第34話 朝から機嫌を悪くしちゃ駄目ですよ?

 明くる日の朝。

 現在の時刻は午前六時を少し上回ったところだ。

 本来、こういった場合には朝寝坊するのがお約束なのだが、残念ながらベストオブ執事である俺にはとんと無縁の話である。

 他人からは面白みのない奴と呆れられるかもしれないが、そんなのは知らん。

 規則正しい執事にお約束を求める方がどうかしているのだ。


「あによ、もう朝なの?」

「わたくし、低血圧なので早起きは苦手なのですわ」

「なんだ、もーにんぐのさーびすか? そこにおいとけ」

「……あれ、ここどこ?」

「ううーん、まだ眠いって……」 


 その代わりと言ってはなんだが、例の幼女たちが盛大に寝坊してくれたので、結果的に早起きをしておいたのは間違っていなかったということになる。


「はいはい、まだ眠いのは分かるが起きる時はしゃきっと起きる。そんでさっさと顔洗ってこい!」


 寝ぼけ眼の幼女たちを叩き起こして顔を洗わせている間にチェックアウトの準備を整えておく。

 というのも、乱れたシーツを放置していると妙に落ち着かないんだ。これも執事の性か。

 なので身体に染みついたベッドメイキング技術を用いてぱっぱと手直ししていく。終えるのに三分とかからなかった。


 洗顔から戻ってきた幼女に手早く衣服を手渡し、部屋を出る。一人待っていると、幼女らがそれぞれ昨日買った武器と防具を身につけて出てきた。その姿はなかなかどうして様になっている。


 全員で一階に降り立つ。時間が時間なので朝食はないものとばかり思っていたが、宿屋の主人が気を利かせて早めに用意してくれていた。

 その好意に感謝し、少し早めの朝食を取る。

 食堂の片隅には働かざる者食うべからずと毛筆で書かれた紙が貼られていた。これからダンジョンに出張る俺たちにはうってつけの言葉だった。

 食事を終えると、宿屋の主人に礼を述べてから宿を後にした。


「――お、レイドじゃねえか」

「げっ」


 大通りに出たところで、今もっとも会いたくない男と鉢合わせてしまった。


「げっ、とはなんだ、げっ、とは。せっかくあったのにとんだご挨拶だな」


 奴は俺の姿を確認するなりやおら近づいてきて、


「ところであの後どうなったんだ? やっぱりパーティーは決まらなかったのか?」


 聞かれたくないことを根ほり葉ほり、無遠慮に、ずけずけと尋ねてきやがる。

 気の置けない友人だからとかは関係ない、これがこいつの性格なのだ。

 だから会いたくなかったんだ。 


「や、こっちも心配してたんだぜ? なんせ俺様の栄えあるライバルであるお前がまさか選考落ちするとは思ってもみなかったからな!」


 その割には昨日といい今日といいやけに嬉しそうじゃねーか。

 そんなに俺を出し抜けたのが嬉しいか。

 

 ……嬉しいよな、これまで俺に負けっ放しだったもんなこいつ。

 だからって真実を知らないまま勝ち誇っていられても、俺のプライドが許せないわけで。


「あんまり心配しすぎて、パンも喉を通らなかったぜ! つっても昨夜の夕食はグラタンだったけどな! なんつって、イッツ執事ジョーク!」


 とりあえずこれだけは言っておく。なにが『食事も喉を通らなかった』だ。ちゃっかり食ってるじゃねーかよ! 


「ねえ、早朝からウザいくらいテンション高いこの大男は誰よ? アンタの知り合い?」


 背後からセイのけだるげな声が響く。

 なにごともなかったかのように振る舞ってこの場を立ち去るつもりだったからできればカイリの存在はスルーしてほしかったが、聞かれたからには説明しないわけにもいかないよな。


「こいつはカイリ。俺の学生時代の同級生で、一応……友人だ」


 みんなの前で親友という単語を用いるのはなんとなくためらわれたので、ややグレードを下げて紹介する。


「おいおい、一応はないだろ一応は」


 うるさいな、お前なんて一応でいいんだよ。紹介してもらった身分で贅沢抜かすな。


「あら、平民にもご友人がいらっしゃったのですわね。わたくしはてっきり最近流行りのぼっちなのかと勝手に思っておりましたわ」

「ぼっちってなんだ、モチのなかまか?」

「ぼた餅と名前が似てるけど違うよスティちゃん。ぼっちはひとりぼっちの略で、お友達のいない人のことを指すって聞いたことがあるよ」


 なにげに失礼だな。

 そりゃあ俺は友人は多い方じゃないが、というかカイリぐらいしか友人はいないが、そんなのはどうだっていいじゃないか。

 どうせ養成校を卒業したら大半の人間とは疎遠になるんだし、だったら余計なしがらみは少ない方が色々はかどるだろ。や、負け惜しみじゃないよ?


「初めまして、カイかい。いつもウチのレイちーがお世話になっております」

「お、こりゃご丁寧にどーも」


 さっそくパストが愛称をつけているが、カイリに動じる様子はない。普段と変わらない調子で返している。俺ですら初めて耳慣れない愛称で呼ばれた時は戸惑ったというのに順応の早い男だ。


「……んでレイド、お前いつから託児所なんか請け負い始めたんだ?」 


 どっから託児所が出てくるんだ……って、ああ、なるほどな。幼女たちを見て納得。


「やっぱりあれか、王国探検隊に選考落ちしたのが原因なのか? だからってなにも冒険者になるのまで諦めなくても、お前なら引く手数多だろ」

「誰が冒険者を諦めるって? 逆だよ逆。俺たちはちょうどこれから王国探検隊の入団試験でティールの森に旅立つとこだったんだ。それでこの子たちは俺が担当することになったパーティーのメンバーでこう見えてもディ・アークズを飛び級で卒業してる天才児たちなんだと。あのヴィオレットさんから直々に紹介してもらったんだからまず間違いない。つまりれっきとした王国探検隊の候補生なんだよ」


 どうやら盛大に勘違いしているようだったので、いくつか訂正を加えてやった。するとカイリは目をぱちくりさせ、こらえきれないといった様子で吹き出した。

 それも一回ならまだしも三回だ。

 おかげで奴の口から発せられる飛沫が俺の一張羅にかかってしまった。


「ぶくくく、たまには面白い冗談も言うじゃねえかレイド。見直したぜ」


 この反応は正直予想通りだった。

 本来ならばまだディ・アークズ初等科に通ってるような子供を捕まえておいてやれ飛び級卒業だ王国探検隊だ、などと豪語していれば、そりゃあ本気に捉えられなくても無理はない。

 かくゆう俺だって最初は半信半疑だったしな。


「でもなレイド、王国探検隊に憧れるいたいけな幼女を募って冒険者さんごっこをしたくなる気持ちは分からんでもないがちゃんと現実は見ような。考えてもみろ、一度に五人の天才、それも幼女が一斉にディ・アークズを飛び級で卒業するなんて、そんなのは物語の中だけの世界だ。きっと、ヴィオレットさんから直々に紹介をされたってところからお前の妄想が始まってるんだよ」


 ここまで以前の俺と同じような反応だな。

 なんか悔しいぞ、こいつと思考が似てるとは。

 もっともいきさつを知らないカイリからすれば、王国探検隊を選考落ちしたショックで俺が現実逃避しているように見えるのだろう。

 こいつなりに俺のことを気遣ってくれてるみたいだし、要所要所でこき下ろされてもここは我慢だ。

 渾身の右ストレートをお見舞いしたい衝動に駆られるが、とにもかくにも我慢だ。


「なんかこの男、むかつくから殴ってもいい?」

「これでも悪気はないんだ、だから勘弁してやってくれセイ」


 悪気はないよな? ……たぶん。


「とにかくだレイド、こんなことはやめてギルドで他のパーティーを探せよ。そんで、俺が正式に王国探検隊に入団できたら祝勝会するぞ」


 勝手に確約された。

 なんかもうここまでくればこいつには好きに思わせておけばいいかって気になってきた。

 とりあえず伝えることは伝えておいたし、信じる信じないは本人の自由だし。


「んだよ、聞いてんのかレイ」

「――おい駄犬、なにを道草食っている! そんなこと許可した覚えはないぞ!」

「うひっ!」


 イタズラがばれた子供のようにびく、といきなりカイリが身を縮こまらせた。

 声が聞こえてきた方向に体を向けると、額に青筋立てた一人の成人女性が俺たちを、もっと正確にはカイリのことを睨めつけていた。

 彼女の顔には見覚えがある。

 確かカイリが振り分けられたパーティーのメンバーだったはずだ。


「いつまでもちんたらしてると駄犬の股間についてるその猥雑な子駄犬を潰すよ!」

「は、はいぃ……すぐ行きます! たった今向かいます! 即座に伺います!」


 股間を押さえ、情けない声のまま返答をする。

 それだけでなんとなくパーティー内でのカイリの立場が分かり、なんだか同情心が芽生えてきた。

 なんだかんだでこいつも自分の配属先で苦労してるんだな。

 このことに免じてさっき吐かれた妄言は全部水に流してやろう、うん。


「悪いなレイド、俺のことが気になってしょうがないパーティーメンバーに呼ばれてっからもう行くぜ」


 ぼそりと俺にだけ聞こえるようにつぶやく。

 どう見てもそうは思えないが、まあ突っ込まないでおこう。それが人情というものだ。


「おう。お互い、無事に生きて帰れたら祝勝会するんだろ? ……だから死ぬなよ」


 カイリとは次も会えるかは分からない。

 今回のダンジョン探索でどちらか、あるいは両方とも命を落とすかもしれないのだ。

 だが、あえて俺は再会の誓いを立てた。

 冒険者の格言の一つに、冒険前に交わした約束はそのまま自身を守るお守りになる、ってのがある。


 これはさる冒険者が雪山のダンジョンで遭難して死にかけた際、友人と交わした約束を思い出し窮地を脱した話に由来する。

 約束を絶対に破ってはいけないという意地が気力を引き出し、その冒険者を救ったのだ。

 これと似たような事例は他にもあり、だからこそ死地に向かう熟練の冒険者は誰かと必ず約束ごとを決めてから冒険に出るという。


 慎重な俺はともかくカイリは肝心なところでドジを踏むもんだから先達の教えを倣うに越したことはない。


「おうともよ。じゃあな、そっちも頑張れよ。――ロリコン野郎」


 そんな俺の気遣いを踏みにじるかのように、このような名誉毀損はなはだしい台詞を残してカイリの奴は去って行った。

 ついさっき妄言は全部水に流すって決めたけど、前言撤回。


 ……あいつ、今度生きて会ったらぶっ飛ばす。

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