第36話 面倒なことは一度で済ませろ

 衛士隊本部の中は、ハンター協会と違いガランとしていた。


 広いホールには誰もおらず、ユーリとゲオルグ隊長の足音が響いている。


 左右に見える昇り階段付近にも、天井を突き破って二階へ伸びるの先にも人の気配はなく、静かなものだ。


 静かで物寂しいホールは、どうやら隊員たちの出陣準備室のようなものなのだろう。広いホールの脇に並ぶ沢山のロッカーと、その中にといった装備一式。


「なるほど……。ってーわけだな」


 ヘルメットやライフルが有るのに人がいない。つまりなのだと感づいたユーリの悪態が広いホールに響いた。


 それに答えることもなく、ゲオルグ隊長はずんずん奥へと進んでいき、入り口と丁度真反対にある扉に手をかけユーリを振り返った――


「ユーリ・ナルカミ――」


 ユーリの名を呼び扉を押し開き


「――ようこそ衛士隊へ」


 笑うゲオルグ隊長の先には、広い空間とそれを埋め尽くさんほどの衛士隊員たち。


「こいつは圧巻だな」


 呟くユーリが扉の先の空間を見渡す。


 どうやら建物の一階から三階までは『口』の字になっているようで、天井が高く広いスペースになっていた。外とは違い頑丈そうな壁も特徴的だ。


 三階部分に当たる壁には所々窓があり、その窓からも多数の防衛隊員が顔を覗かせていることから、普段から見物などに利用されているようだ。


「衛士隊ってーのはよっぽど暇なのか?」


 ユーリはかなり広い空間にひしめく衛士隊員たちを、親指で指しながらゲオルグ隊長を見ている。


「まさか。で出ていない者の中から希望者を募っただけである。……非番の者もいるみたいであるが」


 ヒゲをさするゲオルグ隊長がニヤリと笑った。


「そいつはなこった」


 肩を竦めながらユーリは広場の中央へと向けて一歩踏み出した。


 そんなユーリに向けられる視線は殆どが敵意に満ちたものだ。

 中には好奇心や、哀れみのような視線もあるが、そういった視線があることにユーリの方が驚いていたりする。


「……で、俺はどうしたら良い?」


 ユーリは敵意に満ちた視線を受け流しながら、ゲオルグ隊長を振り返った。


「好きにするといいのである。お主は今回戦闘教練の教官ということになっているのである」


 ゲオルグ隊長が腕を組みながら鼻を鳴らした。


「教官…ね。の間違いだろ」


 笑うユーリの言葉に、どこからか「分かってんじゃねーか!」とヤジが飛ぶ。


 それが合図だったようにそこかしこから飛び交うヤジ――それに「行儀のいいこって」とユーリがゲオルグ隊長に意味深な視線を向けたが、当のゲオルグ隊長は「お主の蒔いた種であろう?」と肩を竦めてみせただけだ。


 ユーリとしてもそう言われては、それ以上どうしようもない訳で……諦めの溜息だけを残して再び集団へと向き直った。


「んじゃまー、好きにさせてもらうぜ?」


 そう言うとユーリはゲートからサテライトを取り出し天井付近へと放り投げた。


 クルクル回るサテライトを衛士隊員だけでなく、ゲオルグ隊長も怪訝そうな表情で見ている。


「アレはなんであるか?」


「ま、折角の機会だし、俺の方もしたくてな……後でチェックするための録画デバイスだと思ってくれ」


 ユーリはゲオルグ隊長を振り返らずに、サテライトを見上げている。


「ふむ、そのあたりは好きにするのである。殺さないよう良い含めているから安心するといいのである」


 その言葉にユーリが振り返れば、そこには扉に手をかけているゲオルグ隊長の姿が――


「なんだ? ……オッサンは……」


 何だかんだで怒っていただけに、ゲオルグ隊長も一緒に参加するかと思っていたユーリにとって、『隊員だけに任せる』発言は意外だったのだ。


「……多勢に無勢は吾輩の騎士道に反する」


 振り返ったゲオルグ隊長の清々しい笑顔に、「なら止めろよな」とユーリが苦笑いと悪態を返した。


「仕方がないのである。騎士道は誰かに強制するものではないのである。それに、隊員たちの怒りももっともであるからな」


 話はそれだけ。そんな雰囲気で背中を見せたゲオルグ隊長に、ユーリもそれ以上何も言わない。

 静かにしまった扉に「変なオッサンだぜ」と笑顔だけを返しただけだ。



 ゲオルグ隊長が去り、一人残されたユーリは歩きながら両耳にイヤホンをつけ、ゲートから取り出した布で


「さてと……それじゃーいっちょやりますか」


 大きく伸びをしたユーリが


「カノン――準備はいいか?」


 小声で呟けば


『バッチリでしょう』


 その耳に届くカノンの声。


 ユーリはスライムの核を預ける時に、カノンにオペレートのお願いもしていたのだ。

 今回の訓練でユーリ自身のと、カノンのオペレーターとしての経験の一石二鳥を狙っていたりする。


 そのための目隠しなのだが、訓練場に集まった衛士隊員からしたら謎な行動以外の何物でもない。


「その目隠しはなんだ?」


 どこからか飛んできたヤジ。


「あん? もっつったろ」


 子細は答えず、ユーリは広場の中央で首を鳴らし――


「さあ、かかってこい。……ちなみに俺は手を出さねーでいてやるよ」


 笑うユーリのその言葉に、広場の男たちの敵意が一瞬にして膨れ上がる。

 それもそのはず。目隠しをし、その上全員でかかってこいと言っているのだ。完全に自分たちを舐めている。そう思える発言に、腹を立てない人間などいない。


 何とか理性を保てているのは、衛士隊員としての矜持だろう。


「なんだ? これだけハンデやっても怖いってーのか?」


 なおも煽るユーリに、集団の中の誰かが「やっちまえ!」声を上げた。


 それとほぼ同時に雪崩のように押し寄せる防衛隊員たち――


『ぎょえぇぇぇぇぇ!』

「落ち着け。今回のを思い出せ」


 相変わらず耳を劈くカノンの悲鳴に、苦笑いのユーリが声をかけた。


 それとほぼ同時にユーリの顔面に向けて振り抜かれる男の拳――


 ユーリはそれを最小限の動きで躱し、男と位置を入れ替える。


 空振りしバランスを踏んだ男に、横から迫っていた別の男が突っ込んだ。


 もみくちゃになる一角を他所に、ユーリの後ろから迫るハイキック――


 紙一重でそれを躱すと、そのまま相手の蹴り足を押す。


 蹴りの勢いが増したことで、バランスを崩した男がその場で一回転。

 思わぬところまで伸びた蹴りが、別の男の脇腹に直撃。


 今度は別の角度から飛び蹴り。

 対角から殴りかかってきた男をやり過ごし、飛び蹴りを変わりに食らってもらう。


「どうだカノン。見えたか?」


 別の男を躱しつつ呟くユーリ。


『うぅぅぅぅ。難しいでしょう』


 その耳に届いたのは情けないカノンの声。


「ま、そりゃそうだな。簡単に分かりゃ誰も苦労しねーわな」


 当たり前の事に思わず苦笑いがこぼれたユーリだが、ユーリを取り囲む男たちには馬鹿にしているみたいに映ったようで――


「何笑ってやがる!」


 なおもいきり立ち、ユーリへと飛びかかってくる。


 タックルを飛び上がって躱し、

 宙を浮くユーリへのハイキック――その上を片手で側転。

 クルクル回って着地したユーリを抑え込もうと再びのタックル。

 頭を押さえて馬跳びで躱す。


 ユーリが躱すたび、受け流すたび、そこかしこで衝突が起こり、その都度男たちの怒りのボルテージが上がっていく。


『なんとなく……ですが』


 不意に届くカノンの声。


「え? マジで? じゃあ


 あまりにも早い成長に、ユーリは口の端が上がるのを押さえられないでいた。正直こんなのだ。


「四時――」

『九……真逆でしたぁ!』


 カノンの言葉を待たずに、ユーリは右斜後ろからの殴打を思い切りしゃがんで躱した。

 その体勢のまま相手の方向に身体を倒すと――

 ユーリに躓く形で前につんのめった男に九時方向から突っ込んできた男が衝突する。


「七時――」

『三……また違います!』


 次は左斜後方から飛来してきた飛び蹴りを半歩ズラして躱す。

 そのまま通り過ぎる男の尻を、ユーリが押すと、集団の中に突っ込み団子状に転がる男たちの出来上がりだ。


『ダメダメです!』

「いや大丈夫だ。どっちでも良いくらい惜しいぞ」


 二人が今やっているのは、対集団戦における初歩の訓練だ。


 対集団において、どの攻撃を。その一点だけを見極める事に特化した訓練。

 どう避けるのか、どう捌くのかは、戦い方や武器次第で話が変わるのだが、集団から放たれる攻撃のどこがというのは変わらない。

 それを見誤れば続く手痛い攻撃を貰い、波状攻撃の餌食になってしまう。は対集団戦闘においては必須とも言えるスキルだ。


 勿論それを逆手に取って、自分から相手に突っ込むこともあるので、一概にどの攻撃が早いか……だけが重要ではない。とは言えが分からなければ、突っ込みようもないのだ……。


 ちなみにユーリが目隠しをしているのは本当に自身の訓練。


 観の目。


 本来は心で観る、俯瞰して観るという技術だが、ユーリが取得しているそれはまさに心眼と言って差し支えのないものだ。


 視覚を制限した状態で、心眼のみで相手を捌く。


 ユーリにとって安全に観の目の訓練ができる状況などないので、願ったり叶ったりだったりもする。


 ともかく折角ならユーリ、カノンの両方の訓練として利用させてもらおうというユーリの魂胆だ。

 だがそんな事とは知らない衛士隊員たちは、既に沸騰したヤカンの如く怒り狂っている。


 顔を真っ赤に怒り狂う男たちの猛攻を、カノンと声を合わせつつ躱すこと数回――


「ま、今日はこんなところだな」


 そうユーリが呟くと、男の拳がユーリの顔面にヒットする。


「あ、当たったぞ!」

 その言葉を皮切りに、ユーリの身体や顔、足、全身のいたるところに衛士隊員達の拳や蹴りが突き刺さる。


 終いにはタックルで倒され、容赦のない蹴りが雨あられの如くユーリへと降り注ぐ――。


 かなりの長い時間ユーリを踏みつけるように蹴り続けていた防衛隊員たちだが、満足したように一人、また一人とその場を去っていった。


 広場に残されたのはボロ雑巾のようなユーリ一人。




 三階部分からの観客も見えなくなった頃


「……つつつ。俺もまだまだだな」


 徐に立ち上がったユーリが、その身体に付いたホコリを払う。


『ユーリさん、大丈夫でしょうか?』


 ユーリの耳に届くのは心配そうなカノンの声。


「ん? ああ、骨は折れてねーし大丈夫だ」


 そう言ってユーリは「ペッ」と血の混じった唾を吐いた。


『最後、別に殴られなくても良かったのでは?』


「良いんだよ。。それに――」


 ユーリが振り返った先から一人の女性隊員が歩いてくる。


 一つの三編みにまとめられた長い黒青色の髪を肩から前に垂らし、吊り目がちで深緑の瞳は少し気が強うそうにも見える。


「……なあアンタ」


 ユーリに呼びかける女性は、衛士隊のアーマーギア越しにも分かる女性らしい身体つきだ。

 ただ本人はそれを鼻に駆ける素振りもなく、言葉尻からはどちらかというと男勝りな印象を受ける。


「何で最後わざと殴られたんだよ?」


 そんな女性はカノンと同じ発言だが、ユーリはそう言われるのが分かっていたかのようにニヤリと笑い


「――おたくらのに何回も付き合ってられねーからな」


 肩を竦めるユーリに女性は怪訝そうな表情だ。


も見てたろ? あいつら怒り狂って加湿器スチームポットみたく頭から湯気まで出てたじゃねーか」


 ユーリの言葉に女性は、先程までユーリに群がっていた隊員たちを思い出したのか「別に湯気は出てなかっただろ?」と苦笑いを浮かべている。


「あんな状態で終わっても、明日以降毎日呼び出される……そうなりゃ面倒だろ?」


 ユーリの言に「成程」と短く頷く女性だが


「アタシがチクる可能性があるのに、喋っちまっていいのか?」


 苦笑いでユーリを見ている。


「チクりたきゃチクっても構わねーよ。そしたら次は全員仲良く


 事も無げに言い放つユーリに、女性は生唾を飲み込んだ。


「ま、そもそもならチクらねーだろ?」


 小さく溜息をついたユーリが「あーあー。痣になってるじゃねーか」とその腕を擦れば


「へー? 会ったばかりの人間をどうして信用してんだ?」


 女性がユーリに向けて目を細めた。


 突き刺すような視線に肩を竦めたユーリは、


「だって、はずっと部屋の隅で見てただけだろ? アイツらとはちょっと違うって事だ」


 そう言いながら訓練場の隅を指さした。


 ユーリの言葉に勢いよく振り返った女性は一瞬固まり、驚いた表情を隠せずユーリへと向き直った。


「目隠ししてたんじゃねーのか?」

「ま、そいつは企業秘密ってことで」


 笑うユーリと、苦笑いが押さえられない女性。


「アンタのはよく分かったよ――リンファだ。リー・リンファ。リーの方がファミリーネームだからな」


「へー珍しいな。東方の出か。ユーリだ。ユーリ・ナルカミ。俺も東方の出だが、ナルカミがファミリーネームだ」


 手を差し出してくる女性の手をユーリが掴み返す。


「ちなみにアタシは、アンタにぶっ飛ばされなかった運のいい女だよ」


 そう笑う女性に、つくづく面倒そうな人間に縁があるものだと、ユーリは笑顔が曇るのを押さえられないでいた。

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