カズちゃんに逢えるその日まで

けろけろ

第1話 カズちゃんに逢えるその日まで

「カズちゃんがロケ中に事故!? い、嫌だなぁ、変な冗談は止めてくださいよ!」

 その情報を初めて聞いた時、僕は呑気にこんな事を言い――伝えてきた職場の事務員には、営業用の笑顔まで浮かべていたと思う。同じ事務所でお笑いコンピをやっているどころか、指輪の交換までして一緒に住んでいるカズちゃんが、生死の狭間に居るだなんて信じられなかった。もしかしたらドッキリか、なんて思ったりもしたのだ。

 でも、それは真実で。

 僕はすぐ病院へ移動し、手術フロアの前にある、家族用の待合室で呆けたように座っていた。いや、実際に呆けていた。だから、悪気のない子供に「シノカズのシノだ! 本物だ!」と言われても笑顔を返せなかったし、求められたリアクションも出来ない。

 ちく、たくと時間が過ぎていく。

 そんなに凄い手術なのだろうか。ここは大きな病院だから、腕利きの先生が何人も居るだろうに。そう気にし始めてから。僕の心臓がどくどくうるさくなった。座っているだけなのに息切れもして苦しさがある。僕の脳内には様々なカズちゃんが幾重にも連なっていて、もしもその存在を失うとしたら、僕は生きていられないかもしれない。

 カズちゃんの手術が終わったのは、もう二十代も後半という、いい年こいた僕がぼろぼろ泣き尽くし、意識をうっすらさせた頃だった。


 そこから先、僕の意識は混濁している。手厚そうな医療を受けたカズちゃんが、ICUみたいな場所に連れ去られ、でも僕はカズちゃんをこの手に抱きたくて仕方なくて――ちょっと暴れそうになっていたわ、と後から看護師さんに教えられた。その看護師さんから鎮静剤も打たれたみたいだ。それもそうか。相方が我を忘れ、何をやってるんだか。


 僕がはっきりした世界に戻ったのは、病院の硬い長椅子の上だった。病人でもないから、寝転がされていたのだ。でも、その長椅子の前には『高野和美』という名札が貼り付けられた部屋がある。僕は恐る恐るドアを開け、でもカズちゃんが居ないので最悪の事態を想定してしまった。慌ててナースステーションに向かい「カッ、カズチャ! どこ!?」みたいに噛みまくったけれど、看護師さんは落ち着いて僕の意図を汲んでくれた。

「高野さんはまだICUに居るのよ。でも、いつ病室に移動してもいいように……まぁ個室の予約みたいなものね」

「あっ……そうですよね! 僕よりカズちゃんの方が人気者だし、個室じゃないとファンに囲まれちゃう!」

「いえ……高野さんの状態が……大部屋は無理かしら」

 看護師さんは暗い表情をする。カズちゃんはICUに居るってのに、僕は馬鹿だ。


 さて、このあと僕はどうしたらいいだろうか。ICUの前で過ごしていたら、これでもちょっと名の知れた芸人なので、見つかれば他の人に迷惑が掛かる。もしもそれで、助かる命に影響が出たらと思えばゾッとした。

 看護師さんによれば、カズちゃんがいつICUから出て来るかは判らないらしい。

(だったら、ええと)

 僕は少し考え、我ながら良い案を思いつく。

「よし!」

 僕はカズちゃんの病室に戻った。誰も居ないベッドの横にはソファと冷蔵庫。トイレへの扉まで発見して、ここなら何をしていても一番にカズちゃんを迎えられる。いや、迎えるんだ。そう決めた。なので事務所に連絡し、芸人『シノ』はしばらく休暇。僕は食料を買い込み、病室でカズちゃんをひたすら待った。ソファで寝て起きてはウトウト、でも三時間置きにアラームを掛けて、カズちゃんの情報収集を繰り返す。返事はいつも『判らない』なので歯がゆい。カズちゃんと僕は、籍こそ入れていないけれど夫婦みたいなモノなんだし、お医者さんから容態の説明があったっていいはずだ。いや、先日僕が暴れそうになったから、刺激しないようにしているだけかもしれない。


 そうやって悶々と過ごした数日間。

 気が遠くなるくらい長かったけれど『明日、高野さんがICUを出るわよ』という、看護師さんからの情報には小躍りしてしまう。だったらこの病室にカズちゃんが来るわけで――まずい、しばらく僕が住みついていたせいで、ちょっと生活感が出てしまっている。掃除して換気でもしようか。いやいや、数日間シャワーも着替えもしていない僕が、一番問題かも。きっとカズちゃんはストレートに『シノちゃん臭い~!』とか言うだろう。

 なので掃除して窓を開け、急いで自宅マンションに向かった。随分と久し振りに感じる我が家。でもカズちゃんが居ないので、だだっ広いだけの空虚な家だ。

 僕はシャワーを浴びサッパリしてから着替えた。さらっとした布が気持ちいい。

「あ、そうだ!」

 もしかしたらカズちゃんの容態により、まだまだ病室に泊まるかもしれないので、リュックへ着替えや生活用品を詰める。これで洗濯の替えも出来るので、『臭い~!』は無いだろう。

 時刻は午後の七時。僕は久しぶりにベッドで寝て、朝一番の病院へ行くつもりだったが――カズちゃんが早めに病室へ来る可能性に思い当たり、予定は変更。病院へ直行だ。


 はぁ、はぁと息を切らせて辿り着いた病室には、まだカズちゃんが居なかった。でも掃除と換気のお陰か清潔な感じが戻っているし、あとはカズちゃんを待つばかり。僕は全然眠れなくて参った。

(カズちゃんになんて声をかけよう……大丈夫? って、大丈夫なわけが無いよね? 痛む? とかも当然だし、手術とICUお疲れ様……とか? なんか軽いかな……うーん、うーん)

 そうやってぐるぐる考えていたら、いつの間にか寝ていたらしい。しかも、目の前のベッドには既にカズちゃんが居たりする。

「……あっ! で、出向かえようと思ってたのに! カズちゃーん! ……あれ?」

 カズちゃんは、すうすうと表情もなく眠っている。本来なら痛みなんかで眉をしかめていそうだけれど、薬がよく効いているのかもしれない。

 僕はカズちゃんの体温を感じたくて、近づこうとした。でも、なんだか派手な計器やケーブルみたいな物に囲まれていて、その作業は困難を極める。なので、カズちゃんのショートカットの黒髪や、色白の頬に触れた時は、感激もひとしおだった。

「柔らかい……あったかい……生きてるんだね、カズちゃん……お帰りなさい」

 僕から大量の涙が溢れる。カズちゃんが僕にとって、どれだけ大事なのかバカなくらい良く解った。

「……きちんと治るまで営業はお休みだよ。ネタ出しくらいはいいかな? 目が覚めたら約束しなくちゃ」

 僕は名残惜しくカズちゃんから離れ、ソファで横になる。カズちゃんと同じ部屋で過ごす幸せというやつを噛み締めながら。


 その翌朝、カズちゃんの実家からご両親がやって来た。きっとICUから出るのを待ちわびていたに違いない。僕はカズちゃんを守れなかった申し訳なさから、ぺこぺこ頭を下げる。でもご両親は僕を怒るわけでもなかった。特にお義母さんは僕の両手を握って、こんな事を言ってくれる。

「和美がこうなったのは、当たり前だけど悲しいわ。でも、芸人なら身体を張る事も仕方ない。これは有り得ない事じゃなかったの。私は和美が選んだ道を否定しないわ……」

 そういえば、カズちゃんと同棲する道を決めた時、だくだく汗をかきながらご両親に挨拶したら、二つ返事で了承されたなぁと思い出した。カズちゃんは本当の意味で、ご両親に愛されている。嬉しい。

「……医療のお陰で和美の身体は回復しているわ。あとは目が覚めるのを待ちましょうね、優くん」

「はい!」

 僕が頷くと、お義父さんも優し気に微笑んでくれた。


 でも、翌日、翌々日、その先もカズちゃんは目覚めない。僕とカズちゃんは法律的に夫婦ではないから、お医者さんに頼んでも「守秘義務が」と病状を教えてくれなかった。なのでお見舞いに来たお義母さんに聞いてみたら、重々しい返答がある。

「優くんには言いづらかったのだけれど、和美が目覚める可能性はとても低いと……先日、お医者様がおっしゃったのよ……」

「……嘘、ですよね?」

 僕はやっぱり馬鹿だと思う。この状況で嘘なんかつかれるわけもない。でも反射的に確かめてしまった。

「……出来得るだけの事は全部やったの。嘘だったらどれだけいいでしょうね」

 お義母さんがぽろぽろ涙し、目元をハンカチで拭っている。僕の目の前は真っ暗になった。でもお義母さんの一言で持ち直す。

「優くん、可能性はゼロじゃないわ。待ちましょう」

「は、はい! 僕はカズちゃんが元気になるまで、ずっとずっと待ちます!」




 それから数年、僕はカズちゃんの瞼が開くのを願っていた。その間、仕事をお休みしている訳にも行かないから、忙しさの中を縫うようにお見舞いへ向かう。そこにはお義母さんが居たり、お義父さんが居たり、他の親戚が居たり。こっそり行く真夜中ならば、カズちゃんと二人きりになれたけれど――照明を点けられないから、よく見えなくて寂しかった。

「ねぇカズちゃん、何か言ってよ……いつもみたいに笑おうよ」

 でもカズちゃんの薄い唇が開くことはない。僕はカズちゃんが喋ってくれるよう祈りを籠め、口づけさせてもらった。そうしたら自然と涙が出てくる。

「これがマンガとか映画なら、奇跡が起こってもいいんだけどなぁ……」

 そんな中で言い渡される『カズちゃんは回復する見込みがない』という診断。僕の中で、世界が崩れた。


 大好きだった栗色の瞳はもう見えない。

「馬鹿ね」と言いながら、怒られるのも叶わない。

 どんなに僕が他の人を笑わせても、カズちゃんだけは黙ったまま。


 僕は酷い無力さを感じ、その穴を埋めるようにピン芸人として頑張る。カズちゃんの生命を維持するのにもお金が掛った。

 でもそれは、僕の大事な部分を擦り減らしてしまう。もう涙は枯れ果てており、物言わぬカズちゃんが当たり前になってきて、時に「カズちゃんを生かしておくのは、僕の我が儘だ」などと考えた。昔「ずっとずっと待つ」とお義母さんに伝えたけれど、そのお義母さんだって心の整理をつけている。


 でも僕はきっと待つのだろう。お爺ちゃんになっても。このまま心が擦り切れても。脈を失っても待ち続けるのだろう。いつかカズちゃんに逢えるその日まで。

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カズちゃんに逢えるその日まで けろけろ @suwakichi

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