。
「まーな。色々あるんだろ」
片眉を上げ真向かいに鎮座する衛士隊本部を眺めるユーリ。
その視線の先で何人かの衛士が本部から出てきてバラバラと街へ散らばっていく。
「まあでも、最近は平和ですしね」
ユーリと同じように衛士隊の本部を眺めながらカノンが呟いた。
カノンの言う通りここ数年、衛士隊の出番があったのは、ユーリのトラブルを除けばレオーネファミリーの代替わり抗争くらいだ。
街へ襲来するモンスターへの対処。
流れ者のモグリが起こす犯罪。
マフィア同士の抗争。
それらに追われていた数年前と比べると、今のイスタンブールは平和そのものなのだ。
その平和に胡座をかいてはいけない。と危機感を募らせているのは、サイラス支部長やゲオルグ隊長くらいのものだろう。
「平和…ね……嵐の前の静けさってだけだろ」
呟くユーリの言葉に
「え? なんですか?」
カノンが小首を傾げるが、ユーリは「何でもねーよ」とベレー帽から覗くカノンのアホ毛を指で弾くだけだ。
そのままハンター協会へと入っていくユーリを後から追いかけるカノン。
「今日はどうするんですか?」
「さーな。依頼次第――ゲッ」
口を開いたユーリの目に飛び込んできたのは、今日も大盛況な依頼
「これまた今日も凄い人ですね」
まだ近づいてもいないのに、背伸びをして人だかりの向こうを覗こうと頑張るカノン。
「もしかして毎朝これなのかよ」
人が多い時は近づくな、と厳命されているユーリにとっては結構な死活問題である。
いい依頼というのは早いもの勝ちで、時間が立てば立つほど面倒かつ割安な依頼しか残らなくなる。
チラリとカウンターに目を向ければ、高ランクのハンター達が余裕そうな表情で事務員相手に打ち合わせの真っ最中だ。
その中にエレナの姿もある。何時ぞやの路地でエレナの後ろに引っ付いていた三人の男女も一緒だ。
ユーリの視線に気づいたエレナが、ユーリをチラリと振り返り片手を挙げ、ユーリの方へと歩いてきた。
歩いてくるエレナの後方で事務員がユーリに向かって微笑む。
クレアだ――ユーリの記憶ではオペレーターの統括であり、サイラス支部長の右腕的存在だが、どうやら普段は支部の職員として働いているようだ。
エレナとクレアという組み合わせを見たユーリが口を開く。
「また悪だくみか?」
「悪だくみとは人聞きが悪いな。普通に依頼の打ち合わせ中だ」
ジト目のユーリに、笑いかけるエレナ。
「君たちの方は――ああ。順番待ちか」
ユーリからボードに視線を移したエレナが「大変だな」と言う雰囲気を隠さず苦笑いで肩を竦めた。
「ジジイのせいでな……」
揉め事を起こしたのはユーリなのだが、近づくなと厳命される程のことではない、とユーリ自身は思っている。
「それは君が暴れるからだろう? 私のチームメンバーも見ていたと言うが中々の――」
笑いながら話すエレナが何かに気づいたように、後ろを振り返り男女三人を手招きで呼んだ。
「そうだ。紹介しておこう――私のチームメンバーのフェン、アデル、ラルドだ」
「フェンだ…リーダーから話は聞いてる」
あまりいい話ではないのだろう。少し憮然としたままの男性が口を開いた。
鉢巻のように巻きつけられた長いバンダナ。
後ろで一纏めにされた長い茶髪と、海のように蒼い双眸。
短いジャケットにタンクトップ。ブーツと柔らかい素材のパンツと、動きやすさを重視したような格好だ。
ユーリを一頻り見て、「フン」と分かりやすく鼻を鳴らすフェンの頭を抑える一人の女性――
「アデルでーす! エレナさんから話は聞いてるよー」
そのまま口を開いた女性は、「ごめんねー。照れてるだけだから」と人懐っこい笑みを浮かべてみせた。
赤橙色の頭髪と琥珀のような瞳。
女性としては全体的に短い頭髪、その中でも極端に短い前髪が、綺麗な額と大きな瞳をより魅力的に見せている。
スレンダーな体型を守るのは丈の短いパーカーと、その中のタンクトップ。
下はホットパンツにブーツ姿と、カノン並にどこを守っているのかと言いたくなる格好だ。
エレナには及ばないが美しい女性なのだろう。
エレナが落ち着いた美人だとするなら、アデルという女性は活発な美少女という雰囲気である。
「誰が照れてんだよ!」
「アンタでしょ!」
ユーリそっちのけで喧嘩を始める二人を、エレナは微笑ましく、そして残った最後の男性は――オロオロと喧嘩とユーリを見比べている。
おそらく喧嘩を止めようか、自己紹介をしようか、と言う葛藤なのだろう。であればとユーリが助け舟のように「んで、アンタは?」と喧嘩など気にせず男性に声をかけた。
「ラ、ラルドです。エレナさん同様お世話になります」
ユーリの言葉で、丁寧に頭を下げた青年。
短く坊主頭に刈り込まれた灰色の髪の毛と優しげなブラウンの瞳。
身長はユーリよりも高い。集団の中でも頭一つ抜けそうな身長に、ガタイの良い身体。恐らくガチンコでゲオルグ隊長と打つかり合えるほどの体格だ。
身にまとった装備は、衛士隊が装備しているようなアーマーギアを更にゴツくした様相だ。
とはいえ動きにくそうな雰囲気はない。
胸や腕、太ももといった柔らかい部分は分厚い装甲で覆い、関節部分は動きやすそうな素材で守られている。
機動性のあるタンクと言った雰囲気だが、この時代のハンター達の戦い方を考えると過剰防衛にも思える装備だ。
話し方からみても少々臆病な性格なのだろう。
三者三様の自己紹介を受け、口を開いたのは――
「カノン・バーンズです! 皆さんの事はよく知ってます!」
まさかのカノンだ。
そんなカノンの自己紹介に、その場にいた全員が「うん、お前のこともよく知ってる」と恐らく最初で最後になるであろう心の声の合唱を果たした。
暫し流れる沈黙に――
「ユーリ・ナルカミだ。どんな話を聞いてるかしらねーが、経歴が長いだけのアイアンだ。さっさと昇格してーから、なるべくトラブルは避けててな」
面倒そうに頭をかくユーリだが、続く発言――
「だからちょっかい出さねーでくれ」
その内容にフェンの眉毛がピクリと動いた。
「その発言だと、俺らがお前にちょっかい出したら、トラブルになるって聞こえるんだが?」
アイアンランクのペーペーが自分たちとトラブルを起こせると思っているのか? そういう雰囲気を隠さない威圧的な態度だ。
「そりゃトラブルになるだろ。相手が誰だろうと、ムカつくならぶん殴る。男なんだ。当たり前だろ」
フェンの威圧的な態度に眉一つ動かさないユーリ。それどころか「お前何いってんだ?」と言う雰囲気を隠そうともしない怪訝な表情だ。
そんなユーリにカノンは
「常に相手を煽りトラブルを引き寄せる……さすがでしょう」
と何故か納得してウンウン頷いている。
「いい度胸だな――」
「フェン。止めておけ」
腰を落としたフェンを制したのは、エレナの静かな一言だった。
「止めてくれるなリーダー」
「止めておけと言っている。ミスリルの君がこんな所でアイアンと揉めるのか?」
その言葉にフェンはバツが悪そうな表情に。
逆にユーリは「へーミスリルか楽しめそうだな」と好戦的に笑う。
「ユーリも止めておけ。君もフェンも今は昇格を控えた大事な時期だろう?」
大きく溜息をつくエレナの声で、ユーリも「チッ」と短く舌打ちを漏らした。
「どうしても……というのであれば後日私が立会のもと決闘でもさせてやろう」
笑顔のエレナに、ユーリもフェンも今回は仕方がないという具合にお互いの目を見つめる。
「覚えとけ。その鼻っ柱叩き折ってやるぜ」
「その他大勢の事なんか覚えてられるか」
最後まで相手を煽り続けるユーリに、
「君というやつは――」溜息の止まらないエレナ。
「やっぱこうなるよねー」と苦笑いのアデル。
「喧嘩よくないよ」とオロオロするラルド。
そして――「さすがユーリさんでしょう!」笑顔のカノン。
額に青筋を浮かべたフェンが、ユーリに盛大にメンチをきり、クレアのいるカウンターへと戻っていく。
それについて行くようにアデルやラルド、そしてエレナも、それぞれユーリとカノンに手を振りカウンターへ。
その背中を見ながら、ユーリが盛大な溜息をつき
「何もしてねーのに絡まれてばっかだぜ」
「それ、本気で言ってます?」
カノンをしても突っ込まざるを得ないユーリの発言はホールの喧騒に消えていく。
「つーか依頼、さっさと選ばねーと」
ユーリの視線の先では既に人が少なくなり、よく見えるようになったボード。
その状況にユーリは大きく溜息をついた。
どうやら割の良い依頼は残っていなそうだ。
朝に渡された
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