第46話 冒険者の死に弔いを
そして再び悲鳴。
これはまさか……。
明るくない想像が脳裏によぎる。
そしてある地点に辿り着いた時、俺の創造は現実のものとなっていた。
「……っ」
視界の端々にむごたらしい惨状が映る。
ずたずたに引き裂かれた、かつて冒険者であったろう人間の死体が無造作に転がっていた。
ひしゃげた頭部に陥没した胴体、先端が欠損している手足、どこを見ても五体満足を保っている綺麗な死体がない。
いずれも悪趣味な芸術家がデザインしたような、とてつもなく歪なオブジェと化していた。
死んでいるのはたぶん、俺らよりも先にあの流水ポイントで野営していた冒険者たちだろう。
そしてつい今し方悲鳴を上げたであろう人物は、ちょうど首筋をはねられて冗談みたいな量の鮮血をまき散らしているところだった。
奇妙なダンスでも踊るように、頭部を失った体がドシャリと地面にくずおれる。
「グヒー! グヒヒーッ!」
その様子を下卑た笑い声を上げながら眺める者がいた。
……この悪夢じみた胸糞悪い光景を作り出したのはあいつか。
全身毛むくじゃらの、野人ともいうべき姿。
そいつの丸太のように太い腕には不釣り合いの細々とした剣を握られている。恐らく冒険者が使用していた片手剣を奪ったに違いない。
このモンスターの名はトロール。
別名『森の荒くれ者』とも呼ばれている。
その呼び名が示す通り気性が荒く、そうと知らずに縄張りに入った者を容赦なく襲うことで知られている。
大柄な体格ゆえ動作は緩慢なのだがその分驚異的な膂力(りょりょく)を誇り、一撃で獲物を仕留める恐ろしい怪物だ。
そんな怪物トロールの大きな瞳が俺たちを捉え、鉤状に広がった鼻をふんと鳴らした。
半月のように大きく裂けた口からはゴボゴボと泡を拭いており、見るに耐えないなんとも醜悪な表情を浮かべていた。
「グギャギャギャ」
トロールは血の付いた剣を雑に投げ捨て、のそりとした動きで構えた。
「グァハハハハ!」
新たな獲物の出現に驚喜しているのだろうか。
これでまた人狩りができるぞ、そう言っているかのようだ。
「こいつ、この人たちだけじゃ飽き足らず、今度はあたしたちまで殺そうっての!? ……上等、そっちがその気なら容赦しないわ」
無残に殺された冒険者のことはひとまず頭の片隅に追いやって、勇敢にも幼女たちは武器を構える。
吐き気を催しかねない光景の中、それでも目の前の戦いに集中しなければ。
でないと次にこうなるのは自分たちなのだから。
「おまえはくうきもおきない。さっさとくたばれ」
まずはスティングベルが投げナイフで牽制。
あれだけの筋脂肪の塊だ、攻撃力に欠ける盗賊では満足にダメージを与えることは難しい。奴の懐に潜って肉の薄い間接部分などに刃先を突き立てればそれも叶うだろうが、あまりにもリスクが大きい。
よって彼女には中衛から支援活動に励んでもらう方が得策だ。
初戦でのゴブリンに倣い、足下の石ころも投擲の道具に見立ててスティングベルはトロールの両目を狙う。
例によってコントロールは抜群で拳台の石ころが見事奴に命中したものの、肝心の両目は野太い腕でガードされたため無事だった。
が、その隙に空いている土手っ腹にセイが大剣を叩き込んだ。ずんと剥き出しの肉に大剣の歯が食い込むが、胴体の寸断までには至らない。
「こいつ、堅い……! しかも武器も抜けないし、ああもう……っ!」
さらに力を込めて強引に薙ぎ払おうとするセイの頭上に、トロールが暇を持て余しているその豪腕を振ろうとする。
奴からすれば人間の頭をかち割ることくらい造作もない。
しかし間一髪のところでエヴァンジールが両者の間に割って入り、槍を器用に使ってセイを大剣ごと間合いの外に弾き飛ばすと同時、トロールの攻撃を盾で防いだ。腹に沈むような低音が交錯する。
「……ぐっ、重い攻撃ですわね」
片手で防ぎきるのは不可能と判断したのか、槍を放って両手で盾を支えるエヴァンジール。
おかげで潰されずには済んだが、それでも徐々に体が沈みかける。
こうなってしまっては逃げることはおろか、満足に動くこともままならないだろう。
彼女が踏ん張ってくれているこの期に誰かが畳み掛ける必要があるのだが、空いている手といえば。
「ねぇレイちー、どうすればいい!?」
「わたしたちに指示してお兄ちゃん!」
後衛であるパストとアーリアが焦る。
こういう自体を見越して余力は残してある。
故に強力な攻撃手段である魔法を連発することも可能だが、しかしそんなことをしなくてもトロールを倒すことは十分に可能だ。
必要最低限の魔力消費で済む付与魔法さえあればいい。
「アーリア、急いでセイの武器に火属性の付与呪文(エンチャントスペル)をかけてくれるか?」
「う、うん、分かった!」
「ちょ、レイちー、あーしは?」
「もう少し耐えてくれエヴァンジール! こっちも今、反撃の準備をしてるから!」
「レイちー、あーしはぁぁぁぁぁ!?」
「で、できた。――魔火臍炎(フレイムエンチャント)!」
アーリアはブツブツと呪文を詠唱し、僧侶の専売特許である補助魔法を発動する。
すると赤銅色の光が生じ、セイの大剣に宿った。
これは付与魔法といって、特定の魔術効果を武器または防具に一定時間発生させることができる。
今は火属性を付与させたので一時的に彼女の大剣は触れた物に火を巻き起こす魔剣となっている。
そのことを踏まえて、一つ考えてみよう。なにかに触れるだけで火を起こせるということは――?
「やっちまえセイ。えんりょはいらんぶっころせ」
「任せてスティ、うりゃあぁぁぁぁっ!」
目標の背後に回り込んだセイが、袈裟がけに大剣を振り下ろす。
本来なら、そのまま相手の肩に食い込ませるのがやっとだったろう。
しかし。
「グオアアアア!」
トロールからくぐもった叫声がもれる。
とともにジュウジュウと肉の焼け焦げる音が俺の耳朶にも届いた。
もちろんそこで終わりじゃない。
「アギャアッ!」
――そう、セイが叩きつけた大剣から炎熱が噴出し、滲む赤光を率いてトロールの体を無理やり二つに溶断したのである。
さしもの怪物もこうなっては無力だ。
為すすべもなく前のめりになる奴の体に自身もろとも巻き込まれる前にエヴァンジールも離脱。
木々を切り倒したような轟音を響かせ、トロールは沈黙する。
討伐には成功したが、念のためエヴァンジールとスティングベルには周囲を探ってもらう。
二人の報告では新手の気配はないとのこと。
ようやくここで全員、一息をついたのだった。
「よくやったぞ、みんな」
危なげなく勝利を収めたので褒める。しかし肝心の幼女たちの表情は暗かった。
仕方のないことではある。
ある種余裕すら出始めていた状態の時に冒険者が酸鼻極まる方法で惨殺される様子を見てしまったのだ、いくら平静を装っているとはいえ、決して心中穏やかではいられないだろう。
戦闘に集中している間はそのことを忘れられていたが今頃になって現実を直視してしまった、そんなところか。
「……あたしたちがもっと早く来てたら助けられたかもしれないのに」
亡骸の前でセイがつぶやく。
きゅっと唇を噛みしめ、間に合わなかった悔しさからか拳を紫色になるくらい強く握っていた。
これはよくない傾向だ。
「いいか、この人たちが死んだのはお前たちのせいじゃない。冒険者ってのは、いついかなる時も死ぬ覚悟を固めているもんだ。それはこの人たちだって同じだろう。酷なようだが、この人たちには実力が足りなかっただけ、だからお前たちが気に病む必要はないんだ。それにたらればを言ったところで死者が実際に生き返るわけでもない」
それは歳を重ねて現実的になり、あらゆることにシビアになった者の意見。
けれどもこのパーティーで唯一の年上の男として幼女らにかけるべき言葉でもあった。
「……なんて、俺が言ってもそう簡単には割り切れないよな。お前たちはまだ子供だし、そう要領よく心の整理がつくわけないよな。でもな、そうやって自分を責めるくらいなら、もっと他に建設的なことをしよう」
「他のことって?」
「この人たちのことをきちんと弔ってあげないか。それがきっとこの人たちの供養になるはずだ」
「そう、かな……」
セイがぽつりともらす。
だから力強く答えてやった。
「そうだよ」
俺が先導して遺体の処理を始めると、やがて幼女たちも無言で手伝い始めた。
数人が優に入れる大きさの穴を掘って、その中に寝かせるようにして遺体を埋める。
この冒険者たちがダンジョン内で死亡したことをギルドに通告するため遺品だけを残し――死に目に居合わせた者が遺品を持ち帰りギルドに通告するのは冒険者の間での暗黙の了解である――上から土をかぶせて完全に埋葬した。それから墓標の代わりに誰かの片手剣を突き刺す。
「――祈ろう」
全員でこの簡易な墓の前で黙祷を捧げる。せめて安らかな眠りを祈り、必ず生きて帰ってあなたたちの死を告げると墓前に誓う。
ここは森地だし、いずれこの冒険者たちも自然に還るだろう。
「……そろそろ行こうか」
いつまでもこの場にいては、幼女たちの気持ちが引っ張られてしまう。
なぜなら同業者の尊い死はなによりも痛切に語りかけるからだ。
このまま冒険を続けていると、明日は我が身だと。
それは恐怖という名の足枷となって、冒険者たちの歩みを停滞させる。
それはやがて冒険者を死に追いやる直接の原因になる。
死は悼むべきだが、それと生者が苛まれることは別だ。
だから一刻も早くこの場を離れる必要があった。
ただ、それでも。
「みんな、覚えておくんだ。これが死ぬってことだ。なんの飾り気もない純粋な人の死だ。ここでは死の可能性が誰にも等しくある。俺たちだっていつこうなるか分からない。だから俺たちは互いに力を合わせ、絶対にみんなで生き抜こう。こんな悲しみを残された仲間には背負わせないために」
このことだけは幼女たちに伝えておきたかった。
なんてことはない、今後ダンジョンを生き抜く上でとても大事なことだと思ったから。
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