さらば文明の日々

見た事もない場所に飛ばされて来てから数時間。


歩いても歩いても見知った場所へ出る事もなく、辺りは相変わらず木々に覆われている。


変わった事と言えば、木々の間から見える夜空に月が浮かんだ事くらいだろうか。


散々山道を歩き回り、体力を失った柚月は、途方に暮れて目星を付けた木の根元に座り込んだ。


「…はぁー…」


溜め息も吐き飽きたが、話し相手がいない以上は、口をいで出てくるのは溜め息しかない。


「由紀…」


ふと、つい数時間前まで一緒にいた妹の名前を呟く。


もちろん返事はなく、柚月は寂しさで涙ぐんだ。


(どうやったら帰れるの…)


そう思った瞬間だった。

脳裏のうり露店商ろてんしょうの男が言っていた言葉が甦る。


「指輪は無くさない様に。帰れなくなるからな」


確かにそう言っていた。


焦って胸元のポケットに手を入れるが、指輪はない。


慌てて立ち上がり、身体中を確認した柚月は、へなへなとその場に崩れ込んだ。


(指輪がない…!!)


今がどういう状況なのかは分からないが、元の世界へ帰る為には指輪だけが頼りだ。


探そうにも、夜も更けたこの広い森の中。

砂漠で砂金を探すよりも難しい。


改めて考えると、背筋が凍る。

指輪がないと言う事は、元の世界へ帰れない事を意味するからだ。


「どうしよう…!あんな小さな指輪なんか、見付かるわけない!!」


不安と後悔。

これからの自分の身の置き様に絶望を感じて、頭が真っ白になる。



何より今現在。

この寒い中、コートもマフラーも手袋も無い状態で夜を明かさなくてはならない。


「さむッ…」


強く吹き付けた風に身を縮め込ませ、寒さをしのぐ。


何とか建物を見付けなければ、凍死するのは時間の問題だった。


柚月は覚悟を決めて、疲れきった身体にむちを打つとふらつきながら立ち上がる。


「何処かも分からない場所で死んでたまるか…!!」


絶対に指輪を見付けて元の世界へ帰ってやる。

そう心に誓うと、ゆっくりと歩き出した。







それからまた数時間。

柚月は、さっきとは違う木の根元にしゃがみ込んでいた。


(結局指輪どころか、何も見付からないし…。どこに飛ばされたわけ!?)


見渡す限り、木々しか見えない。

何処からかは、聞いた事もない不気味な声で鳥が鳴いている。


(…お腹減った…)


こんな状況で空腹を考えられるのは、柚月が生まれ持った性格だろうか。


考えに同調する様に、腹ががぐぅと空腹を訴えた。


(鞄持ってくれば良かったな…、お昼の残りのパンがあったのに…)


そんな事を考えていると、途端に眠気が襲ってくる。


いくら眠い中を出掛けて来たとは言え、この緊張感の中で眠さがぶり返すとは思えない。


つまり、この眠気は寒さのせいだ。


人間、体温が下がると眠くなる。

雪山の遭難しかりだ。


(寝ちゃだめ…!)


懸命けんめいに頭を振って、眠気を振り払おうとするが、歩き続けたせいで体力も失っていた柚月は、閉じようとする瞼に逆らう事が出来ずに目を閉じた。








「…い……るか?」


その時、耳に心地好い男性の声が届き、柚月はうっすらと目を開く。


「…い…。…おい、生きてるか?」


眠気でぼやけた視界に映ったのは、大きな上弦の月。そして月明かりに照らされて輝いて見える金色の髪だった。


「お月…様…近い…ウサギ…さん…、餅…食わせろ…」


「は?」


目の前にいるのが見知らぬ男性である事に気付くの同時に、まるでコスプレをしているかのような鎧を身につけ、腰に刀を差している事にも気付く。


豪華な装飾のされたその刀は、暗闇の中の微かな月明かりだけでも分かるくらいに、立派なものだ。


明らかに日本には…、いや、日本以外にも見ないファッションである。

普通の状態であれば、絶対に近付かないくらいに異様な姿だが、今の柚月にとって、そんな事はどうでも良い。

やっと見つけた人間だ。


「…人…見つけた…」


「…は?」


「お腹…減っ…お餅…、じゃなくて、助けて…」


「…は?…って、おい!しっかりしろ!」


眠気に逆らえず、意識を手放そうとする柚月を起こそうとしているのか、男は目を閉じた柚月の頬をパチパチと叩く。


すると、後方から別の声が近付いてくる気配を感じ、柚月は無理矢理に目を開いた。

近づいて来たのは馬だ。いや、馬に乗った人だ。


「政宗様、如何されました?おや、…その娘は?」


慇懃いんぎんな態度でそう問い掛けながら馬から降りた男は、長い銀色の髪を後ろで一つに結んでいる。


「小十郎か…」


「此処にいたのですか?」


「あぁ」


小十郎と呼ばれた男は、柚月を見下ろすと、哀れんだ様に首を振った。


「…大方、食べて行けぬ近隣の貧しい村人が置き捨てて行ったのでしょうね…」


(捨てて…行った…?)


男の言葉を否定しようとするが、あまりの眠気に勝てない柚月は再び目を閉じ、夢の中へと落ちて行った。


「小十郎」


「はい、政宗様」


名前を呼びながら立ち上がると、政宗は柚月をあごで示す。


「その娘を連れて来てくれ」


「…政宗様、それはさすがに…。どこの馬の骨とも知らぬ娘です。政宗様が気になさる必要はございませんよ」


「分かってる。だけど、見つけちまったんだ。見捨てる事は出来ねぇだろ」


「…仰せのままに。この小十郎、政宗様のお優しさに感動のあまり、涙で前が見えません…!!政宗様が小汚い見ず知らずの娘を助けたという美談。すぐに町の者たちにお触れを…」


「うるせぇ」


上下関係がはっきりとしているのか、小十郎は政宗に一喝されると、ピタリと黙って頷いた。


「仕方ありませんね…」


溜め息を吐きながら、眠る柚月を抱き上げると、小十郎は乗ってきていた馬に跨がる。


「よし、城に戻るぞ」


短く声を掛けて、馬を駈った政宗の姿を見送ると、小十郎は落ちない様に柚月を片手で強く抱きしめた。


ちらりと柚月を見て、不満そうに眉をひそめるものの、馬の横腹に軽く蹴り入れる。

その蹴りを合図に、馬は政宗の後を追う様に走り出した。







次に柚月が目を開けたのは、凍えそうな寒さの森の中ではなく、太陽の匂いがする暖かな布団の中だった。


目を擦りつつ布団から上半身を起こすと、辺りを見回す。


(…ここは…)


品の良い温泉旅館を彷彿とさせる造りの部屋。


まだ新しい匂いのする畳に、きっちりと閉じられた障子からは、朝日が室内を照らしていた。

チュンチュンと小鳥のさえずる声も聞こえて来る。

何という贅沢な朝だろうか。


閉じられた襖には、豪華な龍の模様が描かれており、金粉をふんだんに使った龍の模様に目を引かれる。


奥にある床間にはセンスの良い花が生けてあり、全体的に上品かつ美しい部屋だ。


「…?帰ってきた…とか?」


記憶にあるのは、薄気味悪い森の中が最後だ。


こんな所へ来た覚えはない。


(いや…、確か誰かに会って…)


段々と記憶が戻ってくる。

月を映した様な金色の髪と、冷たく輝く銀糸ぎんしの様な髪。

それに二人の男の声。


「…そうだ!パン!!」


お腹が減っていた為か、一番最初に思い出したのは、食べ残した事が心残りのパン。


つい「パン」と声に出してしまうと、それに対して苦笑が聞こえてきた。


「目が覚めたか」


「!?」


声の方向を振り返ると、そこには金色の髪の男が立っていた。

思わず見惚れるほどの美形である。

だがその整った顔には見覚えがある気がし、柚月は思わず首を傾げた。


「…具合はどうだい?」


男は、そう言いながら柚月に近付くと、布団の脇にあぐらを掻く。


「あ、…はい、あの…貴方…は?」


柚月が身を引きながら問い掛けると、男は一瞬だけ目を見開いた。


「なんだよ、助けてやった命の恩人を覚えてねぇのか?助け甲斐のない女だなぁ」


「…命の恩人?」


その言葉で、夢現ゆめうつつに聞いた台詞が脳に浮かび上がる。


(そうだ…、この声…)


月明かりに照らされて輝いて見えた金色の髪に目を奪われ、顔までは見ていなかったが、確かに昨日の夜に聞いた声だ。


「…すみません、ぼうっとしてて…。えっと…ありがとう」


「まぁ困った時はお互い様ってな、それに小さな領地だが、お前も俺の領地の民である事は違いないしな。守る義務もある」


「…?」


勘違いをしている。

柚月はこの目の前の男の民ではない。


いや、民と言う言葉自体を久し振りに聞いた気がする。


(…民とか、歴史の授業くらいしか使わないけど…)


柚月がどういう事なのかと考えていると、男はゆっくりと立ち上がった。


「昨日の夜は寒かったろう?風呂の用意がしてあるぜ、温まってきたらどうだ?」


「はぁ…」


何にせよ、命拾いした事は確かな様だ。


親切な男に返事をすると、男は満足そうに頷いて、襖を開ける。


「…あ!あのッ!!」


「?」


急に大きな声を出したからか、男は驚いた様に振り向いた。


「ここは…何処ですか?」


「…俺を知らねぇのか?」


何処なのかを聞いたはずが、何故か不機嫌そうに聞き返され、柚月は困った様に俯いた。


「…ここは俺の領地…奥州だ、あんたの村から大して離れてねぇんじゃねぇかな?あんたが倒れてた森からそんな離れてねぇし。帰りたきゃ送って行くぜ?」


「領…地…、民…?」


聞いた事がある。歴史の授業だ。

それにこの男の顔には、見覚えがある。


(でもこんな国宝級のイケメン、知り合いにはいないし…)


芸能人の誰かに似ているのだろうか。

いや、それも違う気がする。

自分の記憶力の無さを呪いたくなった柚月が頭をぽかぽかと叩くと、男は愉快そうに笑い出した。


「?」


自分の頭を叩くのを止めて男を見ると、男は柚月の傍にしゃがみ込んだ。


(…眼帯…隻眼せきがん?)


長い前髪で隠れていたせいか気付かなかったが、男は片眼を眼帯で隠している。

一つしかない目が柚月を真っ直ぐに見つめている。


何もかもを見透かす様な視線に、柚月が思わず目を逸らすと、男は再び立ち上がった。


「その様子じゃあ、俺が誰だかも分かっちゃいないんだろうな」


そんな事はないと言いたかったが、じゃあ誰だと言われると答えられない柚月は、口をつぐむ。


「政宗…だ」


「まさむね…?」


「あァ、俺の名は政宗、伊達政宗だ」


伊達政宗…。

奥州…。

隻眼…。

上弦の月をした前立て…。

そしてこの顔…。


「ここは…まさか…」


頭に浮かんだパズルのピースは、カチカチとハマっていき、最後には現実とは思えない結果が現れる。


「…タイムスリップ…いや、これは…」


柚月はマジマジと政宗の顔を見ると、その顔をどこで見たのか、ハッキリと思い出した。


(異世界戦国恋歌だ…!間違いない…)


伊達政宗という日本の歴史上の人物でありながら、日本人離れした美形である事、そして金髪。

普通のタイムスリップであれば、この政宗の姿はあり得ない。


これは妹の由紀がハマっている乙女ゲーム、異世界戦国恋歌の登場人物である伊達政宗だ。


(という事は、タイムスリップじゃなくて、乙女ゲームの世界に来ちゃったという事…?)


小さくぶつぶつと呟いている柚月を見ていた政宗は、心配そうに肩を揺するが、柚月は茫然ぼうぜんと今起こっている出来事を頭の中でまとめていた。

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