第41話 おもらししたことはここだけの秘密ですっ

「よろしいですか、平民」


 最後はエヴァンジールか。

 これでアーリアを除いて全員コンプリートだな。

 振り返ると、装備を解除した彼女が仁王立ちしていた。


「まさかお前まで借りがどうとか言いに来たんじゃないよな」

「なぜこの高貴なわたくしが平民の男如きに借りを作らないとならないのでしょう? そうではなくてあなたに折り入ってお願いごとがありますの」


 その割りにはえらい上から目線だな。まあ、いい加減このぞんざいな態度にも慣れたけどさ。


「で、なんの用だって?」

「わたくしが用を足すのに付き合ってくださいな」

「だから、なんの用だって……」


 最後まで言いかけて、用を『足す』という接続詞ではたと気づいた。

 エヴァンジールが口にする言葉の意味を。

 けどそれって、あれのこと、だよな?


「ふう、自称エリート執事のくせにずいぶんと察しが悪いのですわね。わたくしが申す、いえ、催す用といったら一つしかありませんのに」


 その発言で推測から確定へと変わる。

 ほら、つまりあれだろ、トで始まってイで繋いでレで締める、あの行為だろ。

 ええと、エヴァンジール風に言い換えると、


「……お花摘みに行きたいんだな?」

「平民の分際でそのように持って回った言い回しを用いなくても結構ですわよ」

「いや、淑女のお前じゃ恥ずかしいだろうから気を遣ってあえてそうしたんだけど」

「ヴィオレットお姉様の前でならいざ知らず、平民風情に言い繕う必要がありまして?」


 さいですか。俺に羞恥心は感じないってか。

 そうだよな、じゃなきゃわざわざ男にトイレまで付き合えなんて言わないよな。

 たぶんこいつが俺をご用命なのも一人は怖いとかそんな可愛らしい理由じゃなくて、いざという時のための盾代わりとかだろうなあ。


「分かったよ、つーかヴィオレットさんにはきちんと敬称をつけるんだな」

「当然ですわ。ヴィオレットお姉様はすべての騎士の憧れ、聖重騎士なのですから。わたくしが騎士の職を専攻したのも、彼女のようになりたいと思ったからですわ」


 意外だな。てっきりヴィオレットさんに興味ないものだと思っていたが、どうやらばりばり意識していたらしい。そのことが嬉しくて、顔がほころぶ。


「#殊__こと__#に稲光を彷彿とさせる槍捌きには学ぶところも多く、わたくしもずいぶん参考にさせていただいておりますわ」


 うっとりと自分のことのように語る幼女の姿に、俺の好感度も急上昇していく。


「ですが一番はあの静と動を兼ね備えた美貌。時に淑やかで時に雄々しい彼女の立ち振る舞いに、同性でありながらも恋い焦がれずにはいられませんわ……」

「分かる! 俺も彼女のそんなところが魅力的って思うんだ!」


 たまらず同調する。まさか自分と同じ感想を抱く者がここにいたとは。


「……平民もヴィオレットお姉様のファンですの?」


 俺の突然のカミングアウトに、エヴァンジールは面食らっているようだ。


「まあな。かれこれ十年来になるかな」

「ふん、なにも思いを募らせた年数だけがファンのすべてではありませんわよ」

「そりゃそうだ。けどまさかこんなところで同士に会えるとはな」


 数いる有名冒険者の中でヴィオレットさんが一番人気なのだが、大抵『だって王国探検隊のリーダーだし、なんとなくかっこいいから』という理由からである。

 もちろん感想は個人の自由なのだが、ファンの俺としてはなんだか複雑な気分だ。

 だってそれだと彼女の肩書きだけを見てるように感じるからな。

 そうじゃなくて、彼女の内面性までもっと知ってほしいといったようなことを以前カイリに述べたら「お前こそあの人のなにを知ってるんだよ……」と若干どころか真面目に引かれてしまったので、以来この感情は己の胸の内にだけしまっていた。


「語り合える相手が平民なのが釈然としませんが、嘆かわしいことに他のみなさんもお姉様のことにはご興味がないようなので退屈だったところですわ。なのでその審美眼に免じて我慢してさしあげます」

「ははあ、その寛大な御心に感謝いたします」


 棒読みでそう告げるとエヴァンジールはふふんと鼻を鳴らし、満足げに頷いた。

 うん、そろそろこの幼女の扱い方も分かってきたぞ。


「それよりも平民、そろそろ」

「おっとそうだった、悪いな」


 エヴァンジールを連れ立って近くの茂みまで足を運ぶ。あまり遠くまで行くと殺臭香の有効範囲から離れるので、この辺りが限界だった。

 それでも周囲に対する警戒は怠らずに一旦彼女と別れたのだが、数分と立たない内にいきなり甲高い悲鳴が上がった。


「なんだ、どうした!?」


 奥の茂みにたどり着くと、そこには下半身をそぼ濡らし呆然としているエヴァンジールと、しまったという顔をしたセイが小枝を持ったまま所在なさげに突っ立っていた。


「ええと、これはどういう状況だ……?」

「暖用の枝を探していたら、偶然ここに出ちゃってね。いきなり現れたあたしにびっくりしたエヴァが、その……」


 ああなるほど、それでもらしちゃったってわけか。


「……替えの下着を取ってくるな」

「うん、あたしはエヴァに謝っておくから」


 ここにセイとの即席コンビネーションが結成し、とりあえずこの場は彼女に任せることにした。

 濡らしてしまったパンツは幸い近くに小川があるので、速攻洗って渇かせばなんとかなる。

 もろもろ後処理を済ませて二人の元に戻り次第、俺もセイと一緒にエヴァンジールをフォローしないと、なんてことを考えつつ足早にこの悲劇の現場を離脱したのだった。

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