第42話 幼女のお兄ちゃんになりました!

「うーん……」

「お、やっと起きたか」


 目を擦り小さく伸びをするアーリアに優しく声をかける。


 既に日は沈み、夜間のほの暗い闇を月と焚き火の明かりが照らしていた。それに混じって吹き抜けた風による葉擦れの音が聞こえる。


 俺は一人火の番をしながら、彼女が目覚めるまでずっと待っていた。


「体は大丈夫か?」

「はい、なんとか……」


 ほどよく仮眠を取ったおかげか答える彼女の顔色はすっかりよくなっていた。


 魔力は体力と同じで休息を取るか眠ることで回復する。短時間の睡眠とはいえ失った魔力を補充するには十分だったようだ。


「……あの、みんなは?」

「あっちの川で水浴びをしているよ。アーリアも汗かいただろうし、入ってきたらどうだ?」


 小川の方向を指差す。


 ここからではよく見えないが、というより見てはいけないが、まぁ行ってみれば分かるだろう。


 夜になるまで沐浴を待ったのはモンスターの活動時間とかち合わないようにするためで、その危険性も薄れたためについさっき解禁した。


 一日中泥と汗にまみれていたのがひたすらに不快だったらしく、やっと水浴びできることにあいつらは喜んでたっけ。


「わ、わたしはあとにします」

「そっか。まだ病み上がりだもんな」


 一生懸命頑張ってセイが集めてくれた小枝を焚き火にくべると、パチッと枝が弾ける音とともに火の勢いが増す。体に染み入るような暖かさがなんとも心地よい。


「寒くないか? 夜は冷えるから」

「い、いえ、大丈夫、です」


 やはりまだ俺に対する態度は硬い。

 かといっていい加減慣れてくれよと無理強いするつもりはない。

 年上の男が苦手だったり顔が怖いと感じるのは、仕方のないことだ。

 なにせ最強エリートの俺にだって、苦手なことは一つや二つあるんだからな。

 だから焦らず、旅を続ける中で徐々に打ち解けていけばいい。


 もっともそれまで一緒にいられればの話だけど。



「……あのそれより、ごめんなさい。迷惑かけて」


 いきなり謝られる。

 どうやら魔力の使いすぎで自分が倒れてしまったことを気にしているようだ。気の強い幼女連中の中でも、彼女だけは唯一気弱な性格だ。

 ゆえにこうたどたどしい言動なのも、きっと俺に怒られると萎縮してのことだろう。


 別に幼女相手に怒鳴り散らす趣味はないのだが、どうも彼女は俺をそんな風に見ている節がある。

 度々セイやエヴァンジールをしたり注意するのが原因だろうか?


「パーティーなんだから、迷惑をかけてもお互い様だって。むしろ謝らなきゃいけないのは俺の方だ。パーティーを預かる執事としてアーリアとパストの様子にも気を配らなきゃいけなかったのに、倒れるまで放置してしまった。つまり今回の出来事は俺の落ち度だ」 


 怒ってないことをアピールするために語調を和らげて説明する。とはいえ口でいくらそう伝えても、彼女の性格を考えればあまり効果はないだろう。


「だからこの通り、許してくれ!」


 というわけでアーリアに勢いよく頭を下げた。

 もはや地面に頭をついてしまいそうな角度だが気にしない。こういう時は言葉よりも行動で伝えた方が早いのだ。


「ええっ、そんな、顔を上げてくださいっ、レイドさんは悪くないですからっ」

「アーリアが許してくれるまでそれはできない! やめてほしかったら俺を許すんだ! さあ早く!」


 なおも頭を下げたまま宣言。もはや脅しだ。

 これではどちらの方が許しを乞うているのか分からない。

 でもそれでいい。こうしておどけることで彼女の無用な気遣いをたしなめようとしているのだから。


「わ、分かりました、許します、許しますからっ! お願いですからもうやめてくださいっ!」

「本当か!?」


 アーリアから言質を得たのですぐに顔を戻した。

 いつまでも頭を下げていたら、それこそ萎縮してしまうだろうからな。


「ふぅ、アーリアが許してくれてよかったよ。このままだと今夜の夢見が悪かったからな。それじゃあお許しついでになんだけど、ちょっと右足を出してくれないか?」

「へ、足?」


 話題が急に変わったからかアーリアはまず頓狂な声を上げ、次いで言葉の意味を理解すると、今度はびくりと体をこわばらせた。

 うん、我ながら今の言い方は直球すぎたな。

 そりゃあ彼女がなにやら変態を見るような目つきになるのも頷ける。

 けど違うんだ、決していやらしい意味じゃなくてつまりはこういうことだったんだよ。


「ほ、ほら、倒れかけた時に足をくじいただろ? 青くなってるぞ」


 俺は幼女に意味もなく右足を出してくれとお願いするような変態じゃないという意味を込めて冷静にそう指摘をする。


「あ、ホントだ」


 自身のくるぶしの変化にようやく彼女も気づいたご様子。

 たぶんこれまで気でも張ってたせいでそのことを失念していたのだろう。

 すると今頃になって痛みがこみ上げてきたのか、アーリアは急にらしくもなく顔をしかめた。

 あー、怪我とかって一度意識しちゃうともう駄目なんだよな。


「君が眠っている間に薬草を煎じておいたからこれを飲むといい。ちょっぴり苦いかもしれないけど、そこはまあ、体にいい物と思って勘弁してくれ」


 言いつつ、アーリアの目の前に薬汁を出した。

 本来なら治癒魔法を使った方が即効性があるが、無理やり傷の治りを早める魔法の性質上どうしても体に負担をかけてしまう。

 その点薬草による安置療法ならこの程度の怪我を完治するのに一晩とかからない。


「うう、苦そう……」


 受け取った薬汁に、別の意味で顔をしかめなおすアーリア。

 苦い辛いより甘いを好む子供の味覚では、いくら体にいいといってもキツいこと請け合いだろう。

 そこでだ。


「なにもアーリアだけに苦しい思いはさせないさ。俺も一緒に飲むよ。それならきっと大丈夫だろ?」


 などと申し出て冒険者用鞄からカップを一つ取り出すと、それに並々と薬汁を注ぐ。量はアーリアの約二倍ほど。

 濁った黄緑の液体からいかにも苦々しい臭気がわき上がってくるが、殺臭香のおかげで不思議と気にならない。


「ちなみにこれには裏技があってだな、こうやって鼻をつまんでから飲むとあら不思議、なんと苦味を感じなくなるんだ!」


 まずは手本を見せることにする。

 アーリアに説明したように鼻をつまんでカップの中身を仰ぐと、喉を鳴らしながら薬汁を一息に飲み干す。

 途端苦味の成分が喉奥に押し寄せてくるが、表情に出ないよう気合いで耐える。

 苦いのは苦手じゃないがいかんせん量が多すぎた。この裏技は少量じゃないとあまり効果がない。


「ぷはあ。……とまあ、こんな感じだ」

「わっ、すごい」


 中身が空になったカップを見せると感心された。

 どうやら挑戦する気になったみたいで、「よし、わたしも」と小さく意気込むとさっきの俺のまねをする。


「うう、呼吸がし難いよぉ。でも、頑張らないと」


 本人は至って真面目なのだろうが、一生懸命鼻をつまんでいる彼女の姿につい頬が緩む。

 ごめんな、だけどなんか面白いんだよ。


 アーリアは「えいっ」と一つ気合いを入れてから右手でカップを傾けると、そのまま勢いよく薬汁を飲み始めた。慎重そうな彼女のことだからてっきりちびちびと飲むのかと思いきや、意外や意外本気の飲みである。

 俺が教えたのは鼻をつまむことだけであったが、たぶん苦味を感じる前に中身を全部飲み干すのだと勘違いしたんだろう。


「わ、わたしにもできた……?」


 いざ飲み終わってみると、自分でも信じられなかったのかアーリアは目をぱちくりさせている。


「偉いぞ、よく頑張ったな! 素直で良い子だな、アーリアは!」


 すかさず頭をなでて彼女の健闘を褒め称える。

 なんだか無性にそうしてやりたい気分だった。

 嫌がられるかと思ったが彼女はこそばゆそうに目を細めるだけで、後はされるがままだった。

 その仕草が無性にいじらしくて、不覚にもどきりとしてしまう。

 これはまずい、癖になってしまいそうだ。


「……レイドさんって怖い人だと思ってたけど本当は優しいんですね。わたしずっと誤解してました」


 頭をなで終えるとアーリアがふと俺に対する意識の変化を起こした。

 まず第一に、名前を初めて呼んでくれた。

 そしておどおどせず、俺と目を合わせたまま会話をしてくれる。

 だが、それだけじゃない。


「そうさ、なにせ俺の半分は優しさでできてるからな。これまでだってずっとみんなに優しくしてきただろ。ただし、カイリの奴は例外な?」


 おどけながらそう言うと、アーリアは「あはは」と俺に満面の笑みも披露してくれた。

 人好きのさせる、とても朗らかな笑顔だった。


「――うん、アーリアにはその顔の方がよく似合うな。可愛いぞ」


 つい口を突いてこのような本音が出てしまう。

 うちのパーティーメンバーは全員が美少女ならぬ美幼女だが、生意気さのせいで表立って認めることはできなかった。

 その点アーリアなら他の面子に比べて実に素直なため、こうして本心を告げることができるのだ。


「男の人にそんなこと言われたの初めて、です」


 気恥ずかしさからか、うつむいたアーリアのどう返していいか迷った末に出た返事に、今度はこっちがこそばゆくなってしまう。

 ああもうなんだよこれ、いちいち可愛いなこの子は。


「……あのね、レイドさんにお願いがあるの」

「うん? なんだ」


 まさかあのアーリアがこの俺に頼み事をしてくるとはな。いい傾向だ。


「その、レイドさんって呼びにくいからお兄ちゃんって呼んでもいいですか?」


 アーリアの頼みに俺の心は即座に打ち抜かれた。

 お兄ちゃん――、字数にしてわずか六文字のその単語にはなぜだか男を狂わせる蠱惑的な響きが込められている。

 そう呼ばれるためならたとえ高価な壺でも買ってしまいそうなくらいだ。

 幼心で思い浮かんだ年上男性に対する敬称というのは分かっているが、それでも心躍らずにはいられない、正に魔性のワードである。


「アーリアがそれでいいなら俺は構わないよ」


 はなから拒否なんて選択肢はないので、もちろん許可する。

 こんなに可愛い子からお願いされてそれを断る奴がいるとすれば、そいつは男じゃない。


「ありがとうございますお兄ちゃんっ。私、ずっとお兄ちゃんがほしかったんです」

「そっか。俺なんかでよかったらいくらでもそんな風に思ってくれ。だけどどうせならそんな堅い口調じゃなくて、もっと普通に兄に甘える感じで接してくれれば嬉しいかな」

「ありがとうお兄ちゃん! ……こんな感じ?」

「ああ、いいぞ。これからはお互いに気を遣うのはなしにしような」

「うんっ、分かった!」


 俺の提案にアーリアはすぐに応じてくれた。

 なんだか本当の兄貴になった気分だった。

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