008 紋章は赤く輝く

 それから1年経ち、私は6才になっていた。

 この1年の進捗はこう――


・まだ紋章は発動させられない。

・紋章チャレンジの体感からすると、魔力は確実に増えてきているっぽい。

・領内にも魔物が出るが、弱いものが中心。というか、魔物は無から発生するので根絶することができない。

・父親は一度戻ってきたが、領地の問題解決のために外に出ていることが多く、触れ合いもほどほどに今度は王都に呼び出されていなくなった。

・剣術はまあまあ様になってきた(と思う)。

・ガルディンさんから紋章についてある程度の情報を得た。

・お小遣いをもらって街で筆を買った。けっこう高かった。

・剣の携帯が許された。


 まあ大きくはこんなところか。

 紋章についての知識は、社会経験の豊富なガルディンさんがまあまあ持っていたので、書斎で見付けた紋章術の本の情報とすり合わせることができた。とはいえ、基本的には「太陽紋」と「火炎紋」という攻撃魔法が使えるようになる紋章との2つが戦闘ではよく使われ、他の紋章は特殊な意図がある人だけが入れる場合がほとんど……とのこと。 


 他にはドッペル・リディアの夜中の散歩により、何度か魔物との遭遇戦を経験したくらい。

 魔物の赤い瞳を見ると、内なるリディア――怨霊から発せられた憎しみや敵意によって、抗いがたい攻撃衝動が生まれる。

 その衝動のまま動いたら獣と大差なく、弱い魔物ならともかく、少し強い魔物が相手だったら普通に負けてしまう。数をこなして、この衝動を制御する必要があった。

 夜中にあっちこっち歩き回るのは、そうやって魔物との戦闘を経験するためだった。


 その結果、少し――ほんの少しずつだが「怨霊」の衝動にあらがえるようになってきている。

 これは剣を学び、心が鍛えられていることも良い結果を生んでいるのだと思う。


 ちなみに、このあたりにいる魔物は、剣を携帯していれば、私でもまず勝てる。

 魔物は繁殖して増える生物ではないため、完全に駆逐することはできないらしいのだが、生まれて間もないような魔物は最弱の分類らしく、あまり積極的な魔物狩りは行われていないようだ。


 まあ、まだ理性的な「戦闘」ができるほど制御できてはいないわけだが、これもできる範囲でやっていくしかない。そもそも、魔物自体がそんなにいない。


 剣の携帯は、さすがに6歳女児だし厳しいかとも思ったのだが、魔物も出る世界であることもあり、武器の携帯に対するハードルが低く、普通にOKが出た。現代でいうところのスタンガンくらいの気軽さだ。

 半年間ずっと必死に訓練しているし、それが評価された部分もあるのかもしれない。

 ちなみに、許可を出したのは父だ。ガルディンさんがうまく言ってくれたようで、私用のものを準備してくれたのだ。刃渡りの短い子ども用というか、短剣に毛が生えたような代物だが、あるとないとでは大違いだ。


「ドッペルゲンガー!」


 その日も就寝前、私は魔力を振り絞りドッペルゲンガーを呼び出した。

 基本的に魔力は一晩寝ると全回復するので、出し惜しみはせず気絶寸前の強度で行う。

 感覚的には全魔力の95%といったところだろうか。


 気絶するほどではないが、かなり疲れてしまう。

 すぐに眠ってしまうほどに。


「今日は紋章を試す日だったわよね。魔結晶はけっこうあるから、いろいろ試してみて」

「うん。今日こそ発動させてみせるよ」


 前回紋章の発動を試したのは1ヶ月前。あと少しで発動できるという感触があったのだ。

 この1ヶ月で、いよいよ発動できるのでは……! そういう確信に近いものがある。

 とはいえ、私はもう寝る。おやすみなさい。


 ◇◆◆◆◇


 本体が眠ったことを確認した私――ドッペル・リディアは魔結晶と水筒、筆を持って部屋を出た。

 林の中に入り、ちょうどいいくぼみがある岩の上で魔結晶をすりつぶす。水筒の水を注いでちょうどいい粘度になるよう調整。

 これで朱墨の完成である。


 この半年、限られた数しかない魔結晶を無駄にしないよう、いろいろと試した。

 紋章を描く場所。紋章を描くサイズ。紋章のデザインを少し変えて試したこともあった。しかし、そのことごとくが失敗。

 本体に描いてもらって、本来の「紋章を入れる場所」である背中でも何度か試したがダメだったのだ。


 となると、もうとにかく「発動できるまで」試すしかない。

 そこさえクリアできれば、試行の幅が広がってくるはずだ。


「紋は一番消費魔力が少ないっぽい太陽紋で……っと」


 右の太ももに紋章を描いていく。

 図案はもうとっくに記憶済みだ。目をつぶっても書ける。 

 太陽紋は朱墨の消費量もなにげに一番少ない。ある意味ではもっとも入門的な紋章と言えるかもしれない。


「……よし。我ながら良い出来ね」


 あとは魔力を注ぐだけだ。

 魔力についても、だいぶ知覚できるようになってきている。そりゃあ、毎日ドッペルゲンガーを作り出す「魔法」を使い続けているのだ。状況によって、自分の中の魔力量と相談をして3割、5割、7割、9割と区切って使っているわけで、いやでも魔力の扱いには習熟するというものだ。


「ふぅ~~~~」


 深呼吸して、紋章に魔力を注ぎ込む。

 一発勝負だ。

 紋章は「発動に必要な分量まで、身体から勝手に魔力を引き出す」から、発動のトリガーを引いた後は「魔力が足りる」か、それとも「足りないか」の二択なのだ。


 魔力に反応して、赤く輝き始める紋章。

 紋章に魔力が食われていく。


 初めて紋章を発動させようとした時は、あっというまに魔力切れになったが、だんだん時間が延びてきている。

 今日こそは!


 満月の夜は魔力が高まるという。

 私はその俗説を信じて、紋章を試すのは満月の夜と決めていた。

 空には真っ赤に輝く月。

 朱く紅く輝きを増す紋章。


 紋章をその身に宿すことは、すなわち人が神になる儀式そのものであるのだという。

 だから、神殿で入念な準備を行い、人生の一大イベントとして行われるのだ。

 だが、私はそれを1人でやった。

 やりきった。


 魔力の吸収を終え、ふとももに赤く刻み込まれた太陽の紋章。


 私はついに紋章の発動に成功したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る