*17 フランク・カルディナの過去 7

声をかけられて振り向くと、そこには三年間同じクラスだったアンリ・ポートマンが立っていた。


「アンリ? どうしたんだ?」


アンリは素行があまり良くなく、ほとんど彼とは交流を持ったことがなかった。なのに何故突然声を掛けてきたのだろう?


「いや、少しお前と話がしたくてさ。家督を継いだんだろう? 俺もじきにそうなりそうだったから、相談に乗ってもらいたくてな」


「あぁ、別にそれは構わないけれど……」


するとアンリは次に、モリスとテオドールに声を掛けた。


「悪い、フランクを借りるぞ」


「俺達がいたら駄目なのか?」


テオドールが尋ねた。


「ああ、ちょっと家の事情もあるからフランクとふたりきりで話したいんだ。いいだろう?」


アンリが再びこちらを見る。


「分かった……いいだろう」


「本当か? それじゃあっちのテーブルに行こうぜ」


頷くと、アンリが嬉しそうに笑った。こうして私はアンリと一緒に別のテーブルへ移動した。その時、一瞬チラリとイメルダがこちらを見て、目が合ってしまった。


「どうかしたのか? フランク」


「いや、何でも無い。それでアンリ、話っていうのは?」


「まぁ、ちょっと待ってろよ。ワインでも飲みながら話でもしようぜ」


そしてアンリは席を立つと、すぐに二人分のワインを持って戻ってきた。


「ほら、久しぶりの再会を祝って乾杯しようぜ」


「……ああ」


久しぶりの再会と言っても、彼とはほとんど会話したことなど無いのに? 


「「乾杯」」


二人でグラスを鳴らし、ワインを口にすると早速アンリに尋ねた。


「どんな話を聞きたいんだ?」


「まぁ、堅苦しい話は後にしようぜ。それより、結婚したんだろう? 新婚生活のことを教えてくれよ。やっぱり結婚ていいものか?」


「アンリ……分かったよ」


結局、強引な彼に押される形で結婚生活のことについて私は語った。アンリから何度もワインや他の果実酒を勧めてくるのでやむを得ず飲んでいるうち次第に頭がぼんやりしてきた。

おまけに強烈な眠気まで襲い始めてきた。


「……おい、フランク。大丈夫か?」


アンリの声が遠くで聞こえてくる。


「……だい……じょう……ぶ……だ……」


返事をしたのは何となく覚えている。そしてそこから先の記憶は無い――




****



「う……」


ズキズキする頭の痛みで目が覚めた。


「……二日酔いか……?」


頭を押さえながら起き上がり、ギョッとした。驚いたことにそこは見たこともない部屋で、しかも何も衣服を着ていない。


「え!? 一体こ、これは……?」


その時隣に誰かいる気配を感じて慌てて振り向くと、こちらに背を向けて眠っている長い髪の一糸まとわぬ女性の姿がある。


「そ、んな……」


女性は起きていたのか、ゆっくりこちらを振り向き……私は絶望した。

その女性はイメルダだったのだ。



「フランク……」


イメルダが私の名を呼ぶ。


「イメルダ……な、何故君がここに……?」


すると、イメルダの目にみるみる涙がたまる。


「何故ですって!? フランクが無理やり私にこんなことをしたのに、そんな事を言うの!?」


「そ、そんな……う、嘘だ!」


まさか、イメルダに手を出すはずがない。愛する妻だっている、ましてや私は彼女を嫌悪しているのに?


「嘘ですって!? ひ、酷い……嫌がる私に無理やり狼藉を働いておいて! あなたには奥さんがいるのだから、こんなことやめて何度も訴えたのに、聞く耳すら持たなかったじゃないの! それでも違うって言うのなら……同窓生達にあなたに乱暴されたと訴えるわよ!」


涙を浮べながら文句をぶつけてくるイメルダ。その言葉に耳を疑う。


この状況……、明らかに自分が不利な立場に立たされているのは分かっていた。ましてや私がイメルダと共に会場から姿を消したのを見ている同窓生たちもいるにちがいない。

おまけに一番問題なのは、記憶がまるきり無いということとだった。

自分の記憶がすっぽり抜けていることがこれほどに恐ろしいことだとは思わなかった。


「わ、分かった……悪かった。イメルダ……どうか許して欲しい……私はどうすればいいのだ?」


自分の今の立場を守るために、私は彼女に謝った。


「そう、悪かったと思ってくれるならいいわ。許してあげる。でもそれには条件があるわ」


「条件……?」


絶望的な気持ちで尋ねた。


「もし、万一私に子供が生まれたら認知してもらうわよ?」


「わ、分かった……」


「そうそう、確かあなたの妻は妊娠しているのよね? 父から聞いたわ」


「何だって?」


絶対に安定期に入るまでは隠し通そうとしていたのに……何処かでバレてしまったのだろうか?


「あなたは私に一生消えないキズを負わせたばかりか、嫌がる私に無理やり狼藉を働いたのよ? その罪は重いわ。だから償いのために代償を払ってもらうわ」


その代償とは……今後一切、ルクレチアにも生まれてくる子供にも、愛情を注いではならないというものだった。


もし約束を破った場合は私の醜聞を新聞記者に売るというのだ。

そんなことをされれば、代々続いてきたカルディナ家に泥を塗ってしまい……最悪、それがきっかけとなり、没落してしまう可能性もある。


「わ、分かった……君の言う通りにしよう……」


「そう? 分かってくれたのね?」


そしてイメルダは満足そうに笑った。



****


 屋敷へ戻った私はイメルダに命じられた通り、ルクレチアに背を向けた。突然の心変わりにルクレチアは嘆き悲しみの中、レティシアを出産した。

 

 

 ルクレチアは産後の肥立ちが悪く、精神を病んでしまった。そこへ追い打ちを掛けるかのように、イメルダの妊娠の発覚。


相手の男は私だという話はあっという間に屋敷中に広まり、当然ルクレチアの耳にも入ってしまった。


そして……ついにルクレチアの心は壊れてしまった。

心が壊れたまま……十六年後、冷たい雪の中で彼女はひとり寂しくこの世を去ってしまった――



****


 ルクレチアの葬儀には友人たちが集まって来てくれた。そこでたまたま、イメルダの噂話を耳にした。


 どうやらイメルダの子供は私生児で、妊娠してしまった当時は酷く悩んでいたらしいと……


その話を聞いた時、私は思った。


もしや、フィオナは本当は私の子供では無いのかもしれない。


私の子供であれば、悩むことなど無いだろう。

望まぬ妊娠をしてしまい……父親は私だと思わせるために、あのような手の込んだ芝居を打った可能性がある。


やがて疑問は確信へと変わっていった――





「ねぇ、フランク。あなたの奥さんはもう死んでしまったのだから、私達があのお屋敷に行ってもいいでしょう? 結婚して頂戴よ。いつまでも愛人の状態に置かれているのは嫌なのよ」


イメルダとフィオナの面会日に家に行った時、突然彼女が申し出てきた。

愛人だと? こちらは今まで一度もそんなふうに思ったことすら無いのに?


「ああ、分かった。いいだろう。歓迎しよう」


けれど、イメルダを油断させるために私は頷く。


「本当? 嬉しい!」

「いよいよお父様と一緒に暮らせるのね?」


大喜びするイメルダとフィオナ。


そうだ、今のうちにせいぜい笑っているといい。イメルダを自分の監視下に置いて油断させる。

そして誰がフィオナの本当の父親なのか暴いて、それなりの処罰を与えてやろう。



だから……それまで、もう少しだけ我慢して待っていてくれ、レティシア。

口に出せない言葉を心の中で繰り返す。


けれど、娘の行動の方が一足早かった――





****



「そうだ……分かったぞ」


ポツリと言葉を口にした。


「旦那様? どうされたのですか?」


私を落ち着かせるためにハーブティーを入れていたチャールズが首を傾げる。


「レティシアの居場所だ! きっと、あの娘は『アネモネ』島へ行ったのだ!」


「『アネモネ』島へですか?」


「そうだ。何故、さっきは気づかなかったのだろう。あの部屋の引き出しから義母の手紙が消えていたのだ。きっと、あの住所を頼りに島へ渡ったに違いない!」


「なるほど……確かに、その可能性はありますね」


頷くチャールズ。


「チャールズ。私は明日、早速『アネモネ』島へ渡ってレティシアを探し出す」


「分かりました。旦那様。乗船券の手配は私にお任せ下さい」


「ああ、頼む。イメルダとフィオナには私が何処へ行ったのかは伏せておいてくれ」


「かしこまりました。それで、レティシア様を連れて帰られるのですか?」


「いや、まだその時期ではない。まずはイメルダとフィオナの件を片付けてからだ」


そして私は窓に近付き、大きく開け放して夜空を見上げた。



どうか、『アネモネ』島でレティシアが無事に見つかるようにと祈りながら――




* 次話、レティシアの話に戻ります

 

 

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