第35話 円周率を記憶しても、誰も正解が分からないから止めとけ

※前回とこの次の話の文字数や流れの関係で、前回の続きと次話への触りという妙な構成になっております。ご了承下さい。どう頑張っても上手くまとまらなかったんです……。




 ひとしきり笑った所で、ユーリは「悪かったって怒んなよ」と一応謝ることにした。


 取り敢えず見ていて面白いが、人の避け方が尋常ではない。

 どうやら少し大通りではしゃぎ過ぎたと、ユーリは二人をなだめる事にしたのだ。


そんなユーリの適当な謝罪に、「貴様という男は――」怒りを顕に掴みかかろうとするゲオルグ隊長。


「おい、やめろって! 往来の邪魔になるだろーが」

「問答無用! その性根、叩き直してやるのである!」


掴み合いになるユーリとゲオルグ隊長――


「ユーリさん……」


 そんな二人の横でカノンがボソリと呟くように声をだした。


どこか暗く影のあるその声に、ユーリとゲオルグ隊長が同時にそちらへ視線を移すと、前髪で目の部分が影になったカノンがユラリと動き出した。


「……バカバカ言ってますが、私コレでも頭いいんですよ」


カノンから迸るのは、まるで歴戦の戦士が放つ闘気。それを纏ったカノンがユーリへと一歩近づいた。


「へ、へー。教えてくれよ」


 いつもと雰囲気の違うカノンに掴み合いをしていた二人はその手を放して一歩後退った――前髪から視線を覗かせたカノンの表情は、既に勝ちを確信しているかのように自信に満ち溢れている。


「私の頭の良さ……お馬鹿なユーリさんにも分かりやすく言うと――」


「「言うと――」」


 あまりにも自信満々なカノンの瞳。

 その眼力に、ユーリは自分を馬鹿呼ばわりされたこともスルーし、ゲオルグ隊長と同時にその生唾を飲み込んだ。


円周率パイが1000桁まで言えます!」


 カノンのドヤ顔。


 一際強いビル風がカノンのアホ毛を激しく揺らしている。


「……」

「……」


「……おい、ってなんだよ? 桁とか言ってるし、パイじゃねーんだろ?」


 あまりのドヤ顔に本人には聞くわけにいかないユーリが、ゲオルグ隊長にコソコソと。


「吾輩が知るわけないのである。そもそもパイであるか?」


 もちろんゲオルグ隊長もコソコソ。


 二メートルを超える偉丈夫と、高身長イケメンが通りでコソコソ話。


 かと思えば――

「使えねーオッサンだな!」

「何を言うであるか! 貴様こそ――」

 再び掴み合っての怒鳴りあい。


 二人の行動の落差に、周囲の通行人は怯えて足早に逃げていく。


「おや? もしかして二人とも円周率パイすら知らないんですか?」


 まさに嘲笑。

 完全にバカを見る目で、カノンがユーリとゲオルグ隊長を見ている。


「はあ? くらい分かるわ! あれだろ? あの、あれだよ。あの……アレアレ。夢が詰まってんだよな……何でもいいから言ってみろよ」


 完全に何のことか分かっていないユーリだが、それを認めることなどしない。


 そんなユーリを見てカノンは端を上げた口を開いた――



「3.141592653589793238462643383279502884197169399375105820974944592307816406286208998628034825342117………」


 ブツブツブツブツ……と呪詛のようにカノンの口から発せられる数字の数々。


 ドヤ顔のカノンが延々と数字を呟き続けている。


 急にドヤ顔でよく分からない数字をブツブツ言い出す女。


 恐らく今日の大通りで一番の奇行に違いないが、本人はそんなことなどお構いなし。


 完全に引いている通行人などお構いなしに、ブツブツと呪詛を呟き続けている。


 長かったようで短かった呪詛が終わり、残ったのは――


「どうでしょう? 私の凄さが分かってくれましたか?」


 暖かな日差しと穏やかな風。そしてカノンのドヤ顔。


 確かに色々凄かったのだが……


「それ、適当に言ってんじゃね?」


 ユーリには正解が何か分からないし、そもそも円周率など知らないのでどうしようもない。


「……そ、そんなわけないでしょう!」


 再び拳をブンブンふるカノンが、ゲオルグ隊長に視線を移した。

 その視線は「分かってくれますよね? この凄さ」と懇願しているようにも見えなくない。


 そんな視線に気づいたゲオルグ隊長は腕を組み


「うーむ。壊れた機械のようで不気味であったぞ」


 身も蓋もない感想を溢した。


 紛れもない偉業。円周率の1000桁暗記など、常人には不可能な事を成し遂げたというのに、それを聞かせる相手を間違えた。


 ただそれだけなのだ。


「……く、! 二人がお馬鹿だから分からないだけでしょう!」


ガックリと膝をつくカノンに刺さるのは――


「つーかそんだけ覚えられるのに、何でオッサンの名前は覚えられねーんだよ?」


――眉を寄せたユーリの正論。その言葉に顔を顰めたカノンだが、それも一瞬。今は胸の前で恥ずかしそうに、申し訳無さそうに人差し指同士をモジモジさせて


「そ、それは――」

「「それは?」」

「――き、興味が無かったので……」


衝撃の発言に、ゲオルグ隊長が「興味が……ない……」と今度はガックリと膝をついた。

まるで燃え尽きたように真っ白に見えるゲオルグ隊長に


「ち、違うんです! これは……そう! 心の声が漏れただけなんです!」


あたふたするカノンが止めを刺した。


ヘナヘナと崩れ落ちていくゲオルグ隊長と、慌てふためくカノン。そしてそれを見て「いいぞカノン! もっと言ってやれ」とゲラゲラ笑うユーリ。


穏やかで賑やかだった昼下がりの大通りの一角は、再びそこだけポッカリと世界から切り取られたように人が避けて言っているが、当の本人達がそれに気がつくのは少し先の話だろう――




ようやくゲオルグ隊長がショックから復帰した頃――


「んで、結局何しに来たんだよ」


 溜息をつきながらユーリが腕を組み


「アンタが要件さっさと言わねーから、俺らまで変人だと思われてるじゃねーか」


 親指で指す先、通行人は今も三人を避けるように離れて歩いている。騒動に遭遇した通行人は既にいないはずにも関わらず……だ。つまりここら一帯に「変な三人組が通りで騒いでいる」と言う噂が回ってしまっているのだろう。


「む、むぅ。吾輩だけの責任ではない気がするのだが」


 ヒゲをさするゲオルグ隊長は不満そうだが、それを口には出さないでいる。

 ここで声を荒げれば、再び話が脱線しそうな気配を察しているようだ。


 ゲオルグ隊長は自分を落ち着かせるように咳払いを一つ、そして口を開いた。


「要件など一つしかないのである」


 ユーリの目の前に突き出された人差し指。


「ユーリ・ナルカミ。衛士隊の訓練及び業務に参加するのである!」


 肩を落とし、大きな溜息を吐いたユーリが「やっぱりか」と観念したように呟き


「おい、そー言うことだから、コイツ頼むわ」


 隅っこで「やってしまった」と頭を抱えるカノンにスライムの核を渡していく――


「ユーリさん?」


 えらく大人しい、素直なユーリの態度に怪訝そうな表情のカノン。


 そんなカノンに「ちっと頼みがあるんだ」とユーリが小声で耳打ち。


 少し長いユーリの耳打ちに「何をコソコソしているのであるか」とゲオルグ隊長は不服そうだ。


「え? 分かりまし……た?」


 ようやく終わったユーリの相談。

 それに頷いたカノンが自身のゲートから取り出したのは


 そのサテライトを受け取ったユーリは


「んじゃまーのことは頼むわ」


 後ろ手振りながら、ゲオルグ隊長と共に雑踏の中へと消えていった。



 ☆☆☆




「ココが衛士隊の本部であーる」

じゃねーか!」


 両手を広げるゲオルグ隊長と、そんな隊長にツッコむユーリ。


 ゲオルグ隊長の後ろには、十階建てくらいの白い石造りのビル。

 この時代の大通りにあるにしては低いビルなため、周囲の景色からも浮き出たように目立っている。


 確かに見かけるたび、(何の建物だ?)と疑問に思っていたユーリではあったが、まさかがそうだとは思いもしなかった。


 ユーリとしては結構格好つけてカノンと別れたはずなのに、行き先の衛士隊本部のにはハンター協会。


 後ろを振り返るとニヨニヨ笑顔の止まらないカノン。


「そんな目で見るんじゃねーよ」

「いえいえいえ。他意はありません! を頼まれたのでこうして着いてきているだけですので」


 口元を抑えるカノンと、額に青筋が浮かび上がるユーリ。


「くそ。とりあえず換金とか報告はで頼んだぞ」

「はい! お任せください。不詳このカノン・バーンズ、何も知らないユーリさんのために頑張って報告してまいります!」


 敬礼と勝ち誇ったような笑みを残して、カノンがトテトテと大通りを横断していく。


「さあ、ユーリ・ナルカミ。吾輩達も行くのである」

「いちいちフルネームで呼ぶんじゃねーよ」


 意気揚々と衛士隊本部の戸を開くゲオルグ隊長に、ガックリと肩を落としたユーリが続く。

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