天守閣の幽霊

政宗に城の探検許可を貰った柚月は、興味津々で城の中を見て回っていた。


忙しく動き回る女中に臣下達の姿。

辺りを見回せば和一色で、修学旅行で行った京都を思い出させる。


違うのは、柚月の見慣れた服装や髪型をしている人達がいない事だろうか。


陽当たりの良い縁側を通り掛かると、手入れの行き届いた日本庭園が視界に入り、柚月は思わず足を止めた。


「綺麗ー!!」


こういう景色を見ると、やはり自分も日本人だったんだな…としみじみ思う。


こんな豪華な日本庭園など住んだ事もないが、妙に懐かしい感じがしてしまう。


チュンチュンと聞こえてくる鳥の鳴き声も、心に染み込んで来る様で、柚月は縁側に腰掛けた。


(とりあえず…、町に行かない事には先に進まないし…。町に連れて行って貰えるまでは、難しい事は考えず乙女ゲームの世界を楽しもうかな)


元の世界へ帰れば、二度とゲームの世界になど来れないだろう。


それなら、今は今を楽しむ事が有意義と言うもの。


(しかし由紀が聞いたら卒倒するだろうな…、信じないだろうけど)


乙女ゲームのキャラクターという事で、出会う人達全員、元の世界ではまず出会える事はないくらいに整った顔立ちをしている。

完全に二次元の世界だ。


(伊達政宗って言えば有名なのは、やっぱり豊臣秀吉との逸話かなぁ…)


自分が入ってしまった異世界戦国恋歌いせかいせんごくれんかという乙女ゲーム。

妹から話を聞くだけでプレイした事はないが、歴史上の人物の名前を使っていはいるが、実際の歴史とは全く関係のない内容だったはずだ。


(過去の世界にタイムスリップしたのと違うから、実際の歴史の事件は起こらないし、私が何をしても歴史には関係ないんだよね…)


乙女ゲームへのトリップではなく、過去へのタイムスリップであれば、歴史的瞬間をこの目で見られたかも知れないが、この世界ではそうもいかないし、ゲームもプレイした事がないので、どんな事が起こるのかも分からない。


由紀の話をもう少し聞いておくべきだった…と後悔するが、後の後悔先に立たず、である。


(…よし!もう少し探検しよう)


そう思い、立ち上がった柚月の後方こうほう

そこで、柚月を見つめる人影があった。


「…?」


歩き出そうとした柚月が嫌な視線を感じて足を止めると、人影は音もなく姿を消してしまう。


その直後に振り返った柚月は首を傾げた。


(…誰かいた様な気がしたんだけどな…)


しばらく立ち止まって様子をうかがうが、何も変わった様子はなく、柚月は再びきびすを返した。


「気のせい…かな?」


首を傾げながら縁側を立ち去ると、再び現れた人影は、音を立てる事なく柚月の後を追った。








あれから数時間。


城の中を探検していた柚月が渡り廊下を通り、人気のない方へ足を進めていると、おずおずと申し訳なさそうな声が柚月を引き止めた。


「あの…」


「え?」


振り返ると、城の中で何度も出会った女中と同じ格好をした高齢の女が柚月を見つめていた。


「天守にご用でも…?」


「天守?」


「そっちは、天守に上る階段があるだけでございます」


(天守…天守閣てんしゅかく物見櫓ものみやぐらの事か…)


どんなに歴史にうとい柚月でも、城で一番高い位置にある物見櫓くらいは知っている。


「…入ったらまずいんですか?」


「いいえ、滅相もございません。ただ…、最近は見張りの兵士ですら滅多に近寄らない場所ですから…」


困った様に視線を泳がせる女中に首を傾げる。


天守閣に兵士がいない?


「天守閣に誰もいないんですか?…見張りも?」


随分とおかしな話だ。

それでは何の為の天守閣か分からない。


「左様でございます」


「…どうしてですか?」


何かあるのかと興味津々で問い掛けると、女中は辺りを気にする様に視線を動かし、声をひそめた。


「…出るんです」


「出る?ねずみとか?」


「……」


「………」


しばしの沈黙が流れる。

柚月がスベッた…、と後悔すると、女中はコホン、と軽く咳払いをして、再び真面目な顔を作った。


「…出るんです」


(言い直した…、無かった事にした…!)


柚月が仕方なく何がです?と聞くと、女中は「幽霊ですよ」と答えた。


「幽霊?」


まさかと言う思いで聞き返すと、女中は暗い顔付きで首を横に振った。


「誠にございます…」


そう言われると、今いる天守閣の入り口も薄ら寒い気がして来る。


思わず身体を震わせると、柚月は入り口から離れた。


「どうしてもと仰るならばお止めは致しませんが、入らない方が身の為でございます」


「はい、やめときます」


即答である。

現代だろうが戦国時代だろうが、乙女ゲームだろうが、何だろうが、幽霊や怪談話は怖い。


特に幽霊なんか柚月の苦手とする所だ。


夏に友達と集まって試した百物語。


結果としては何も起きなかったが、友達の怖い話を聞いているだけで肝を冷やした。

何より、さっき感じた得体の知れない視線と気配。


まさかという思いもあったが、君子危うきに近寄らずである。


(でもそうなると、めぼしい所はほとんど見て回っちゃったな…)


左右に続く薄暗い廊下をぼんやりと見ながら、柚月は背筋が寒くなるのを感じ、慌てて首を振る。


「あの…、ありがとうございました。私戻りますね」


「はい、その方が良うございましょう。では私はこれで」


見慣れぬ柚月を客人とでも勘違いしているのか、年老いた女中は恭しく頭を下げると、何故か天守閣へと歩いて行く。


(…?人には入らない方が良いって言ってたくせに)


怖がる様子すら見せずに天守閣へ続く階段を上る女中を見ていると、柚月は再び嫌な視線を感じて背後を振り返った。


「…ッ!?」


だが辺りを見回しても、何の姿も確認出来ない。


(…何か嫌な気配…)


ぶるっと身体を震わせながら、再び天守閣への階段を見ると、既に女中の姿はない。


(…どうしよ、戻りたいけど変な気配や視線を感じる…)


薄暗い廊下に目を凝らすが、やはり何の姿も見えない。


この嫌な視線を感じる不気味な廊下を一人で戻るのかと思うと、とたんに気が滅入ってしまう。


だからと言って、幽霊が出ると聞いたばかりの天守閣へ上って行った女中の後を追い掛けるのも気が引ける。


「…怖い…、誰か…」


足が震え始め、立っていられなくなった柚月は、その場にうずくまる様にしゃがみ込んでしまう。


両膝を抱えてうずくまっていると、今までは聞こえなかった音が辺りに響いた。


「ひッ…?」


かつんかつん。と聞こえる音は足音の様で、柚月は小さく悲鳴を上げて辺りを見回す。


「うぅ…幽霊?」


恐怖で涙がこぼれてきそうになるが、逃げ出そうにも足が震えて動かない。


だが怖い怖いと思いながらも、何故か近付いてくる足音の方を見ると、ぼんやりとした人影が暗闇に見える。


その瞬間、柚月はとっさに出会ったばかりの男の名を叫んだ。


『い…いやだ…!幽霊やだ!!政宗ーッ!!』


狭く薄暗い廊下に柚月の絶叫が響くと、近付いて来た人影は、何故か小さく肩を竦めた。


「そのお呼びに預かりました政宗ですが」


「…え?」


「…ったく、何してんだ、こんな所で…」


聞き覚えのある声に顔を上げると、そこには苦笑している政宗の姿があった。


「政…宗…」


「戻って来るのが遅くて探しに来てみれば…って、おい!?」


政宗の姿を見た瞬間に、安心したのか涙が溢れた柚月は、流れる涙を拭く事すら忘れて政宗に抱き付く。


「うぅー…、幽霊…幽霊がぁ〜」


「幽霊!?真っ昼間から何言ってんだお前は…」


震える柚月を安心させるかの様に、頭を優しく叩いた政宗は、改めて辺りを見回す。


「…相変わらず埃っぽいな、ここは…。明日にでも誰かに掃除させ…」


「それより政宗!今政宗が歩いて来た方向に誰かいなかった!?私…ずっと誰かの気配と視線を感じてて…!」


「…?誰もいなかったぞ?気のせいじゃねぇのか?それより戻るぞ、ンな所にいて流行り病に掛かっても困るからな」


「……」


確かに誰かいたはずなのに…と、納得がいかずに、政宗にしがみ付いたまま薄暗い廊下を見るが、もう気配も視線も感じない。


(…気のせい?そんなはずないのに…確かに誰かが私を見てたのに…)


政宗に腕を引かれて薄暗い廊下を引き返し始めた柚月は、怖いはずの天守閣に後ろ髪引かれる思いで階段を振り返る。


だが、やはりそこには誰の姿もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る