第39話 『我々が法なのだ』って言ってたし大丈夫……大丈夫

 リンファとに出てから暫く――午前中は大通りを中心に巡回を行い、途中路地の屋台で簡単な昼食を摂った後は、大通りから路地へと入り、路地を奥へ奥へと進んでいる。


 リンファ曰くここからが「本番」との事らしい。


 リンファの言葉通り、歩く街並みはスラム街の様相を呈しているのだが、特段変わったことはない。

 敢えて言えば、たまにマフィアらしい人物が目の端に映る事くらいだが……向こうはユーリ達を意識している雰囲気はない。


 とは言えだ。怪しい人物を放っておくわけには行かない、とマフィアらしき男に視線を向けながら


「おい、リンファ――」


 ユーリがリンファの肩を叩けば「放っとけ」とリンファが首を振ってそれに答えた。


「このってやつだ」


 小さく溜息をつくリンファに「なるほど」とユーリが呟いた。


 衛士隊だけで、イスタンブールの下層全ての治安を維持するなど土台無理な話だ。


 それならば、ある程度組織だった連中に街の悪を束ねてもらい、それらをコントロールするほうががいいのだろう。


「幻滅したか?」


 弱々しいリンファの笑顔に


「まさか。鹿使ってだけだろ」


 ユーリは肩を竦めて見せた。持ちつ持たれつと言う奴だ。


 マフィアの活動にある程度目を瞑る事を条件に、裏社会を管理させる。正直どの街でも似たようなものなので今更という気分でもある。


 事実、治安の悪そうな薄暗い路地裏でも子どもたちだけで遊べているのだ。衛士隊の方針としては間違っていないのだが――


「ただまあ……あの堅物のオッサンが、こんな事を許してんのはビックリだがな」


 ――あのゲオルグ隊長が、こうしたグレーな方法を取ることが意外だった。


「ああそれは……」


 苦笑いのリンファがプレートを――正確にはその上にあるだろうモノを差し、


「上の意向ってやつだよ」


 浮かべた苦笑いが全てを物語っていた。


 衛士隊、警察組織と言えば聞こえは言いが、この時代の彼らは【軍】の下部組織的扱いだ。


 下層の治安維持部隊が彼らの実態だ。


 故に隊長と言えど、必要とあらば現場に出るし、隊を実質的に運営する連中には頭が上がらない。


「それでもレオーネん所がに戻ったって聞いたし、少しはマシだと思いたいよ」


 ホッとするようなリンファの顔に、「ああ、あいつらか……」と今度はユーリが苦笑いだ。当事者のユーリだが、まさか巡り巡ってこんな所にまで影響を与えているとは思わなかったのだ。



「何にせよ、マフィア達とはある程度の距離は取っててくれ」


 そう言いながらリンファがユーリの肩を叩き、それに「はいよ」と答えたユーリはまた一人マフィアらしき男の脇を通り抜けた。






 マフィアが管轄するスラム街を抜け、更に奥へと路地を進んで行くユーリ達の目の前に高い金網に囲まれたが現れた。


 プレートに届きそうな程高い二つのビル。それを中心に乱立する幾つものビル群。あまりにも近い建物の距離は、ビル群が一塊の建造物に見える程だ。


 プレートの落とす影と、ビル自身が作る影が路地を暗く濁らせ、外部を排斥するような金網も相まって、周囲から確実に浮いた特殊な空間だ。


「こりゃまた治安が悪そうなところだな……」


 まるで大きな城……金網の入口からそれを見上げるユーリが呟いた。


「ああ。この辺はのスラムだからな」


 リンファの声は若干の緊張が混じっているのか少し固い。


「イスタンブール奪還初期に立てられたビル群の名残だ――」


 そう呟いたリンファが言うには、今より街が小さかった奪還当時に無理やり作ったビル群らしい。


 少ない土地のせいで、建物の間は殆どなく、突貫で作ったため建物自体も非常に脆いのだとか……。


 そんな説明を聞きながら、ユーリ達は金網の中へと入っていく――元はビルの集まりだそうだが、今は住民たちが増築に増築を重ね、前衛的な彫刻のように訳の分からない形になっている。


 飛び出した増築部分が、隣のビルと合体し、路地にアーチを作りユーリのいる場所から見える通路ですら、暗く殆ど先が見えない。


 薄暗い路地の角や、建物の窓という窓から粘着質な視線を感じる。まるでこの建物全体が生き物かのようなネットリとした不快な視線だ。


 リンファもそれを感じているのだろうか、その頬を一筋の汗が伝う。


 暗い路地を通り、何も異常がないか確認して歩く――デバイスを見れば、未だ夕方と昼の間位の時間だが、暗い路地はまるで夜かと錯覚してしまう程だ。


 そんな暗く陰鬱な通りをいくつか曲がった時、は起こった。


「こんにちはー。衛士隊のお二人さん」


 路地の奥から出てきたのは、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべた男たちだ。


 その姿にリンファがその身を固くするが、そのは――


「んだ? この達は?」


 堂々と先頭の男を指差し、リンファを振り返った。


たぁ酷い言い草ですぜ……あっしらはコレでもココで細々と生きてるでさあ」


 ユーリの問いに、先頭にいる男が答えた。


 笑う度に歯が抜けスカスカになった口がいびつにつり上がっている。


 身体はそれほど大きくはなく、毛も殆ど向けたハゲ頭に薄汚れた肌と身にまとったボロ。

 見た目的には何処にでもいる浮浪者そのものだが、今も見せている醜く歪んだ笑顔からは、修羅場をくぐり抜けてきた人間特有の圧力を感じる。


「おい、ヨゴレ。テメェには聞いて――」

「やめろ。ナルカミ」


 先頭の男に詰め寄ろうとするユーリを、リンファが制止し――


「すまないな。コイツはなんだ」


 男たちからユーリを庇うように前へ出た。


 そんなリンファに「おい、何なんだよ」とユーリは不満をこぼすが、リンファはユーリを制したまま一歩も動こうとはしない。


「いえいえ。構いませんぜ。間違いは誰にでもあるもんでさ」


 再び醜く笑う男。その笑いは確実にユーリを挑発しているような笑いだ。


「おい、リンファ――」


 前にいるリンファを押しのけようと、ユーリがその肩に手を置くが――


「……ナルカミ、抑えろ。コイツらは一応一般人だ。悪事を働いたマフィアやその関係者ならまだしも、一般人相手にアタシら能力者から手を出すのは不味い」


「一般人? コレが?」


 ユーリの疑問にリンファは頷くことだけで答えた。


 ユーリからしたらどう見てもモグリにしか見えない。それでも証拠がない以上一般人として扱うしか無いのだろう。



「今日はだけだ。これから暫くはアタシとコイツもココの地区を担当する。何かあればアタシ達が――」

「大丈夫でさぁ。何もありゃしませんぜ。いつもどおり。細々と生きていくだけでさぁ」


 男の醜い笑い声が路地反響する。まるで建物全体が笑っているかのようだ。


「行こう、ナルカ――」

「なあ、リンファ。あいつ」


 踵を返そうとしたリンファの肩に手を置き、ユーリが奥の男を指さした。


 それは先頭の男の左後ろにいた大柄な男。ユーリをずっと睨み続けていた男だ。


「あいつはムカつくから殴っていいよな」


 ユーリの唐突で脈略のないユーの攻撃宣言。


 それが路地に反響し消えた後、流れたのはしばしの沈黙。


 危険を察知したように、先程まで感じていた粘着質な視線は鳴りを潜めた。


 呆ける男たちとリンファを他所に、ユーリは男のもとへ歩いていく。


「ちょっと、待て! ムカつくからって、どういう理論だよ! さっき――」


 一足早く混乱から立ち戻ったリンファが、ユーリを止めようと手をのばす――が、その手をユーリは軽く払い除けた。


 手を払われたリンファは驚いたような表情で固まったままだ。


 そんなリンファを一瞥し、ユーリはまるで通りを歩くような普通の足取りで、男との距離を詰めていく。


「お、おいおいおい、お兄さん。相方さんの話聞いてなかったんですかい?」


 横を抜けるユーリに男が、少し引きつった笑顔で話しかけた。


「聞いてたさ。一般人だろ? けど一般人でもなら話は別だ」


 ユーリは男に振り返らずに、自身を睨み続けていた大男を前に静かに答えた。


 ユーリの言葉に男たちの肩がピクリと動き、リンファが弾かれたように男たちを睨みつける。


「い、言いがかり付けなさんな。あっしらは丸腰でさぁ」


 ユーリの後ろから男が声をかけるがユーリは振り返らない。


「いや、持ってる。その証拠にコイツは俺にずっと殺気を飛ばしてたしな。大方振り返ったら後ろから『ズドン』ってやるつもりだったんだろ?」


 ユーリが指差す先、大男の顔色は変わらないものの、殺気が膨れ上がっていく。


「やめろ、ナルカミ! 証拠がねーと――」

「そ、そうだ! 証拠がねーと痛い目みるのはテメーらだぜ? 何が殺気だ! そんな屁理屈通るかよ!」


 ユーリを止めるリンファの声に重ねるように、男が声を張り上げた。口調を取り繕うのも忘れるほど怒っているようだ。


 リンファと男の怒声にもユーリは振り返らず、


「バカか。お前らそれでもの人間かよ」


 呆れた笑顔を浮かべるだけだ。


「理屈ってーのは通るんじゃねぇよ。んだよ」


 笑うユーリの肩を――


「いい加減にしやがれ! あんま舐めてっと――」


 ハゲた男が掴んだ。瞬間――


「はい、な――」


 ユーリのハンマーパンチが男の側頭部に突き刺さり、男はそのまま地面へ叩きつけられた。


 地面に突き刺さるようにピクピクしてる男を前に


「や、やりやがった――」


 リンファの顔が見る間に青褪めていく――


 一瞬の出来事に呆けた他の男たちであったが、立ち直った者からその顔を憤怒に染め上げ、ユーリに向かって――


「て、てめー――ゴハッ」


 飛びかかろうとした男が一人、ユーリのアッパーで打ち上げられた。

 男はそのままアーチの天井に頭から突き刺さり、その身体がブラブラと揺れている。

 男が揺れるたび、パラパラと小石が地面に落ち、薄暗い路地裏に微かに響く。


「く、くそ――ギャッ」


 不気味に響く小石の音に、腰が引けた男が、ユーリに背を向け――

 逃げようと走り出した男の背中にユーリの飛び蹴り。

 男は壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。




「さて、メインディッシュだな」


 指を鳴らすユーリの目の前、大男が肩をいからせ、鼻息荒くユーリを睨んでいる。



「お、おい! やめろナルカミ! これ以上は――」

「これ以上はなんだ? お前だよ?」


 ユーリの肩を掴んだリンファ、その瞳をユーリの真っ直ぐな視線が貫いた。


「ど、どっちのって……お前に決まってんだろ」


 あまりにも真っ直ぐな眼に、気圧されたようにリンファの声が小さくなる。


「なら、よく見てみろ。こいつら手加減してるとは言え、俺が殴って死んでねーんだぞ? どう見てもだろ」


 ユーリが指差す先、ハゲ頭以下二人、どの男も一般人であれば死んでいるような状況だが、一応息があるようにその胸や肩が動いている。


「……っつーわけで、?」


 笑顔のユーリが大男を見る。


「な、殺すって――?」


「おら、こい木偶の坊」


 手招きをするユーリの言葉に、大男はにやりと笑うと、ビルから突き出した鉄パイプをもぎ取った。


「ぶっ殺してやる」

「そりゃコッチの台詞だ」

「こ、殺したら駄目だ――!」


 リンファの悲鳴を掻き消す風切り音。

 振り抜かれた鉄パイプが風を巻き上げ砂埃が舞う。


 路地裏が揺れる程の轟音が辺りに響いた――


 舞い上がった砂埃と、起こってしまった惨状に一瞬眼を瞑ったリンファ。


 リンファが眼を開けた時、視界に映ったのは――


 壁一面に走ったクモの巣状の亀裂と、その中心にめり込んでいる大男の頭だった。


 ユーリは鉄パイプが当たる直前、それを屈んで躱し、空振った男の顔面を掴み上げそのまま壁に叩きつけたのだ。


「……ナルカミ……?」


 壁にめり込んだ大男の眼の前でボーッと立っているユーリに、リンファは恐る恐る声をかけた。


「はぁ……殺したら駄目なんだろ? 殺してねーよ」


 大きな溜息をつき、不満を隠さないユーリが腕を組んだ。


「あ、ああ。流石に殺しちゃ不味い」


 慌てるようにリンファは大男のもとに駆け寄り、その息を確認し始める。

 弱々しいが、微かに息があることを確認したリンファが「フゥー」と大きく息を吐いている。


「おい、ナルカミ。殺してねーのはいいけど、コレどうすんだよ?」


 一息つけたことで、リンファは現実が押し寄せてきたようだ。


 確実にクロではある相手だが、それでも証拠がないまま殴りかかったのだ。普通であれば処罰は免れない。


「何言ってんだよ。武器持ってるっつったろ?」


 面倒臭さを隠す気もないユーリが大きな欠伸を一つ。


「武器って言っても――」


 大男のジャケットやポケット、様々なところを漁るリンファだが、それらしきものは出てこなかった


 慌てふためくリンファが、他の気絶している男たちの胸元やポケット、様々な場所を探すが……やはりは一向に出てこない。


「……ホントに丸腰だぜ? コイツら……」


 引きつり青白いリンファの顔だけが、暗い路地でやけにくっきりと浮かび上がっていた。

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