第73話 藤見沢夕菜の過去
「立てるか、藤見沢」
「……う、うん……」
俺は藤見沢の手を取って立たせる。
「……」
藤見沢は顔色が悪い、真っ青だ。まあ……そりゃそうだろうな。
彼女が何をみせられていたのか、縊れ鬼が化けていたあの少年が何なのか知らないが……きっと藤見沢のトラウマなんだろう。
触れないでおこう。
「……大丈夫か?」
「う、うん……ありがとう……」
「……無理すんなよ?」
「大丈夫……だと思う……多分」
そう言って藤見沢は歩き出す。
「……行こう」
「ああ」
俺たちはまた歩みを進める。
洞窟の中は薄暗いが、不思議と暗くは無かった。
「……」
藤見沢はずっと無言だ。仕方ない。しかしこれはなんというか沈黙がとても気まずい。
こういう時、コメントが流れてきたらありがたいのだが、幸か不幸かここでは繋がっていないようだ。藤見沢のドローンカメラも無い。
どうしたものかな。
「……」
「……」
しばらく無言。
ややあって、藤見沢が口を開いた。
「……何も、聞かないんだね」
「何をだ?」
「私の事とか、今までの事」
「聞いて欲しいなら聞くけど。触れちゃあかんことなのかなって思って」
明らかにトラウマ案件だったからな。
触らぬ神に祟りなしだ。
「……ううん。助けてもらったし。それに……」
聞いてほしいんだ、と藤見沢は言った。
まあ、話して楽になる事もあるしな。
「……わかった。じゃあ聞かせてくれ。藤見沢のこと」
俺は促した。
藤見沢は少し躊躇った後、ぽつり、と話し始めた。
「さっきのあれは……私の、お兄ちゃんなの……」
「お兄さん?……さっきの少年がか」
むろん縊れ鬼そのものではなく、縊れ鬼が化けていた姿の事だろう。
藤見沢は小さくうなずいた。
「わたしより二歳年上の男の子。優しくて勇敢で、とても素敵なお兄ちゃんだった」
だった、か。つまり今は……。
「10年前のあの日」
藤見沢が言う。十年前と言えば……忘れもしない、あれか。
「ダンジョン事変か」
ダンジョン事変。この世界の各地に突如ダンジョンが大量発生した日の事だ。
あれで世界は一変した。俺もあの事件のせいで人生を変えられてしまった人間の一人だ。
「新宿の町を二人で歩いてて……地震が起きて、それで……私は地割れ……ダンジョンに飲み込まれそうになった」
その時の光景を思い出したのか、藤見沢の顔色は更に悪くなる。しかし彼女は続けた。
「それをお兄ちゃんが庇ってくれた。私の代わりにダンジョンに落ちて……そのまま帰ってこなかったの」
「そうか……」
よくある話だという。
あの日、多くの人がダンジョンの発生によって行方不明になった。
ダンジョン発生に巻き込まれ、ダンジョンに落ちた人たちは多い。そして帰還出来た者、救助された者もトラウマに苦しんでいる場合が大半だ。
藤見沢の兄もその一人だったというわけか。
「それ以来、私はずっと引き籠って暮らしてきたの。学校にも行かず、友達とも会わず、ずっと部屋に閉じこもって過ごして来た。
でも、そんな日々を終わらせてくれたのは……ネット配信」
「……」
それは……わかる気がする。
「ダンジョン配信、か」
「うん。ダンジョンに潜って、探索してる人たちがいる、それを私は知った。
私にとって悲劇と破壊の象徴でしかなかったダンジョン、そこで頑張って前向きに……ううん、それどころか……楽しんで探索し、冒険している人たちがいた。
最初は、ふざけるなって思ったよ。
人がたくさん死んで、たくさん苦しんでる場所で遊ぶなんて許せない、非常識だって」
正論である。反論できない。
「しかも配信なんて理解できない。
ずっとそう思って、でも……目が離せなかった。
わからなかった、何がそんなに人を惹きつけるのか。
だから……見てみたいと思ったの」
「それで……お前もダンジョン探索者になったのか」
藤見沢は頷いた。
「……うん。反発と、好奇心かな。今思うとバカみたいだけど、でも……ダンジョンなんかに負けたくない、このまま泣き寝入りは嫌だって。
そして……目的があるの」
「目的?」
「うん」
藤見沢は、強い意志を込めて言った。
「……お兄ちゃんを、探し出す。ダンジョンに飲み込まれて消えた、お兄ちゃんを。
それが私の目的……私の復讐」
「……そうか」
そういう人は珍しくない。
今も定期的に探索チームが協会などによって組まれているくらいだ。
大切な人を失っても、人はそう簡単に諦められないものだから。
「まさかお前……基金に寄付してるのって」
「うん。私みたいに、あの事変で大切な人をなくした人たちの……助けになれれば、って思って」
「……」
すごいな。
正直驚いた。アホみたいな好奇心だけで突き進む暴発娘かと思っていたけど……そんなに色々と考えて、抱え込んでいたのか。
うん、ごめんなさい。正直みくびってました。A級探索者というのは伊達じゃないな。
「そんな時に、縊れ鬼のあの幻覚か……そりゃつらいな」
「うん……」
「だけど、あれはどこまで行ってもただの幻覚だよ。縊れ鬼の妖術は、人の心の傷を映し出して形にする。それはどこまで行っても、藤見沢の後悔と罪悪感が産み出したものにすぎない。お前の兄さんは、あんなふうにお前を責めたりしないって」
「……修君に何がわかるの」
藤見沢は立ち止まり、言った。
「それは……」
「確かに、あの鬼が見せただけの幻覚かもしれない。だけど、私がお兄ちゃんを……私のせいでお兄ちゃんがダンジョンに落ちて言ったのは、その過去は幻覚なんかじゃない。
……現実だよ。
十年だよ?
十年の間、お兄ちゃんはずっと地の底で……そんなの、絶対に苦しんで、死んでいって……だから恨んでるに決まってる。
知ってる? 人間って、飲まず食わずでいたらほんの数日で死ぬんだよ。
喉が渇いて飢えて死ぬって、とても苦しいんだよ!」
藤見沢は、血を吐くように言う。
それは、配信では決して見せない姿だった。あるいはこれが、藤見沢の素なのか。それとも……。
「……この銀河鉄道の話をカムパネルラさんに聞いた時、私、ちょっと期待しちゃった。もしかしたら、このままあの世に繋がったら、お兄ちゃんに会えるかもって。
嗤えるよね、優斗さんや満月さん、修君が、この世界のためにこのダンジョンを壊さないと、って言った時私は何と思ったでしょうか。
壊したらお兄ちゃんと会えないかも、なんて思ったんだよ!」
藤見沢は叫んだ。自分自身を恥じ、罰するかのように、糾弾するかのように。
「……結局私は、自分の事しか考えてない。協会や基金に寄付してるのも、全部自分のうしろめたさを隠すため。
私ね、時々……忘れるんだよ?
お兄ちゃんを探すためにダンジョンに潜ってるのに、ダンジョン探索が楽しくなって、お兄ちゃんの事を忘れるの!!
わかったでしょ。私って、こんなに酷い……汚くて醜い女なんだよ」
藤見沢は、懺悔するように心情を吐露する。
慰めて欲しいのか、それとも罰して欲しいのか。
……女心なんて、俺にはわからん。
わからないから、俺は……。
「俺には、わからない。俺はお前じゃないからな。
だけど、藤見沢のお兄さんについて……ひとつだけ言えることがある」
俺は、俺の事を話すことにした。
「ダンジョン事変でダンジョンの奥に消えた……か。
だけど、数日で人は死ぬっていうのは、ダンジョンでは……当てはまらない」
「なんで……そんなことが言えるの」
「実例が、ここにいるからな」
俺は言った。
「俺も十年前、東京で……ダンジョンに吞まれたんだよ。
地上に戻ったのは、それから一年後だった。
ダンジョンで戦い抜いて生き抜いた……なんてかっこいいことは全く無くて、外の時間で一年、体感時間では数日だったか数か月だったかそれとも数時間しかたってなかったか……俺はただ怯え、縮こまって震えてた。闇の中で、ずっと」
それが、俺の十年前の出来事。
菊池修吾の体験した、神隠しだ。
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