第77話 雲外鏡

「お兄ちゃん……な、なんで……二人」


 藤見沢の言葉に、カムパネルラが笑う。


「つい今しがた、こいつに対して兄じゃないと言ったじゃないか」

「そ、それはそう……だけど」


 藤見沢は混乱している。


 考えられることはふたつだ。

 ひとつ、カムパネルラは飛頭蛮……幽体離脱者だ。幽体離脱した人間の姿は、その気になれば自由に変えられる。

 この状況を打破するために、カムパネルラが藤見沢の兄の姿を借りている。


 そしてふたつ……藤見沢夕也は生きている。


 生きて、幽体離脱して、そしてここにいる。


「……ええ、菊池くんの考えている通りだと思いますよ。

 そう、私は……俺は十年前にダンジョンに落ちた。しかし、死んではいない。菊池くんがそうだったように、ね」

「そ、それじゃあ……お兄ちゃんは、今」

「――新宿のダンジョンの地下深くの、どこかに。

 俺の肉体は今、そこにある。

 あの時、俺はダンジョンの底で、ダンジョンスキルに目覚めた。

星幽体投射アストラルプロジェクション】――幽体離脱を自在に行うスキル。そのスキルで俺は、魂だけは自由に動けるようになった。

 最も、行ける先はダンジョンか、あるいは人の夢の中だけ、だけどな」


 カムパネルラは語る。

 自分がどういう存在なのかを。


 なるほど、彼は嘘を言っていたわけでは無かった。ただ全てを語ってはいなかっただけだった。


 その理由は、おそらく――妹のため、なんだろうな。

 彼は、藤見沢が自分を探してダンジョンに潜っている事を知っていたんだろう。

 じゃあ、自分が生きている事を教えてあげればいいではないか――だって?

 だけど、そう簡単なものじやない。

 生きているかもしれない。遺体があるかもしれない。そうした、もしかして、かもしれない――だからこそ、希望となる。いつか探し出す、いつか解き明かす、いつか、いつか必ず――。


 しかし、もし兄が生きていて、しかしダンジョンの奥に眠ったままだという事実が確定してしまえば。

 藤見沢の事だ。きっと、それしか考えられなくなるだろう。そのためだけに生きる 事になるだろう、贖罪のために自分の全てを棄てて。


 付き合いの浅い俺でも、そのぐらいは予想できる。


 だから――カムパネルラは黙っていたんだろう。そして見守っていた。


「……ふ、ふふふ。まさか本物がそういうふうに出てくるとは思わなかったよ」


 偽夕也が笑う。


「ならばどうする? 僕を殺すかい? しかし無駄な事さ」

「……ああ、そうだな。お前はただの虚像に過ぎない。夕菜の心から映し出された、まさしく鏡の虚像」

「……お前」


 偽夕也の声色が変わる。

 ……鏡の虚像。


 まさか……!


 俺は周囲を見回す。


 ……あった。


 天井の近く、圧力計のあたりに安置されている……鏡。


「雲外鏡……!」

「その通り、菊池くん」


 カムパネルラは俺の言葉を肯定した。


 雲外鏡。鏡が長い年月を経たのちに変じたという妖怪だ。

 鳥山石燕の記した妖怪画集、『百器徒然袋』には照魔鏡の名と共に記されているが、妖怪の真の姿を映し出す照魔鏡とは逆に、真実を歪め覆い隠す魔なる鏡と呼ばれている。


 ……それが、ここのボスモンスターというわけか。


「偽物の俺は、雲外鏡が映し出した、歪んだ虚像。

 雲外鏡本体とダンジョンコアを守るために、侵入者の心を読み取り、効果的な姿を映し出す。

 俺の姿を映し出せば、夕菜のトラウマを刺激し、邪魔できる……場合によっては味方に取り込めると踏んだんだろう。

 本物の俺が乗車していたのが計算外だったな」

「……その通り。だが、それが分かった所でどうする」


 偽夕也……雲外鏡が笑う。


「俺を倒すか? だがこの俺を消したところで意味は無い。俺は虚像に過ぎない。そしてこの俺は、夕菜の心を乱しお前らの邪魔をするために用意された虚像、戦闘力は無いただの少年だ。

 だが、ここにいるのは夕菜だけじゃあないってことだ」


 そして雲外鏡は……俺を見た。


「この中で最強はお前だろう?キチク」


 誰がキチクだ。


「つまり、お前が決して勝てないと思う相手を映し出せば……お前らは勝てないと! 言う事だ!」


 雲外鏡が高らかに笑い、叫んだ。


「――まずい!」


 カムパネルラが焦るが、遅い。上にある雲外鏡の本体が怪しく輝き、俺をその鏡面に捕らえる。


「縊れ鬼の件で、お前にまともな人の心が無いと言う事は――少なくとも後悔が無い事は理解した!

 しかし、後悔や恐怖が無くとも! 愛する者がいないとしても!!

 お前自身が、強いと思う対象は存在するだろう!

 仮にそれすらなく、己が最強だと自負していたとしても――そうなれば現れるのは最強のお前自身!」


 つまり、時間稼ぎには事足りると言う事か。

 そして、怪しい光と共に、煙が――雲が凝縮する。


 そこから現れたのは――。


「――何より、君は俺には勝てない。何故ならば、君を救い出したのは、俺なのだから」


 現れたのは、俺が一度も忘れた事の無い人間。


 あの姿に憧れた。


 その姿に救われた。


 俺をダンジョンから救い出し、道を示してくれた恩人――


 今なお生ける伝説と呼ばれる、S級探索者の頂点の男。


 最強のダンジョン探索者。


神崎かんざき――じん


 地上最強の男が、そこにいた。

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