第37話 ちゃんと友達がいると何かホッコリする

 衛士隊の本部を後にしたユーリの耳に、『ほへー』とカノンの間抜けな声が響いた。


 サテライトは仕舞ってあるが、イヤフォンは生きたままだ。恐らくそれで先程までのやり取りを、聞いていたのだろう。


『なんとも偶然ですね』


 カノンの感想にユーリも「そうだな」と頷くくらいしか出来ない。


 ユーリの前に現れたリー・リンファと名乗る女性。


 彼女はあの日、ユーリをらしい。


 門の防衛には二分隊、六名で当たるのが基本らしいが、あの日彼女はたまたま、防衛任務の昼夜交替前に捕らえた犯罪者を連行していたのだという。


 本来なら別の隊員を呼んで任せるべき事案だが、当時近くを中のはずだった分隊がサボっていたのか掴まらず……結局その場で待機するより、直接連行した方が早いとリンファが一時離席している間に起きた騒動だったのだ。


 リンファの分隊はメンバーがいないため、ユーリは明日の朝から早速リンファと共に、衛士隊の任務に当たらねばならない。


 勿論毎日ではないが、それでも面倒さを隠せないユーリの耳に


『明日の私はお休みですね!』


 嬉しそうなカノンの声が届いた。


 走り抜けた車を横目に「お前は気楽でいいよな」と呟いたユーリが、大通りを横断する――真ん中でもう一度止まり、車をやり過ごしてハンター協会の目の前に。


『いえいえ。これでも色々大変なんですよ?』


 カノンの非難を「へーへー」と聞き流しながら、ユーリはビカビカと昼間でも輝くネオンの看板を無視して、協会ビルの脇へと足を向けた。


 向かう先は、ハンター協会裏手にあるシャワールーム入口だ。


 これから不動産屋に行く前に、埃まみれにされた身体くらい綺麗にしていきたいのだ。


 通りを歩く人々がチラチラとユーリを振り返る事からも、あまり褒められた格好ではないのは事実だろう。


『明日はユーリさんと違って、朝から――』


 そんなユーリの状況など知らぬ、と言った具合に始まるカノンの予定演説。それに苦笑いを浮かべたのは一瞬、ユーリの眉がピクリと動き、イヤホンを軽く押さえた――


「カノン、わりぃが来客だ」

『来客――?』

「また後で連絡する」


 そう短く言うとユーリは一方的に通信を切った。




 通りを一陣の風が吹き抜ける――


「よお……たぁ珍しいな」


 ユーリは視線を動かすこと無く声をかけた。


 いつの間にか通りを行く人は消え、少し肌寒さを感じさせる風が再び通りを駆け抜ける――


 ハンター協会の裏手とは言え、そこまで狭くない路地。普段は人通りもあり、ビルの谷間と言えど、グレーチングから漏れる光で昼間は比較的明るい路地が、今は夜の路地裏のように暗く感じられる。


 路地の突き当り、その向こう側に見える別の通りから光が漏れ、道行く人の影が映るが、誰も彼もこの路地に入ろうとするものはいない。


 まるで世界から切り離された空間――そんな空間に一人取り残されたユーリだが、そこに焦燥や不安の影は一切見えない。


「値打ちこいてねーで、さっさと出てこい」


 ユーリの大きな溜息が合図だったように、ユーリの後ろ側から一つの足音が近づいてきた――


「さっすがユーリ君やね。僕の気配に気付けるのんて、君ぐらいちゃう?」

「抜かせ。隠す気なんて微塵もなかったろーが」


 振り返ったユーリの視線の先には、ユーリと同じように黒尽くめの男性。


 フード付きのロングコート。

 コンバットブーツにねじ込まれた細身のパンツ。

 ゆるく首元が開いたTシャツ。


 格好だけで言えばユーリとそっくりだ。……が、


 首元にはTシャツの中にペンダントトップを突っ込んだネックレスのチェーンが、耳元には幾つものピアスが、そして頭髪も金色に光っている。


 ただ、頭髪は派手に染めてあるのだろう、刈り上げられた襟足とサイドから黒い地毛が見えている。


 笑顔かと錯覚させるほど細い目と、口角が上がったままの口。


 格好が黒いこと以外は、派手で人懐っこそうな雰囲気で、ユーリとは真逆と言って差し支えない青年だ。


「エラい男前になったやん」


 青年がボロボロのユーリを指さして笑えば、


「うっせ」


 と面白くなさそうにユーリが鼻を鳴らした。


「まあエエ判断やったと思うよ。


 まるで見てきたとでも言いたげな言葉に、「わざわざ甲斐があったな」とユーリが溜息を漏らした。


「彼らからしたら一生の記念やろね。あのユーリ君を殴れるなんて――」


 笑顔のままの青年が、ユーリに向けて瓶を一つ放る――それを掴んだユーリが


「……?」


 ジト目で青年を睨んだ。


 青年が投げたのは、いわゆる回復薬ポーションという物だ。エレナが使用した回復魔法のように重傷を簡単に癒やすものではないが、それでも痣や打ち身程度なら癒やし、大きな傷の治りも早めてくれるハンターには必需品である。……少々お高いのが玉に瑕だが。


「五万でエエよ」


 貼り付けたような笑顔で『パー』を見せる青年に、ユーリは怪訝な表情を向けた。


「お前がなんて珍しいじゃねーか」


 そのままキャップを開けて、中を飲み干すユーリに「そないアコギな事なんかせーへんよ」と青年がケラケラと笑った。



 回復薬ポーションを飲み干し、口を拭ったユーリが


「んで、何の用だ――ヒョウ?」


 瓶を隅にあるゴミ箱へと放った。


「何の用って、分かってるくせに……イケズやなぁ」


 ヒョウと呼ばれた男性がカラカラと笑う度に、両耳に付けられたピアスがキラキラと光る。


「レオーネんとこから盗ってきたヤツ。もろとこ思うて」


 クレクレと手を出すヒョウに、ユーリは「ああ、そーいやそーだった」と苦笑いを浮かべながら、ゲートに手を突っ込んだ。


 引き出される数々の調度品や武器、デバイスに「よーこんだけ盗んできたわ」とヒョウが感嘆の声を上げ、それらを物色し始めた。


 昼日中の通りで盗品を出し、それを物色する男二人――が、通りは依然暗いまま、そして遠くに見える人影はこの路地に気づかないように慌ただしく通り過ぎていく。




 しゃがみこみ、調度品の状態を調べるヒョウに


「最近はどうなんだ?」


 壁に凭れたユーリが何ともなしに声をかけた。


「んー? せやな……組織がデッカなったぶん情報も増えたけど、その分ガセも増えて大変やわ」


 調度品から目を離さず答えるヒョウ。二人の間に流れる空気は路地の暗さに反してほんのり温かい。


「敵も増えて大変やで」

「お前がアコギなことばっかしてっからだろ」


 ヘラヘラと笑うヒョウと、溜息を吐くユーリ。


「そりゃやしな」


 先程までのヘラヘラと違い、心の底からの笑い声。その声にユーリも「しょーがねーな」と言いつつ笑顔だ。


 再び調度品のチェックを始めるヒョウ。


 逆に手持ち無沙汰なユーリは、興味半分でハンター協会の裏口扉を開いた。

 ――パシュンという空気の抜けるようないつもの音。その先に広がるのは、つい半日程前に見たシャワールームへと続く廊下。


 一日中明かりが点いているはずの廊下だが、今はまるでモヤがかかったように、その光が遮られ薄暗い。

 廊下の突き当りに見えている通路からは光が漏れ、その向こうはやけに明るく感じられる。


 その明るい通路を慌ただしく通り過ぎていく職員らしき人影。

 一つ、また一つ――また一つ。

 どれもこれも通り過ぎるだけで、ユーリはおろか、薄暗くなった通路に意識を割くことはない。


「ユーリ君の方はどうなん?」


 不意にかけられた声に、路地へと意識を戻されたユーリ。


「言わなくても知ってんだろ?」


 口を開きながらユーリは、ハンター協会の裏口に突っ込んでいた顔をだした。


「そらぁ知ってるけどやな……あ、せや。アイアンランク昇格おめでとさん」


 調度品のチェックが終わったのか、立ち上がったヒョウがパンと手を叩いて笑顔を見せた。


「そーいや、そうだった! テメーのせいで大変だったんだからな。五年もウッドとか疑われてよ」


 いちばん大事なことを思い出した、とユーリは裏口の戸を閉め、ヒョウに詰め寄った。


「しゃーないやん。ホンマに予算オーバーやってんから。僕が自腹切って赤字補填してんねんで」


 そんなユーリに口を尖らせるヒョウ。


「……くっ、だとしてもだな。せめてなんだから、ちっとくらい融通きかせてくれてもいいだろ?」


 勢いを失ったユーリが、所在なさげに腕を組む。


「ダチ? ユーリ君、僕のことや思てくれてんの?」


 ポカンとした表情のヒョウ。貼り付けたような笑顔は今だけは鳴りを潜めている。


「あん? ダチじゃなかったら何だってんだよ」

「だって、ほら僕……」


 眉を寄せるユーリ。

 貼り付けた笑顔が消え去り、困ったような表情のヒョウ。


「くだらねー事言ってっとぶっ飛ばすぞ。の俺に、お前のが効くかよ」


 ユーリが大きく鼻を鳴らせば


「フフ、フフフフ。言うてくれるやん」


 そんなユーリに、ヒョウは心底嬉しそうに笑いかけた。


「せやな。僕とユーリ君は幼馴染のツレや」


 一人納得するヒョウに


「なに当たり前のこと呟いてんだよ。気持ちわりぃな」


 と毒舌のユーリだが、声音に嬉しさは隠せない。



 調度品を一つずつ自身のゲートに入れていきながらヒョウが口を開く。


……もーちょいかかりそうやわ」


 先程までのおどけた雰囲気から一転。ヒョウの真面目な声音に、ユーリは何の事を言ってるのか察した。


「構わねーよ。俺の方も時間がかかる」


 ポケットに手を突っ込んでプレートを見上げるユーリ。薄暗い路地とは違いグレーチングの隙間から見える空は真っ青だ。


「……アダマンまで行くんか――何年かかるんやろな」


 調度品をゲートに入れる手を休め、ユーリと同じようにプレートを見上げるヒョウ。


 合間の青空を気持ちよさそうに流れる雲に、二人は同じものを見ている。


「俺が本気だしゃ一年かからねーよ」


 ヒョウに視線を戻し、不敵な笑みのユーリ。


「イスタンブールが焦土になる方が早いんとちゃう?」


 そんなユーリを見ながらカラカラと笑うヒョウ。


「おま、不吉な事言うんじゃねーよ」


 慌てるユーリ。


「だってほら、まだすら使つこてないやん」


 ニヤニヤするヒョウと


「使う機会がねーだけだ」


 ブスッと腕を組むユーリ。


「そういう事にしといたるわ」

「疑ってるだろ? ホントだかんな?」


 再び調度品を一つずつ自身のゲートへ入れていくヒョウの言葉に、ユーリは慌て声を上げれば、再びどちらともなく笑い出した。




「ほな盗品は上手いこと捌いとくわ――」


 全ての調度品を自身のゲートへ入れ終わったヒョウが後ろ手をヒラヒラ振りながら、路地の出口へと歩き出す。


「ヒョウ――」


 そんなヒョウの背中へ向けてユーリが口を開いた。


「――たまには顔出せよ。上手い飯屋があるんだ。一緒に飯食おうぜ」


 振り返るヒョウはニヤリと笑い


「せやな。たまにはご馳走になりに行くわ」

「誰も奢るって言ってねーだろ!」


 二人顔を合わせ笑い合う。


「せや、ユーリ君。家さがしとったやろ?」


 ひとしきり笑いあった後ヒョウが笑顔で口を開いた。

 その笑顔に頷くユーリに


「後でお得物件の情報と、取り扱い不動産の住所送っといたるわ」


 その一言を残し、再びヒョウは路地の出口へと向けて歩き出した。


 その途中でヒョウが指を「パチン」と鳴らせば――路地を覆っていた雰囲気が霧散し、陽の光が差し込み始めた。


 通りから流れてくる人の波に、ヒョウの姿はいつの間にか紛れて消えていった。



 ☆☆☆





「おいおいおい……ここの角を曲がるのか?」


 苦笑いのまま、デバイスに表示された地図を何度も見返しているユーリ。


 そこにはつい先程の物件の位置が記載されている。


 そう。ヒョウに教えてもらったお得物件が結構な破格だったため、ユーリは内覧もせずに契約したのだ。

 住めたらどこでも良い。と言う信条のユーリだが、今回ばかりはその迂闊さを後悔していた。


 ――なぜなら。


 角を曲がった先にが見えるからだ。


 そしてデバイスに表示された地図は、間違いなくその地点を目的地として表示している。

 一瞬帰ろうかと迷ったユーリだが、既に契約金として豚退治とスライム核で稼いだお金は払ってしまっている。


 更に先方にも入居者が今から行くという連絡まで入っている。


 文無しユーリに引き返すという選択肢はない。


 意を決してについたドアノッカーを叩いた。


「――はーい」


 聞き覚えのある声に、ユーリは観念する。どう頑張っても、見間違えや似た店ということはないのが、確定したのだ。


 若干俯くユーリの視線の先で扉が開いた。そこにいた人物は――


「あれ? ユーリじゃない。まだ準備中よ?」


 


 既に傾き始め壁の鉄柵からしか姿を見せない太陽であるが、お店の開店時間には早い。そう言いたげなサファイアの瞳。その瞳に――


「不動産屋で紹介されて来た。……ユーリ・ナルカミだ」


 ――映るのは、口を尖らせ不満を顕にするユーリの顔だ。




 二人の間に流れる沈黙。



 それを破ったのは――


「…………

「こっちのセリフだ」


 リリアのジト目とユーリの青筋。


 そんなユーリのデバイスに一通のメール。


 店の前に仁王立ちするリリアを横目で見ながら、ユーリがメールを開いた――


『ユーリ君、と一つ屋根の下とかエッチやな。この僕の粋な計らいに感謝しーや? そうそう。今回の情報料は破格の五〇万でエエよ。頼まれてたやつの売値から引いとくから安心しとき。ほなまたねー』


 そのメールを見ながらプルプル震えるユーリ。おかしな様子のユーリに訝しむリリアがメールを覗き込み――「気になってる……」と呟き顔を赤らめる。


「あんのクソ銭ゲバぁぁぁぁぁぁ! 情報料が契約金の五倍もしてんじゃねーか!」


 ユーリの叫びが暗くなり始めた路地に響き渡った。その声にビックリしたようにポツポツと灯っていく街灯や軒先の明かり。


 店からの中から騒ぎを聞きつけて出てきた壮年女性とリリアの


「顔赤いわよ?」

「ゆ、夕日のせいじゃないかしら」


 と言うやり取りは、今も膝を付き崩れ落ちているユーリの耳には入っていない。

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