第20話 普段と雰囲気が違うと話しかける時に緊張するよね

 ――時間は少し遡り、ユーリがマフィアたちと店を出た直後。


「ふむ。本当に開いているな。今日は休みだと聞いていたのだが……」


 エレナはリリアの店の前で考え込んでいた。


 この店はイスタンブールに来た当時から利用しており、エレナの一番お気に入りの店だったりする。


 出される料理は絶品ながら良心的な価格。それに合わせたお酒も文句なし。そして一番の魅力は看板娘リリアのだろう。 


 最近こそあまり歌ってくれなくなったが、エレナがイスタンブールに来た三年ほど前は、毎晩のようにリリアが舞台で歌を披露してくれていたのものだ。


 リリアと年が近いこともあり、仲が良いというのも通い詰めている理由の一つではある。


 ただ最近気になっているのが、客足が遠のき、それとなくリリアに尋ねてもはぐらかされてしまっている事か。


「今日は食材がないから……と聞いていたが。もしやカノン達が受けていた任務がリリアからだったりしてな」


 独りごちながら「流石にそれは出来すぎか」と笑うエレナが、ゆっくりと店の扉を開いた――


「いや! 行かせて! ユーリが――」


 飛び込んできたのは、友人の悲鳴ともとれる怒声。


 暴れるリリアを抑えているのは、その両親と今では顔なじみとなった常連の爺さん二人組だ。


(……なんだ?)


 ただ事ではない雰囲気に、エレナは急ぎカウンターの向こうにいる友人の元へ。


「リリ――」


 声をかけようとした瞬間、顔面蒼白のリリアと目があう。


「エレナさん――」


 エレナの顔を見たリリアは、瞳から抑えきれなかった感情が溢れ出した――







「あの馬鹿――」


 事の顛末を聞いたエレナの口から出たのは、ユーリへの不満だった。相手はマフィアとは言え、区分でえ言えば一般人ノーマルだ。もちろん殆のマフィアがモグリの能力者なのは周知の事実だが、証明できていない以上扱いは一般人ノーマルでしかない。


 それを相手にユーリハンターが手を出し殺してしまえば、極刑ものの会則違反だ。


「ついさっきだな? 私が止めてくる。リリアは絶対にここを動かないでくれ」


 言うやいなや、エレナは店の外へと飛び出した。

 すれ違う人全てにユーリたちの特徴を伝えながら、その足取りを辿っていく――


(くそ、かなり奥まで行ってるな……本気だ)


 本気で殺す気なのだと、エレナの全身が総毛立つ。


(絶対に止めねば)


 音を置き去りにするほどのスピードで狭い路地を、時に壁を駆け、エレナは遂に暗がりにその姿を捉えた。


 人であっただろうモノを掴み上げ、今まさにその凶手を打ち付けんとする瞬間――


「まて! ユーリ!」


 ピタリと止まったその手に、エレナは「間に合った」と大きく息を吐いた。


「……オリハルコンねーちゃんか……何のようだ?」


 ユーリの声音は驚いたほど落ち着いている。逆にエレナは一気に緊張が増した。

 息を吐いたことで、周囲に充満している濃密な血の匂いに気がついたからだ。


(……手遅れ…ではないはず)


 むせ返りそうな血の匂いを掻き消すように、エレナが口を開く。


「『何のようだ?』ではない。そいつを殺すのは待つんだ」


 緊張がエレナの声を若干かたくする。それを悟られぬよう、ゆっくりとユーリに近づいて行くエレナ。


「何で俺がテメぇの言うこと聞かなきゃなんだよ。こいつはな……俺の飯に手ぇ出したんだ」


 口調こそ穏やか。しかし纏う空気は恐ろしいほど冷たい。冷静、冷徹、冷酷。どの言葉が似合うか今は分からない。


 ただ言えるのは普段のユーリとは雰囲気が違う。

 まるで暗闇全体が話しかけてきている。そんな感覚にエレナは包まれる。


 ユーリは心底怒っているのであろう――だがエレナは目の前で暗闇と同化するユーリに、言い知れぬ違和感を覚えていた。何かがおかしい。そんな違和感を探るため、エレナはユーリを刺激せぬよう目を凝らした。


 暗闇に目がなれてきたエレナの視界が捉えたのは、ユーリとエレナの間にある四つの人影。それとユーリの少し向こうに倒れる人影。

 今も掴んだままの人影と合わせると全部で六人。リリアの証言と一致する人数から、彼らがマフィアで間違いないだろう。


 全員が倒れたり壁に減り込んだりピクリとも動かないが、小さく胸のあたりが動いているのが辛うじて分かる。


「事情はリリアに聞いている。そいつらがやった事は許せないが、だからといって殺しては駄目だ」



「何でだ? 俺の飯に手ぇだしたんだ。殺されても文句は言えねーだろ」


 心底分からない。そういった雰囲気のユーリは「最後に取っておいたのによ」と今もブツブツと、料理に手を出された事への不満を呟いている。


「料理? そうではないだろう? そいつらがリリアの店にちょっかいを出したからではないのか?」


 ユーリを刺激せぬよう、しかしお互いの認識の齟齬を埋めるべく、エレナは距離を保ったままユーリへと問いかけた。


「はあ? んなもん知らねぇよ。こいつが何処でどんな悪事をしてようが俺には関係ねぇ」


 そう言い捨てるユーリは、興味をなくしたように掴み上げていたものをエレナの方へと放り投げた――エレナの耳に届くのは、それが発する「ヒューヒュー」という独特の呼吸音。


(まずい。顎が砕けて呼吸と一緒に血が流れ込んでるな……)


 既に虫の息。ハット男を気に掛けるエレナを他所に、ユーリは続ける――


「何処で誰が殺されようが、誰の店が潰されようが、俺の仕事には関係ねぇ。わかるか? それ自体は問題ねぇんだよ」


(な……にを……言っている? 本気で肉一つでここまで?)


 エレナは目の前で「今の最後は『ノープロブレム』って言い方のほうが良かったか?」とブツブツと呟いているユーリに何と答えていいのか分からないでいた。


 そのくらい目の前にいる男ユーリは理解が出来ない存在なのだ。


 異常、異質、異端。どの言葉でも当てはまる。まるで考え方の根本が違う。


(嘘を言っているようには見えない)


 口調こそエレナが知るユーリと変わらないが、今目の前にいる異常者ユーリと、今朝カノンと冗談を言い合っていたユーリが同一人物だとはどうしても思えない。


 そのくらい纏う空気や雰囲気が違う。


 目が慣れてきている筈なのに、ユーリの姿が更に暗闇に溶けていく。そんな錯覚にエレナは襲われている。


(まるで別人だ……それに――)


 ないのだ。先程から感覚を最大限研ぎ澄ませているのに――目の前の暗闇ユーリにはないのだ。


 ……が。


(そんな事がありえるのか? 人を殺そうとしているのだぞ……)


 ずっと拭えなかった違和感のの正体……ユーリの纏う空気は冷たく凍えるほどなのに、そこにある筈の殺気は一欠片もないのだ。


 まるで人が羽虫を殺すかの如く……いや、機械が淡々とゴミをスクラップにするかの如く。何も感じないのだ。


(人を殺すのが作業とでも言うのか……一体どれだけ殺してきたら――)


「なんだよ。さっきから黙って人の顔ジロジロ見やがって」


 黙りこくるエレナに、少し苛ついたように暗闇ユーリが話しかけた。


「……本気で言っているのか?」

「何をだよ?」

「『肉を取られたから殺す』だのと――」


 エレナが生唾を飲み込む。


「そりゃそうだろ。さっき言ったじゃねぇか」


 反対にユーリはあっけらかんとした様子だ。


「リリアを助けたかったのではなくて?」

「はあ? 何であいつが関係あるんだよ?」


 関係ないと宣うユーリは今も「意味が分かんねぇ」とボヤいているが、エレナは一瞬ユーリが纏う空気が揺らいだのを――暗闇でユーリが浮かび上がったのを見逃さなかった。


(……隠している? マフィアの報復に巻き込みたくない? では――)


「マフィアの報復なら心配するな。私が話を付けてくる――」

「なんで今マフィアの報復が出てくるんだ?」


 心底分からない。そんな声音のユーリ。


 エレナの予想は外れたようで、ユーリが纏う暗闇に変化はない。


「違うのか?」

「何が違うか分かんねぇよ。ただ、マフィアの報復なんてねぇよ。こいつらのファミリーはからな」


 声の先に目を凝らせば、大きく伸びをするユーリ。

 そんな「何でも無いこと」のようなノリで潰せるものなら誰も苦労はしない。と叫びたいのを必死に抑えたエレナ。


 マフィア達個々人の能力などたかが知れているが、マフィアを潰すとなるとエレナ程の腕を持っても簡単にはいかない。……いや、腕っぷしだけでどうにかなる問題ではないのだ。


 故に――


(レオーネファミリーを潰す? どうやって……いやそれよりも隠していたわけじゃないのか)


 エレナの頭の中は絶賛混乱中だ。


 肉に手を出されたからと言って六人を殺そうとする人間。

 今も最大のマフィアを潰すと簡単に言ってのけた。

 何処で誰が殺されても問題ないとも言う。

 だがそのくせ場所を移したのだ。


(巻き込みたくなかったのでは無いのか……いや、もしや?)


「なんだよ。また黙りかよ。お前今日態度悪いぞ?」


 不機嫌なユーリに「昨日会ったばかりだろ」と一応突っ込むエレナは、賭けに出ることにした。


「レオーネファミリーを潰すと言ったな。どうやって?」

「んなもん決まってんだろ。こいつらのホームに乗り込んで全員ぶっ殺せば終いだろ?」


 メチャクチャな理論と考えは、その場の闇を一層濃くする。


 ほとんどユーリを視認出来なくなったエレナ。

 一瞬賭けを放棄しようか迷ったエレナだが、先程のゆらぎを信じて一手を打つ――


「そんな事をしたらお前は断頭台行きだ。そうなればリリアが悲しむぞ」

「……なんでココであいつの名前が出てくるんだよ」


 再び揺らぐ暗闇にエレナは確信した。


(まさか本当にとは)


 ユーリは自分が気づいていないだけで、リリアを守りたくてこんな事を仕出かしたのだ。

 その理由を探すに当たって、自分の中で『肉を取られた』という部分で納得させているのだろう。


「リリアはお前がリリア自身のために、危険を顧みずマフィアに立ち向かっていると信じている」

「はあ? あいつの頭はお花畑か? なんで俺があいつのために――」

 言葉とは裏腹に、ユーリのまとっていた冷たい空気は少しずつ人間らしいものに――。


 同時に暗闇からユーリが薄っすらと浮かび上がってくる。


「そのためにお前が人を殺めたと知ったら、リリアはショックをうけるだろうな。なんせハンターの一般人殺しはご法度だ」

「はあ? 関係ねぇだろ? 俺が何処で誰を殺そうが……」


 ボヤくユーリだが、それを前にするエレナにもう緊張はない。目の前にユーリがボンヤリと現れ、じんわりと温かみを帯びているように感じられるから。


「……チッ……だから何で今ここで出てくるんだよ」


 まるで何かの幻影を振り払うように、ユーリが大きくかぶりを振った。


「リリアを悲しませたくはないだろう?」


 エレナのトドメの一撃。遂に――


「興が冷めた……」


 ぶっきら棒なユーリの呟きのあとに大きな溜息。

 エレナの視界には、バツが悪そうな、だがいつものユーリが映っていた。


 やたらトラブルを引き起こし、誰彼構わず噛みつくくせに、何処か抜けていて憎めない青年に。


「……では、こいつらは先に治療してしまうぞ?」

「好きにしろ……」


 地面に座り込むユーリは、エレナの施す治療魔法の淡い光をボンヤリと眺めながら「……治癒魔法……叙事詩エピッククラスかよ」と呟きエレナを恨めしそうに眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る