現場の人物録① M村さん
四十年近く仕事をしてきて、システム開発現場のいろいろな技術者と出会った。
その中には「この人にはとても敵わない」「怪物だ」と思った凄い人がいた。
その筆頭がM村さん。
一部上場企業の部長さんで、現場に軸足を置いた技術者でもある。
私が四十代のころに、ある新規プロジェクトで出会った。
彼は記憶力が尋常ではなかった。
失礼な表現であると承知の上で「おかしいんじゃないか」と言いたくなるくらい、多方面のことを時系列を追って過去から現在までほぼ完ぺきに記憶していた。しかも新しい知識を現在進行形で覚え続けていた。
仕事領域での例を挙げると、IBMのS/360(システム/360)という私が生まれた年の翌年に発表された化石システムから、四十年後の今も更新を繰り返す最新のz/OSの動向に至るまで技術的な仕様や背景、開発経緯のTIPSなどを満遍なく記憶していた。若いころにIBM社外講師を請われてやったこともあった。急な質問にも半日以上延々とユーモアも交えて説明できるほどの知識量だった。
しかも記憶だけで話し続けるのが圧巻だった。途中で何かを見たり読んだりしない。実際にそれを目の当たりにして一日中彼の話を聞いたときは、心底驚いた。
趣味の話──芸能界、アイドル、パソコン、音楽・映画・アニメ・漫画などの知識が豊かでほぼ完全に情報を網羅していた。飲み会でも最新の話題から二十年以上前の話題まで満遍なく知っていて誰とでも話せた。
発想力も凄かった。
ランダムアクセス可能な膨大な記憶に支えられた知見とご自身の現場経験を総動員して、新たな発想のプロジェクトを創造する人だった。某メガバンクで認められてそのプロジェクトをスタートさせてしまった実績があった。
行動力、指導力も半端なかった。
いったいこの人はいつ寝ているのだろうと思うほど行動しフットワークが軽かった。必要と感じたら、そのまま設計書に流用できる高品質のプレゼン資料を翌日には準備して関係部署に配布している人だった。
調べものは抜かりなく素早く済ませ、外部との調整も先んじていつのまにか手配しておいて、そしていつのまにか済ませていた。
朝、出社途中の電車の中でメールを確認すると、深夜から朝方にかけてに彼から状況連絡メールが着信していた、なんてことはざらにあった。
部下や協力社員への指導も細かく正確だった。
プロジェクト参画者の中には業務システムの開発に不慣れな素人もいたが、一から丁寧に説明して質問に時間をかけて答えていた。その講義内容が面白いと気が付いたベテラン技術者が、無理矢理時間を捻出してその勉強会に参加するようになった。
業務推進、問題解決のスペシャリストだった。
自分で創造したプロジェクトの顧客調整、開発作業、リリース、メンテナンス工程に至るまで中心になって推し進め、日々発生した問題も細やかに対処して解決させていた。最終的にプロジェクトは予定通りリリースし、トラブルゼロだった。
もちろん欠点がなかったわけではない。
一種異能の人といってよい人物なので、距離の取り方が難しい、あるいは苦手と感じた人が多かった気がする。部下や同期の同僚たちとの人間関係にはかなり苦労していたと思う。ご本人も癖が強いとわかっていたようだが、それで臆するようなことは余りなかった。むしろ積極的に自分を理解してもらえるよう振舞っていたと感じた。
あまりに才気が有りすぎたのか、妬まれてご自身の所属会社の部下から身に覚えのない陰湿な誹謗を受けたこともあった。無関係の女子社員を巻きこんだセンシティブな内容だったため、気付かれないように慎重に証拠を集め、本社に告発と説明を始めてからは一気に攻勢に転じて潔白を証明してみせた。誹謗した社員は過去にも他の現場で同様の騒ぎを起こしており、その後精神疾患が判明し現場を去った。
彼は「信頼される凄い」技術者だった。
プロジェクトが完了したあとも、全国各地の現場の基幹システムのプロジェクトのために飛び回っていた。それほど頼られていた。優秀な管理職でありながら手を動かして「製造」することができるのだから引く手数多だった。
三年ほど前には、Mさんが今も広島の現場で腕を振るっていると聞いたことがあった。初めて会ってから十年以上経っていたけれど相変わらず活躍しているようだった。
その後は、私が体調を崩して現場を離れてしまい彼の動向は分からない。
ただ、私は彼と出会ったことで、仕事とはどうあるべきかを学び、一段階上の技術者になれたと感じている。彼の能力や業績の足元にも及ばない私が、仕事に関する意識を高みに上らせたのは彼との出会いあってのことだ。このことだけでも感謝しかない。
今後、生きている間にMさん以上の現場技術者と出会うことはないだろう。
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