第44話 おやすみなさい
「もうそろそろか」
殺臭香の効果が切れかけていたので、冒険者用鞄から取り出した新品を追加する。
パチパチと爆ぜる焚き火の中に投げ入れた途端、ぶわっと煙が立ちこめた。
消えかかっていた臭気も新鮮なそれと入れ替わるが、この臭いを何時間も嗅いでいたせいですっかり気にならなくなっていた。
もっとも俺はともかく、他のメンバーは寝入りの間際まで顔をしかめていたが。
夜の帳もすっかり落ち、今は俺が寝ずの番をしていた。
さっきまでパストがその役目についてくれていたが、交代するなりすぐに寝てしまった。
昨日の武具屋での宣言通り、今日はよく頑張ってくれたから彼女を含めた幼女たちにはたっぷり安眠してほしい。
本当は俺が朝まで番を続けられればいいのだが、そうなるとさすがに体力が持たないのでどうしても幼女たちに協力を仰ぐしかない。
「しかし今日だけでもいろんなことがあったな」
初めてのダンジョン探索。モンスターとの生死をかけた戦い。幼女らとの対立と和解。ざっと挙げるだけでもこれだけのことがあった。
いくつか大変なこともあったが、しかしその一方で幼女たちとの距離を詰めることができたので、俺としては忘れがたい思い出だ。
すべての事柄にはなんらかの意味があり、決して無駄にはなりえないのだと切に思う。
「――なんてな。まだ若いのに、おっさんみたいなこと考えちまってるな、俺」
次の交代時間までにはまだ長い。
このまま時間が過ぎるのを待つのもなんだし、暇なら方位磁針の手入れでもするか。ちょうど探索の最中で汚れてしまったしな。
懐から本日の地図作りに多大な貢献をしてくれた金色のそれを取り出し、真新しい乾布で汚れを擦るように拭いていく。
純金で作られているだけあって、軽く拭くだけで簡単に元の輝かしさを取り戻していくではないか。
――うん、何度見てもため息が出るほど美しい。
できる執事(おとこ)にはやはりこのくらい上等な物が相応しいと自画自賛していたところで。
「……ねぇ、なにしてんの?」
「こいつを綺麗にしてたところだ」
背後の人物にも見える位置に方位磁針を掲げる。
磨いたばかりなので表面の光沢に焚き火の灯りが贅沢に反射する。それを浴びた人物(セイ)は呆れたような声をもらした。
「昼に磨いたばっかじゃない。よく飽きないわね」
「まあな。なんせこいつは俺の大事な相棒だからな。暇さえあれが手入れもするさ。そんなことよりどうしたんだ? まだ交代の時間じゃないぞ」
「ちょっと早く目が覚めちゃったのよ。二度寝するにも意識が覚醒しちゃったし、別にいいでしょ? よっと」
返答をするより先にセイがどかっと座った。
翌日の探索に疲れを残さないためにももっと睡眠を取っていてほしかったが、起きてしまったものは仕方がない。
……というのは建前で、本音をもらせばちょうど話し相手がほしかったところだ。
「しっかし高そうね、それ」
「まあ安くはないわな。売れば三百万ドニーは下らないだろう」
「さ、三百万!?」
俺の提示した金額に目を剥くセイ。
「ウッソだー、こんな物でありえなーい」とパスト風に考えているかもしれないが純金製だし、歴代主席卒業者だけに送られる一品物なのだから、このぐらいは妥当な額である。
実際そこら辺の珍品マニアだったらそれぐらいはポンと出すだろう。
だけどいくら金を積まれたとしても俺はこいつを手放す気も、誰かに売りつける気もないけどな。
「三百万ドニーね、それならアンタがそいつを大事にしてるのも分かるわ、うん。三百万っていえば喉から手が出るくらいの金額だもの」
「……実際に手を出すなよ?」
なんだか危険な感じがしたから方位磁針をさっと背中に隠す。
しかし俺のそんな反応にセイはふっと笑って、
「他人が大事にしている物を奪うほどあたしは酷くないわよ」
「なら、いいけど……」
本人がそう言ってるから信じるけど冒険者は光り物に弱いからなあ。道ばたに金貨が落ちていたら、迷わず拾うだろう。
悲しいかな、体がそういう風にできてるからだ。
これもある意味で冒険者の本質であるトレジャーハンティングになるのだろうか。
……ただまあ、仲間を疑うのはよくないよな。
まして相手は邪心のない(ないよな?)幼女なんだし、そんなことするわけがないだろうに。
駄目だ、どうもこの方位磁針のことになると思慮がなくなってしまう。
俺は一瞬でもセイを疑ってしまったことを改めて反省する。
「そんなことより、そろそろアンタも寝なさいよ。倒れられても困りはしないけど置いていくのだってなんとなく気は引けるから。アンタだって疲れてるんでしょ? ならきちんと睡眠は取りなさい。周囲はあたしが見張っておくからさ」
実はさっきから俺の疲労はピークに達していた。
しかしセイの手前、なかなか自分からそれを言い出せずにいたのだが、こうして彼女の方から話題に言出してくれたので甘えさせてもらうことにする。
もしかして、そのために彼女は早めに起きてきたのだろうか。
口ぶりはともかく、やっぱり心根は優しい子だ。
「悪いな、じゃあよろしく頼むな」
セイにおやすみと一声かけてから床に着いた。
返事は期待していなかったが、なにやらもぞもぞと言い渋る気配があり、寝しなの幻聴なのか彼女もおやすみと返してくれたような気がした。
だからかもしれない。やけにその日の夢見心地はよかった。
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