父の記憶④ 親友

 記憶の断片。


 幼少期を戦後の昭和で過ごした父は、当時のことを息子に語ることがなかった。


 鬼籍に入って二十年以上が経ち、一人暮らしが難しくなった母がとうとう実家を退去したため、空き家になった実家に月に一度、空気の入れ替えのため通うようになった。


 そのたびに実家の片づけを少しずつ進めていたときのこと。


 二階にあった父の遺品らしい書類の束を見つけた。

 元気だったころの母がクリアファイルに入れて保管したものだった。おそらく母はそのことを忘れてしまっているけれど。


 書類の中に一通の封書があった。

 父が亡くなった数か月後に届いたもので、読んでみるとそれは、父の訃報を伝え聞いた父の幼いころの親友の手紙だった。残された母と私たち家族のことを案じるとともに、私たちが知らない父との幼少期の思い出が記されていた。


 特に印象深かった内容を書き残す。

 

 二人は小学校に入ってすぐに仲良くなったようで、互いの才気を認め合ってよきライバルにもなったそうだ。毎日授業が終わると、前日に読んだ小説や物語の内容を交互に語り聞かせあうのが楽しみだったらしい。話の続きを知りたくてワクワクしてその時間を待ってたことが書かれていた。


 そして1945年の大阪大空襲の直後のことが記されていた。

 当時小学校高学年だった父は、隣にいた親友と自然と手をつないで自宅近辺を歩き回ったけれど、家がどこにあったかさえ分からなかったそうだ。文字通り焼野原であったと書かれていた。

 多くの焼死体を目にして何を思ったのだろうかと思いを巡らせずにはいられなかい。

 そのあとに続く戦後の混乱期、当時の少年たちは必死に生き抜いたはずだ。誰も守ってくれる人がいない時代を大人も子供関係なく、頭脳と体力を武器にして戦ってきた。現代の私たちの想像を超える時代を経て現在に至った。


 戦後に生まれた世代が太刀打ちできないのは当たり前だと思う。

 生き死にを身近に置いて鍛えられた胆力に我々が敵うべくもない。

 

 手紙は他にも、二人の恩師との再会のことや、再会したあと細々と音信だけは続いていたことなども書かれていた。


 息子が知る父親の姿と手紙の内容を比べて「ああ、そういうことがあったのか」と合点がいくこともあったし、逆に「そんなことがあったのか」と意外に感じることも多々あった。


 年上の世代の言葉を無碍にしてはいけない。

 鬱陶しいのはわかる。わかるけれども、ただ身内の言葉くらいは耳を傾けて聞いておいたほうがいい。厳しい世界を渡ってきた者の言葉は何物にも代えがたいから。

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