002 怨霊が憑いてました

「お嬢様!? お嬢様!!」


 遠くから声が聞こえる。

 知らない言葉だが、意味がわかる。

 お嬢様……か。


「あっ! カティア様! リディアお嬢様が目を覚まされました!」


 声の主は、メイド服を着た若い女性だった。

 くすんだ金髪。そばかすが愛らしいコーカソイド系の少女である。

 状況的に、私は気を失っていたのだろう。メイドがパタパタと部屋の外へと駆けていく。


 周囲を見回す。薄暗い部屋だ。

 石と木と漆喰で作られた家。

 大きめの窓から光を取り込んでいるが、照明らしきものは見当たらない。

 ……いや、あれは燭台か? 電化製品らしきものもない。


「夢じゃなかったってことかぁ……」


 つい口に出してしまう。

 死。

 神との遭遇。

 異世界転生。

 マジもマジの大マジだ。


 自分の手のひらを見る。ぷにぷにとした幼女といって差し支えない可愛らしい小さな手。

 5歳のリディアへと転生。

 すべて神の言っていた通り。


「うふ……うふふ……」


 驚くほど高く澄んで可愛い笑い声が部屋に小さく響く。

 それが自分自身の口から漏れ出たものだと気づくのに、少し時間がかかった。

 きっと顔もにやけているだろう。

 メイドが外に出てくれてよかった。


(本当に……本当に人生をやりなおせるんだ……! しかも、こんな美少女として!)


 前世は見どころのない残念なものだった。

 正直言って未練はない。

 家族も父親を残すのみだったし、恋人もいなかったし。


 あ、書ができなくなるのはちょっと辛いかもな。

 趣味で続けてただけだけど書道はけっこう好きだったし。まあ、それもこっちでもできなくはないだろう。地味な趣味なのは否定できないけれど……。


 とにかく、この第二の人生には希望がある。

 前世の私は見た目にけっこうコンプレックスがあって、それなりにそれを克服しようとした時期もあったけど、結局その一歩が踏み出せずに干物として生きていたのだ。

 それが、どうよ? リディアの美少女ぶりよ。

 この部屋には鏡はないが、あの――神の部屋で見た横たわるリディアは、絶世の美女と言っても差し支えない美しさだった。

 異世界転生? 復讐? 剣と魔法のファンタジー?

 そんなことより、私は『美少女』に転生したのだ!

 嘘みたいな話だ。こんな美味い話が現実にあるのか。


「青春をもう一度……! しかも異世界ともなれば、白馬の王子様的な人と結婚したりとかできるのでは……!?」


 ヤバい。

 人生終わったと思ったら始まってしまった。

 彼氏いない歴=年齢の喪女を舐めてはいけない。

 ファンタジー世界が舞台の乙女ゲームなど、何本プレイしたか知れないよ。


「ぐふふ……」


 明るい未来が腹の底から這い上がってきて、気持ちの悪い笑いが口から洩れ出る。

 潤いに溢れた新しい人生が私を待っている!

 しかも、貴族だよ! ヒュ~!


 復讐を願って死んだリディアには悪いが、私は私のやりたいことをやらせてもらう!


(…………く……い)


 ん?


(……憎い……憎い……許すまじ……)


 な、なんなの……? 頭の中に直接声が……!?


(憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い)

 

「い、いやぁあああああ!」


 謎の声が頭に響き渡り、その声に引っ張られるように体中に憎悪と悲しみが満ちていく。

 フラッシュバックするように、頭の中に鮮明に浮かび上がる情景。


 優しい両親。可愛い妹と弟。

 燃えさかる森。武装した魔物。

 そして、生きたまま貪り食われる領民達。

 

(憎い憎い憎い……。この恨み……このうらみはらさでおくべきか!)


「ひぃいいいいいい!」


 それは、神も言っていたこの肉体の前世――つまりあの「横たわるリディア」の記憶だった。

 私と記憶を共有しながらも、その記憶には燃えさかるほどに強烈な残留思念までもがこびり付いていたのだ。

 

 神の嘘つき!

 リディアの魂は消滅したんじゃなかったの!? 


「うぉおおおお! 怨霊! 悪霊退散!」


 ブンブンと頭を振ってみても、何も変わらない。

 やっぱ、美味いだけの話なんてなかった! 南無阿弥陀仏!


「きゃあ! お嬢様が! お嬢様がご乱心!!」

「あああ、リディアちゃん! 大丈夫!? どうしちゃったの!?」


 その後入ってきたメイドと母親らしき人にめちゃくちゃ心配されてしまった。


 ◇◆◆◆◇


 情報を整理しよう。


 私の名前はリディア・ティナ・ラピエル。

 ラピエル家の長女だ。

 ラピエル家は、このあたり一帯を納める小領主であり、私はそのラピエル伯の娘……つまり貴族ということになるらしい。


 年齢は5歳。

 学校のような施設はなく、教会がその役割を果たしている。リディアも、週に2回程度は教会に脚を運んでいたようだ。教えに根ざした常識を教える場……なのかな。私は、そういう宗教的なあれこれに関しては疎いが、おいおい覚えていけばいいだろう。

 それ以外は、貴族の娘らしく、家で裁縫やら刺繍やら読み書きやらを教わって暮らしていたようだ。 


 リディアが20歳で死んだ時、両親はまだ30代後半。

 爵位は世襲制で男女関係なしの『生まれ順』で優先度が決まるので、私……つまりリディアが次期当主ということになるらしいのだが、リディアの記憶には領主としての仕事の知識がほとんど存在しない。

 今だって、領主であるパパさんは領地を巡回しながらアレコレと働いているらしいのだが、リディアは20歳になっても、そういったことを学ばずにいたようだ。

 理由はよくわからない。おいおい教えていけばいいと考えていたのか、それともリディアには後を継がせないつもりだったのか。あるいは、リディアが怠惰だっただけという可能性もある。


 怨霊とは意思疎通できない。

 ただし、記憶は死ぬまでのものが残っており、この世界のことを何も知らない私にとってはかなり助かるのだが、「思い出したいこと」をピンポイントで狙っていかないと、思い出すことができない。

 検索ワードがわからない事はインターネットがあっても調べることができない――みたいな話だ。

 私はすでにリディアだが、シームレスに呼び出せる記憶は、この肉体の本来の記憶……すなわち「5歳までのもの」だけで、20歳のリディアの記憶は、外部記憶装置に置いてあるような感じというか。

 そのくせ怨霊は勝手にこっちに干渉してくるから、迷惑としか言いようがない。


 そして、その情報もまたかなり中途半端なものが多い。

 本を読んだ記憶もほぼナシ、親が領主のくせに政治のこともあんまり知らない。

 お友達とお茶会や刺繍会なんかをしながら、学校にも行かずに死ぬまで過ごしていたというのだから、なかなかのものである。


(学校に行かなかったとか、ちょっと考えられませんね……)


 だって、この世界には貴族学校だか魔法学校だかみたいなものがあるらしいのだ!

 そして私は一応貴族の子女なので、通える。通えるはず。通えるんじゃないかな。

 いや、意地でも入学するんだ!

 ウェルカム王子様!


 ……そう。思い返せば、私には青春はなかった。

 いや……あったか。女子校だったけど書道部の友達とは上手くやっていたし、コンクールで入賞もしたし、師範位もとったし……。男の子には縁がなかったけど……。

 ううむ。やはり学校には行く。これはマストね。


(憎い憎い憎い憎い!)


 ぐっ! また怨霊が!

 私が楽しい未来を夢想すると、こいつが騒ぎ出すのだ。

 本当に記憶だけなのだろうか。

 やはり怨霊になって取り憑いているのでは……?


「わかってる、わかってるわよ。そっちもなんとかするってば」


 私は届くのかどうだかわからないけど、怨霊に向けて言った。

 そうすると、こいつはしばらくは大人しくしていてくれる。


 本当は、できるとも思えないしやりたくもないが、怨霊を除霊できない限りは一蓮托生だ。

 私が滅ぶか、国が滅ぶかみたいな話で、私が本当に逃げたら怨霊は私を呪い殺すと思う。それぐらいのパワーを感じる。

 完全に詐欺というか、神に騙された格好だが、私だって滅亡ルートは嫌だし『未来の記憶』がある私には、圧倒的アドバンテージがあるのは確か。

 要するに、攻め込まれて滅んだわけだから、そうならないように立ち回ればいい。

 ……無論、そんなに簡単なことではないだろうが、あと15年もあるわけだし。


 まあ無理でも……究極、家族全員で逃げてしまえば――


(許さない! 許さない! 許さない! 許さない!)


「いたたたたたたたた! わかってるわよ、冗談よ、冗談。領民も助けろっていうんでしょ!」


 怨霊め……。こいつは意にそぐわないことをやろうとすると、頭痛を引き起こすのだ。

 まさか、せっかく美少女になれたというのに、こんなお荷物が憑いた異世界転生とはね……。


 前途多難だ。

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