第18話 ある青年の最期(※閲覧注意)

「――右から来るぞ、気をつけろ!」


 でっぷりと突き出た腹を縦に揺らしながらいの一番に攻め込んできたのは、醜悪なホブゴブリンの群れだった。

 そいつらは敵側の特攻役なのか、手に手に太い樫の棍棒を携えながら女性陣と交戦を開始する。


部御音緒帯悪ブオオオオオッ!」

「甘いですっ!」


 力任せに振るわれた棍棒の一撃をミュリエルは片手剣の腹で器用に受け流し、返す刃で敵の首元に刃を滑らせる。

 急所をやられたホブゴブリンはわずかに呻き声を上げてまずは一匹、地面の上でこと切れる。


午後ゴゴ……」


 同族の死に一瞬怯んだホブゴブリン。

 その刹那、前衛職の三人娘によって残りも押し切られる。

 一匹だけ逃したが代わりの三匹はそれぞれ打ち倒すことに成功、こちら側の士気が高揚する。


 だが、ぴょんぴょんと跳ね回りながらすぐに次の相手がやってくる。


「首狩り兎がそっちに行くぞ! 飛び跳ねからの首切り攻撃に注意するんだ!」


 見た目は愛らしい小動物のそれ。

 しかしながら一度奴を腕の中に招き入れると牙を剥く。

 襲われたらば最後、異常に発達して鎌のようになった前歯で獲物の首を掻き、切り落とすのだ。

 ゆえに『森で出会ってしまうと首を失うネックレスことになる恐ろしい野兎ラビット』。


「……でもまあ、わざわざ俺が言わなくても対処の仕方はもう分かってるよな? 特に、あっちの元いたパーティーのみんなは」


 これは聞こえないようにつぶやく。

 昔行った教育のおさらいも兼ねて、ここは一つ見守ることにする。


「近づくと危険な相手は私じゃなく」

「アタシでもなく」

「ボクの出番なのー!」


 ……正解だ。


 元リーダーと剣士の女性の間を縫って狩人女性が矢を放つ。途中で三方向に別れた木の矢の狙いは寸分違わずに首狩り兎だけを強襲し、瞬く間に三匹まとめて仕留める。

 奴は懐に入られると厄介だが、遠距離攻撃には弱いのだ。


「……なんだ、レイドさんの教えだけあって意外となかなかやるじゃないですか」


 その間にも狂い踊る食人花――マッドプラントをすべて切り伏せたミュリエルが、元パーティーメンバーの実力を称賛する。


「そっちもね! だからこれまで一人で冒険者をやってこれたのかな」

「一人じゃありません。レイドさんと二人です」


 自慢するように胸を張るミュリエル。


「はあまったく敵わないな。私たちとはおっさんを想う気持ちが全然違う。おっさんの真の仲間はどうやらキミだったみたい。認めるのはちょっと癪だけど」

「貴方たちのことは好きではありませんが、その言葉だけはありがたく受け取っておきます。貴方のことは好きではありませんが」

「二度言う必要ある? ホンット、生意気なコ」

「敬う相手はきちんと選んでいるだけです」


 昔の仲間と今の仲間が紆余曲折ありつつお互いに認めあう。いさかいがあったにせよ、そこだけは渋々ミュリエルも譲歩できたというわけだ。

 本当はもっと皆が歩み寄るための対話の機会も設けたいが、いくらなんでも高望みし過ぎか。


 さてそれはともかく、これから相手はどう出るか。

 女性陣の強さに恐れ慄いて、向こうから逃げてくれればいいのだが……。


「げっげっげっ雑魚どもすぐにヤラれた、ヤルなニンゲン! でもこっちはマダたっぷりと群れが残ってイルゾ! いつまで耐えられるカナ?」


 やはり期待するだけ野暮だったか。

 当然だ、一見こちらが押しているように思えるが地の利は向こうにある。

 

 そして残存勢力が把握できていないこちら側に対し、向こうは俺たちを包囲している。どちらが有利かは火を見るよりも明らかだろう。


「さあ、次のヤツら来イカモンキー!」


 樹の上で余裕ありげに構えている猿はパチンと指を鳴らした。

 その呼び出しに応じてまたぞろ各所からやってきた魔物たちによって欠員が補充され、再び元の劣勢状態に戻った。

 仮に今一度退けたとして、またああやって増員を呼ばれたらたまらない。


「これは正直キツいかな……」


 さしもの元リーダーも愚痴をこぼす。


 敵の目的を推測するに数に物を言わせてこちらを疲弊させるのが目的といったところだな。

 捨て駒にされる味方はともかく、作戦としては間違っていない。

 そうしてゆっくりと追い詰め、こちらの動きが鈍ったところで捕縛する腹積もりなのだろう。


 ならばここは交戦を続ける振りをしつつ頃合いを見ながら煙幕を張って逃走するのが得策だろうと考えていると、これまでずっと押し黙っていた青年が突然「あーっ!」と声を荒らげた。


「ふざけんなよ、ふざけんなよ! こんなことになっちまって、だから俺はこんなダンジョンまで来たくなかったんだ! なのにおっさんの分まで働けって女どもが俺を無理やり連れてきやがってチクショウ!」


 ……まずい! 

 パーティーの連携が崩壊する原因はいつだって単純シンプルだ。

 仲間のうちの誰かが恐慌をきたし、一人で暴走してしまうこと。

 そういった些細なきっかけがやがて取り返しのつかない事態を招くのだから。


「もうやってられねえ! おい俺が逃げ切るまでそのまま魔物を引きつけてろ、闘うことしか能がねぇ脳筋クソビッチどもでもそのくらいはできんだろ⁉ っつかやれ!」 

「はぁ? アンタいきなりなにを言って」

「うるせェ、てめぇらを囮にしてでも俺は生きるんだよぉーッ!」


 そう叫び彼は比較的手薄だった小道に向かって駆けだした。止める暇もなかった。あれだけ知恵が回る魔物が、わざわざ抜け道を用意させている理由なんて罠以外にないというのに。

 案の定——。


「ひぎゃあああああっ!?」


 青々と密集している樹冠の中から突然矢のように鋭いなにかが射出される。

 それが真一文字に伸びる植物の蔓だということに気がついたのは、走っていた青年がその蔓に足を絡め取られて転倒してからのことだった。


「痛ってぇ……くそが、なんだってん、だ、よ」


 ピタリと言葉尻が途切れる。

 地面に転がされたままの青年が見上げた先に、ポリポリと剥き出しになった腹を掻くトロールの姿があった。


愚炉路露絽グロロロロ


 深緑色の肌をしたそいつは眼下に這いつくばる青年を片手でひょいと持ち上げて目線が合う位置まで掲げると、嗜虐的に顔をゆがめた。 


「ひ、ひぃいぃぃ、だ、誰かっ、早くたしゅっ、たしゅけて! こっ、殺されるっ!」


 プライドもなにもかもをかなぐり捨てた青年がそう懇願する。


「おい聞いてんのかぁぁぁっ! 俺を助けろって言ってんだぁっ! 無視すんじゃねーよ! 早く来いって言ってんだアホどもがよぉ!」


 だが目と鼻の先にいるというのに追加で現れた魔物に女性陣の行動が阻害され、誰一人彼を救出に行くことが叶わない。

 かくいう俺も己の無力さから歯がみをしながらキツく太ももに爪を立てることしかできない。

 きっとこの場にいる誰もがその脳裏に彼の最悪な結末がよぎっていることだろう。

 そしてそれは、すぐに現実のものとなる。


「お願い、助け、助けてぇ! あ、謝るからっ、今までのことを全部謝るから、だからおっさん、そいつらに俺を助けるよう指示してくれよぉ! 誰も全然俺の命令は聞いてくれないんだよー! あーっ駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ!」


 トロールは空いた手で青年の腕を取ると、徐々に背中の方に持って行く。

 ゴブリン科に属しながらも短身痩躯の彼らとは違い、二メートルを超える巨体から繰り出されるトロールの攻撃は時に一撃で人を死に至らしめるほどの膂力りょりょくを持つ。

 その大木のような腕でもって体をねじられたらひとたまりもない。


「い、嫌だ、やめろぉ、そっちには回らなっ……ぎ、ぎいぃぃぃぃ! か、肩が外れたぁあっ! あが、もう許し……てっ! いぎゃあああいたいいたいいたぁいっ!」


 バツンと肉が断裂する嫌な音が聞こえてくる。

 まるで折り紙で遊ぶかのようにトロールは丁寧に一つ一つ青年の関節を逆側に折り込んでいく。

 

 その度に上がる苦悶の声と折れた骨が皮膚から突き出るというあまりに衝撃的な光景につい目を背けたくなるが、それだけはしてはいけない。


 せめてもはや免れようのない青年の最期の瞬間だけでも見届けるべきだろう。

 それが彼をむざむざ見殺しにしてしまう俺たちが取れる贖罪の方法だ。


「あああぁぁぁああぁあああ」


 全身を襲う壮絶な痛みに壊れてしまったのか、喃語なんごでも口にするかのように言葉にならない声をこぼし続ける。

 整っていた顔は千々に乱れ、鼻水と涙でもはや見る影もなく。


 致命傷には至らない程度にありとあらゆる骨が折られ、肉団子でもこねるような動きで逆向きに丸められた青年は、しかしそれでも息絶えることはなく。


 そして「あーっ」と地面に投げ捨てられた彼にかけられたのは、慈悲ではなく追い打ちだった。


 トロールはホブゴブリンの丈周りほどある棍棒を両手で強く握り、地面で不気味に蠕動ぜんどうする青年に向かって勢いよくゴルフスイングする。


 ゴス、と鈍い音と同時になす術なく彼はこちらに吹き飛ばされ——狙いが外れたのか、大きな樹の幹にぶち当たった。

 ブチュリとトマトを踏み潰した時のように、側にいた俺の顔に青年のその体液が飛びかかった。

 人体から発せられる様々なものが入り混じった臭気が辺りに漂う。


愚炉慰グロイ

 

 下卑た笑いをトロールがもらす。


 人間の頭を鈍器でスイカ割りをすればこうなるのだろう、という光景が隣に広がっていた。


 別に彼のことは好ましい人格ではなかった。

 それでもある程度人となりを知った人間が無情にも命を散らす場面に出くわしてしまうと、胸に来るモノがあった。

 今更ながらに青年の名前をついぞ尋ねることをしなかったことを後悔する。


 そして目の前の惨事は他人事ではない。

 一歩間違えれば俺たちもあのような悲惨な最期を……いや、もう既に片足を踏み込んでいる。

 なぜならかつてパーティーメンバーだった者の死は、恐怖は、他の仲間にも伝播でんぱするからだ。

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