004 魔物の紅い瞳

「紋章を入れるだけの魔力がないのに、どうやって魔法を使うのよ!?」


 昼過ぎ。

 ピクニックから戻った私は、書斎で情報を仕入れてきたドッペル・リディアから情報を共有して唸った。

 情報の共有はドッペルが消えることでこちらの流れ込んでくるのだが、おでことおでこをくっ付けることでも可能だ。なんとも便利である。


 それにしても、困った。

 いっそ、紋章を描く職業にでもなるか?

 たくさん書けば戦える人間が増えて、怨霊も成仏するかもしれない。


 ……いや、たぶん利権とかがあるんだろうな。

 勝手に書くと怒られるとかそういう……。


 いや、そもそも紋章を発動させられるほど魔力の多い人間自体が少ないのか?

 そのへんは要調査だな。

 

 ちなみに、領主である私の父親の背中にも、太陽紋が入っているらしい。

 らしいというのは見たことがないからだ。

 太陽紋は身体強化魔法の紋章。いざ戦となれば、領主自ら前線で戦うような世界だ。太陽紋は戦士の紋。使いこなせば一騎当千の力を得られるとか。

 領主自ら戦闘なんて……とも思うが、暗殺なんかもあるだろうし、本人が強いというのは大事なことなのかもしれない。


 ハッキリ言ってこの世界には娯楽が少ない。

 それはお茶会ばかりやっていた怨霊の記憶からも明らかである。

 でも、そのかわり魔物がいて、冒険がある。


「それとこれ。書斎に紙はあったから、コピってきた」とドッペル。

「でかした、私!」


 記憶を共有したからわかってはいるのだが、それでも私は褒めた。

 これは本当に我ながらお手柄である。


 ドッペル・リディアが渡してきたのは、3枚の紙だった。

 書斎の壁にあったこの国の地図と、各種紋章の「写し」だ。

 太陽紋と収納紋。


「たぶん、紋章の本って一般には出回ってないんだと思うのよね。魔力が少ない人が無理矢理に紋章を起動すると昏倒して、運が悪いと死ぬって話だし。記憶の中でも神殿の中でやってたでしょ? 図案が出回ってたら、市井の人たちだって勝手に書くだろうし」

「とすると、この紋章の写しはかなり貴重……ってことか」

「地図もね。昔は地図って戦略的に重要なもので、一般に出回ったりはしなかったらしいから。ま、伊達に領主ではないということかもね」


 転生先が貴族の娘で良かった。なかなか幸先が良い。


 あとは、魔力だ。

 むしろ、そっちが本命といってもいいが……困る。困った。


「あの~。魔力なんだけど、なんとかなるんじゃないかなって」


 おずおずと手を上げてドッペル・リディアが言う。


「なになに? 妙案があるの? あ、そういえば魔物を倒しても魔力が増えるって書いてあったっけ? 確かにそれも一手ではあるんだろうけど、紋章士が強い魔物を大量に倒してやっと少し増えるくらいとか書かれてたし、無理でしょ」

「ううん、そうじゃなくて。私って魔力で作られているんでしょ? 私をギリギリまで魔力を注いで生み出せばいいんじゃない? そうすれば、魔力を使えるでしょう?」

「あ……、ああ! そうね! その手があった! うっかりしていたわ」


 そう言われて、私は一度ドッペル・リディアを消した。

 私の残りの魔力は、どれくらいだろう。

 朝にさっき消したドッペルゲンガーを生み出した時は、私の感覚での話であるが、最低限――3割くらいの力で生み出したが。

 ……まあ、いいや。やりながら慣れていくしかない。


「全力! ドッペルゲンガー!」


 目の前に私が出現するのと同時に、スッと全身から力が抜けていく感覚。

 そして、そのまま私は意識を失った。


 ◇◆◆◆◇


「我ながらバカね……」


 私は意識を失ったオリジナルを支えながら呆れてしまった。

 怨霊の知識で、魔力を使いすぎると気を失ったり、酷い場合は死ぬこともあると知っていたはずなのに、このわたしは……。


「とにかく、ベッドに寝かせて……と。私がこうしているということは、死ぬ心配はないと思うけど」


 しかし、私自身がここに2人居るという状況は如何にもマズい。

 

 私は持っている服の中でも動きやすいものに着替えて部屋を出た。

 母親やメイドに見つからないように食堂へ移動。

 この時間は使用人達が料理を作っているが、私がいても別に見咎められることはない。

 ナイフを一本こっそり失敬して、外に出る。

 一人娘であるといっても、しょせんは田舎の一領主に過ぎない。

 専属のメイドがいるわけでもないし、四六時中監視されているというわけでもない。

 抜け出すのは容易かった。


 裏口から、裏手の林の中へ。

 そこで長ったらしい髪をナイフで乱雑に切り落とした。

 とりあえず髪さえ短ければ、別人だと思われるだろう。たぶん。


 ナイフは後で返すように木の陰に隠す。さすがにナイフを持って歩いている幼児は怪しすぎるからね。


 屋敷の垣根を越えた私は、適当にぶらぶらと歩くことにした。

 なんといっても、私にあるこの世界の知識は異世界人である怨霊……リディアのものだ。

 花を見ても、青い空を見ても「綺麗」としか感じることはない。そこに特別な記憶は存在しない。

 だが、地球人である私の感覚は違う。

 似て非なる植物。似て非なる雲の形。

 そのほんのわずかな違和感が寄り集まって、ここが地球とは違う世界なのだと訴えかけてきていた。


「……まあ、すぐ慣れそうな差ではあるけれど」


 たぶん、魔力などという謎のエネルギーがある世界だからだろう。

 植物もなんとなく地球のものより大きいような気がする。

 あるいは、比較対照がないからわからないだけで、私の身長だって3メートルくらいあるのかもしれない。


 林の中で手頃な棒きれを拾い、ぶんぶんと振ってみる。

 5才児の等身大な腕力しかない。ここは地球の時の自分と感覚として大差がない。

 怨霊さんの願い通り、家族や領地、領民までも守り抜くとなれば、どれほどのことが必要になるのか、途方もない。


「……しかも、怨霊さんはほとんど敵の知識がないし」


 なにせ、魔物と人間がたくさん攻めてきて滅ぼされた。

 端的に言えば、それだけの知識しかないのだ。

 これに対応しろというのは、かなり無理がないか?


「……ボヤいてもしかたがない……か。青春は遠いわね」


 どちらにせよ私はまだ5才。

 年頃までは時間がある。

 それまでに怨霊さんを成仏させ、私は青春を謳歌するのだ。

 歴史を修正できるかはわからないし、その時が来なければ『修整された』と確信を得ることもできないわけで、実際にはかなりの無理難題なわけだが……。


 私は林を抜けて、さらに歩いた。

 この世界には魔物がいる。こんな何の力もない5才児など、襲われればひとたまりもないだろう。

 実際、リディアは一人で外に出ることは禁止されている。

 まあ、ドッペルゲンガーである私には関係ないが。


「……それにしても、本当に田舎ね」


 私は仮にも領主の館から歩いているわけだが、ポツリポツリと木造の家があるものの、店も見あたらないし本当に農村である。

 実際、領主の館だって二階建てではあるものの、お城とか砦とかいう風情ではない。数名の騎士が常駐している関係で兵舎のようなものもあるにはあるが、それを差し引いても、城というにはささやかすぎる。

 せいぜい、ちょっと大きな館。そんなレベルだ。


「中世ファンタジーの世界というと、城壁に囲まれた都市のイメージだけど……。よっぽど平和だってことなのかな」


 まあ、怨霊の記憶だと栄えている場所は方角が違うようだから、仕方ないのかもしれない。

 領都は海に面しているから、海側に繁華街があるのだ。私は今、山側へと歩いている。


 地図を思い出す。

 南、館がある方角は少し(たぶん2㎞程度)歩けばすぐに海。

 西。遠く見える山々。

 東にも山や森、その向こうには海があり、その海の遥か向こうには魔族領があるという。


 魔族というのは人間を食べる恐ろしい種族で、海の向こうにはたくさんいるらしい。

 らしい、というのはつまりよくわかっていないのだ。

 リディアが教会で教わった知識でしかなく、実際に見たことはない。


 まっすぐ道沿いに北に進めば、魔族領と面した辺境伯領へとつながっている。私のこの足では何十日もかかるような距離だから、歩いて行くのは当然無理。

 昨日、父の書斎で簡単な地図を見れたのは良かった。怨霊の記憶には曖昧な地理しか入っていなかったから。たぶん、領主でなければ地図なんてものは持っていないはずで、転生先が領主で良かったと言えるだろう。

 これが、もし農民の子だったら、最低限の情報を得るのすらままならなかっただろう。文字を覚えるところからスタートだったはずだろうし、相当苦労することになったはずだ。


 しばらく進むと、人が集まっているところに出くわした。

 日に焼けた逞しい肉体とは裏腹に、すすぼけた麻の粗末な服。このあたりの農夫だろう。男性が3人と、ご婦人が2人。

 近づくかどうか悩んだが、私はドッペルゲンガー。失うものなど何もない存在だ。当たって砕けるべきだろう。


「どうかしたんですか?」

「んん? どこの坊主だ? 妙にこぎれいな格好してっけど」

「あれま、この子、領主様ンとこの子じゃないのかね」

「こんな髪が短けェはずがねぇだろう。それに、1人でこんなとこにいるわけがねぇ」

「それもそうだね」


 さすが5才児。話しかけた内容より身元の話題になってしまった。

 まあ、そりゃそうだよねってとこなんだが、そんなすぐに挫けるならそもそも話しかけてないんだよなぁ。


「私は、バルト様の甥です。カインといいます」


 とりあえず偽名で。


「甥!? そ、それじゃ領主様のとこの身内ってことじゃないか」

「何で1人で出歩いてるんだ? この辺りにゃあ魔物も出るってぇのに」

「ゴブリンのやつらは人間の子供をさらって食うんだぞ」


 どうやら、魔物はこうやって少しは話題になるほどには珍しいものらしい。ゴブリンがどれくらいの強さかは知らないが、こうして大人が集まって注意しあう必要がある程度には危ないのだろう。


「送ってあげるから、屋敷に帰ったほうがいいよ。ゴブリンはすばっしっこいから、1人でいたら、あっという間に攫われてしまうよ」


 ご婦人の1人からそう提案され、少し迷ったが私は送ってもらうことにした。


「私はこのあたりには不慣れなのですが、畑では何を作っているのですか?」

「このへんなら麦か豆が多いね」

「収穫は年に1回ですか?」

「さっきから大人みたいな口を聞く子だね。やっぱり領主様方みたいな貴族様ともなると、あたしたちとは違うんだねぇ」


 たぶん貴族関係ない。中身が大人ってだけだから。

 まあ、そんなこと言っても仕方がないので、愛想笑いで返す。


 屋敷まで1キロくらいだろうか。けっこうブラブラ歩いて来てしまっていたようだ。

 次は海側を見てみよう――そんなことを考えていると、道のすぐ近く、ヤブの中でガサガサと音が鳴った。


「ん?」


 小動物でもいるのかと思ったのだが、そこにいたのは粗末な腰巻きだけを身に付け、赤い目を爛々と輝かせた、小さな人影だった。


「ゴ、ゴブリンだよ! 下がってな! 今、水を」

「ゴブリン? これが――」


 そう感想を漏らす刹那、私の中にいる怨霊の中で憎悪が膨れ上がった。

 爆発的に感情が黒く塗り潰されていく。


(憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い!)

(魔物を殺せ! 私から未来を奪った者を許すな!)

(殺せ! 殺せ! 殺せ!)


 頭の中がリディアに乗っ取られたように、私の思考が入り込む余地がない。


「う、う……うわあああああああああああああああ!!」


 その本能とも呼べるような衝動に抗うことができず、私は駆け出していた。

 虚を突かれ怯んだゴブリンへ、手に持った棒きれを振り下ろす。


「ガッ……!? ギョッ……! グべッ…………」

「死ね! 死ね! 死ね!」

「グガッ…………。ギケ…………」

「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」


 何度も何度も、私は棒を魔物へと振り下ろし続けた。

 何も。何も考えられない。

 私の中にあるのは、私を私の未来を私の家族を私の領地を滅ぼした魔物に対しての憎しみだけだった。

 私は棒が折れても、ゴブリンへの攻撃を止めることはなかった。

 馬乗りになり、素手で殴りつける。

 頭の中が真っ赤に塗り潰されて、その衝動は尽きることがない――


「も、もう死んでる! 死んでるよ!」

「うわあああああ! 離せ!」

「あ、あんたの手が壊れちゃうよ!」


 そう言われて、初めて私は自分の肉体の痛みに気付くことができた。

 見れば、拳の皮が剥けて血まみれ。白い骨まで露出している。


 目の前には、骨と皮だけになったゴブリンの死体。

 魔物は死ぬと、肉体を構成する魔力が霧散して、骨と目玉と外皮だけが残るのだ。

 元日本人の私にとって、本来ならば衝撃的すぎる光景――そのはずなのに、私の心は爽快感で占められていた。怨霊が満足したからだろう。

 いくら魂が日本人でも、私の本質は「リディア」なのだ。

 そのことを嫌でも理解させられてしまった。


「……止めてくれて、ありがとうございます」

「そ、そりゃ止めるに決まってるけどさ……。本当に大丈夫なの……?」

「ええ。これくらいなら問題ありませんよ。神殿で治してもらいますから」


 死にすら忌避感がないドッペルだから「問題ない」だけなのだが、その説明をしても仕方がない。

 神殿の名前を出したら婦人も納得したようだった。この世界では、金を積めば回復術で傷を治してもらえる。


 それよりも、今回のことは問題だ。

 この肉体の一番の致命的な欠陥といってもいいだろう。

 感覚としてハッキリと理解した。


 この身体は魔物に対して強烈すぎる攻撃衝動を持っているということ。

 そして、今のところ私の理性だけではソレを止めることができないということ。


 今回は弱いゴブリンだったから良かったし、私がドッペルゲンガーだったから大事にもならなかった。

 だが……もし、もっと強い魔物だったら?

 もし、魔物と出会ったのが本体オリジナルだったなら?


 全身の血液が冷えていく。

 こんな風に、普通に魔物が生息しているような世界で、それは致命的だ。


「それより、さっき水がどうとかって言いかけてましたけど」

「あ、ああ。魔物は水が苦手だからね。こいつをひっかけてやれば、どっか行っちまうよ」

「……そういえばそうでした」


 言われて思い出した。

 リディアの記憶は引っ張り出すまでにワンクッション……というか、トリガーが必要なのだ。鮮明な夢を見た後に、思い出せずにもどかしいような。そのくせ、一つ思い出せれば芋づる式にいろいろ思いだせるような、そんな感覚。


 それにしても、水だ。

 こんな大事なことを今の今まで思い出せずにいたとは、リディアの外部記憶はあまり当てにしないほうがいいかもしれない。


 この世界では『水』はかなり重要な物質だ。

 教会が言うには、水は神聖なるもので、魔の力を弱める力があるらしい。

 らしいというのは、リディア自身が、魔物と相対したことが、死ぬ瞬間までなかったから実感がないのだ。魔物が身近な世界ではあるけれど、リディア自体は、貴族の跡取り娘だし仕方ないことなのかもしれない。

 水を持つのは護衛の仕事だったわけだし。


 水はただの水でもRPGなんかにおける聖水と同じような効果を持つ。

 魔物を退ける効果。もちろん、それだけで魔物が死んだりはしないらしいが、とにかく『魔』と名のつくものとの相性が悪いのだとか。


 ……まあ、怨霊に憑かれた私が水を持っていたとしても意味はなかろうが。


「すみません、この死体を運ぶの手伝ってもらっていいですか?」

「あ、ああ……そりゃ構わないけど……」


 とにかく、一度戻ろう。

 本気でこの世界で生き残る方法を検討しなければ。

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