第38話 あわや全滅の危機です

「くそっ、こんな時に……!」


 いや、こんな時だからか。

 ダンジョンは隙を見せた方がやられる弱肉強食の世界だ。

 今までの狩る側から一転して今度はこちらが狩られる側になったというわけか。

 それ事態は自然の摂理として受け入れられるが、なんにせよまずいなこの状況は。


 五人の内、既に二人が戦闘不能状態だ。

 つまり非戦闘員を除いた三人で迫り来るモンスターと対峙しなければならない。

 個々の実力も大事だが、大抵は物量に敵わない。

 敵の数次第では、撤退も辞さない所存だ。

 もっとも即座に撤退しないのは、相手方に背中を向けることを最後まで避けたいからである。


 こちらに介助しないと満足に動けない仲間がいる以上、逃げ切れない可能性が高い。ならできるだけここで迎え撃った方がいい。

 セイたちもそれを頭で理解しているからこそ誰も逃げだそうとしない。すぐにでも散開できるよう、自然とトライアングルの形になっていた。


 ふらつくアーリアとパストにはひとまず俺が肩を貸しておく。いざとなればこの身を二人の盾として差し出す覚悟だが、あくまでそれは最終手段だ。


 次第に音が大きくなっていく。

 それにつれてこちらの緊張も増してゆく。

 口腔がカラリと渇いた頃果たして姿を現したのは一匹のゲル状の生命体――スライムだった。


「……んげっ、なによこいつ。きもちわるっ!」

「ですが、見るからにもろそうですわ。まったく、緊張して損しましたわね」

「こいつ、ゼリーみたいでうまそうだな」


 口々に感想を述べる幼女たち。

 確かに見てくれはそう恐ろしいものではない。

 むしろ全身をぬめらせた大人ほどの大きさの軟体生物という性質上、どちらかというと嫌悪感の方が勝るだろう。

 だがしかし見た目で侮るなかれ、決してこいつはゴブリンのような雑魚ではないのだ。


「よーし、ちゃっちゃとこんなやつを倒してすぐにパストとアーリアを休ませるわよ!」


 先手必勝とばかりにセイは大剣を上段から垂直に振り下ろす。鮮やかな放物線を描く縦一線は、その太刀筋に一切のぶれがない。

 バーティカルスラッシュとも呼称されるこの技は剣士が扱う剣術の一つだ。今までのモンスターならこれでしとめられていた。


 しかし――。


「んなっ!」


 セイが驚く。自身の一撃を受けてなおスライムは健在だったからだ。

 別に彼女が攻撃を空振りしたわけでなく、きちんと大剣の刃は奴の体に届いていた。どころかあの生々しくテカる粘膜を切り裂き、その下の地面まで抉っていた。

 ただ、それだけでは奴を倒すことはできない。


 なぜなら、


「――二体に分裂した!?」


 スライムは全身の九十九パーセントをその特異な体膜で覆われており、斬撃などは一応通用するが、だからといって死に至らしめる効果はない。

 生半可な攻撃ではただいたずらに体を分裂させてしまうだけ。

 しかも厄介なことに分かれた体はその時点で個別に意志を持ち、時に連携しながら別々の動作で獲物に襲いかかるという特性まで備えているのだ。


「でしたら、これならどうですの!」


 セイに追随したエヴァンジールが右手首を大きく捻りながら浅く握った片手槍を突き出した。

 これは槍術スパイラルアサルト。

 螺旋の力を借りることで、片手でも破壊力を得ることを目的とした技だ。

 絶大な威力を発揮する反面手首にかなりの負荷をかけるというデメリットがあるが、彼女はこの技をこともなさげにこの技を繰り出してみせた。

 狙いは寸分違わず目の前のスライムを打ち抜いたものの、衝撃を分散させてしまったためまた新たな分身を生み出す結果となった。

 さすがに三回も分裂したおかげで体積は一回りも小さくなっていたが、数が増えた分厄介度は増している。


「なんですの、このモンスターは……」


 槍の穂先に付着した、スライムの体液がドロリと落ちる。距離を取ったエヴァンジールがげんなりとした様子でため息をついた。

 同じく距離を取ったセイがなにかに気づいた様子で仲間に報告する。


「……ねえ、あいつの体内にうっすら見える丸くて変なの、なんか怪しくない?」


 いいところに気づいたな。

 そう、あれはまさしくスライムの生命線とも言うべき核、通称コアハートだ。スライムを倒すには、あれを破壊するしかない。

 ただ奴らはそれを体内で自由に移動させることができるので、ピンポイントであれを狙うのは至難の業だ。


「そうですわね、一度試してみるのもありかもしれません」

「ならスティにまかせろ」


 言うが早いがスティングベルは飛び出した。左手を大きく横に広げながら、スライムに向かって疾駆する。

 あれは盗賊が敵から物を盗む時の動作。

 まさかとは思うが、スライムから直接コアハートを抜くつもりだろうか。


「アイテムスティール!」


 予想通りスティングベルは盗賊のスキルを用いてか細い手をスライムに伸ばした。

 その度胸は褒めたいが、残念ながらスライム相手にそれは失策としか言いようがない。


「なにっ」


 案の定彼女の手がコアハートに届ききる前に移動され、逆にスライムの体に取り込まれてしまう。

 ズプズプといやに艶めかしい音を立てながら左腕の肘関節まで絡め取るが、しかしそこでとまらず、さらにその先をジュポジュポと飲み込んでいく。


 スライムの攻撃方法は獲物を体内に取り込み溺死を誘発するというシンプルなもの。けれども呼吸をする生物にとって一番有効な攻撃である。

 しかも奴の超軟体は伸縮と変形性に長けていて、大きさにもよるが平均して二メートルは伸びるとも言われている。

 目測ではあるが百五十センチにも満たない彼女の身長では、全身を余裕で覆えてしまうだろう。


「くっ、こいつ、スティをくうつもりか!」


 スティングベルはなんとか必死に腕を引き抜こうとするが、踏ん張りの取れない状況ではスライムの飲み込む力の方が勝っている。

 ならばと右手のククリでスライムの寸断を試みるも、あの長さではそれも敵わない。

 ゴブリン相手の時はリーチの短さが優位に働いたが、今度はまるっきり効果が反対となっている。


「待ってるのよスティ、今助けるから!」


 大剣を構えて仲間の救出に向かおうとするセイの死角から、分裂したスライムの触手が迫る。

 鞭のようにしなりを利かせてそのまま彼女を捕縛しようとしていた。


「ちっ!」


 セイはぎりぎりのところでそれを察知し、即座に回避する。

 しかしながら、彼女に向けられた攻撃は一つだけではなかった。三匹目のスライムが間髪を入れずに触手を伸ばす。

 元々同一個体であったためか、人間よりもはるかに連携の取れた動きで彼女を捕縛にかかる。

 これも持ち前の反射神経でなんとかかわすが、敵も諦めないもので、たとえかわされようとも何度も触手を見舞う。


「いいかげんウザいっての!」


 それはやけくそというよりは、なんらかの意図があっての行動に思えた。察するにセイを疲弊させるのと、あとは時間稼ぎといったところか。


 ……そう、時間稼ぎ。捕らえた獲物を窒息させるまでの。


 スライムの知恵というよりは、本能にその考えが刻み込まれているのだろう。どのようにすれば効率よく狩りができるのかと。


「スティさん!」


 エヴァンジールが悲鳴を上げる。

 見れば、ちょうどスティングベルの全身がスライムの体に取り込まれたところだった。

 そんな状況にあって果敢にも体内からコアハートをつかみ取ろうとしているものの、当然その動きは鈍い。

 やがて力尽き、彼女は呼吸に喘ぎ始める。死へのカウントダウンが始まったのだ。


「このぉ、邪魔ですわ!」

 

 辛抱たまらず、といった様子でエヴァンジールが真正面に立ちはだかる敵に向けて攻撃を見舞う。

 とはいえ焦燥に駆られ、精彩を欠いて振るわれた槍はことさら驚異ではない。

 真横から伸びるスライムの触手によってなんなく奪われる。

 

「あぁ、そんな……!」


 得物を失ったエヴァンジールはその端正な相貌を曇らせた。これではコアハートを狙えないと。 

 セイの方も己が捕まらないようにするので手一杯で、助勢は期待できそうにない。

 アーリアとパストは言わずもがな。


 誰の目から見ても戦局は絶望的だった。

 このままではいずれ、いや既にパーティーが半壊しているこの状況では、立て直しをするための手が圧倒的に足りない。


「離してください……」


 と、肩を貸していたアーリアが消え入りそうな声でそう呟いた。

 俺が返事をする前に杖を支えに無理やり離れる。

 よろけそうになるのを必死に耐えながら杖を構えようとする。


「なにをする気だ?」

「みんなを……、スティちゃんを助けなきゃ……」


 魔力切れによる倦怠感で肉体が苛まれているにも関わらず、魔法の詠唱に移ろうとする。

 限界を超えた魔法の酷使は時に命に関わる。

 それでも構わないと覚悟する彼女をやんわりと俺がとめた。


「なら、あーしがなんとかする……」


 震えながらパストもタクトを持ち上げる。しかしその先端がふらふらして定まらない。こちらも限界なのだ。


「それも無理だ。あいつには魔法耐性がある。それにスティングベルもろとも攻撃するつもりか?」

「なら、このままスティっちが死ぬところを黙って見てろっての!?」


 ままならない事態に、ついに癇癪を起こす。

 そこにはあの小生意気な姿はなく、ただ仲間の身を案じる子供の素顔だけがあった。

 意を決したように、彼女は続けた。


「助けてよレイちー、あーしたちが悪かったから。だから、なんとかしてよう……」


 泣きそうな声でそう懇願してくる。

 仮面がはがれた子供の、心からの言葉。

 それに応えられないでなにがエリート執事だ。


 ついさっき俺はスティングベルの死へのカウントダウンが始まったと評した。

 それは間違いではない。ただしこれから伝える#攻略法__アドバイス__#がなかった場合の話だ。


「大丈夫だ、この俺がいる限りお前たちを死なせはしない」

「本当に……?」


 アーリアとパストが同時に俺を仰ぎ見る。

 期待に満ちたその目はここにきて初めて心の拠り所を見つけたかのように目の前の男を捉えていた。


「ああ、お前たちの執事を信じろ!」


 力強く断言する。

 父親が泣いている子供をなぐさめるように。

 これを打開できないなら執事がこのパーティーにいる意味がない。

 客観的に戦況を見据え、絶望的な状況を打開する作戦を考えるのも戦闘に参加するということ。

 そしてそれができるのは、今現在において俺だけであった。

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