第8話 レグルス

 茶番は終わった。

 ここからが、今日のメインイベントになる。


 ――――――――


 円形の、広い闘技場。

 その中央に立ち、向かい合う二人。

 方や鋭い目つきで腰に下げた長剣に手をかけ、方や優しい瞳に楽しそうな笑みを浮かべ、双剣を手に構えている。


 第五戦――――ようやくレグルスの出番である。

 相対するのは二年生のデネブ・カイトス。

 比較的身長が高く、近くで見るとおっとりとした雰囲気の美人だった。

 とそこで、審判員が言った。

 

「始め!」


 刹那、デネブが動き出す。

 先程までとは明らかに違い、その動きは異常に速い。

 どうやら手加減はしてくれないようだ。

 しかし、それにレグルスは動かない。

 剣も抜かずに立ち尽くしている。

 

 躊躇なく距離を詰めるデネブ。地を這うように懐へ潜り込み、短剣を振るう。鋭い刃が、レグルスの喉元へと吸い込まれていく。

 一瞬で勝負をつける気である。

 

 と、そこでようやくレグルスが動いた。半身をずらし、最小限の動きで短剣を躱す。同時に、振り抜かれたデネブの腕を捉え、強く引いて体勢を崩す。


 思いがけない反撃に、急いで防御の姿勢を見せるデネブ。 

 しかし、既に勝負は着いていた。


 いつの間に抜いたのか、レグルスの手には豪奢な白銀の長剣が輝いていた。その切っ先は、まっすぐにデネブの首筋へと向けられ、薄皮一枚のところで静止している。

 デネブが焦りと驚きで目を見開く。


「そこまで! 勝者、レグルス・スターライト!」


 審判員が声をあげた。

 一瞬の出来事に、静まる会場。

 それも束の間、すぐに室内闘技場が歓声に包まれた。先程までとは打って変わり、今度は一年生を称える声である。


「………………油断したわ」

「あぁ、やり直すか?」

「いいえ。……………………そこも含めて実力ってことね」

「そうか」


 会話はそこで終わった。

 デネブが下がっていく。

 彼女は、精霊の力を使わなかった。使えば勝てたかもしれないのに、使わなかった。

 それはレグルスへの配慮か、それとも慢心か、どちらにせよレグルスには関係のないことだった。

 

 そもそもレグルスはアルタイルとの一戦しか見据えていない。そのため他の二人はできるだけ早く終わらせるつもりでいたのである。


「次の者!」


 歓声が止むのを待ち、審判員が二年生側に声をかけた。

 出てきたのは黒髪ショートヘアの小柄な女性、ベガ・ストーリアである。


 静かにこちらへ歩み寄る彼女。しかし、見たところ武器の類を携えている様子はなかった。


「私は油断しない。最初から本気で行く」


 レグルスの数歩前で立ち止まり、ベガが一言。

 刺すような鋭い視線である。 

 レグルスは軽く視線を下げ、真っ直ぐにその目を見返す。

 近くで見ると、頭二つ分ほどの身長差があった。


「…………好きにしろ」

「………………………………」


 返事はない。

 視線をこちらに向けたまま、ベガが後ろに下がっていく。

 およそ十分な距離が空くと彼女は立ち止まった。

 会場に静寂が満ちる。

 しばらくの睨み合いの後に、審判員が合図を出した。


「始め!」 


 と同時に、ベガがこちらへ走り出す。

 走りながら力を開放する。

 大地に属する精霊の力だろう、彼女の足元の地面から黒い粒子が現れ、吸い込まれるように彼女を追尾する。

 彼女を覆うように集まった粒子は次第に形を成していく。

 腕を覆い、両足を覆い、胴体を覆い――――――数歩進むうちに、彼女の全身は黒々とした鎧に包まれていた。

 光を反射しない、炭のような黒である。

 

 余った粒子がさらに、投擲用のダガーへと姿を変え、彼女の周りを漂っていた。ベガはそれを走りながら器用に掴み、こちらへと投げる。

 意気込んでいた割にはぬるい攻撃。この程度であれば他の一年生でも難なくかわしてしまうだろう。


 しかし、ベガを見ると、反対の手には既に次のダガーがあり、投擲の構えを見せていた。


 ――――――囮か。


 おそらく一撃目と二撃目に差を付けることで対応しづらくしているのだろう。


「甘いな」


 レグルスは今まさにベガの手を離れようとしている二撃目に焦点を合わせた。注意すべきは後からくる本命の一撃だ。


 ベガの腕が霞み、ダガーがあり得ない速度で飛んでくる。

 普通の人ならば絶対不可避の一撃。しかも、二本のダガーが同じタイミングで到着するように計算されている。


 しかしもう既に、レグルスはダガーの射線にはいない。ベガの腕が動いた瞬間に、一歩踏み込んで攻撃を躱していた。  

 そうじゃないと到底躱すことはできない。それほどまでに、その攻撃は速かった。


 初撃をやり過ごしたレグルスは、長剣の柄に手をかける。

 あと一歩で、彼女は自分の間合いにに入るだろう。彼女の手には相変わらず、新たなダガーが握られている。しかし今度は投擲の構えではなく、接近戦で使うように逆手に握られていた。


 接近戦ができるのか?


 ベガが自分相手に接近戦に持ち込むとは思えない。つまり、これも何らかの「罠」である可能性が高かった。

 レグルスは四方に意識を張り巡らせる。

 正面から来る分には対応は楽だ。しかしまだベガの力の全貌が見えないため、レグルスは仕掛けない。


 間合いに入る直前で、ベガが真横に飛ぶ。精霊の力により脚力も大幅に上昇しているのだろう、一蹴りでレグルスとの距離を開ける。

 と同時にダガーを二本投げた。一つはレグルスへ、そしてもう一つはレグルスから大きく右に逸れ、誰もいない空間へと飛んでいく。


 手元が狂ったか?


 いや、ベガのことだ。これも何らかの仕掛けだろう。

 レグルスはあえて避けずに、長剣を抜くことでダガーを弾いた。

 そしてベガの次の動きに意識を集中する。

 

 次の瞬間――――――――――。


 右側に違和感。

 空間が揺らめいた。

 それを認識した瞬間にレグルスは左に飛ぶ。間一髪、先程までレグルスがいた空間をダガーの黒い刃が切り裂いた。

 空中でそちらを見ると、ダガーを振り抜いた状態のベガがこちらを見ていた。その腕が霞む。目に見えない速さでダガーが飛んでくる。

 

 またしても二本。

 一本は自分を狙い、もう一本は頭上をかすりもせずに通り過ぎる。レグルスは自分を狙う刃を、空中で体を捻り辛うじて躱す。


 と、同時に、またしても鋭い殺気。今度は上から次の攻撃が来る。頭上に突如現れたベガが、逆手に持ったダガーを突き刺すように振り下ろす。驚いている暇はない。レグルスはすぐに防御の姿勢を取ろうとする。

 

 がしかし、そこでベガが視界から消えた。


 攻撃の手は止まない。

 今度は背後で気配がし、刹那、黒い刃が降り注ぐ。レグルスは振り向かない。すべての攻撃を気配で察知し、すぐさま回避する。

 

 ベガ本人による容赦のない刺突と、もう一つはダガーの投擲である。また先程と同様に、二本のダガーが飛んでくる。一本は自分へ、もう一本はあらぬ方向へ………………。

 

 再度身体を捻り、攻撃を躱す。それと同時に蹴りを放つ。強力な、骨ごと肉を粉砕するような一撃。しかし、放ったのはベガのいる方ではなく、通り過ぎていくダガーに対してである。

 ダガーが軌道を変え、遠くへと弾かれて飛んでいく。

 

 ようやく着地したレグルス。ここまでの攻防が跳躍の間に行われていた。


 会場にいる一般生徒には、およそ何が起こったか分からなかっただろう。ところどころベガの姿が消え、別の場所に現れたとしか見えなかったはずだ。


 一度距離を取り、ベガを見る。

 彼女も距離を取り、攻撃の手を止めていた。相変わらず黒い粒子は彼女の周りを漂い、その鎧を、武器を生成し続けている。


「……………………面白い」


 レグルスは今の攻防で、大まかなベガの力を理解した。

 まずはあの黒い粒子――――――精霊の力による大幅な身体能力の向上。

 そしてもう一つが、


「転移、か………………」

 

 ダガーを起点とした「転移」である。

 恐らくベガは、粒子から作られたあの漆黒のダガーの位置に転移できる。

 一度目も、二度目も、三度目も…………………………ベガは一本のダガーを囮に注意を引き、もう一本の方へ転移して死角から攻撃を仕掛けてきた。


 それも、かなりの速さで。


 相手がレグルスじゃなければ、一回目の転移で勝敗は着いていただろう。やられた方は、何が起こったのか理解できないまま死んでいく。非常に高度で、また陰湿な技である。


 しかし、これでもう彼女の力は理解した。


 闘技場の中央で、距離を開けて向かい合う二人。

 お互いに様子見は終了である。ベガの攻撃は、ここからさらにその手数と鋭さを増すだろう。


 だが、


「こちらからも仕掛けるぞ」


 レグルスが、長剣を構える。その刃が白銀に輝く。

 互いに視線をぶつけ合い、タイミングを図る。二人の間には二十歩程の距離が開いているが、もはやそれは無いようなものだった。僅かな動きにさえ、細心の注意を払う必要があった。


 やがてレグルスは静かに息を吐き、そして大地を蹴った。


 ――――――――――――


 精霊の力は強力だ。

 使いこなせれば一騎当千が現実になる。

 ただ、精霊の力が使えないからと言って強くなれないわけではない。

 精霊の力を使えないレグルスにとって、それを証明する場が、今日のこの模擬戦だった。

 誰かのためではない、ただ自分自身のために証明したいのだ。


「行くぞ………………」


 第二ラウンドが始まった。

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