第44話 座敷わらしの本義

 千百合は遠野の町を歩いていた。夜風が頬を撫でる。


 空を見上げる。

 星が瞬いている。

 町には人通りもなく静まり返っていた。


「……結局こうなるんだ」


 ぽつりと、呟く。


「……わかってたんだ」


 わかっていても、認めたくない。

 そうして、ただ歩き続ける。

 千百合は、座敷わらしである。

 座敷わらしは、長き時を生きる。しかし、永遠に同じ場所に留まり生きていくわけではない。


 家を守護する神。それはすなわち、家にとり憑くあやかしであると同義だ。

 家とは永遠ではない。いずれ朽ちるし、建て直される。そして住人が入れ替わる。特に人の入れ替わりは不可避だ。


 長く留まるということは、それだけ多くの別れを経験するということだ。

 長い年月を共に過ごした家族との別離。親しい友人との出会いと別れ。そして、愛した人との死別。


 千百合はそれら全てを見届けて来た。


 だから、知っている。

 自分が必要とされなくなる日が来ることを。

 自分はいつか忘れ去られてしまうということを。

 そして、必ず家を立ち去る日が来るという事を。

 座敷わらしとはそういうものだ。


 座敷わらしの来歴は個体によって様々である。子孫を守護すると誓った先祖の霊。家を建てる時に人身御供にされた赤子の霊。口減らしで潰された子の魂。いずこからより現れた客人神。そして、神の分御霊。

 それらは来歴は違えど、人と家を守護し、出会いと別れを繰り返し、そして去られ、あるいは立ち去るという本義を背負わされている。


 栄枯盛衰、その体現が座敷わらしという怪異だ。


「でも、今回は……早すぎだよ」


 前の家は滅びた。二十年以上も前の事だ。


 といっても、遠野物語にあるような、住人の死滅のような悲劇ではなかった。ただ、両親が老衰で大往生し、残された息子夫婦は家を売り払い、遠野を立ち去った。それだけのことだ。

 あの家で自分を見てくれていた老夫婦は無くなり、その子供と孫は気づいてくれなかった。


 だから出ていった。出ていくしかなかった。


 出ていった彼らがどうなったかは知らない。ただ、伝説にあるような不幸、破滅は訪れていないだろう。


 代わりに、思い出の詰まったあの暖かい家がただの瓦礫と化し、なくなり、新しくマンションが建った。一面から見ればそれは不幸であると言えるからだ。だから帳尻は合う。


 大好きだった老夫婦の子供、孫に不幸を背負わせたくはなかった。

 たとえその子たちが自分を見ず、かえりみず、理解してくれなかったとしても、それでも……千百合にとっては家族同然だったからだ。愛していたからだ。


 そして行く先が無くなった千百合は、マヨイガに行きついた。


 人を迷わせる家。


 そして、迷い人をもてなし、受け入れる家。


 妖怪、神である自分が迷い人とは滑稽だとも思ったが、彼女はマヨイガに身を寄せることとなった。

 マヨイガは、妖怪たちや、そして人間が時折訪れる。

 特に人間たちは皆迷った者だ。それはただ道に迷った者、人生に迷った者、様々だったが……


 千百合はマヨイガにて彼らとふれあい、もてなした。

 マヨイガを訪れた迷い人はすぐに出ていく。

 それぞれに何かを得て。

 それを見るのは、千百合はとても楽しかった。

 失ってばかりの自分の惨めさを忘れられる気がして、救われる気がしたからだ。


 それが変わったのは十年前。


 マヨイガが、変貌した。正しくは侵食されはじめた。


 異界よりの侵略。ダンジョンと呼ばれる迷宮と繋がったのだ。

 マヨイガは、迷い人の前に姿を現すのをやめた。このままでは人を食い殺してしまうからだ。

 千百合も賛同した。自分を受け入れてくれたこの素敵な家が、人食いの迷宮になってしまうのは見たくなかった。


 そして十年の孤独の時間が流れた。


 そうやって出会ったのが――菊池修吾という少年だった。


 彼はおかしい少年だった。


 恐怖と言う感情が無いのか、危機感が壊れているのか。自分とマヨイガの状況を説明しても平然とし、迷宮――ダンジョンに潜り、このマヨイガを救うと言い出した。


 どう考えてもおかしい。


 遠野人だからといってこれはおかしい。

 遠野の人間は確かに妖怪、怪異と隣り合わせで生きてきたが――逆に言うと、危険に対して敏感であり、人ならざる怪異とは適切な距離を置こうとするものだ。つかず離れず己たちの境界線、領分を守る。


 なのにこの少年は、その境界線を簡単に、無遠慮に乗り越えてくる。

 座敷わらしである自分を、普通にネット配信で人々に紹介する。いや、最初に間違って配信してしまったのは確かに自分だったが、その後も平然とだ。


 そして迷宮に潜り、迷宮によって作られた狂った妖怪たちを平然と殴り倒していく。いや、普通にこの強さはおかしい。

 遠野人だから? 千百合の知っている遠野人はあくまでも遠野に住んでいるから妖怪を知っているだけの普通の人たちである。確かに妖怪を知っているだけに、己の領分を超えた妖怪に関しては恐れず怯まずに鉈て゜頭をカチ割ってきたり包丁で刺したり猟銃で撃ってくるのが遠野人だといえば……そうではあるけれども。だがそれは昔の話だ。


 そんな彼は易々と深層までたどり着き、守護者である巨妖を打ち倒し、そして黄泉の住人である豫母都志許賣を受け入れ、マヨイガを開放した。

 この迷宮を閉ざすのではなく、制御して安全な迷宮として存続させ、人々を迎え入れて楽しませるという方向で。


 やっぱり、色々とおかしかった。


 そしてそれはうまくいった。

 千百合とマヨイガは自由となった。そして、修吾はマヨイガの主人として認められた。


 千百合は再び――人間と共に暮らす幸せな日々を手に入れたのだ。



 しかし、やはり千百合は座敷わらしである。


 出会いがあれば、必ず別れねばならない。

 きっと、それが――今日なのだ。

 残念だが仕方ない。あの狐は腹立たしい。だけど、自分の代わりをきっと自分以上にやってくれるだろう。修吾にもマヨイガにも、リスナーたちにも受け入れられている。

 それに自分と修吾が出会ってから、まだたった一か月だ。これで別れるなら、修吾にとって傷は深くない――傷など生まれないだろう。育んだ日々など一瞬にすぎず、そもそも彼は遠野人である。座敷わらしがどういうものか知っているはずだ。やがていなくなる神だと。

 あの狐や日狭女、マヨイガはずっと修吾と一緒にいられるはずだ。


「うん、だから――これでいいんだ」


 自分はまた遠野を旅する。そしてどこか適当な家を見つけよう。

 今までと変わらない。

 何も――変わらないのだ。


 そう。

 誰かと囲む食卓の暖かさも、ネットの向こうの人たちと楽しく喋りながらゲームをする騒がしさも、元々そんなものは――なかったのだから。


 ただの、陽炎のような――


「う……っ」


 涙が零れる。

 自分はこんなにも弱かったのか。もっと強くあらねばならなかったのに。


「大丈夫、大丈夫だよ……」


 千百合は自分に言い聞かせるように呟く。

 いつかはこうなることは分かっていたのだ。

 だから覚悟していたはずだったのだ。

 なのに、胸を締め付けるような痛みに耐えられない。

 耐え難いほどに辛い。

 千百合は膝を抱え、顔を伏せ、嗚咽を押し殺すように泣き続けた。


「一人は……いやだよぉ……っ」


 そんな千百合の耳に、音が聞こえる。


 ききっ、という音。これは知っている。自転車がブレーキをかけて止まる音だ。


「……?」


 千百合は振り向く。


 そこには――





「と、トンカラトンと、い、言え」


 全身を包帯で包んだ、日本刀を持った男がいた。

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