第1話 ペルセウス

 剣を握ると、遠い過去の記憶が浮かび上がる。

 ――――

 見渡す限り、青い芝の続く丘の上。

 青く澄み切った空の下。

 

 育ての親であり剣の師匠でもある女性は、不敵な笑みを浮かべ、「行くよ?」と一言。

 彼女の長い金髪がひらりと宙を舞った。

 大地を蹴った次の瞬間、目の前に現れ、容赦なく剣を叩きつけてくる。

 重く、鋭い剣戟は、次第に速度を増していく。

 受けるのに精一杯で、反撃の余地など無い。

 しかし、彼女はこれでもおそらく半分程度の力しか出していないだろう。

 自分と彼女の間には圧倒的な力の差があった。

 

 絶えず動き回り、迫りくる剣を捌きながら反撃の機会を窺う。

 少しずつタイミングを合わせ、僅かな隙も見逃さないように集中する。

 あと少し…………。

 僅かに身体が開いたその瞬間に……………………。

 

「十分だよ………………。成長した。」

 

 しかし、彼女は不意に手を止め、言った。

 いつもと違う彼女の雰囲気に、少しだけ戸惑う。

 

「………………ここまでだね。」

 

 つぶやくように言う彼女。

 

「君を拾ってから随分経ったな。あんなに小さかったのに………………時が過ぎるのは早いね。」

 

 感慨深そうにこちらを見る。

 いつもの太陽のように輝く笑顔は薄れ、代わりに少しだけ寂しそうな顔で笑っていた。


――――

 

 精霊国、王都。

 薄暗く、湿った匂いのする地下闘技場。

 周りを囲む熱狂的な群衆。

 その中央に、およそ十歩の距離を空けて向かい合う二人の戦士。

 片や強面で、屈強そうな大男。

 片や飄々とした佇まいで、こちらは鉄の仮面で顔を隠している。


 ぶつかる視線。

 仮面の男は微動だにせず、長剣を水平に構える。

 半身に構えたその身体は、無造作に伸び切っていた。

 そこに勝機を見出したのか、大柄な男が一気に距離を詰める。

 巻き起こる砂埃の合間から、ぎらりと光る刃が見え隠れしていた。

 斬首刑で使われるような大振りの戦斧である。

 辺りが緊迫した空気に包まれる。 

 二歩、三歩……………。

 瞬く間にその距離は縮み────。

 次の瞬間、しかし地面に崩れ落ちたのは向かって行った男の方だった。

 

 剣を振り抜いた姿勢で静止する仮面の男。

 

 一瞬の間を置いて、闘技場が歓声に包まれた。

 大地を震わすほどの歓声である。

  

 大地に転がる、まだ出血の止まらない死体。

 砂に飛び散った血の飛沫。

 たった今人を殺した者だけが持つ、特別な魅力。

 それらを見るために、今日ここに多くの人が集まった。


 ここ精霊国の、王都の「裏側」に。

 

 仮面の男は少しの間、その場所に留まっていた。

 表情は見えない。

 

 やがて男は剣を振って血を払うと、落ち着いた足取りで帰っていった。


 歓声はまだ止まない。

 何人もの屈強な戦士を差し置いて、仮面の男は新参者にも関わらず、闘技場で一番の人気を勝ち取っていた。

 予告なしに闘技場に現れ、次々と対戦相手を屠るその姿に、熱狂的なファンは多かった。


 しかし、誰も彼の素顔を知らない。

 試合が終わるとすぐに帰ってしまうのである。 

 ――――――賞金だけ受け取って………………。

 

 闘技場のオーナーですら、素顔を見るどころか本人と直接会話したことも無いという。


 そんな謎に包まれた、最強格の男─────。

 男は白み始めた東の空を横目に見ながら、静まり返る裏通りを都市の外れへと歩いていく。

 その途中、地面の端に転がっていたバックを拾い上げ、中から服を取り出した。

 

 歩きながら器用に着替え、先を急ぐ。

 そしてあたりを見回し、人がいないことを確認してから仮面を外した。

 

 青い靄のかかる裏路地。

 月は落ち、太陽もまだ昇らない夜明け前。

 仮面の下から、黒髪黒目の少年が姿を現した。

 鋭い視線に、暗い瞳。

 死人のような青白い肌。

 そして、気味が悪いほどに整った顔立ち………………。

 少年は上から黒のローブを羽織り、夜の闇に溶け込む。

 その襟には淡く光る銀色の校章が留められていた。


 学園レインフォールの始業式まであと数刻。

 ぱらぱらと雨の降り始めた裏道を、少年は急ぐ。

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