第38話 男子更衣室が汚くなるのは世界の真理

 ゆっくりと昇る太陽が、眠りについていた下層の街を少しずつ目覚めさせていく。


 目覚め始めた路地裏の一角。この時代では珍しい木製の扉もまた、壁から漏れる陽の光に照らされ今まさに目覚めようとしていた。


 光に照らされた扉がゆっくりと開くと、顔を出したのは一人の青年――


「うげっ、すげーいい天気じゃねーか――」


 陽の光を目にまともに受けたユーリが、光を嫌うように掌で影を作った。


「いい天気なのは良いことでしょ」


 そんなユーリの後ろから聞こえてきたのはリリアの溜息だ。


「俺は夜行性なんだよ」

「どこが夜行性よ。かいてた人がよく言うわ」


 振り返るユーリにジト目で溜息のリリア。そんなリリアに一瞬たじろぐユーリだが


一晩中マフィアと遊んでたからな……クソ眠たかったんだよ」


 ニヤリと笑った。そんなユーリの視線の先で腰に手を当て、「フー」と短く息を吐いたリリアが


「それは誰かさんがを、言ってるのかしら?」


 ユーリと同じようにニヤリと笑った。


 流石に自分が「勝手にやったこと」と言ったユーリ。


 これ以上イジる事など出来ないとばかりに「言うじゃねーか」と苦笑いをこぼすだけに留まった……どうやらリリアの方が一枚上手のようだ。


「頑張ってお家賃稼いできてちょうだい」


 苦笑いのユーリにリリアの激が飛ぶ。


 実際契約金として一ヶ月分の家賃を前払いしているユーリからしたら、耳に痛い激励だ。


「へーへー。馬車馬のごとく働いてくるぜ」


 再び壁とプレートに遮られた太陽だが、妙に暖かい路地裏へとユーリはその一歩を踏み出した。




 ☆☆☆





 朝早くから衛士隊の本部の扉を潜ったユーリを待ち受けていたのは、既に準備万端のリンファだった。


「遅い……着替えとかあるから早めに来いっていっただろ?」


 額に青筋を浮かべ、組んだ腕を指で叩くリンファに「お前が『明日の朝イチ来い』としか言わねーからだろ」とユーリは溜息を漏らした。


 ユーリの言う通り「朝イチ」としか伝えていなかったのは事実である。故に――


「……ちっ、まあいいよ。早速着替えに行くぞ」


 ――舌打ちを漏らしただけでリンファはそれ以上追求することはなかった。


 朝早くだと言うのに、大勢の隊員が行き交う廊下をリンファに連れられてユーリが歩く――


「とりあえず暫くはアタシとのバディだ。人数が一人少ないから忙しいと思ってくれよ?」


 前を向いたまま早口でリンファが言う。彼女は分隊のメンバーをユーリに病院送りにされ、その穴をユーリが埋めるのだが三人の仕事を二人で熟さねばならない。


 本来分隊は三人一組だが、誰もユーリと組みたいという人間がいないので仕方がない。


 ユーリとしても信頼の出来ない相手とチームなど組めたものでは無いので、願ったり叶ったりではあるのだが……。


「とりあえず、アーマーギアからだな……」


 リンファが一つの扉の前で立ち止まり、振り返りながら扉を親指で差した。


「……そのダセー装備を着るのか……」


 ガックリと肩を落とすユーリ。

 敵意丸出しのチームメンバーじゃないのは願ったり叶ったりだが、このアーマーギアだけは正直御免被りたい所なのだ。


「そりゃ着ねーと駄目だろ」


 リンファの呆れ顔に、諦めたユーリは扉に手をかけ中へと入った。



 扉を閉め、明かりをつければ――


「きったねーな……」


 ボヤくユーリの視線の先、床の上にはゴチャゴチャしたにしか見えない物が散乱している。


 衛士隊本部の一階。訓練場を挟んでホールの真反対に並ぶ部屋の一室。


 ここはいわゆる男子更衣室なのだろう。


 更衣室にしては広いその部屋は


 アーマーギアの部位。

 誰のものか分からない服。

 魔導銃マジックライフルのものと思しき部品。

 よく分からない機器。

 更には何時のものか分からない食べ残しまで……。


 様々なものでごった返し、足の踏み場もない――唯一壁を覆うロッカーの周りだけは通路のように奇麗な事から、普段は皆そこを歩いているのだろう。



「おーい、ナルカミ……着替え終わったか?」


 ユーリの真後ろにある扉、その外から聞こえてくるリンファの呑気な声。


 その言葉にハッとしたユーリが――


「おいリンファ! こんなもん、何を着たらいいんだよ」


 扉を開け、更衣室の惨状をリンファに見せつけた。




「……こいつはヒデーな。アタシらの方女子更衣室は綺麗なんだが……」


 あまりの汚さに、リンファも絶句。


「あっち……あのデカい倉庫みたいなの。アレに使用してない装備があるから――」


 リンファの指差す先には、屋外で使用するような倉庫が一つ。


「ゴミ置き場じゃねーか……」


 絶句するユーリの言葉通り、予備品置き場の倉庫は、汚い更衣室の中でも一際酷い。


 乱雑に装備が突っ込まれ、扉が開きっぱなしの倉庫は、床のゴミと一体化しており正直憚られる状態なのだ。


「と、取り敢えず隊長には更衣室の清掃を進言しとくよ」


 とは言え、リンファにもそれ以上出来ることはなく、哀れみの表情を浮かべ、鼻をつまんだままソッと扉を閉めただけだ。


 閉まった扉を恨めしく睨んだユーリが、再び視線を部屋の中へ――


「くそ、マジで最悪だ……荒野の方がマシじゃねーか」


 実はユーリ達のようなモグリのハンターの中には――特には――意外にも清潔を是とする人間が多い。


 確かに汚れ仕事が多く、その日暮しが多数を占めるモグリ達は、汚い路地裏で寝食をとる者が殆どだ。


 そんなモグリ達の死因の少なくない部分を占めるのが、病気に起因する。


 体調不良のまま荒野に出て、そのままモンスターの餌食になる者。

 怪我を不潔なまま放置し、感染症で死ぬ者。

 単純に病気で死ぬ者。


 如何に身体機能が向上したとて、それで病気にならないという保証はないのだ。

 能力者と言えど、病気に対しては普通の人ノーマルと変わらない。風邪も引けばお腹も壊すし、だって出来る。


 加えて、清潔であるということは


 どうしても汚いイメージのあるモグリなだけに、清潔にしているだけで指名を貰えるということも少なくない。


 護衛は勿論のこと、ちょっとした仕事の依頼でも汚く臭い人間より、清潔でいい匂いのする人間に頼みたくなるのは普通の心理だ。


 故に歴が長くなれば長くなるほど、そう言う事に気を使うようになるのだ。


 勿論、ある程度の汚れは許容できるが、それが度を過ぎたものになれば、一気に拒絶反応を起こしてしまう。


 では、ユーリはどうかと言うと……風呂を求めてマフィアに詰め寄るくらいだ。推して知るべし、と言った所だろう。


 つまりユーリが許容できる汚さ……そのラインを大きく下回っているのが、この更衣室の惨状だ。


 恐らく物をどければ、よく分からない虫が湧いているのは想像に難くない。


 とは言え、ユーリとて着替えなければ始まらないのは分かっている。だが、こんな汚い装備を身につけたくないのは事実だ。


 出来れば倉庫の奥に眠っている、ゴミに汚染されていない装備に期待したいユーリであるが、結局その行く手もゴミが遮っている。


 意を決し倉庫の前まで――足でゴミをチョンチョンと触るが、の如く積もったゴミはビクともしない。


「おい、リンファ。これしてもいいか?」


 鼻をつまんだユーリの声が部屋中に響けば


ぅ? それくらいならいーんじゃねーか?」


 リンファの面倒そうな声が、扉の向こうから響いた。


「よっしゃ――」


 リンファの許可が降りたことで、ユーリは自身のゲートに手を突っ込んで中をガサゴソ。


 出てきたのは――ガスマスクとライター。そして燃料入りポリタンクだ。


 ライターや燃料入りポリタンクは、野営の時に着火剤として使用することも多いため、普段から常備しているハンターは多い。


 口笛を吹きながらユーリがポリタンクの燃料を周囲のゴミにかけていく――


「お、良いのがあるじゃねーか」


 ユーリが発見したのは、魔石で動くサキュレーター。


 手をかざし魔力を供給すると、少し大きな音がするものの、しっかりと動いた。


「よし、これで


 笑うユーリが、サキュレータをドアの前に移動し、ガスマスクを装備すると、そのままライターをゴミの山へと――


 一気に燃え上がる室内。

 鳴り響く非常ベル。

 作動するスプリンクラー。


 換気扇のキャパを越えた黒煙が室内を一気に覆い尽くした。


 サキュレーターの後ろに立ち、その光景を「フレアリザードの胃液はよく燃えるぜ」とガスマスクの中で満面の笑みを浮かべるユーリ。


 スプリンクラーの水を物ともせず、燃料と風の力で、部屋の隅まで広がる炎。


 常人であればその熱で死んでしまうだろうが、ユーリからしたらこの程度の熱、どうということはない。


「おい、ナルカミ! 非常事態だ! 本部のどこかで火事みてーだ」


 ドンドンと扉を叩く音にユーリは


「おいおいおい大丈夫かよ。衛士隊って消防活動も担ってんだろ? 消防機関が火事とか洒落にならねーぞ」


 と白々しく返事をしている。


 未だ燃え上がるゴミを見つめるユーリの耳に飛び込んできたのは、ドタドタと扉の向こうを駆けてくる足音と――


「何をしているのである! 火元はココである」

 という聞き覚えのある「である」口調。


 それと

「ええ?! そうなのかよ!」

 と慌てふためくリンファの声。


「おい。ナルカミ! どーなってんだよ!」


 リンファがノブを回そうとするが、そのノブは固定されたように全く動かない。


「俺も何がなんだか分かんねーんだよ。急に燃えだしてよー。何か可燃性のガスでも発生してたんじゃねーのか?」


 白々しいユーリが、ノブを固定したまま扉に向かって叫んでいる。


「何だよそりゃ! さっきは――つーか何で扉が開かねーんだよ」

「俺の方も開かねーんだよなー」


 切羽詰まったリンファの声と、脳天気に間延びしたユーリの声。


「どくのである」


 リンファを押しのけ、ゲオルグ隊長がノブを回そうとするものの、そのノブは固く全く動かない。


「ユーリ・ナルカミ、扉の前から離れているのである」


 そう宣言したゲオルグ隊長が助走を付け、そのまま扉に飛び蹴り――


 ――「ドゴン」という鈍い音。


 その後に重なったのは「え?」という集まった人たちの驚いた声。


 ゲオルグ隊長の飛び蹴りを受けた扉は、思い切り凹んだだけで、外れることはなかった。


「っくぅー。流石に身体がデケーだけあるな」


 そんな扉の内側で、必死に扉を抑えるユーリが笑っている。


「……もう一度、行くのである――」


 すかさず助走をつけるゲオルグ隊長――


「よし、あらかたできたかな?」


 押さえていた扉を放し、横へと退避するユーリ。


 ――「ドゴーーン」


 大きな音とともに部屋に転がりこんできたのはゲオルグ隊長。


 既に粗方の物を燃やし尽くした炎は、スプリンクラーによって小さくなっている。


「むぅ。どうやら被害はそこまで――この臭いは?」


 部屋を見回すゲオルグ隊長が、なにかに気づいたように、扉の近くにいたユーリを見た。


「ユーリ・ナルカミ。……部屋中に可燃性燃料の臭いがするのは何故であるか?」


 スンスンと鼻を鳴らすゲオルグ隊長。



「さあ? どっかにポリタンクでもあったんじゃねーか? ゴミ溜めみたくなってたからあっても不思議じゃねーよ」


 既に燃えカスとなった、元ゴミの山を指差すユーリ。


「では、なぜ貴様はガスマスクをつけているのであるか?」

「……そりゃ、ドアが開かねーし、念の為ってやつだよ」


 慌ててガスマスクを外したユーリは、「誰かさんが一発で蹴破ってくれればなー」とゲオルグ隊長をチラチラ見ている。

 自分で扉を押さえていた人間の発言とは思えない、恐ろしい責任転嫁だが、今の所真実はユーリしか知らない。



「……では、貴様の横にある空のポリタンクは何であるか?」

 額に青筋を浮かべたゲオルグ隊長が、ユーリの真横を指さした。


 その指を視線で追ったユーリから、

「……あ……」

 漏れたのは情けない声。


 見つめ合う二人。


「……」

「……」


 流れる沈黙。


「ユーリ・ナルカミィィィィィィィィ!」




 ☆☆☆



「お前、メチャクチャなやつだな……知ってたけどさ」


  既に明るくなり活気の出てきた路地――隣を歩くリンファが、ジト目でユーリを見つめている。


「クソ……上手く行くと思ったんだが」


 そんな視線を受け流しながら、ユーリは頭に一つ出来た大きなコブを「っつー。思い切り殴りやがって」と擦った。


 更衣室が揺れているかと錯覚するほどの怒声の後、ユーリはゲオルグ隊長から特大の拳骨を貰ったのだ。


 ちなみリンファが更衣室の酷い惨状を訴えてくれたこと、床に散乱したゴミしか被害がなかった事から、かなりであるがゲオルグ隊長からの拳骨と始末書の提出で不問になったのだ。


「行動もだけど、よく上手く行くと思えたな……お前、馬鹿だろ」


 リンファは先程までの騒動を思い出すように目を瞑り、「こんなのとバディとか大丈夫かよ」と大きく溜息をついた。


 今ユーリは衛士隊の制服であるアーマーギアに着替え、リンファと共に担当区域のに出ている。


 衛士隊の本部についた頃は未だ暗かった通りは既に明るく、人通りも増え活気を見せ始めている。


 そんな通りを行く人々がユーリとリンファをチラチラと振り返る――その原因は、間違いなくユーリのアーマーギアだろう。ユーリが着ているのは、更衣室のロッカーに入っていたのものだ。


 旧式のアーマーギアはデザインこそ殆ど変わらないが、が違う。


「とりあえず怪我の功名だったな……」


 笑うユーリが自身のアーマーギアを擦った。


 都市を防御する壁と同じイメージを持たせるために、旧式のアーマーギアは黒だったのだ。


 真っ白なアーマーギアが嫌だったユーリにはラッキーな誤算だったのだが――


「アタシは嫌だよ。お前と並ぶとみてーじゃねーか」


 リンファには不評のようだ。 


 リンファの溜息は、今も自分のアーマーギアを見ながら「やっぱ黒だよな」とニヤニヤするユーリに届かない。

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