第21話 何事にも準備は必要

「さて、と――これからどうするつもりだ?」


 一仕事終わったと言うように、エレナが手をパンパンと打ち払った。


 砕けた顎や原型を留めていなかった顔面、その他全身にあった無数の打撲が治ったハット男。


 今は穏やかな寝息を立てているその顔に、「何かムカつく顔してんな」と吐き捨て立ち上がったユーリ。

 目の前で右足を上げたユーリを「待て待て待て」とエレナは咄嗟に羽交い締めで止めた。

 いくら治癒魔法で治せるとはいえ、そう何度も痛めつけられてはハット男はショック死する可能性もあるのだ。


 エレナに引き剥がされ、「チッ……」と舌打ちをこぼしたユーリは再びその場に腰を降ろした。


「私の魔力とて無限ではないんだぞ?」


 エレナは非難の意を込めて、ジットリとした視線をユーリへ向ける。


 そんな視線からバツが悪そうに顔を逸らしたユーリは「どうせ死ぬんだから今殺してもいいだろ?」と口を尖らせた。


「だから何度も殺しは無しだと……それに潰すだ何だと、結局どうするつもりだ?」


 大きな溜息とともにエレナは腕を組んでその背を路地の壁に預けた。正直精神的な面ではかなりの疲労感なのだ。


「……とりあえず今は方針を考え中だ」


 そんなエレナにチラリと視線を向けたユーリは、地面に胡座をかいたままその膝を指でトントンと叩いている。




 暫く静寂とマフィアたちが上げる寝息が路地に響いていた――




「――なあオリハルコンねーちゃん。こいつらのファミリーってどんなだ?」


 不意に沈黙を破ったのは胡座の上に頬杖のユーリ。スヤスヤと眠るハット男を眺めたままで口を開いた。


「オリハルコンねーちゃんではないが、レオーネファミリーは一本筋が通ったファミリーだったよ。一昔前までは」

「一昔前?」


 エレナの言葉に、顔を上げたユーリは怪訝そうな表情だ。


「ああ。二年前の跡目争いからだな。跡を継いだ奴が悪かったみたいだ。そこからは文字通り外道の集団だよ」


 エレナが今も意識を戻さないハット男を睨みつけた。

 本来ならエレナもハット男など助けたくはなかった。それでもこんな外道の血でユーリの手が汚れればリリアは悲しむだろう。


 自分のせいでユーリに人殺しをさせてしまった、と。


 相手はマフィアだが、一応区分では一般人ノーマルだ。一般人ノーマル相手にハンターが手を上げ殺してしまえば、それ即ち極刑である。


 勿論ユーリに殴られても生きている時点で、彼らはモグリの能力者なのは間違いない。だがそれを証明出来ていない状態で殺してしまえば、やはり極刑だ。


 己に降り掛かった火の粉のせいで、ユーリが罪を負うことをリリアは良しとしないだろう。


 ならばそれだけは回避せねばという事で、苦肉の対応なのだ。


 今も複雑な思いでハット男を睨みつけるエレナ。その耳にユーリの「外道……ねえ」とユーリの呟く声が聞こえた。


「ああ。外道だ。一応私の方から話を通すつもりだが、今後どう対応をするか――」


 外道ではあるが、やはり区分は一般人ノーマルかつ金持ちだ。そういう人間がには往々にして理由がある。


 政治を司る中央部分との癒着。

 警察組織の抱き込み――


 あの真面目一徹ゲオルグ隊長がマフィア如きに靡くとは思えないが、末端の隊員まではそうはいかないだろう。


 隊員を家族のように信じて疑わない。ゲオルグ隊長の良い部分でもあるが……それは表裏一体、仇でもあるのだ。


 イスタンブールの裏社会に根を張り、政治・経済にまで口を出せる外道の集団。正直それに対して、いくらオリハルコンランクと言えど、一介のハンターが何処まで話を付けられるか……正直ユーリの言う通り潰せるものなら潰してしまいたい。


「よし、じゃあやっぱ潰しちまおう」


 そんなエレナの気持ちを知ってか知らずか。相変わらず何でも無いことのように言うユーリが勢いよく立ち上がった。


 パンパンと尻についた埃を払うユーリを前に、


「は?」


 エレナが思わず呆けた声を漏らしてしまうのも仕方がない。



「さてと、そうと決まれば色々と準備がいるな――」


 左手を掲げデバイスで「まだ夜は長えな」と時間を確認したユーリに、エレナの思考が漸く復帰――


「い、いや駄目だぞ! マフィアを皆殺しなどリリアが――」


 良くわからないが、とりあえず止めねばとユーリの肩を掴んだ。


「だからあいつは関係ねぇって」


 それを軽く払うユーリが纏う空気に変化はない。いつものユーリのままだ。


「大丈夫大丈夫。俺殺さねぇからよ」

「どういう――?」


 笑うユーリの表情からその思考は読み取れない。


「というわけで、オリハルコンねーちゃん。ちぃと協力してくれ」


 笑ったままのユーリはエレナの肩に右手を置き、その顔の目の前で左手の親指と人差し指をくっつきそうな程近づけた。


「だから私はオリハルコンねーちゃんでは……今はいいか。協力はいいが私も殺しは嫌だぞ?」


 エレナはブンブンと音がなりそうなほどかぶりをふる。


 正直エレナも人を手にかけたことはあるが、気持ちのいいものではなかった。

 出来たらなるべく関わりたくない経験の一つなのだ。


「なに大丈夫だって。情報をちっと提供してくれるだけでよ――」

「情報ぉ?」


 眉を寄せ声を若干裏返したエレナ。そんなエレナを呆れたような表情で笑ったユーリが続ける。


「ああ。今から見せてやるよ。ユーリ君による『誰でも出来る簡単マフィアの潰し方講座』ってやつをよ」


 そう言っていい顔で笑うユーリは普段と変わらない。


(…目眩がする。空気の変化は淡々とやるか、楽しみながらやるかの違いくらいしかないのでは?)


 そう思えるくらい、今も目の前で「今晩中に終わらすぞー」と伸びを始めたユーリを、エレナは苦笑いで見ることしかできないでいる。




 ☆☆☆



 エレナにあれこれ聞いたユーリは、今もまた路地裏に腰を降ろしてデバイスを操作している。


 エレナが教えた情報は本当に大したものではない。


 レオーネファミリーのホームの場所。

 ボスや構成員の大体の人数。

 代替わり抗争時の状況。


 そして現在レオーネを取り巻く粗方の状況……という事だけだ。


 そのどれもがイスタンブールで荒事を経験したことのある人間なら、誰でも知っているような本当に些細な情報で、別にエレナに聞く必要はないものばかりだ。


 それを指摘したのだが――


「あのな、俺はこの街に昨日来たばかりだぞ?」


 ――と呆れたような表情で溜息をつかれただけだ。


 昨日来たばかりだから知らなくても無理はない。無理はないが、わざわざ「情報をくれ」とまで言う話では無い気がするのだが、今も上機嫌でデバイスを操作しているユーリからしたら「貴重な情報」だったと見える。


「……よう、俺だ――」


 デバイスの上に出現したホログラムに話しかけるユーリ。ホログラムに映る相手はユーリの様にフードを目深に被っているため、その顔は恐らく男性だろうということ以外は分からない。


「は? 何で知ってんだよ。耳が早すぎんだろ」


 苦笑いを浮かべるユーリは、どうやらイヤフォン越しにホログラムの向こうにいる相手と会話してるのだろう。


「ま、状況を知ってんなら丁度いいぜ……『情報』流して欲しいんだが」


 ユーリの一方的な会話を聞くエレナには、何を話しているかいまいち分からない。そもそもエレナから仕入れた情報は、流すも何も大したことのない情報だ。


「……心配すんなって。マフィアのホームだぞ? くらい腐る程あるだろ」


 眉を寄せるユーリだが、どうも褒められないような会話にエレナの眉根も同時に寄る。


「知ってるわ! 俺とお前の仲じゃねぇか。で何とか頼む」


 ホログラムを前に片手合掌のユーリ。ホログラムの向こうの相手が、分かりやすい位大きく溜息をつけば「サンキュー、恩に着るぜ」とユーリの軽い感謝が路地裏に響いた。


「流して欲しい所くらい分かってんだろ? レオーネんボスと、えっと……マルコ・ロマーニ……だったか?」


 振り返るユーリに、エレナは思わず「あ、ああ」と会話の内容が分からないまま頷いた。ユーリが口にしたのは、今のドン・レオーネではなく代替わり抗争で、幼い後継者を率いて戦った男の名だ。エレナが教えた情報の一つなので、頷いても問題はないのだが、それでも会話の内容は朧気にしか分からない。


(恐らくドン・レオーネにマルコ・ロマーニを当てようという事だろうが……)


 そうだとしても、どうやって二人をぶつけるのか、どうやって二人を動かすのかまでは分からない。


「残念だったな。マルコ・の名前くらい知ってるからよ。


 勝ち誇って笑うユーリだが、エレナは心のなかで「ロマーニな、ロマーニ」と突っ込みが止まらない。


「お前に何でもかんでも頼むと、ケツの毛まで毟られるからな」


 一瞬口を尖らせたユーリだが「んじゃ頼むぜ?」と笑うと、通信が切れたようにホログラムが消失した。


「……今のは?」

「ん? ああ。古い知り合いだよ。腐れ縁の……悪友ってやつだな」


 笑うユーリが再び尻を払いながら立ち上がり、「うーん。さてと……」 思い切り伸びをしたユーリが肩を回す。


「行くか――」


 そう言い歩き出すユーリに、


「ま、待て。行くとは? どこに?」


 エレナは慌てて追いかけながら隣に並んだ。


「そりゃ決まってんだろ。マフィアのアジトだよ。って言ったろ?」


 呆れ顔のユーリが、「お前に場所も教えてもらったからな」と続ける。


(マルコ・ロマーニをぶつけるのでは無かったのか? いやそれより――)


「分かった。なら私もついていこう。乗りかかった船だからな」


 このままでは気になって寝られない。それにユーリを一人向かわせれば、何があるか分からない。


 決意の籠もった瞳でユーリを見つめ返せば、その先で盛大に顔を顰めるユーリ。


「嫌そうな顔をするな。見ているだけだ」


 エレナが大きく溜息をついたのは、イスタンブールの長い夜が漸く折り返した頃だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る