第72話 一両目の縊り鬼

 気が付けば、そこは洞窟だった。


 ……。

 どういうことだろう、これは。

 さっきまで俺はSL銀河の中にいたはずだが。


「おーい、千百合、日狭女、鈴珠ー!」


 呼んでみる。返事はない。


「優斗さん、満月さん、藤見沢ー!」


 ……返事はない。

 どうやらはぐれてしまったらしい。


 ……困ったな。


 ここは洞窟タイプのダンジョンか。モンスターの気配は……。


 今の所、無し。


 しかし、どこかで見たことあるような光景だ。いや、洞窟なんてどこも同じようなもんだが。

 懐かしいような気がする。しかし、だからといって特に心に引かれるものは――特になかった。


 暗がりで、誰かが泣いて助けを求めているのが見折る。子供だ。まだ7歳ぐらいの少年だ。


 どうでもいいと思った。

 気のせいだ。こんな所にいるはずがない。


 とにかく、ここがどこかわからない以上、進むしかない。


「……行くか」


 俺は一歩を踏み出した。



 ◇


 夕菜は歩けなかった。

 立ち止まっていた。

 気が付けば汽車の客車の中から、洞窟にいた。


 それはいい。

 ダンジョンで転移してしまう事はよくあることだ。


 問題は、この場にいるのが自分だけだという事。

 他の皆がいない事。

 何故、どうして、こんな事に――? 思考がまとまらない。


 しかし一つわかる事がある。


「……ごめんなさい」


 夕菜はただ恐怖し、謝罪する。


 目の前の――少年に。

 ただただ恐怖し、後悔し、懺悔する。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 壊れた人形のように、ひたすら謝る。許しを請う。


 それでも、彼は何も言わない。無表情にじっと夕菜を見つめ続ける。

 その視線で、責める。


 血に濡れた顔で。返り血に染まった身体で。


 夕菜を、睨みつける。


「……ひっ」


 怯える。

 怖くてたまらない。

 逃げたい。

 でも足が動かない。

 逃げなきゃ、逃げないと――――


 だけど。


「逃げるのか」


 少年が言う。


「また、逃げるのか――ああ、いいよ、逃げるといい。

 また、僕を置いて、自分だけ助かるといい」

「――!!」


 違う。そう言いたい。なのに言葉が出ない。


 違わないからだ。

 自分は――。


「あの時のように」

「……あ、ああ、……ちがう、ちがうよ、私は……」

「逃げたじゃないか、あの時。お前は逃げた。

 だから僕はこうなった。

 そう、こうなったんだ――」


 そして、少年が手を伸ばす。その手が、肉がごそり、と落ちる。手の骨があらわになる。


 少年は笑う。

 その顔の肉が、どろりと腐って落ちる。

 目玉が零れ落ちる。

 その空洞になった眼窩から、赤い光が漏れる。


「い……いや……あ、あああ、いや、いや……いやああああああ!!!」


 夕菜は叫ぶ。

 ただ叫ぶしか――出来ない。

 そして、少年の腐った肉のこびりついた手が、夕菜の顔を掴む。


 その指を、彼女の口に――


「……?」


 指し込もうとした、その時。


 少年は止まる。


 何かおかしい。音がする。

 ここには二人しかいないはずなのに、彼女一人の世界のはずなのに、異物がある。いや――異物が混入、侵入しようとしている。


 ありえない。


 しかし――少年は知らない。

 あれに、常識は通用しないのだということを。

 壁に、いや――空間に亀裂が走る。


 そして。


「!?」


 割れる。まるで硝子が割れるように、ひび割れ砕け、穴が開く。

 そこから突き出ているのは、拳だった。


 そして、それと目が合う。


「見 つ け た」


 それは笑った。

 


 ◇


 よくわからないけど、子供相手に藤見沢が恐怖して取り乱し、泣いていた。

 それはガラス板の向こう――あるいはモニターの向こうの出来事のように、異質で現実感が無かったけど、それでもそれは現実だとわかった。


 なので、壁を思いっきりぶん殴った。

 通れない壁なら壊せばいいと思い、ぶん殴ったら――壊れた。


「見つけた」


 俺はそう言って笑った。これでもう、こっちのもんだ。


「ふんっ!」


 壁の穴をさらに砕いて広げ、そしてあちら側に行く。


「修……くん?」


 藤見沢が言う。


「おう。とりあえず一人確保だな。とっとと行くぞ」

「え……あ、うん、えっと……」


 藤見沢が呆然と言う。その時、さっきの子供が騒ぎ出した。


「――ま、待て! なんだ貴様は、何なんだ、何故――ここにいる!」

「いや何故って……そこから」


 俺は割れた壁を指さした。


「そういう事ではない! いやそっちもそうだが、何故お前はここで――後悔に襲われない!」


 少年は怒りの形相で叫ぶ。いや、怒りもそうだが、困惑が顔に浮かんでいた。


「何故過去に囚われないのか、貴様には――後悔がないのか!!」

「後悔……?」

「そうだ! 私の世界では、私の妖力の影響下では――人間は己の後悔に襲われ、押しつぶされる!

 お前がここに――この娘の世界に来れるはずが無いのだ!」


 なるほどな。そういうタイプの妖怪か。


「――あるぜ、後悔」

「なら……!」

「ずっと同接一桁とかだったこととかな」


 あれはつらかった。


「あと東京で……

 美味しくないジンギスカンを、こんなのはジンギスカンじゃないと勇気を出して言えずに美味しい美味しいと自分を偽って食べた事を、俺は……

 ずっと後悔していた」

「すっごいくだらない後悔だー!?」


 少年は叫んだ。


「いや他人の後悔を、心の傷を自分の物差しで測るなよ!」


 なんて失礼な奴だ。


「いや待て、そんなはずはないのだ!

 己を責め殺す後悔が無いと言う事は、それは人を愛したことが無いと同じ事!

 貴様には――人の心が無いのか!!!」

「うるせえ!!」


 いちいち失礼な奴だな本当に!


「人をろくでなしみてぇに言うんじゃねえ、人の心に付け込むしかない――縊れ鬼が!」


 縊れ鬼。聞いた事がある。


 人間に憑りつき夢を見せ、後悔によって自殺させる――首を括らせる妖怪だ。

 つまりここは縊れ鬼の見せる夢の中ということだ。


 ようするに、単なる夢じゃねえか。

 そんなので死んでたまるか!


「ひっ――!」

「ぶっ飛べ、悪夢があ!!」


 俺は、縊れ鬼を全力で殴る。


「ぐげぁア――――ッッ!!!」


 縊れ鬼は、その本来の姿……般若のような顔をした幽霊のような本性を現し、不可視の壁を突き破って消えていった。


 ……本当にクソ失礼な奴だった。


 何が人の心が無いだ。ふざけんなよ。

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