第6話 アンドロメダ


「移動しますよ?」

 

 声をかけられ、アンドロメダは目を覚ました。

 どうやら、寝ている間に休憩時間が終わったらしい。

 周りを見渡すと、教室には既に自分ともう一人しかいなかった。


「…………ありがとう」

「いえいえ」

「………………………………」

「…………行きましょうか」

「うん」


 ぎこちない会話を挟み、アンドロメダは体を伸ばす。

 起こしてくれたのは、入学式で後ろの席にいた女の子だった。

 同じ人に二回も起こされてしまった。それも、同じ日に…………。

 

 こちらを見つめる、その大きな瞳を見返す。

 淡い紫色をした、珍しい瞳。

 腰下まである長い髪も、瞳と同じ薄紫をしていた。

 小柄で、ミステリアスな雰囲気を纏う美少女である。


「…………先に行っててくれていいよ」


 アンドロメダが言った。

 それに少女は、「何故ですか?」と首を傾げる。


「もう少ししたら行くから」

「一緒に行かないんですか?」

「なんで?」

「なんで、ですか…………?」


 言葉に詰まる少女。

 正直な話、アンドロメダはこの少女に近づきたくなかった。

 たしかにかなりの美少女ではある。

 アンドロメダにとっても、その容姿だけを見れば好みのタイプだったりするのだが……………………。


「ほんとに、気にしないで。先に行ってていいから」


 適当に場をやり過ごそうとする。

 目はもう合わせない。


 これはあくまでもアンドロメダの主観なのだが、この少女はどこか「普通」ではないように感じていた。


 特にそれは、目を見れば分かる。

 貴族の家に生まれ、幼い頃から様々な人と関わる機会が多かったアンドロメダは、人を見る目には自信があった。

  

 他人を見透かすような気味の悪い視線。

 全てに絶望し、狂気が見え隠れする暗い瞳。

 それらを必死に隠そうという彼女の思惑。

 ――――――絶対に関わらない方がいいタイプの人間だ、とアンドロメダは判断した。

 この少女は、何かがおかしい。


「…………そこまで言うのでしたら仕方ありません。先に行きますけど………………次の会場まで一人で行けますか?」


 心配そうにこちらを窺う少女。

 それに、


「行けるよ。心配ありがとう」


 と、笑ってみせる。

 目は伏せて、合わせないようにしていた。


「……………………」


 しかし、少女は動かない。

 何かを待つように、まだそこにいる。

 アンドロメダは、自分の心拍が上がるのを感じた。

 

 ――――なんだ?………………何を待っている?

 

 ガランとした教室に視線を泳がせるアンドロメダ。

 彼女から目を逸していても、自分が見られていることは感じていた。

 首筋に悪寒がするのである。

 

 何があってもすぐに動けるよう、意識を集中する。

 呼吸を整え、五感を研ぎ澄ます。

 息の詰まるような沈黙が続いていた。


「……………………分かりました。では…………」


 ようやく、少女が沈黙を破った。そして、今度こそこちらに背を向け、入り口の方へと歩いていく。

 小さな歩幅で歩く姿は、可憐で上品なものだった。


「高い身分の生まれだろうか?」


 そうは思ったが、しかし、国の上流階級が主催するパーティーでは見かけたことがない。

 

 生まれ持ったものか、それとも何か特別な「事情」があるのか…………。

 

 彼女は教室を出る時、ちらっとこちらを振り返った。

 微笑み、軽く手を振ってくる。

 それは美しく、とても鮮やかな仕草だった。


 ――――――――――――

 

 しばらく教室に残り、窓から外を眺めていた。

 外は相変わらず雨が降っている。

 

 最近は雨の日が多い。

 今は、特に雨が降る季節でもないのだが、気付くと空気が湿っている。

 アンドロメダにとって雨は嫌いではなかったが、外で昼寝ができないのは残念だった。


「そろそろ行くか」


 立ち上がり、身体を伸ばす。

 どうやら午後は、少し動くことになりそうだ。

 気が乗らないと思いつつも、アンドロメダは既に動く準備ができていた。いや、いつでも動けるように訓練されているのだ。

 

 強くなることを強要されていた日々。

 来る日も来る日も、意志に関係なく死ぬまで鍛えられた。

 実際に、同い年くらいの子供が何人も死んでいった。

 生き残るためには、とにかく強くなるしかなかったのだ。

 今となっては、それは「良い思い出」なのかもしれない。

 あの日々があるからこそ、今の自分がいる。

 その事に間違いはないのだが…………………………。

 

 自分から「強くなりたい」と思ったことなど、一度も無かった。

  

 あの頃に比べ、今はある程度の自由がある。

 自分で勝ち取った自由だ。

 好きなときに寝て、好きなときに起きることができる。

 死にものぐるいで技術を覚えることも無ければ、常に何かに怯えている必要もない。

 しかし、それが本当に自分が強くなった証なのか、アンドロメダには分からなかった。

 なにせ、自分は「次席」なのだ。

 あれ程の思いをしても、まだ一番ではないらしいのである。


 ――――これから、どうすればいい?


 言いようのない虚無感が、アンドロメダの心を支配していた。


 ――――――――


 教室を出る。

 当然、次の会場の場所など知っているはずもない。

 記憶をたどり、少女が右に行ったか左に行ったかを思い出す。


「たしか…………左かな」


 と、教室を出て左に進んでいく。

 そのまましばらく、広大なレインフォールを右へ左へ進んでいった。

 式典の日だからだろう、人とすれ違うこともなければ、遠くに見かけることすらない。


「…………これはもう始まってるな」


 かなりの距離を歩いたと思う。

 途中から頭の中にマップを描き、学園内の探索も兼ねて廊下を歩いていた。

 実を言うと、アンドロメダは少し前から、屋内闘技場の大体の場所は見当がついていたのだが、「いい機会だ」と、色々な場所を見て回っていたのである。

 

 さらに、頭の中で計算をする。

 先程集まった中で、レグルス以外の者の実力を踏まえ、模擬戦の進行具合を計算する。


 こんな事をしてはいるが、アンドロメダは自分の出番にはしっかりと間に合わせるつもりでいたのだった。

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