第一章 一話 陰森
騎士見習いにとって、師事する精霊騎士の拠点にたどり着くことが最初の任務らしい。
――――――――――――
暗く、湿った森をひたすらに駆ける。
先頭を行くのは案内人であり現役の精霊騎士、リオン。
木々の間を縫い、途中にある川やら崖やらをいともたやすく避け、凄まじい速さで進んでいく。
そのすぐ後ろ。
完全にその動きを模倣し、影のように追従するのは細身の青年アンドロメダ・キールである。
リオンが踏んだ地面を踏み、同じ高さで跳躍し、同じ格好で着地する。その姿はむしろ、この危険極まりない進行を楽しんでいるようにも見えた。
「レグルス付いてこれてる?」
アンドロメダが声を張る。
それに、
「黙れ……………………いいから走れ!」
と、レグルスがこちらも声を張り上げる。
レグルスはというと、独自のルートを見極め、邪魔な障害物は時に切り飛ばしながらアンドロメダの後ろを駆けていた。
こちらも、当たり前のようにリオンの速度に付いていく。
一行は、もう長い間この速度を保って走り続けていた。
余裕そうな表情を見せてはいるが、アンドロメダもレグルスも、最初と比べると明らかにその呼吸は乱れている。
それに気づいてか、リオンが走りながら言う。
「休憩は必要か?」
それに、すかさずアンドロメダが答える。
「僕はまだいけますよ……………………でもレグルスが苦しそうなんで……………………!」
「なるほどな……………………!俺のせいにして休みたいらしい!」
と、レグルス。
しばらく、リオンも無言で走り続ける。
意味のない我慢比べが始まった。
いや、実際にはかなり前から、意地の張り合いは始まっていたのだが、
『休憩はなしで!』
『休憩はなしだ!』
と、未だ一度も休むことなく走り続けていた。
殊勝な心がけと言うべきか、感情的と言うべきか、しかしここまでの距離を精霊騎士と同じペースで走破できるのは二人の地力の高さを物語っていた。
「一旦止まれ」
不意にリオンが合図を出す。
それに、そのすぐ後ろを追いかけていたアンドロメダが反応し、木の幹を蹴って勢いを殺す。
「休憩ですか?」
と、アンドロメダ。
その呼吸は荒く、乱れている。
涼しそうな顔をしているが、実際はかなり無理をしていた様子である。
「休憩はいらないといったが?」
とレグルスが、こちらもかなり苦しそうな顔で、それでも不満げにリオンを見る。
しかし、当のリオンは前方を見据えて動かない。
前方の、かなり先。
このまま進めば通ることになる進路上に、大きな気配が二つ。
――――――――――――「神獣」である。
この距離では気配を察知できないだろうアンドロメダとレグルスも、しかしリオンの様子に何かを勘づく。
「付いて来い……………………」
リオンが振り返ることなく言う。
そして気配を抑え、再び歩を進める。
暗く、危険な森の深部。
精霊騎士が気配を殺して近づく相手。
先程まで軽口を叩いていたアンドロメダとレグルスも、一瞬にして戦闘態勢に切り替わる。
おそらく神獣の気配を察知してから、その距離を半分ほど詰めただろう。
そろそろ向こうにも気づかれる頃合いである。
「……………………剣を取れ…………もうすぐ接敵する」
と、リオン。
それにレグルスがスターダストの柄に手をかける。
そして、
「この気配は……………………!?」
と足を止める。
ようやく、神獣の気配を察知したようだ。
「神獣だ……………………戦うのは初めてだろう?」
リオンが止まり、振り返って言う。
それにレグルスは、「あぁ」と小さく応える。
「まずは動きを見ろ、次に回避、そして余裕があれば反撃せよ……………………いつかは一人で相手をすることになるのだ」
「……………………舐めるな」
そう言って、レグルスがスターダストの柄を強く握り、体勢を低く身構える。
アンドロメダにしても自分の周囲に氷塊を浮かべ、戦闘に備えている。
――――――――――――
前方にいるのは、神獣・フェンリル。
小屋ほどの体躯で、人と狼とが混ざりあったような姿をした凶暴な獣である。
「神獣」とは、フェンリルやドラゴン、鬼などの、かつて神々の眷属として力を得ていた存在の総称であった。
そのため、最も神々に近い存在とされる精霊の力を持ってしても、神獣を相手にするのは容易ではないのである。
ましてや、前方には二匹。
「通常群れないはずだが…………?」
念の為、確認しておく。
それに、
「番だ……………………稀に見かける」
とリオン。
ミラと森で過ごしていた期間、フェンリルとは幾度となく遭遇し戦ってはいたが、番を見かけたことは一度もなかった。
「俺が一匹、お前らで一匹だ」
歩みは止めないまま、リオンが言う。
もう身を潜めてはいない。
二匹のフェンリルがこちらに気付き、耳をつんざく程の奇声とともに周りの木々をなぎ倒す。
「…………ペルセウス、前へ出ろ………………他二人は援護だ」
そして、片方の手を空へ向け、何やら呟く。
次の瞬間、爆音と共に空からリオンの神器、グングニルが降り落ちてきた。
二匹のフェンリルは当然のように、そのグングニルの初撃を躱す。
「健闘せよ!」
そう言い、リオンがフェンリルに突っ込んでいく。
「俺達も行くぞ…………」
と、ペルセウスもそれに続く。
リオンならばフェンリルの二匹くらい余裕で倒せるとは思うが、一匹を任された以上こちらで処理しなければ面目が立たない。
「やばいでしょ、あれ…………勝てるの?」
走りながら、後ろからアンドロメダが聞いてくる。
そうは言いつつも、相変わらず楽しそうに笑っていた。
「やってみろ」
「任せて……………………レグルス!」
一番後ろを付いてきていたレグルスが、前に飛び出る。
フェンリル二匹はリオンに集中している様子で、レグルスを気に留めていない。
「開戦といこう」
レグルスがスターダストを振り抜く。
ほぼ同時に、鋭く尖った氷塊が無数にフェンリルを襲う。
しかし、それらはフェンリルの一匹を振り向かせるだけに終わってしまう。その強靭な巨躯に阻まれ、傷一つ付けられていない。
「避けろ!」
レグルスに向けて、言う。
それに、レグルスが急いで後ろに飛び退く。
が、一瞬遅かった。空中に鮮血が舞う。
「傷の程度は!?」
声を張り、聞く。
奥の方ではリオンとフェンリルが激しく争っている。
「…………問題ない!」
騒音の間からレグルスの声が聞こえ、すぐに本人もこちらまで戻ってくる。
「ならいい……………………」
フェンリルが低くうなり、こちらの様子を覗う。
見上げるほどの大きさ。
凶暴そうに剥き出された牙と、黄色く光る瞳がおぞましい。
「どうだ…………?倒せそうか?」
アンドロメダに聞く。
「無理そう」と、アンドロメダ。
レグルスも無言でいるということは、今の攻防で力の差が分かったのだろう。
今の二人では、到底敵わない相手なのである。
「……………………ならいい」
その事を二人が実感したのなら、それでいい。
「後は俺がやる」
足を踏み出す。
それにフェンリルが体勢を沈め、攻撃の体勢に入る。
その様子を見ながら、ネックレスのトップを掴む。
フェンリルの強靭な脚が大地を蹴る。
獰猛な息遣いが、一瞬にして目の前に現れる。
――――――――――――
「…………!」
軽い音と共にネックレスのチェーンが千切れ、同時に莫大な力が湧き上がる。
これで片手剣の形をした神器、テンペストが開放された。
返す手で、テンペストを一閃。
同時に身体を半歩ずらし、フェンリルの返り血を避ける。
たったそれだけ。
剣の一振りだけで、神々の力を色濃く受け継ぐ神獣が、首と胴体とを分断され息絶える。
命の危険が去り、気付いたらチェーンに戻っているテンペストを首にかけ直し、リオンが戦っている方へと歩き出す。
「……………………いや、しょーもな」
背後でアンドロメダが呟いた。
二人とも大人しく後ろを付いてきている。
「お前は、過去にあれと戦ったことがあるのか?」
「あれ?…………フェンリルな、あるよ」
「……………………」
何やら考え込むレグルス。
「へー、フェンリルって言うんだね………………え?結構強い部類だよね?簡単に倒してたけど……………………」
「あぁ、神獣だからな。リオンだってだいぶ苦戦してる」
前方を指す。
グングニルを手に、フェンリルともつれ合っているリオンがいた。
「たしかに……………………え、なら何でペルセウスはあんな簡単に倒せるの?」
「ペル、でいい。言いにくいだろ?…………俺はさっきも言ったように何度も戦ってるから」
「ペル、いいね!……………………何度も戦ったとしても、だと思うけどな」
「そうか…………」
リオンがグングニルで何かをし、フェンリルの片腕が宙を舞った。
頭に響くほどの断末魔の叫びが襲う。
痛みと怒りで錯乱したフェンリルが、大振りの攻撃を放つ。
しかしリオンはそれを簡単に躱し、隙だらけのフェンリルにとどめを刺す。
「速いな…………俺よりも」
「…………いえ」
時間がかかっていた割に、リオンに大した怪我は見当たらなかった。
見ると、もう既にグングニルが見当たらない。
恐らく使わない時は手元に無く、呼び出すと空から降り落ちてくる仕組みなのだろう。
「神器は面白いな」
思わず呟く。
それに、
「全く以て、同意見だ………………」
とリオンが返す。
めちゃくちゃに破壊された周囲を見渡し、深く息を吐く。
「…………………………では、拠点へ向かうとする」
――――――――――――
そしてまた、何事もなかったかのように危険な進行が再開した。
目指すは精霊騎士「ポール」こと、ポルックスが活動する拠点である。
アンドロメダとレグルスの意地の張り合いが再開し、賑やかな二人の後ろをペルセウスはひた走っていた。
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