父の記憶③ 台風
記憶の断片。
昭和一桁生まれ、七十二歳で鬼籍に入った父は、家庭を顧みず仕事に邁進するのが当たり前の昭和モーレツ社員の化身みたいな人だった。
私が高校生のある日、母が急に語った父のちょっとしたエピソード。
「お父さんとお母さんがまだ社宅で暮らしていたころね、大きな台風がきたの。伊勢湾台風っていって大きな被害が出たんだけどね。危険だからお父さんといっしょにずっと家の中に籠ってたの。翌朝は台風一過、青空が出てたからお父さんはいつものように社宅から会社に行ったの」
「うん」
「お父さんを見送ってから外に出たの。社宅を見たら、お母さんたちの部屋のお隣さんまでは無事だったんだけど、その先の三軒くらいは屋根が吹き飛んでたの。びっくりしたわ。もしかしたらお母さんたちも吹き飛ばされてたかもしれないって怖くなったの。それなのにお父さん、会社までテクテク歩いて行ったのよ。呼び止めようとしたときはもう姿が見えなかったわ」
(当時父は社宅から歩いて会社まで通っていた)
「……」
「お父さん、スーツにアタッシュケース姿で会社に着いたんだけどね、外の門扉が閉じてたんだって。不思議に思って掃除してた守衛さんに声かけて門を開けてもらおうとしたらしいの。そうしたら呆れたように言われたらしいの。『今日は台風被害のため会社は臨時休業ですよ……』って」
「……」
「帰る道すがら周囲を確認しながら社宅に帰ってきて最初の一言が『戻ってきたらなんだか凄いことになってて驚いた。だれもスーツ着てなかった』だって」
いつも朝の通勤中はその日の仕事のことだけを考えているらしく、大規模な被害が出ている周囲の様子に全く気が付かなかったらしい。
嘘のような実話である。
いくら昭和でも度が過ぎる仕事人間は周囲の顰蹙を買う。
この話は、同じ会社に勤務していた母の親族も知っていた。その日出社して仕事をしようとした社員がいると上層部に報告があったらしい。
法事があるたびにこのエピソードが披露されるので草葉の陰で悔しがってるかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます