第107話 遠野市立博物館
遠野市立博物館。鍋倉城跡のある鍋倉山の麓に建てられた、日本で初めての民俗専門の博物館である。
常設展示として遠野物語と、その舞台である遠野の世界に浸る展示室があり、遠野物語を単に民話集としてではなく、「山」から「里」、そして「町」へ展開していった遠野の歴史を語るものと捉え、物語と歴史のかかわりを新たに表現している。
また遠野物語の人形劇やアニメを放映するシアターもあり、遠野物語100周年記念として作られた「水木しげるの遠野物語」のアニメも放映されている。
特別展示室には、様々な民俗学を主題とした期間限定特別展が開催され、日本中から民俗学ファンが訪れる。
「そんな博物館がダンジョン化してるとか、それが事実なら洒落になってないよな……」
俺は博物館を見上げて、ため息をつく。
だが現実として、行方不明者が出ている(らしい)からな。
とにかく現地調査をしないといけない。
俺は学校が終わってすぐ博物館へとやってきていた。
「すみませーん」
俺は中へと入る。一階。二階はは図書館になっており、学芸員、事務員の人たちもそこにいる。
話を聞くならばそこがいいだろう。
「はい、なんですか」
事務員のお姉さんが出てくる。
さて、なんと言うべきか。
「えっと、僕は都市伝説について調べているんですけど、話を聞きたくて……」
嘘は言っていない。
「ああ、学校の課題とかみたいな?」
「いや、ちょっと違うんですけど……趣味というか、趣味の延長みたいな?」
まさかそのまま全部言うわけにはいかない。
「ふぅん……あんまり変な噂を広めないでくれるとありがたいんだけど。今、ちょっと困ったことになってて」
お姉さんは困ったように眉を寄せて言う。
「何かあったんですか?」
俺は切り込んでいくことにした。
「……ちょっとね、変なことが起こっているのよ」
◇
事務員の前原さんが言うには、最近展示物に微妙に異変が起きているらしいのだ。
「飾っているものが動いているのは昔からよくあることだから、気にしてなかったんだけど」
いや気にしろよ。という意見があるかもしれないが、物の位置が勝手に移動するのは博物館でなくてもよくあることではある。
「展示物の……絵の内容が変わってる事があるのよね」
「内容が……?」
絵の内容が替わっている? どういう事だ?
「あの、それってよくあることなんですか?」
俺は確認をする。
「まさかぁ!こんなことは今まで一度もなかったよ!」
前原さんは大きく手をふりながら否定する。
「出てくることはあったけど……」
「ん?」
出て来ること?
何が?
「出てくるって、何がですか?」
「何って……絵の中の子だけど」
前原さんはごく普通の事のように言った。本当に当たり前の事のように。
「すみません、流石に普通、絵の中のものって出てこないと思うんですけど」
絵そのものが場所を移動することは聞くけど、それはポルターガイストの一環でたまに普通にあるしな。
「えっ」
「えっ」
……。
流石は遠野の博物館の人だな。絵の中のものが出て来るのは普通ってか。
「……こほん。えっと、この博物館には幽霊が出るって話があってね」
「あ、誤魔化した」
「誤魔化してません。そもそもその幽霊が、絵から出て来る女の子だから」
前原さんはそんなことを言い出した。
確か上月さんもそういうことを言っていたな、博物館に出る幽霊の話。
「幽霊画……ですか?」
確かにそういった話はいくつか知っている。
呪いを込めて描かれた絵や、幽霊をモデルに描かれた絵は時折、そういったものになるという話がある。
1976年にテレビの心霊番組で、青森県弘前市にある「正傳寺」に伝わる生首が描かれた掛け軸にまつわる怪奇譚が紹介された事がある。
「渡邊金三郎」と書かれた髷姿の生首の絵の描かれた掛け軸だったが、番組終了後に「掛け軸の生首の目が開いた!」という問い合わせの電話がテレビ局に殺到、大パニックになったという。
掛け軸の血は、本物の渡邊の血を使っていたらしく、たびたび怪事件が起きる呪物であるといういわくつきのものだった。
また、文政時代の日本の随筆『落栗物語』前編に記された『画霊』という話もある。
屏風に描かれた女性が現実に現れるという怪異であり、おんぼろの屏風を修繕したら女性は出なくなったと言う。
他にも、そういったものの逸話は多い。中には江戸の怪談というか猥談に、幽霊画から女幽霊が出てきたのでえっちしたという話もある。
「んー……」
前原さんは頭を振って言う。
「幽霊画、とはちょっと違うね。博物館に飾られてるのは、『供養絵額』っていうのよ」
「供養絵額……?」
「供養絵額っていうのは、 主に幕末から明治期にかけて岩手県中央部、特に遠野、花巻市域を中心に展開した供養習俗ね。
死んだ人が出た際に、その遺族や友人らが、死者の菩提寺に奉納した絵画なの。死んだ人が娯楽に興じたり、家族と食卓を囲む様子が描かれてるのよ」
「死んだ人の絵……ですか」
それはまた、怪談のネタになりそうな存在だ。
「そう、絵に描かれた故人はみんな生きている時と同じように幸せそうでね。生前の姿そのままで生き生きと描かれてるのよ」
「死後の生を祈る絵……」
俺がそう呟くと、前原さんは大きく頷く。
「そう。特に昔はさ、子供って長く生きられなかったじゃない。七つまでは神のうち、って」
そう、昔は今よりも医学も発達してなくて、栄養も悪く、生きる事が大変だった。七五三は、子供が生きている事を祝う行事だったのだ。
そうして、長く生きる事の出来なかった子供の、死後の生を願う絵……。
「ムカサリ絵馬みたいなものですかね」
「うん、近いね」
ムカサリ絵馬。
民間信仰による風習の一つで、山形県の村山地方や置賜地方にかけて行われている、冥婚と言われるものだ。未婚で死んだものの絵を描き、隣に架空の配偶者の絵を描いて、死後に結婚して幸せに暮らすということを祈る風習だ。
こちらにはもう少し怪奇的な伝説もあるが、今はいい。
「……その供養絵額から、そこに描かれた死者が出て来る……ということですか」
「うん。その通り。その絵の中の女の子がね、夜になると出てくるのよ」
前原さんはそう言った。
「前々から。博物館の事務員や学芸員が見かけてて。ああ、あの絵の子だしこういうこともあるな、危険じゃないだろうなって」
「……他の博物館だったら大慌てになりそうですね」
それが異変、と。
ふむ。行方不明になった子たちと関係があるのだろうか。それは調べてみないとわからないな。
「その絵があるのは?」
「こっち」
前原さんは俺を手招きしながら、展示スペースの方へと案内した。
◇
「ここが供養絵額コーナーね」
前原さんが指さした壁には、いくつもの絵が飾られていた。
江戸時代の家族の絵だ。
中心に描かれている着物姿の小さな女の子――それが件の幽霊なのだろうか。
「……ふむ」
しかし、絵そのものに邪悪な感じ、祟られている感じはしない。
描かれているものは、確かに死後の幸せを祈って描かれた、温かいものを感じる。
だが……。
(何か、この一枚だけ……)
一枚だけ、妙な違和感があった。
なんといえばいいか……そう、わずかだが、生きている人間の気配だ。
それがここにある、というわけではない……いやそうでもないが、しかし違う……何と言えばいいのか。
言葉にするなら、『この奥にいる』『この向こうにいる』と言ったところか。
行方不明……神隠しにあった少年少女たち、それはきっと……。
「外に何か不思議な事って無いですか? 例えば、神隠しとか……」
「? そういうのは聞いた事ないけど……」
前原さんはそう言う。
ふむ。
隠しているか、それとも……。
完璧な不法侵入、いや潜入をしたら消えてしまい、痕跡も残っていないか、か。
しかしどうするかな。
まさか俺も夜に不法侵入してみるわけにもいかない。
……仕方ない。
「前原さん、実は……」
俺は事情を話すことにした。
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