020 絶対絶命!?

 なんで? 

 なんで? 

 なんで、急に目覚めたの?

 結界の中に入ったから? いや、そりゃそうか。収納紋の魔法で入れるなら、今までだって何人も入ってただろうし、なにせ金貨300枚の討伐対象だ。


「秘密? 紋章の力のはずだけど……。まさか、あなたみたいな子どもが結界を抜けるなんて、驚きね。名前はなんていうの?」


 でも、そうなんだよなぁ。

 収納紋の魔法で簡単に結界の中に入れるのに、クロエは生きている。その時点で「結界の中に入られたら起きて迎撃してくる」ことくらい想像できたはずなのに。

 あ~あ、せっかく紋章写したのにこれでパーか。


「ちょっと。無視しなくてもいいんじゃない? 私、あなたが来るのをずっと待ってたんだけど。こう見えても、すっごく興奮してるんだから。ほら、ドキドキしてる」

「…………え、あ、わっひゃあ!」


 気付いたら目の前にクロエが膝立ちになっていて、私の手をその豊満な胸に押しつけてきていた。

 同性でもこれは驚く。柔らかい! なんなんだ! この状況は! 

 魔族怖い!


「あなた紋章士なんでしょう? ヒトとは思えない濃密な魔力を感じるわ……。確かにこれなら――あなたなら、私のかんなぎになれるかもしれない」

「か……かんなぎ……? なんですか、それは……」

「知らないの? おかしいわね。それならどうして、あなたはここにいるの? 私の魔法を引き継いでくれるのでしょう?」

「えっと……」


 美人の真顔は圧が強い。

 私は死んでも問題が無いドッペルゲンガーだがいいが、本体でこの魔族で相対していたらと思うとゾッとする。

 

 それにしても、どういうことなんだかよくわからない。

 どうする……? 


「変ねえ、から何年経ってるの? 30年くらい?」

「アレ……とは?」

「『魔族と人族による魔導紋継承の大憲章』。魔族は人族へ魔法を紋章として継承し神となり、人は魔族から紋章という形で魔法を受け継ぎ、神の巫となる。その契約」

「なにそれ……」


 そんな契約のことは何も知らない。

 魔族は人類の敵。

 頭の良い魔物。そんな風にしか教わっていない。今の私も、怨霊の記憶としてもだ。


 だが、クロエの瞳は赤ではなく黒。

 いや、厳密には濃い臙脂色だろうか。いずれにせよ、魔物のような明るい赤色ではない。

 それゆえか、怨霊リディアも無反応だ。


「……まあ、いいわ。私としては今が何年だろうが関係が無い。継承者たりえる者が来てくれたのだから、それだけでね」


 クロエの胸元の紋章が、赤黒く輝く。


「小転移!」


 私は最大射程で転移を使って逃げた。

 結界の外に出ればもしかしたらチャンスがあるかもしれない。

 というか、何をさせられるのかわからないが、どう考えてもろくなことじゃない。


「あら、すごいわね。時空魔法なんて。フラメルは魔法研究に熱心だったから、こうして継承者が続いているなら、喜んでいるでしょう。羨ましいわ」

「時空魔法……? これは収納紋ですけど」

「なにそのダサい名前。フラメル=ランバートの時空魔法でしょ? 何度も見たことあるもの。私が間違えるわけないじゃない。魔導紋の形だって、彼のと同じだし」


 収納紋が時空魔法……?

 いや……私だって、そうかも……とは思っていたよ?

 収納紋って、第1位魔法が「収納」で、第二魔法が「停滞スロウ」、そんで第三魔法が「小転移ショートテレポート」だもの。

 明らかに、だけに寄ったものじゃないってことくらいは。


「でもね。もうしわけないけどその紋章は破棄させてもらいます。『ティ・リア・リート』」


 クロエが呪文のようなものを唱えると、赤い魔力の塊のようなものを飛ばしてきた。

 至近距離からの攻撃。6歳児の肉体しか持たない私にはひとたまりも無い。

 残念だけど、紋章の写しは持ち帰れそうにない。


「あ……あれ……?」


 と思ったが死んでいなかった。

 なにをしたのか……それは魔法を使って逃げようとしたときにすぐわかった。


「小転移! ……あれ? 小転移!」

「無駄よ。もうあなたの紋章は剥がさせてもらったから」

「え……」

「そんな顔しなくてもいいのよ。すぐに、新しい紋章を描いてあげるからね……。私のかんなぎ……」


 確かに紋章の気配がなくなっている。

 魔族ってそんなことできるの!? てことは、私はもう完全無欠のただの6歳児ってことじゃない。


「『レマ・ト』」

「ぐっ!?」


 また呪文だ。不思議な魔力の縄に身体を縛り上げられ、私は指先一つ動かすことができない。

 ドッペルゲンガーとしての能力で、この状態でも「自分自身を消す」ことは可能。可能だが……このクロエの目的がわからない。

 いや、なんとなくわかるけど……。


 クロエが自分の腕をどこからか取り出した短剣で傷付ける。

 真紅の血液が腕を伝い、指先から地面へとこぼれる。


 その腕を持ち上げ、身動きの取れない私の胸元へと指を這わせる。


「あっ……ぐっ…………!?」


 それは「書く」という行為ではなかった。

 指先から放たれた血液が、そのまま魔力を伴いながら私の胸元へ、クロエの胸元にあるのと同じ紋章を刻んでいく。


「ふふ……。ヒトはこれを筆を使って書くんだから器用よね」


 私は口を動かすこともできない。

 問答無用で紋章を描かれてしまった。

 まあ、ドッペルゲンガーである私にとっては、新しい紋章を描く事自体はバッチコイなのだが、状況が状況だ。

 大丈夫なのかこれ。


「さあ、魔力を込めて。あなたなら……あなたならきっと、私の魔法を継承できる……」


 それは懇願に近い響きのある言葉だった。

 その時、私はたぶん始めてクロエの顔をちゃんと見た。


(意外と優しそうな顔をしてんのね……)


 全然状況はわからないし、頭がこんがらがってるけど、もうこうなったらこの紋章をモノにするしかない。

 魔力を流すと、紋章へとどんどん吸い込まれていくのがわかった。

 一度、起動を開始してしまったら中断はできない。

 成功か失敗か。二択だ。

 そして、失敗は死を意味する。だから、神殿は素人が紋章を起動することを禁じているのだ。


 赤く輝くクロエの紋章。

 しかし、私は感覚でわかってしまった。

 これ、魔力全然足りないわ。


「あっ、あれ~!? ダメじゃない! すごく魔力溢れてる感じなのに! なんでぇ!? あ、ああ~私の継承者ァ~~~~!」


 クロエが絶望の声を上げるのを聞きながら私は魔力をすべて紋章に吸い尽くされて消滅した。


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