第35話 ダンジョンでケンカはやめましょう

 元々ダンジョンという単語は地下の牢獄のことを指していたらしい。

 有益な資源や財宝が眠る場所をダンジョンと呼称するようになったのはそこに巣くうモンスターたちを罪人に見立てているからという説がある。

 ただ最近ではダンジョンの名称を細分化しようとする働きがあり、大きいダンジョンをラビリンス、小さいダンジョンをメイズと呼称しようなんて運動があったが、提唱者の奮戦もむなしく未だ普及には至っていない。


 さて。

 予定していた出発時間がカイリのおかげで遅れ、ティールの森に着いたのは昼間を少しすぎたところだった。

 出入り口に立つともわっと香る植物の臭いが風に混じって届き、青々とした木々の姿が見て取れる。

 途中何度か小休止をはさみ、ここまでたどり着くのに約六時間ほどかかった。

 街道を経由したおかげでモンスターに出くわすといったことはなく、余計な体力は温存できた。


 とりあえずダンジョンに挑む前にメンバーの調子を確認しておく。

 多少疲労の色はあるものの、おおむね大丈夫そうだ。

 もっとも双方このぐらいでバテていてはこれから先は話にならないのだが。


「いいかみんな、ここからはいよいよモンスターがひしめくダンジョンの内部だ。そこでは一瞬の油断が命取りになるということを胸に刻んでおくように」


 脅かしではなくこれは純粋な忠告だ。

 あまり言葉を盛るとかえって印象が薄くなるので必要最低限のことだけに留めておくが、とりあえず遠足でないことだけは理解してもらわないとなんて思っていたのだが、


「胸に刻めとか、なんかそれってセクハラ発言じゃないレイちー?」


 あー、こういう揚げ足取りをしてくる子っているよね。


「ん? いや胸は人間誰しもあるものだけど、それのなにがセクハラなんだ?」


 この場合の対処法は真顔で質問返しをすることだ。

 こうすることで『俺は心の中にという意味で胸という単語を使ったんだが、お前はなにかいやらしい意味にとらえたのか?』という実に反応に困る返しをすることができるのだ。


「うぐっ」


 案の定パストは返答に窮しているようだった。

 まんまと俺の目論見は成功である。


「そんなどうでもいいことはほっといて、そろそろダンジョンに潜るわよ」


 おっとセイに助けられたな。ま、こっちとしてもあれ以上追い詰める気はなかったけども。

 見れば他の幼女らもしびれを切らしたような様子だし、いつまでもこうしているわけにもいくまい。

 リーダーであるセイのお達しもあったことだし、いよいよ初陣といきますか。


「でもその前に隊列を組んでからな」

「んなもんいらないわよ」

「あ、おい!」


 俺の制止にも構わず、セイは一人森の中に消えてしまった。

 慌てて後を追うと残りの幼女もぞろぞろと付いてきた。


 まったく、自分勝手な幼女だな。

 そりゃあ元々剣士職であるセイを先頭に立たせるつもりではあった。モンスターの奇襲も想定して、いち早く備える必要があるからな。


 しかし彼女にそんな考えはないだろう。

 リーダーだから戦陣を切っているというよりは、なんとなくなにか事を急いているようにも思える。


「エヴァンジール、悪いけどセイに追随してくれるか? しんがりは俺が務めるから」

「元よりそのつもりでしたので、平民に指図される覚えはありませんわ」


 エヴァンジールはすたすたと俺の横を通り抜けてぴたりとセイの背後に控えた。


 早くも露見した不和の兆候に頭を悩ませる。


 ……やれやれ、先が思いやられるな。


 脳内でぼやきつつも、予定通り俺はパーティーの最後尾についた。しんがりを務めるのは前方の危難はセイたちに任せ、後方から全体の指示を出すためだ。周囲に気を配りながら声を上げる。


「――みんな、そのままでいいから俺の話を聞いてくれ。ただ闇雲に歩いても目的地にたどり着くのは難しい。そこで初日はこの辺りを散策しつつ地図を作ろうと思う」


 言いつつ、背中に携行した冒険者用鞄バックパックから白紙の方眼紙とペンを取り出す。


 地図の作成も執事の役割の一つだ。

 冒険者はみなそれぞれ、自分たちのパーティーで使用する自作の地図を持ち合わせているものだ。

 これがあればダンジョンで迷子になることはまずないし、なんらかの目的でダンジョンを再訪する際、わざわざ道を思い出さなくても済む。


 行商人が売っている地図もあるがそれには虚偽が含まれている可能性もあるし、なにより高い。

 ひと昔前に有益な情報が載っていないどころか、あまつさえ虚偽の内容が記された地図を分割で売りつける悪徳商法があったくらいだ。


 だから地図は自分たちのなるべく手で作成した方がいい。

 その方が冒険の記憶が残りやすいし、どこでなにがあったかなど、空いているスペースに委細を書き込むことができる。

 そんな風に苦労を重ねてできあがった地図はそのパーティーだけに伝わる唯一無二の宝物になる、……のだが。


「別にいいわよ、そんなまだるっこしいことしなくて。ほら、こっちの道みたいに誰かが歩いたような場所をたどっていけば自然とたどり着くわよ」


 ときたもんだ。その考え方自体は悪くはないが、果たしてその形跡が本当に人間の物であると断言ができるのか。

 ここには確かに人間の冒険者も訪れるが、人型のモンスターだって生息しているのだ。彼らの中には人並みの知能を持つ種族もいるという。

 

 このようにわざと目に付くところに形跡を残してどこかに誘導し、用意した罠にかけようとしているのかもしれない。

 規則性がなく、適当に踏みならされた草花を見る限りではその線はなさそうだが、用心に越したことはない。


 第一まだ期限日まではいくらか余裕がある。

 だからそこまで急ぎ足になる必要もない。

 焦って行動したために全滅したら、それこそ目も当てられない。


 俺たちはお互いに組んだばかりの新人パーティーなのだから、ここは慎重に行動して一歩ずつ確実に、堅実に、進んでいくべきだろう。

 それが時に命知らずとも揶揄される冒険者生活で少しでも長生きするための秘訣だ。


「森の中は入り組んだ地形上迷いやすいし、見通しもよくない。攻略するのに、早くても数日はかかるだろう。ならいざって時のためにも周囲を散策して地理を得るべきだ」


 どうしてその行動が必要なのか、要点を踏まえてセイに説く。

 人になにかを納得させるには感情に訴えるのではなく、このように明確な根拠を提示する必要があるからだ。


「馬鹿にしないでくれる? この程度の道なら頭で覚えられるわ。だいたい危険な場所なら、さっさと用事を済ましてとっとと退散するに限るでしょ?」


 それができたら苦労はしないっての。


「あたしはね、こんなところでのんびりしてる暇はないの」


 苛立ち混じりの言葉にあえて探りを入れることにした。


「……なあ、どうしてそんなに急ぐんだ? なにか事情でもあるのか」

「別に、なんだっていいでしょ。いちいちアンタに言う必要ないし。それにどうせこの旅が終わったらアンタはお払い箱になるんだから、これ以上は会話の無駄」


 にべもなく吐き捨てる。まったく、可愛げのない幼女だ。この歳でお払い箱なんて言葉口から突いて出るか普通。

 だけど今の反応を見るに、どうやら彼女にとってタブーな質問だったみたいだ。


「まあいい、セイの言い分は分かった。分かった上で言うぞ。――悪いがお前の意見には従えない」


 押し問答になるのは十分予見しつつも、こちらもまたきっぱりと告げる。


「どうしてよ!」


 すると案の定セイは声を荒らげた。

 そんな彼女に対し、冷静な思考のまま滔々と説明する。


「俺はこのパーティーを預かる執事だ。女性冒険者をサポートし、少しでも目の前の危険を減らすのが執事の仕事であり使命だ」


 たとえセイに睨まれようとも、毅然とした態度は崩さない。少しでも引いてしまったら、その時点で説得は失敗してしまう。


「なによ執事執事って! 女の影にこそこそ隠れて命令出してる奴がえっらそうに!」


 その言葉は耳に痛かった。

 確かに俺たち執事は女性冒険者に戦闘行為の一切を任せ、アフターケアをすることしかできない。

 

 それは男には#魔力__マナ__#と呼ばれる力が備わっていないからである。


 魔力はモンスターを除けば女体にのみ宿り、女性はこれを消費することによって魔法の行使や自身の身体強化を行うのだ。

 セイの細腕で身の丈ほどもある大剣を振り回せるのもこの力があるためである。そのため魔力を持ち合わせていない男は、どうあがいても冒険者になることはできないというのがこれまでの定説だった。


 けれども女性をサポートすることで男でも冒険者になれる職業が生まれた。


 それが執事だ。


 執事の仕事は主と認めた女性に付き従い影ながら支えること。そんな執事だが、その優先事項に自分よりご主人を尊重すべし、という決まりがある。

 だからここは主人であるセイの意見を尊重すべきところだろう。だけど、それじゃあ駄目なんだ。


 ヴィオレットさんは言っていた。

 あの子たちはまだ幼いと。

 その手綱を握ってやれるのは主を支える執事だけだと。

 だから俺はこのパーティーの執事として、または暫定的な保護者として、この子たちが暴走しがちな時はそれをとめる義務がある。


「この程度の道ならば頭で覚えられると言ったな。それはまだ複雑な往路じゃないからだ。だが俺たちが目指すのはこの森の最奥だ。それまでの道のりをお前は、すべて完璧に覚えられるのか?」

「それは……」


 俺の言葉に狼狽するセイ。

 一生懸命に思案しているのだろう、果たしてこの迷路のように入り乱れた森の中を地図も無しに戻ることができるのかを。

 即答しないということは、迷っていることのなによりの証左。つまりはもう一押しだ。


「腕力を鍛える代わりに俺達は知識を蓄えた。その上で進言する。地の利を押さえることはダンジョンから無事生還するためにも必ず役に経つはずだと。パーティーのリーダーなら自分のことだけでなく他のメンバーのことも考えるべきだろう。違うか?」


 一巻きに言い切ってセイの反応を待った。彼女はなおも反論の言葉を探そうとするが、しかし答えに窮したのか結局、


「……分かったわよ、どうせ面倒なことはアンタの仕事だしね。好きにすれば?」


 他のメンバーというフレーズが効いたのか、彼女はなんとか折れてくれたようだった。

 俺に対する反抗心から意固地になる未来も見えていたが、根は素直なのだろう。


「よし、良い子だ」


 だからせめて不満顔のセイを褒めてやる。

 ついでに頭もなでようとすると、「触んないで」と手で払われてしまった。

 さすがに調子に乗り過ぎたか。

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